第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(5)

2008年10月1日

インターネット・チケットの時代よりも手売りの時のほうが、狭隘な市場に対応することが宿命づけられている舞台芸術産業という業態にとっては、健全なマーケティングがなされていたのではないか、と私は思っている。チケットを売った相手の顔が見えているだけに、アナログ的ではあるが「顧客維持」と「顧客進化」が、やりようによっては可能だったからだ。現在よりも、リピーターをつくり、固定客を獲得する手立てがまだまだあったのではないかと思っている。

顧客は誰? 顔が見えなければ「顧客維持」も机上の空論。

たとえば、舞台芸術のマーケティングは、スーパーマーケットのそれではなく、昔の商店街の八百屋や魚屋や花屋の親父やおかあちゃんやお姉さんがそれと気付かずにやっていた「商いの作法」に類似している。彼らの商圏は半径500mもなかったに違いないが、その範囲から来るお得意さんの「顧客データベース」はしっかりと彼らの頭の中に構築され、日々更新されていたに違いない。

住所、家族構成、性別、年齢、職業、出身地、趣味や好み、誕生日、持ち家/借家などの事細かい人口統計学的データ(デモグラフィック・データ)が彼らの商いを支えていた。したがって、一見客は新しい転入者以外にはほとんどいない。長年かかって蓄積されたお馴染みさんの「データ」を基にした商売をしていたのである。また、その店はまちの情報交換の場所でもあり、店先のにぎわいは売り手が買い手同士を結びつける出会いと付き合いの触媒の役割までも果たしていた。

まちの情報から売っている品物の調理方法、生活の知恵まで、客が店から仕入れる情報は多岐にわたっていた。店に通うほどに客はその店へのロイヤルティを高めていく。売り手も客の好みや生活形態にマッチした商品を仕入れ、勧め、現在でいう賞味期限が近いものは「奥さん、これサービスしておくから早めに食べてね」と買物籠に押し込む。他の店に行くことなど到底考えられない。自分のことを熟知してくれている店を離れることは、客にとっては大きなコスト負担となるからだ。他の店に行ったら、もう一度最初から自分のことを「顧客データベース」に書き込んでもらわなければならない。その時間ロスとコスト負担を考えたら、他の店には絶対に足は向かない。したがって、かつての商店はきわめてロイヤルティの高い顧客によって支えられていたことになる。

つまり、まちの商店はマスマーケティングではなく、きわめてアナログ的であり、プリミティブではあったが、ワン・トゥ・ワン・マーケティングとか、リレーションシップ・マーケティング、データベース・マーケティングと同様な仕組みをもつことで顧客のライフスタイルに深く関わっていたのだ。

近年の大型店舗、たとえばスーパーマーケットの店員の頭の中には「顧客データベース」はない。彼らは商品を陳列する役割の人間であり、売上をレジに打ち込む人間でしかない。だから、食品の安全性や偽装表示などの問題でも起こったら、消費者は近くの他のスーパーマーケットに躊躇なく乗り換える。乗り換えても、本部からの地域消費性向分析をもとにした指令によって品揃えはどこでも似たり寄ったりで、別のスーパーでも大して変わらないようになっている。店員に「顧客データベース」が不在であることでスーパーマーケットは顧客にとって代替のきく業態なのである。

しかもスーパーマーケットは、顧客との関係づくりが不可能なマスマーケティングをベースとしている。「関係づくり」という変数を限りなくゼロに近づけることで、スーパーマーケットは経済効率の良い経営を展開しているのだ。しかし、これだと何かあれば顧客の離脱は容易に、しかも速やかに起こりうるのである。ベストワンのスーパーマーケットはあるだろうが、かけがえのないオンリーワンのそれはありえない。

 狭隘な市場と向かい合わなければならない舞台芸術の経営が選ぶべき道がどちらかは、言うまでもないだろう。

インターネット・チケッティングで生じた舞台芸術側の「機会ロス」。

現在、顧客との関係づくりは、コンピュータと通信システムの急速な進捗で、かつての商店街の八百屋や魚屋や花屋と同じような「商いの作法」を大掛かりに、手早く、しかも安価に、容易にできるようになってきている。そのことに疑義を差し挟む者はいないだろう。

だが、多くの舞台芸術団体や劇場・ホールは、いまだにマスマーケティングのみに依拠した「selling」にエネルギーとコストの大半を費やしている。手売りやプレイガイドへの配券に頼った頃とは打って変わって、チケッティング・サービス会社に多くの枚数を配券することで、舞台芸術団体や劇場・ホールは販売チャネルを飛躍的に拡大させることができた。だが、時代はもうすでに新しい局面に入っていると私は思う。

コンピュータのコモディティ化と、それにともなうインターネット社会の急速の進捗という外部環境の変化を「機会」として取り込めないでいるのが、アーツ・マネジメントの現状ではないか。現に、大手劇団のマネジメントやマーケティングを見るかぎり、表計算ソフトのExcelで4、5分もあれば出来る票券のマトリックスを、いまだに模造紙とマジックと定規で描いて、更新のたびに計算機で集計している。三十年前のまま、時間が止まっている。

時代の変化によってもたらされた「飛躍的な販売ルートの拡大=チケッティング・サービスの開始」というかつての成功体験にいまだにこだわったままで、将来へとつながる「いま」を取り込めないでいるのではないか。トーマス・フリードマンの「思い出が夢を超えるとき、終わりは近い。真に成功する組織の顕著な特徴は、過去の成功体験を捨てて、新たに出発する意欲を持っていることである」(『フラット化する世界』)という言葉の意味は重い。

舞台芸術業界は外部環境の短期間の急激な変化に付いていけてない、と私には見える。旧態然とした「制作の仕組み」を、外部環境と隔絶したところで遵守しているとしか思えない。時代はドックイヤーどころでない、ブリンク・イヤー(瞬きのあいだの変化)のスピードで変化しているのである。組織も意識も変化しなければならない。ドラッカーのいう「チェンジ・リーダー」にならなければならない。変化する柔軟性を持っていない組織は、取り返しのつかない状況をまるごと抱え込んで衰退し、淘汰される道をたどるしかない。

そこでまず、「飛躍的な販売ルートの拡大」という成功体験を芸術団体にもたらした日本のコンピュータ・チケッティング・サービスについて検証してみよう。

1983年、劇団四季と株式会社ピアが『キャッツ』上演の際に共同で実験的に導入したのが、日本におけるオンライン・コンピュータ・チケッティングの嚆矢であり、発売初日に16000枚のチケットをさばくことに成功したという。翌年にはチケット・ピアが正式にサービスを開始する。ここにエンタテイメント関連の新しい業態が生まれることになる。現在、チケッティング・サービスを目的とする企業は小規模なものまで含めておよそ1700社と言われ、主なものとしては、チケット・ぴあ、e+、CNプレイガイド、ローソンチケット・ドットコムなどがある。

確かにこの新しい業態の誕生は、舞台芸術業界に革命的な変化を与えた。顧客が「行ってみたい」と思いつくと同時にインターネットや電話でチケットを申込み、すぐ近くにあるコンビニエンス・ストアで決済・発券できるというのは、購入の意思決定と実際の購入とのタイムラグがなくなった点と、全国どこでもある数万店舗が購入窓口としてアクセス・ポイントになるという点で、利用者にも舞台芸術団体にも大きな便益と多大な利得をもたらした。

しかし、である。その便益と利得に対して、舞台芸術団体が失ったものも少なくない。「誰に売ったか」、「誰がリピーターか」、「誰々の鑑賞履歴はどうなっているか」などの顧客情報のマティリアルがチケッティング・サービス会社のコンピュータ内に留まってしまい、誰に観てもらっているのか、聴いていただいているのかが当事者には分からないという尋常ならざる事態が生まれることになった。

この事実は、コンピュータ・チケッティングが舞台芸術業界を、良くも悪くも、マス・マーケティングの仕組みの中にがっちりと組み込んだことを意味している。1984年は舞台芸術にとってターニング・ポイントであったのだ。

提供された舞台に共感した観客・聴衆はまぎれもない関係資産である。財務諸表には記載されないが団体や劇場・ホールにとって「資産」である。マーケティングを円滑に進めるためには、この関係資産をデータベース化する必要がある。当然のことであるが、顧客情報を入手して加工できるのは顧客と直接取引する企業・団体に限られる。したがって、流通業者(チケッティング・サービス業)を通して舞台芸術を市場化している劇場・団体には、関係資産を活用したマーケティング展開の道が、まったく閉ざされてしまっているのである。マス・マーケティングに組み込まれた、とはそういう意味である。

狭隘なマーケットであり、しかも対面型のサービス提供である舞台芸術において、サービスを提供している相手が誰か不明ということは、マーケティングの観点から言えば致命的な欠陥である。そうでなくても、「誰が観ているのか」、「誰に聴かせているのか」まったく分からないという、かなり不思議な、普通ではない、にわかには信じ難いような光景が、現在、劇場・ホールでは日常的に、至極当然のように起こっているのである。そして、そのことに誰も疑問を感じていないようだ。だが、マーケティングを展開する上で、それは大きな機会ロスとなるだけでなく、結果的には経営者の当事者能力にも翳を落とすことになる。

革命的に発生した便益と利得が機会ロスを大きく上回っているあいだはそれでもよいが、コンピュータによるチケッティング・サービスの開始時期には予想すらできなかった外部環境の大きな変化が起こることで、事態はさらなる変化が求められるようになってきている。外部環境の変化の嚆矢は、WINDOWS95に続くWINDOWS98の発売である。コンピュータは誰にでも扱える、日常的な情報メディアとなった。また、顧客分析に不可欠なデータベース・ソフトやデータ・マイニング・ソフトは、SPSSでもAccessでもFile Makerでも、25000円から45000円程度で大型電化ショップで容易く入手できる。それとて別に新たなソフトウェアを入れる必要もない。Officeに同梱されている表計算ソフトExcelのピボットテーブル機能であっても、何十万件もの顧客データの解析が容易にできる。決済についても、都市銀行からゆうちょ銀行・農協・漁協まで全国のどこの金融機関、ATMでも可能なPay-easy(ペイジー)という決済機関が日本マルチペイメントネットワーク協議会により運営されている。ウェブ・チケッティングと顧客データベース構築の環境は、既にまったく新しい局面に入っているのだ。

ウェブサイトからのチケッティングを可能にするソフトは数多く開発されており、ブロードバンド回線で大容量・常時接続が低価格で導入しやすくなった2001年頃から普及し始めたASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)のシステムをリースすれば、チケッティング・サービス会社に払うマージンや印刷費、紙代の手数料総計をおよそ50%程度軽減できる。そのうえ、前述のデータベース・ソフトに顧客データや購入データを落とし込めば、設計の仕方にもよるが、どのような分析・抽出も可能になる。そのようなシステム環境が整ってきた以上、チケット・ぴあをはじめとするチケッティング・サービスという業態は、巨額の資金投下をして巨大化したシステムを持っていることが逆にマイナスに働いてしまう。容易に改良が加えられないほど巨大なシステムとなっているのだ。これらの業態は、新たなビジネスモデルにシフトしないかぎり近いうちに衰退産業化することは必定だ。

芸術団体や劇場・ホールは、「失ったもの」を取り戻すために、顔の見えない、しかも漆黒の海に投網を打ち続けるようなマスマーケティングだけに頼る従来の広報宣伝の方策から、いますぐにテイク・オフすべきではないか。行き詰まり感のあるマーケティングをブレイク・スルーする機会はいましかない。あなたの前にあるコンピュータで顧客との双方向性のあるコミュニケーションを容易に構築できる時代になっているのである。この「機会」をやり過ごすべきではない。

【次回】第三章 経験価値マーケティングとブランディング(1)