Essay
エッセイ・連載
第23回 あがいて、もがいて、がむしゃらに ― 「壁」の向こう側で新しい景色に出会うために。
2021- 「人間の家」の劇場経営をナビゲートする。
2025 年 04 月 12 日 (土)
文化政策/劇場経営アナリスト 衛 紀生
80年代半ばに三行表示の東芝ワープロの「ルポ」を書き物に使用し始めてから、備忘録として事有るごとにメモを記してフロッピーディスクに保存するのが物書きとしての習い性になりました。それ以前は大学ノートに書き溜めていたのですが、随分と便利なものを手に入れたと思いました。巷間言われているように漢字を忘れて、書けなくなるとの杞憂は確かにありましたが、その便利さにすぐにその心配を忘れてしまいました。最近上梓した『人間の安全保障としての文化芸術―人間の家・その創造的アーツマーケティング』は35万字を超えて、430ページの大書になりましたが、「創客」の概念を立ち上げた94年の発想の前提となった、その2年前の長崎の障害児たちの「のこのこ劇団」から受けた強い衝撃を生々しく記録したその備忘録が大いに役に立ったことは言うまでもありません。
約2年半の間、その備忘録を何度となく見て来て気付いたことがあります。私の発想には、多くの場合は自分の囚われている「常識」をスクリーニングして、経営戦略を立案する作業にとってそれが邪魔になっていないかを精査するのが習性となっていることに気付いたのです。その頃のことを思い出すと、大抵は厚く、高い「壁」に行く手を阻まれていたケースがほとんどでした。誰かとか制度を変えるためには、それを容認している主体にサプライズを与えることがもっとも有効な一撃となります。それには囚われている「常識」とも言える様々なバイアスを一撃でしりぞけて排斥するのが効力の一番強い方法です。一見すると論理の飛躍のように感じるのですが、発想の邪魔をしていた「常識」がクリアに洗い出されて、そのあとのロジックをどのように引き出していくべきかを見通せるようになります。まさしく「壁」がきれいに取り除かれて、見たこともない新しい景色が眼前にひらけて来るのです。可児市文化創造センターalaの館長になるちょうど10年前に上梓した『芸術文化行政と地域社会』の序章のタイトルは、「芸術支援」から「芸術による社会支援」へ、であり、これには否定的なハレーションが芸術の側から噴出しましたが、翌年にバルセロナから直行便で訪問したリーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP 現リーズプレイハウス)で「芸術による社会支援」の実装化と思いもしなかった出会いを果たすことになります。それも年間1000のコミュニティ向けのプログラムと20万人の市民たちのアクセス。『芸術文化行政と地域社会』に理想の劇場として描いた、その通りの劇場がそこにあることにただただ驚かされました。それも、当時は盛んに建設されていた地域の劇場ホールとは違って午前中から多くの市民で賑わっている「居場所としての劇場」がそこにありました。まさに私の「常識」を瞬時に突き抜けたWYPでした。
それから私はほぼ毎年のように「英国地域劇場ツアー」を組成して15人から20人の「芸術による社会支援」を体験する機会を催行して、2002年には週5回で市内の小学校にアウトリーチしているスクールツアリングカンパニーとそのプロジェクトリーダーで演出を兼務していたゲイル・マッキンタイア―の実践とシンポジウムを、東京・金沢・札幌で開催しました。しかし、その頃の私は、「芸術による社会支援」に目を奪われていて、公演の行われていない午前から市民で賑わっていることの社会的意味を深掘りするまでは意識は向いていなかったと正直に告白します。つまり「芸術による社会支援」が市民の間にWYPの存在への共感のリレーションを生んで、独特な構成員個々のつながりの強いマーケットを創出してることに意識は向いていなかったのです。なぜあのように市民たちがくつろいだ様子で自分たちの居場所のように劇場内の広いスペースに寄り集まっているのか、当時の日本国内の劇場ホールを見慣れていた私にとって、また愛好者に限定的なマーケットを見慣れた私の「常識」からは想像を超える「にぎわい」だったのです。
とは言っても、上演され演奏されるコア・サービスである実演芸術の質は水準の高いものでなければ経営戦略を実現するための戦術的整合性には著しく欠けることはWYPの舞台がすべて高水準だったとの経験値から認識していました。サービス・マーケティングの先駆者でハーバート・ビジネススクールの教授だったクリストファー・ラブロックは、著書『サービス・マーケティング』に「副次的サービスであるから、重要性がコア・サービスより低いともいえるが、顧客にとっては、必ずしもそうではない」と記しています。「なぜなら、コア・サービスは顧客にとっては当たり前のサービスであって、サービス商品の特徴は実際にはサブ・サービスが主張していることが多いからだ」と断言しています。アーラで言えば、芸術性の高さはコア・サービスとして必要条件ですが、社会包摂型サービスをまとめた「アーラまち元気プロジェクト」はサブ・サービスではあるものの十分条件を整えるために必須であるということです。そこで私は、コア・サービスである実演芸術の質の高度を担保するために、実力派の芸術団体と準フランチャイズとしての契約を締結しなければと考えました。「地域拠点契約」です。
そこで、「社会包摂型劇場経営」を掲げる準備をしていた2007年に芸術団体の準フランチャイズ化を推進する「地域拠点契約」を構想していました。私が演劇の専門家だったこともあり劇団文学座との協働関係は容易に進捗しましたが、クラシック分野では、当時主宰していた私塾の「あーとま塾」に参加していた東フィルやN響の事務局員であった参加者にコミュニティ・プログラムを大きく展開する構想を話して、墨田区との協働でアウトリーチを区内に展開してトリフォニーホール建設の基礎をつくった新日本フィルを紹介してもらいました。乱暴と思いましたが、電話をしてほとんど飛び込みと言っても良い営業をしました。ですから、館長になってアーラが「社会包摂型劇場経営」を掲げたと言っても、実態的には、社会課題に対応したコミュニティ・プログラムを「アーラまち元気プロジェクト」として初年度に年間267回、2015年度実績で467回と積み上げただけであって、WYPのようにアーラに独自の「マーケット」を創出するための具体的な戦略設計は、コロナ禍の後の観客動員数のコロナ禍前への戻りの早さを確認してから、私の個人的な作業として『人間の安全保障としての文化芸術―人間の家・その創造的アーツマーケティング』の執筆と同時進行して進めることになります。私の専門領域がマーケティングであることもあって、その作業はさほど困難なものではありませんでした。どのように市民との「関係づくり」をするかは、私淑していた井関利明先生から多くの事を学んでいました。
いわばこの時期は走りながら考える時間だったと記憶しています。就寝している夜中に突然目覚めて、枕元に常時置いていたメモ帳に浮かんだ考えを書いてまた眠るというようなことをたびたび繰り返していました。それはそれで楽しい時間なのですが、「壁」を乗り越えようとする際の七転八倒は、ほとんどの場合は「あがいて、もがいて、がむしゃらに」です。西宮の音楽好きだったご夫婦から遺贈された職人手作りのピアノを活用した「みんなのピアノ」やクラシック音楽の敷居の高さがかもいにまでなって気軽に接することのハードルを低くしようとする「アーラ未来の演奏家」などは、すんなりと「まち元気プロジェクト」に組み入れることは出来るのですが、「消費税の5%から8%の移行時のチケット料金の値上げ」に関しては、私は即時的に連動させることにきわめて慎重となって相当に苦悶しました。消費税率の引き上げは前年から告知されていたので、即座に連動させてチケットの値上げを前年に予防的に意思決定すれば、と思いますが、私の裡ではマーケットを共有する市民の皆さんとの共感関係が棄損されるのだけは絶対に避けたいとの感情の方が勝ちました。消費税引き上げ告知時から2015年度の「赤字予算」での事業執行までですから、およそ2年半は「あがいて、もがいて、がむしゃらに」の心理状態だった訳です。
2014年4月に消費税が5%から8%に引き上げられました。館長就任時直後の「リーマンショック」という金融危機とは異なり、消費税の引き上げの家計へのインパクトは即時的に起こって、チケットの売り上げにもすぐに影響が生じました。アーラの収支も就任以来はじめて赤字となり、それが2年続きました。2年目には、経営者にとって屈辱的な「赤字予算」を組むことになりました。選択的サービスである芸術鑑賞は、「価格弾力性」が非常に大きく、価格の増減によって起きる需要の増減幅が大きく現れます。私は、ひそかに「Save the Children, Save the World」とのネーミングで呼んでいた収益の1%をアジア・アフリカの子どもたちの教育と医療にNGOを介して寄付することで、アーラという装置を通して、「市民が世界とつながる」ことで可児市民であることのシビック・プライドを涵養しようとの企画意図を持った戦略プロジェクトを構想していましたが、「赤字予算」を組まざるを得ない状況となって断念しました。アーラという劇場音楽堂が可児市民の「こころのランドマーク」として社会的に機能させたいとの内心の思いは、愛好者に限定的なマーケットから可児の健全な社会形成を共有する「つながりの集合体」として現前したいとの構想は消費税の前に潰えてしまいました。しかし、私の志向は「まち元気プロジェクト」を梃子として新しい芸術マーケットを創出形成したいとの構想にこれを機にシフトすることになります。98年にWYPで体験した「「常識」からは想像を超えた「にぎわい」を創出したい」との思いにゆっくりと変移していくことになります。
「5%から8%」の引き上げがそれほど強烈なインパクトになるとは予想できなかったこともあって、市民生活への影響もかなりのものと推察できました。ただ、これで「5%から8%」の切実な負の影響を市民の皆さんと共有できると考えました。3000円だった演劇チケットを4000円に値上げして、それまでの各パッケージチケットを4公演パックから3公演にして、販売価格が20000円を超えないようにしました。かなり大胆な価格政策でしたが、「あがいて、もがいて、がむしゃらに」歩を進めてきたためにあまり間違った落しどころではなかったといまでも思っています。また、2019年の国際共同製作の始動した前年度には、約2000万円の黒字決算に回復しました。新作の国際共同製作ですから、作家の日本社会へのサーベイとかアーラ側の職員との交流とか、補助金は取得すると言ってもかなりの大きなバジェットは必須でしたので、総務課長からのこの報告に肩の荷が少し軽くなったのを良く憶えています。アイルランド出身の新進劇作家ブラット・バーチの新作による国際共同製作という「壁」は突き抜けられましたが、コロナ禍だったということもあって、いまだに私には見たこともない新しい景色は見えていません。「あがいて、もがいて、がむしゃらに」ではありましたが、見たことのない景色という「夢」に向かっているというだけで、それはそれで楽しい営為ではあったと言えます。
今年の3月から4月にかけては劇場音楽堂の職員の転籍異動のメールが例年に比べて多いように感じています。フェイスブックの書き込みでも同様の傾向があって、異なった環境を求めて専門職が動いています。ジョブ型雇用に流動化が起きているのではとこの動向を個人的には歓迎しています。折角のこの機会に、ルーティンの業務環境を変えるだけにとどまらないで、あがいて、もがいて、がむしゃらに「見たことのない新しい景色」に出会う新たな出立にしては如何だろうかと、私は思います。何かを変える旅立ちにすることで、新しい職場と組織に清新な空気を吹き込むことになるのは必定です。