第21回 「あっしにはかかわりのないことでござんす」 ―『木枯らし紋次郎』から『ちゅらさん』へ、そして「いま」は。 

2024年6月22日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー 衛 紀生

1年10ヶ月も推敲を重ねて『人間の安全保障としての芸術文化―人間の家・その創造的アーツマーケティング』を入稿してからは、そのあとに何を構想するのか、どのような社会をつくろうとしているのか、乱反射して出てくるだろう様々なハレーションに対して対応すべき芸術文化と社会の在り方を描いておくために、何冊もの書籍と10数本の論文を読みふける毎日を過ごしています。PCのある机では手狭なので、読書と論文の読み込みはリビングの食卓机で過ごしています。私は大学受験の勉強の時から基本ながら族ですので、テレビはつけっ放しにしていて、今日は何故か今頃になって再放送している『ちゅらさん』を観ていました。私には大河ドラマと朝の連続ドラマを楽しみにして観る習慣はないのですが、この『ちゅらさん』は2001年上半期からオンエアされて、おそらく1ヶ月後には習慣化したと記憶しています。なぜそんなに私を惹き付けたのだろうと考えたことがあります。『ちゅらさん』が続編のパートⅡ、パートⅢ、パートⅣと繰り返し製作されてオンエアされている過程で、そのことを真剣に考えていました。

調べると、2001年の地上波での初回放送時における平均視聴率は22.2%で、最高視聴率は29.3%という、俗にいう「お化け番組」だったことが分かりました。あきらかに視聴者からの尋常ではない強い支持があったのです。2003年には続編のパートⅡ、パートⅢが2004年に製作されています。この頃には、どうして『ちゅらさん』がこれほどの支持を受けているのかの理由の外郭は見えていました。最初に思い浮かんだのは、1997年の「自殺者の3万人超え」でした。この頃の自殺者は現在の若年層自殺ではなく、バブル崩壊後の「失われた10年」での経済理由の40代から60代の中高年者が主で大きな社会問題になりました。同じ年には「日本版ビッグバン」と盛んに言われた金融制度の大改革が行われ、郵政三事業の民営化論議が巻き起こり、消費税3%から5%へ引上げられて庶民の生活実感には息苦しさがじわじわと増すことになります。この前年には、労働者派遣法の数次の改正が始まって対象職種が16職種から26職種へ拡大され、後年の「格差拡大」の種が蒔かれます。それらの息苦しさ閉塞状況の生活実感の中で、古波蔵家の三世代と、古波蔵恵里(国仲涼子)が東京に出てから住む一風館の住民たちの「つながり」が、当時は比較的手の届くような距離感のリアルというか、憧憬の的と言える生活として視聴者には映ったのではないかと、私は考えていました。

現在朝の連続ドラマで放送している『虎に翼』は、明治期に定められた旧民法の家父長制による男尊女卑の建付けによって家に縛られてた日本初の女性弁護士の寅子を描いていますが、「性別にとらわれず、誰もが平等かつ自由に行動できる」社会や「法の下の平等」を謳った新憲法制定という変化、新民法制定のプロセスとも出会いながら成長していく物語です。登場人物のひとりである山田よねの、新憲法の条文を見て「ずっとこれが欲しかったんだ、私たちは」の台詞が印象に残っています。ジェンダーフリーの戦いは現在に至っても続いていて、直近でも経団連の夫婦別姓提言があるように現在につながるドラマになっています。ドラマ進行中であっても画面に法令条文のスーパーが出るように、「いま」と向き合う企画意図とメッセージ性が明確に現れています。2001年の『ちゅらさん』もまた、手法は異なるものの、当時の「いま」と向かい合って製作されていたと私は考えています。

私は阪神淡路大震災で被災地に入って神戸シアターワークスという子どもたちのメンタルケアと仮設住宅のコミュニティづくりを演劇的な手法で課題解決をしようと足掛け4年間の活動をしながら、芸術文化は社会の歪みを修正するのではないかという確信めいた手触りを感じていました。社会と無縁には芸術文化は成立しないし、その両者の関係を相互価値交換で整えることがアーツマネジメントの輪郭ではないかという思いの中にいました。90年代の「ホール建設ラッシュ」がネガティブ・キャンペーンによって国民と芸術文化の距離がますます乖離していくことを危惧して1994年に岡山県美術館で発した「創客」の種を神戸での活動を経て、大人数の劇団員を抱えて経営に苦慮する劇団を分社化して地域の公共劇場に3ヶ年程度レジデントさせて地域での創造発信と「福祉、教育、保健医療、保育などの地域社会が抱える諸問題にかかわり、その解決のための媒介的役割を果たす社会的価値財でもあるとの認知を促して地域社会と行政に意識の転換を求める」と同時に「アウトリーチ活動にかかわる『社会的価値』を軽視しがちな従来の演劇の在り方に変革を迫るものである。いわば、芸術を聖域化する偏狭な考えからの、アーチスト自身の解放と言える」と1997年に上梓した『芸術文化行政と地域社会』で冒頭に書きました。仮設住宅での「孤独死」が尋常ではない数になっていきました。それは神戸の「特殊状況」ではなく、日本社会を覆っている「社会的孤立と孤独」という普遍的な解決しなければならない社会課題だとの確信が活動しながら日々心に迫る危機感となって行きました。パートⅣのオンエアとなった2007年には、私の『ちゅらさん』の受け止めは、ほとんどファンタジーであり、「夢物語」となっていました。「つながりの貧困」は回復不可能とさえ思えるほどの多様な格差と分断を露わにしていました。しかし、私の芸術文化の諸機能を信じる気持ちはまったく揺らぐことはありませんでした。その頑なさが「社会包摂型劇場経営」につながります。

なぜ、いま『ちゅらさん』か、と考えている最中に「あっしにはかかわりのないことでござんす」という笹沢左保原作でテレビ化された『木枯らし紋次郎』の台詞が不意に脳裏に浮かんできました。長さ五寸(約15センチ)の長楊枝をいつもくわえている紋次郎の決め台詞は「あっしにはかかわりのないことでござんす」で流行語になった股旅もののドラマです。70年代の「しらけ世代」を表わす言葉と言われました。劇団俳優座に所属していた中村敦夫さんが紋次郎を演じて、市川崑監督によってフジテレビ系で十五話まで放送されました。その後、映画化もされました。笹沢左保は歴史小説、同心物、探偵小説、捕物小説、官能小説などの広い分野で書きまくった流行作家で、月産1000枚とも1500枚とも言われ、真偽のほどは分からないが書斎には立って執筆が出来るように壁面に台状に板が設えられていて、連載ごとにその位置を移動して書きまくっていたという伝説までありました。生涯で370冊の単行本を出版した作家です。物書きを生業とし始めた私にはにわかには信じられない逸話でした。ただ、この作家は時代の価値観への鋭い感覚があって、たとえば若い男女の刹那的な交流を描いた『六本木心中』のような社会派を思わせるアンテナを持っていて、時代の空気を作品に反映させる面もありました。70年代に盛んに言われた、紋次郎が「しらけ世代」のシンボル的なキャラクターとする考えとは私は意見を異としています。「しらけ世代」は、1972年に連合赤軍事件が起きて、学生運動が急速に衰え、一つの時代の終わった無力感と若い世代の政治や社会に関わることへの失望感が蔓延して、「無気力・無関心・無責任」の三無主義の風潮が支配的になる時代となります。「しらけ世代」です。これに紋次郎に重ねて流行語となったのですが、私はこの作家が高度成長期に生産手段の集積する東京に集団就職の中学生を含めて多くの人々が吸い寄せられて、60年代から70年代にかけて「つながり不在」の「大都会」という新しい社会のかたちをつくっていく中にいて、旧来からのしがらみの多い、地縁血縁のコミュニティから解き放たれて芭蕉の下の句「隣は何をする人ぞ」の、戦後の新しく、何よりも大切とされていた価値観である「自由」を手に入れた人々への少し皮肉なオマージュとして紋次郎というキャラクターを世に出したのではないかと思っています。

個人主義の尊重と自由への憧憬は、戦後の日本人の心を捉えた大事な価値観の転換でしたが、私はその変化のプロセスで、日本人が手放した、手放さざるを得なかった生きていくうえで大切な価値観があったと考えています。相互扶助のインフォーマル・セキュリティです。バブル景気に浮かれているあいだには気付かなかった生活実感の中で、「気遣い」、「心くばり」などの他者との「関係の作法」があります。格差と分断による「未来への不安」と「現実への不満」が抱えきれないほど山積して、「つながりの貧困」への気付きが、2001年の『ちゅらさん』の高視聴率だったのではないでしょうか。人と人を結びつける心を涵養して、他者を思いやる、他者に気遣いする心を育て、生きる意欲を喚起するのか、脳科学の知見で説明できます。「こころ」の問題とは、すなわち「脳」、とりわけて「社会脳」(Social Brain)の活性化と、発達の問題だからです。脳科学的に言えば、額の後ろにある前頭連合野の発達によって、社会性の洗練と人間的な豊かさが、つまり「想像力と創造力」によって「場の空気」や「相手の感情」を読み取る社会的能力が発達するのです。

人間が「社会的動物」と言われるゆえんは、人類が地球上に現れてから400万年から600万年をかけて前頭連合野を発達させた結果であり、それによって他の動物と明確に峻別されるのです。この部位を「社会脳」(social brain)と呼んでいます。日本は経済的な負担をいとわなければ、何でも出来る社会に発展しましたが、ゴキブリが一匹出ただけで駆除業者に依頼して、数万円という法外な請求をされる時代となりました。何処にでも転がっている話です。便利な社会と言うのは、コミュニティを必要としない社会のことです。かつては地域社会で機能していた自治会が全国各地で有名無実になっている現況は「豊かさ」の代わりに何かを手放した結果です。他者との「関係の作法」から逸れてしまって「つながりの貧困」が日常化している危うい社会になっている証左です。国立市のマンション解体をニュースショーで盛んに取り上げています。諸条例をクリアして市から「建築確認」を取得しているのだから問題なしと、コメンテーターの建築コンサルタントばかりかキャスターまでもがその考え方に同調するのを聞いていて、日本人の心根の変質と、経済合理性を重視するあまりのモラルハザードに失望しました。体温のない行政の対応にも気持ちの凍える思いにとらわれました。再放送されている『ちゅらさん』は、もはやファンタジーです。NHKの最近の再放送番組を見ると『未解決事件 下山事件と占領期の闇』など日本の「いま」が透けて見えてくるインパクトの強い過去の番組のオンエアがあり私は高く評価していますが、『ちゅらさん』の今回の再放送についてはその意図がさっぱり分かりません。イラクでの武装グループによる日本人人質事件発生で、当時の総理大臣が「自己責任」との言葉を発しました。「自己責任」は、日本社会の人間一人ひとりのあいだにすきま風が吹いていて孤立している現実を如実に物語る言葉です。

「自己責任」はホモサピエンスが数億年かけて生み出した「つながりと相互扶助」で共生する生命維持装置としての社会を否定することを意味しています。これで思い起こすのは、英国の新自由主義であるサッチャリズムのサッチャー首相が「Woman’s Own」という女性雑誌のインタビューでの「社会なんてものは存在しない(there is no such thing as society)」という英国の戦後のクレメント・アトリー首相以来の伝統的な福祉国家を全否定した1987年の発言です。アトリー首相の「揺り籠から墓場まで」を制度化したNHS(英国保健医療機関であるナショナル・ヘルスサービス)の慢性的な赤字とその累積を代表するいわゆる「英国病」に対して彼女の憤懣が噴き出たものと評価していますが、雑誌の全文を通して読むと「改革」を進めている彼女の気持ちは理解します。ただ、いささか針小棒大に扱われているきらいはありますが、「people look to themselves first. It is our duty to look after ourselves」のくだりが「まずは国民の義務は自分の面倒くらいは自分で見ること」と言い放って、何事も社会のせいにして政府に要求をする英国人の国民性を批判している箇所は雑誌インタビューという事情もあって勢い余っての感があります。「自己責任は国民の義務」と言い放ったので、「新自由主義を進める政治家」の代表的な発言とされてセンセーションを巻き起こしたのだろうと想像します。だったら、ジョン・F・ケネディの大統領就任演説の「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country」(あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい)も同じ意味ではないかと、友人と新自由主義について話をしていた時に言われたことがあります。私は「まったく違う」と激しく反論しました。激しく反論しながら、どうしても二つのメッセージの際立つ違いをロジカルに説明できませんでした。ただ、あまりに有名なケネディのこの一節は「社会」というものを前提として、国民に直接話し掛けていることが、径庭の感となっているのではと考えます。したがって、国民に一体感を持つことを呼び掛けている点では、サッチャーのコメントとかなり懸け離れていると私は思います。国民を信じている点で「径庭の感」を与えているのではないかと、私は思っています。

それからおよそ40年後に起こるベルリンの壁の崩壊によって、21世紀は「平和の配当」の時代になると期待されていました。軍事予算が人々のウェルビーイングに振り分けられるだろうと世界は21世紀を信じていたのです。軍事費によって経済成長が担保されている国もあるにはありますが、大多数の人間が望んでいるのは「平和」であり、「生きやすい社会」です。子どもが自身の未来を信じられる社会です。私はバッシングを覚悟して、『人間の安全保障としての芸術文化―人間の家・その創造的アーツマーケティング』で芸術文化の「強み」をもって、失われた「つながり」の構築を構想して、新自由主義経済によって著しく歪んでしまっている社会を上書き保存するための提案を書いています。私たちは、生命の維持装置としての「社会」を再構築して、その持続継続性を施して護り続けるしか選択肢はないと、考え続けています。