第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(1)
2008年8月6日
芸術団体や劇場・ホールは顧客に対して何を提供しているのだろうか。あらためて考えてみる必要がある。芸術性の高い舞台を提供している、あるいはその機会を提供している、楽しみを提供している、心躍る演奏を提供している、など人によってさまざまな答えが返ってくるに違いない。だが、マネジメントやマーケティングの立場にたてば、おのずと別の視点から舞台芸術をみることになるだろう。
製品やサービスに優れた機能的特性や便益、品質が備わっているのは当然だが、顧客が求めているのは、特性や便益以上に、楽しさや快適さなどの顧客の心にふれ、刺激してくれる製品やサービスであり、便益訴求を中心とした伝統的なマーケティングアプローチとは異なる新しいマーケティングコミュニケーションが必要である。
バーンド・H・シュミット「経験価値マーケティング」
あなたはコンサートに参加しているだけではない。あなたは人生を経験している。
アラン・ヘザリントン(アルス・ヴィヴァ音楽監督)
サービスの世界では、顧客が何を感じるかがすべてである。
リチャード・チェース&スリラム・ダス
「製品」とは、その製品が行うことを指す。つまり製品とは、顧客がそれを購入した際に受け取るベネフィットのパッケージ全体のことである
レイモンド・コーリー(ハーバート・ビジネススクール)
変化と適応こそ生存する唯一の方法。
セオドア・レビット
新規客獲得のために必要なマーケティング費用は既存客の維持に必要な費用の8倍かかる。また、既存客の維持率を5%高めると利益が25%上がる。
米国での調査結果
団体のマーケティング・ミックスの中で唯一最も重要な要素は、その団体の提供するものである。マーケティングの究極の目的は、1つかそれ以上のターゲット観客の抱えるニーズを満足させる提供品を開発することだ。基本的に弱い提供品であれば、最高にクリエイティブでドラマチックな広告を行ったとしても観客に売ることができない。さらに言えば、パフォーミング・アーツのイベントは単に音楽やパフォーマーだけのことではない。パフォーミング・アーツのイベントとは、経験のことなのだ。顧客が製品やサービスを取得したり、経験を求めたりするのは、そうした製品や経験が顧客に対して及ぼす行為を欲するからである。アーツマネージャーたちは、顧客が経験することのすべての側面に注意を払わなければならない。
(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)
無形性の商品である芸術表現というものが他者(観客・聴衆)を必要する以上、舞台芸術は間違いなくサービス業に分類される。しかも舞台と客席のあいだで起こる「出来事」とそれから派生するさまざまな経験価値の総体を提供するビジネスである。異論はあろうが、マネジメントの観点からみれば、舞台や演奏の芸術的価値のみを提供するビジネスでは決してない。構造的な観点から見ても、パフォーマーと観客にとって互恵的なビジネスである。舞台や演奏の高品質はもちろん最前提条件であり、コア・プロダクトには違いないが、最終的にはその条件下で顧客にとって高品質で、総合的な「経験価値」を提供するのが芸術ビジネスである。
人間の満足の主要な形態の一つは刺激による喜びであり、これらは大部分、相互刺激によってもたらされる。(中略)刺激とは変化、多様性、驚き、新奇さから生じる。そして、これらは大部分、人間の行動と想像力に由来するものである。さらに、われわれが他の人々から刺激を受けているときには、われわれもかれらにとってひどく刺激的な存在となっている。
(ティボール・シトフスキー『人間の喜びと経験的価値』)
芸術ビジネスにおけるマーケティングは、その構造的な根拠から派生する「共感」と「共創」という交流によって生じる「経験価値」を提供して顧客維持を企図し、顧客ロイヤルティを高度化し、不断のコミュニケーションによって顧客進化を実現するのが主要な使命である。それによって狭隘な市場規模に対応した最適な経営戦略を採用し、組織的な強みを獲得し、顧客には快適でゆとりのあるライフスタイルを提案するのが芸術ビジネスであると言える。別の言い方をすればこころ豊かな「生き方」を提案し、顧客のライフスタイルの「変化」に関わるビジネスなのである。
そのような「共感」と「共創」に依拠した「経験価値」を演出し、提供するマーケティングを採り入れるには、舞台芸術という分野のビジネス特性を検証することにいま一度立ち帰って、芸術ビジネスの特性や根幹を再確認する必要があるだろう。経営的観点から舞台芸術の特性に着目することで、舞台芸術のマネジメントやマーケティングの特殊性を十分に把握しておかなければならない。
アーツマネジメントの視点から舞台芸術の産業特性を定義する–空席対策を。
マネジメントやマーケティングに携わっている以上、時として忘れてしまうが、自分たちがどのような「商品」を扱っているのか、どのような「産業」に分類されるのかを明確に知っていなければならない。そうでないと、使い古された経験知だけで物事を進めてしまうことになる。経験知はあくまでも経験知でしかなく、過去の成功体験に依拠した一種の作業仮説に過ぎない。未来を創造する作業仮説ではない。産業としての特性や商品としての特性に熟知していることが、マネジメントとマーケティングの科学的な戦略計画を立案できる前提となる。さらには、あつかう「商品」が非物質的生産物であり、そのうえ顧客や社会的なニーズや世代間、あるいは時代によってそれらが大きく変化することが、アーツマネジメントとアーツマーケティングの特徴と困難性をいっそう際立たせることになる。「変化」に柔軟に対応できなければアーツ・マネージャーやアーツ・マーケッターとして時代に取り残されてしまう。その意味では、アーツ・マネージャーやアーツ・マーケッターは、ドラッカーの言う「チェンジ・リーダー」でなければならない。
さて、舞台芸術の産業特性には、主に事業収入を規定する「装置型産業」と事業支出に関連する「労働集約型産業」とサービスの質に関わる「技術集積型産業」という三つの特質がある。これらの特性によって、マネジメントとマーケティングにおける経営戦略の策定はおのずと規定される。
「装置型産業」というのは、言うまでもなく劇場・ホールという「装置」を前提として成立しているということである。その前提は少ない観客であろうと満席の観客席であろうと、それに費やされる経費は不変である、という特質を持っている。したがって、固定費の高止まり傾向があるのもこの産業の特性である。
観客が少ないから照明に費やされる電気代を節約するとか、出演者を少なくするとか、40分かかる協奏曲を30分に圧縮するとかの操作はできない。航空会社も装置型産業であるが、乗客が少ないからいつもより低空を飛ぶとか、キャビンアテンダントの数を削減するとかは当然だができない。また、当然だが、空いている席をストックできない。つまり、客席は、その日その時にしか価値を持っておらず、空席のままではその席は経済的な絶対損失となってしまう。ハコを借りて公演をするという日本に特殊的な事情を考えてみてほしい。
先述の400人キャパシティの劇場の一日の借料が40万円だとすると、空席は入場料+一席あたりの借料1000円が絶対的な損失となる。空席があるということは、それだけの経済的損失を被っているということを意味する。空席のある公演は、幕が上がるたびにあらかじめ見込んでいる収入を失っているのだ。
開演直前に空席を販売するためのコストは限りなくゼロに近い。販売のために費やされるコストは、すでに確定した後であるからだ。従って、空席一席あたりの増分収益は、その席の価格とほとんど同額ということになる。これが、当日券割引や学生の当日割引、その他大幅な値引きによって空席販売促進を行うことの経済学的根拠である。販売コストがゼロに近い空席を売ることは、劇場・ホールや団体の販売における費用対効果の改善に大いに寄与することになる。
シングル・チケットのディスカウント提供は、普通は需要が低いと判断したときに行われる。事前の需要が弱い場合には、公演の7日から10日前に、一枚分の値段で二枚分買えるチケット(two-for-the-price-of-one tickets)を提供する例が欧米にはある。ロサンゼルスのセンター・シアター・グループは「パブリック・ラッシュ(public rush)」という制度をつくっている。これは、上演開始数分前になったらすべての残りチケットを10ドルで販売するというものだ。当然であるが席は舞台から遠かったり、いささか見切れのある席だったりはするが、観客開発部門のディレクターであるロバート・シュロッサーは、年間の観劇予算が80ドルのカップルを例に挙げ、80ドルの予算では彼の劇場では40ドルのチケットが2枚しか買えず、観劇の機会は1回しかない。が、しかし、「パブリック・ラッシュ」を利用すれば機会が4回になる、とこの施策のねらいを述べている。さらに重要なことに、彼らは習慣的に劇場に足を運ぶようになるのだ、とライフスタイルへの影響にも触れている。また、リリック・オペラ・オブ・シカゴは、サブスクライバー(年間予約会員)が返還したチケットを再販することで100パーセント以上のチケット売り上げを果たしている。これも、直前に発生した空席対策のひとつと考えて良いだろう。
しかし、空席対策は経済的側面にのみフォーカスしたものではない。舞台芸術が人々の感性に働きかけるものである以上、物理的・地理的移動を目的とする航空機とは異なり、空席の存在は観客の経験価値に悪影響を与える。これはマーケティング上、見逃せないことである。
あわせて事業収入は、前述したように劇場・ホールのキャパシティに応じて規定される。当然であるが、装置型産業は売れればいくらでも客席を多くするという拡大生産のきかない業種であるのは言うまでもない。収入の上限は限定的なのである。それだけに、総固定経費と変動経費が回収されて収益の出る損益分岐点を客席稼働率のどこにおくのか、空席対策としてどのような仕組みを導入し、絶対損失を最小限に食い止め、観客の鑑賞環境を向上させて経験価値を担保するのか、などが装置型産業のマネジメントやマーケティングの戦略では問われてくることになる。
可児市文化創造センター(ala)では、今年度からウェブサイトからの申し込みに限り、公演当日の0時からハーフプライスチケットを販売している。総入場者数のおよそ7%から10%前後がハーフプライスチケット購入者という経過をたどっている。経済的な根拠もあるにはあるが、可児市文化創造センターにおけるハーフプライスチケット販売の主たる目的は、顧客の鑑賞環境=受取価値の高度化である。
この「空席対策」で有名なのが、ニューヨークのタイムズ・スクエアやロンドンのレスター・スクエアにあるハーフプライスのチケットブースである。タイムズ・スクエアにあるハーフプライス・チケットブースは、ブロードウェイの当日券を半額で委託販売するもので、歴史的名著である『舞台芸術 芸術と経済のジレンマ』の著者の一人であるウイリアム・J・ボウモルをはじめとする経済学者たちの提案よって1973年に開設されている。当初、劇場オーナーやマネージャーたちはこの考えがあまりに急進的で危険だと考えていた。しかし、これにより、何もしていなければ売れ残りとなっていたはずのチケットで新規顧客が発見でき、自由市場の論理である、価格が需要を満たす額に調整された時に購入者と販売者の双方が利益を受ける、というWIN-WINの関係の成立が例証されたのである。
私たちはお客さまの立場にたって「満員の会場は楽しく陽気なムードを作り、観客からのリアクションは経験の質を高める」(『Standing Room Only』)ことを決して忘れてはならない。
固定費比率の高い日本の特殊事情。
舞台芸術は劇場・ホールという特定の場所に多くの人間が集まってはじめて成立する表現である。このような産業特性を「労働集約型産業」という。「労働集約型産業」は、この業態に典型的な労務費(人件費)率が高いことが特徴である。ということは、あわせて一人ひとりの技術の集積度がアウトプットする製品(作品)の品質を決定するわけで、それは同時に「技術集積型産業」でもあることをも意味している。
私が舞台芸術の現場に関わっていたおよそ40年前に比べれば、機材や機構の進歩によって舞台創造は随分と合理化されてきてはいるが、それでも人海戦術で、多くの人の手に頼らなければならない作業過程は残っている。どれほど機構や機材の技術的進展があっても、合理化のできない作業部分が舞台芸術には逃れようもなくあるのだ。
他の産業は急速な技術革新で合理化されて生産コストが低減化し、それに見合うかたちで労働分配率も向上する傾向をみせるが、舞台芸術にあっては合理化がきわめて緩慢にしか進まないために生産性の伸びもさほど期待できない。ボウモルとボウエンの指摘した「コスト病」である。ベートーベンの第五交響曲『運命』は、最低70人のオーケストラで、やはり36分はかかる。同じベートーベンの弦楽四重奏を演奏するのに必要な音楽家の数は二百年前と現在とで変わっていないことをボウモルとボウエンは例示して、その「コスト病」が舞台芸術を厳しい経済的制約のなかに置き去りにしていることを証し立てた。
しかも人件費は他業種の伸びと連動しており、ボウモルとボウエンが指摘したように、労務費の上昇に事業収入が追いつかなくなる事態となる。ここに至って「装置型産業」であり「労働集約型産業」、「技術集積型産業」であることが、舞台芸術や劇場・ホールのマネジメントとマーケティングをきわめて困難にしていることが明らかになる。
あわせて、労働集約型からくる固定費比率の高止まり、とりわけ劇場・ホールを借り受けて公演をする日本の特殊事情からくる避けようのない過負担(劇場費や稽古場費)の存在が、その高止まりを一層際立たせ、さらに有期限型の公演(ロングラン・システムやレパートリー・システムではない)であることで損益分岐点を超過する売り上げ(利益の発生)をきわめて困難させるのだ。劇場・ホールを借り受けて公演をするということは、一方では、芸術団体に財政的、芸術的な柔軟性をもたらすとはいえ、海外と比較して劇場・ホールの借料の高い日本では、その負担は決して軽くはない。