第16回 「つながり」は生命維持の命綱-人間の安全保障は絶対に手放さない。

2024年2月4日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生

春頃に上梓する予定の新刊を構想していた2021年5月に、文化芸術が持っている諸機能のうち国民の誰もが強い関心を持ち、しかも誰もが期待するのは「人間の安全保障」ではないかと考えました。防衛や食料や流通経済についての「安全保障」は頻繁に国民的議論の俎上に上がるが、もっとも基本におかなければならないのは人間としての尊厳と人権が守られることではないかと考え続けていました。そして、それが守られる社会というのは利他的で、多様な「つながり」のある、社会的排除のない世界の実現であり、そのために有効な手段こそが文化芸術の持つ「存在を癒す機能」だと確信していました。97年に出版した『芸術文化行政と地域社会』の序章「カキの森の文化行政」の第一項は「芸術支援から芸術による社会支援へ」で、その頃から文化芸術の他にはない「強み」は「つながりの構築」という機能だと考えていました。新刊の構想が定まって、タイトルを『「人間の安全保障」としての文化芸術-人間の家・その創造的アーツマーケティング』としてから調べたところ、社会的共通資本を提起した宇沢弘文先生、国際政治学者で国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏と、彼らの影響を受けて倫理学と密接な関連のある厚生経済学の業績で1998年にアジア人として初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン博士等によって「人間の安全保障」は提唱されていたことがあって、不明を恥じることになりました。しかし、緒方さんやセン博士は戦争や紛争、それに地球環境の変化によって起こる恐慌という鳥瞰図のごとき大きな地図での「人間の安全保障」ですが、私の構想するそれは、共に生きるための知恵とでも言うべき「つながりの貧困」から来る人間と社会の危機をいかに回避するかという日々の生活の営みにあるべき「真の豊かさ」と「ウェルビーイング」への海図のようなものです。それであっても、人間にとっては大変に重要なことであり、それが文化芸術の「強み」だとするなら、私はコロナ禍で露わになった「不完全な社会」を補完するツールとして強調したいと考えます。

95年1月17日の阪神淡路大震災の時、神戸市では3日後には仮設住宅の建設が始まり、2月初旬には最初の入居が始まりました。能登半島地震はむろんのこと、東日本大震災と比べてその初動は驚くほど早かったのですが、行政は良かれと考えて高齢者と障がい者を優先的に入居させていました。そのような生活に困難をともなう人たちの多くは、実はそれまで住んでいたコミュニティの「つながり」の相互扶助がとても大切でした。日々の生活をサポートされているだけではなく、むしろ災害時にはこちらの方が重要だと考えますが、精神的な安心感に「つながり」が果たしていた役割が絶大だったと思っていました。神戸シアターワークスで活動していた期間にマスコミで報じられる「孤独死」の現実は、仮設住宅でのコミュニティづくりをミッションのひとつと考えていた私たちには入居している皆さんにとって重い現実でした。仮設住宅での「孤独死」は233人、その後の復興住宅でのそれは778人にもなったと報告されています。復興住宅は鉄筋コンクリートの公営住宅ですから、隣や近隣の異変に気付かないこともあろうかと想像できますが、当時の仮設住宅は長屋であり、しかも隣家との壁は薄いコンパネでした。入居していた女子中学生が着替えの衣づれが聴こえるので嫌だと言っていると仄聞するほどの生活環境でした。逆に、それなら隣家の異変には早い時機に気付くのではないかと思ったのですが、それよりも「つながりの貧困」が他者への関心や気持ちがなかなか働かないものなのだと思い知らされました。その体験が今春に上梓予定の『「人間の安全保障」としての文化芸術-人間の家・その創造的アーツマーケティング』の通奏低音となっている、コミュニティ(つながり)は「生命維持装置」との核心的な考えになっています。

その後に起きた東日本大震災、熊本地震、今回の能登地震では、「つながり」をかけがえのない社会的共通資本との考えを、二次避難でも、今後の仮設住宅への入居についても折り込もうとしてはいます。輪島地区では、従来の長屋型ではなく、隣家との距離が適度だった以前のように民家が散在する環境の再現が考えられているようです。気持ちの行き届いた配慮と思います。ただ、それだけの土地のないエリアでは、難しいのではと想像します。それでも見知った関係が維持できるのであれば、それは社会的孤立と孤独に陥ることは免れると考えます。「生命維持装置」としての「つながりへの配慮」は、せっかく地震で生き残ったのに、決して手放してはいけない指針であると、私は考えています。

館長職を辞して東京に戻ってから3年が過ぎようとしています。都市生活はやはり「つながりの不在」を身に沁みて感じてます。「隣は何をする人ぞ」の都会の生活を「善し」とする時代は確かにありました。「知縁・血縁」の離脱できない窮屈なコミュニティへの忌避感と、住宅建築や田植えの価値生産の協働性から日々の営みにまで、市場から供給される製品やサービスが代替えされてがんじがらめの束縛や桎梏から解き放たれて心易い生活環境となったことは否定しません。が、私たちは「つながりの貧困」という社会的孤立と孤独に瀕する環境に立たされることになったのではないでしょうか。私が未来社会の予言の書と評しているピーター・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』(1993年)にある「地縁血縁から知縁」への移行こそが解決策であると考えています。「知縁」とは、選択的な「つながり」であり、同時に出入り自由なコミュニティです。「地縁血縁」に換わるものとして「知縁」というつながりの概念と機能が社会的に求められ、その影響力が強くなるとドラッカーは明言しています。ドラッカーの研究者によれば、

この「知縁」は専門知の発展による「知識社会」がポスト資本主義には招来することを前提とする概念であるとして、「家族集団などが扱う知識は念頭にない」と評価しています。しかし、私はこの「知縁」の範囲には、いわゆる「専門的な知識」だけではなく、日々の営みの中で育まれる「生活知」や「経験知」や「意見・主張・意識・趣味・共通感覚」をも含まれていると考えています。それらも包括してこその「知縁=つながりの多様性」と考えるのが当然の理であり、解読知であり、社会観察学者のドラッカーにとってはごく自然に行き着く社会観ではないかと確信しています。それらを共有してこその「生命維持装置としてのコミュニティであり、つながり」であり、その前提にはデニス・ガボールの「成熟社会の定義」である「成熟社会は量的拡大のみを追求する経済成長が限界に至り、きわめて困難となり、そして終息に向かうなかで、精神的な豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会」と、前後して発出されたスイスに本部を置く民間シンクタンク「ローマクラブ」最初の報告書『成長の限界』があると推察しています。いわく「私たちが団結できる共通の敵を探す中で、公害、地球温暖化の脅威、水不足、飢饉などが当てはまるのではないかと考えた。(中略)これらの危険はすべて、自然のプロセスへの人間の介入によって引き起こされたものであり、それを克服することができるのは、態度や行動を変えることによってのみである。真の敵は人類それ自身である」としていて、「成熟社会」の行き着く先は共通しています。そして、ドラッカーの「予言」したポスト資本主義社会は2020年あたりから2030年ではないかと私は考えています。学者研究者は「進化」を経済合理性や経済効率性を思考の軸に置きがちです。しかし、生活者たる私たちには「経験から学ぶ」という知恵があります。避難への知恵は、阪神淡路大震災から幾度も私たちの生活を脅かした震災と被災から、生活者たる私たちが学びとった「生命維持装置」なのではないでしょうか。