第一章いまこそアーツマーケティングの導入を創客へシフトせよ(5)
2008年7月23日
「欲望の操作」ともいえる売り手のニーズによるセリング。一方、顧客のニーズから結果的に利益を得ようとするマーケティング。これらのについて考え、望ましいほどの広さを持っていない舞台芸術の市場のなかでいかに顧客を創造し、そして維持していくかを述べてゆく。
SellingからMarketingへ。
私たちは、マーケティングとセリングを混同してはいないか。簡略にまとめると、大量生産大量消費、製品志向、売り手ニーズによるものがセリングであり、受取価値志向、共感共創志向で、中長期的の発展を視野に入れて買い手のニーズに応じたベネフィットを顧客にもたらすことで結果的に利得を得ようとする経営戦略がマーケティングと規定できる。
さらに噛み砕けば、製品が最初にあって、それをいかに効率よく捌いてキャッシュに替えようと企図し、欲望を喚起する仕掛けを駆使するのがセリングであり、それはおおむね今日収益志向である。一方、まず顧客の生活課題や社会的、潜在的ニーズがあり、それを解決するための製品が生み出され、そのうえで周辺の環境を整えて購入を促すようにリードする未来志向の経営手法がマーケティングである。
ピーター・ドラッカーは「究極のマーケティングは、セリングを不要にするもの」と言い切る。言わんとするところを汲めば、プッシュ・セルを不用なものとする環境を整えなければならない、ということなのだろう。セリングを不用にすることなど考えられない、と思うかも知れない。だが、考えてみるといい。芸術団体や劇場・ホールはガルブレイスのいう「欲望の操作」以外にチケットを売るための仕事を何かしてきただろうか。
「欲望の操作」とは、大量のチラシの配布、ポスターの大量貼付、マスメディアを使ってのスポット広告やパブリシティ広告などの大量露出による購入欲求の喚起のことで、マスメディアで消費者にプレッシャーをかけて欲望を喚起するという意味ではHigh-pressure Sale(押し売り)に間違いないだろう。前述したようにガルブレイスは、とくに非必需品に関しては、消費者の選好は主体的に作られる以前に広告によって操作されている、と指摘し、これを依存効果(dependence effect)と呼んでいる。
この効果をエベレット・M・ロジャーズの実証研究であるイノベーター理論に当てはめれば、2.5%のイノベーター(革新的採用者)と13.5%のアーリー・アダプタ(初期少数採用者)を掘り起こして、これもガルブレイスのいう「欲望の模倣」を発生させたり、あるいは大量の情報をさまざまなメディアを通して流通させて油谷遵の『マーケッティング・サイコロジー』でいう「選択保証条件」(購入しようという気持ちが生じたとき、必ず無意識のうちに<だけど買ってもいいかな><下手な買い物にならないかな>という反対の気持ちをもっている」。その「反対する気持ちを沈静化する働きを持つ条件」)を整えてアーリー・マジョリティ(初期多数採採用者34%)とレイト・マジョリティ(後期多数採用者34%)という大きなパイにたどりつき、大量のチケット購入者を生み出そうというものと言えるのではないか。ロジャーズの普及理論では、イノベーターとアーリーアダプターを合わせた層のおよそ16%に普及した段階で、イノベーション(まだ普及していない新しいモノやコト)の新しい市場は急激に普及、拡大する、としている。そのためアーリー・アダプターは、「オピニオンリーダー」とも「インフルエンサー(影響者)」とも、さらには「マーケットメーカー」とも言われている。
このようにマスマーケティングの強みが、圧倒的な告知力にあるのは言うまでもない。しかし、大量のチラシ配布も一種の環境づくりには違いないが、労力を含めたコストの割に実効性は疑わしい。非科学的に過ぎないか。経済効率性が悪すぎるとは思えないか。チラシの実効率は一般的には0.3%程度なのだ。現在のようにネット社会が進捗している環境下では、顧客を維持するのに比べて新規顧客をつくるのは約8倍から10倍のコストがかかると言われる。それほどコスト・パフォーマンスは悪い。また、舞台芸術という商品特性や産業特性を考え(後述第二章参照)、あわせてマーケットの狭隘性を思うと、暗澹たる気分となる。日用品や必需品をセリングするわけではないから、魚がいるかどうか分からない場所に延々と投網を打ち続けるというのはシジュホスのような仕事(work)とは思えないか。
「大衆」から「分衆」へシフトする。
舞台芸術とマスマーケティングは、費用対効果の面からも、ミスマッチと言わざるを得ない。ちなみに、チラシの実効率(観客数をチラシの印刷枚数で割ったヒット率)は、良くて1.8から3%、通常は0.3から0.5%である。1000枚で3人ないし5人の実効率でしかない。DMはおよそ3%の実効率というのがどの業界でも常識的な数字と言われている。100通出して3人のヒット率である。それに関わる印刷費、封筒代、郵送費、労力などのコストを考えると、その費用対効果はチラシもDMも気の遠くなる数字である。CPR(Cost Per Response ワン・レスポンスを獲得するのにかかる費用)、CPO(Cost Per Order 注文一件獲得するのにかかる費用)を分析してみても、チラシとDMのみに依拠したマスマーケティングは非効率に過ぎる。あるいは自己充足的に過ぎるのではないか。
DMで単純に試算すれば、客席一席を埋めるのに3000円強のコストがかかるということになってしまう。マスマーケティングのみの展開がいかに非効率的であるかが分かるだろう。シアター・コクーンでの蜷川幸雄演出作品については例外的に約15%前後の実効率をあげているが、これは「蜷川演出」というブランド効果によるものである。また、東急文化村のマーケティング・メディアとして東急電車への大量の中吊り広告による露出があることを考え合わせると、紙媒体の費用対効果は一般的な事例よりもいささか低減化されているものと推測できる。
ここで注目しておかなければならないのは、「蜷川演出」という「ブランド資産」によってコストの低減化を実現していることである。これは芸術管理会計上、重要な効果である。この「ブランド」という無形資産が、アーツと親和性のある戦略的ツールとなることは後述する。
むろん私は、マスマーケティングがすべて無力であると言うつもりはない。より実効率があるだろう場所、時間、期間を選定して、その効率を高める合理性を鑑みる経営努力をすることは必要であり、それも新規顧客を開発するためには重要な戦略である。
が、しかし、問題なのは、芸術団体や劇場・ホールの制作部のエネルギーの大半がそこに費やされているのではないか、という点である。それ以外の経営面に関わる仕事は「割に合わない会員制の維持」と「採択されるかどうか分からない補助金の申請事務」と「域外公演の営業」(まさしくセリング)と「票券管理」と「帳簿付け」くらいではないか。だとすれば、芸術文化産業にあって制作ほど非創造的な仕事はない。仕事に非効率さを感じないだろうか。無駄が多いとは考えないだろうか。確かに「明日」のために一枚ずつ売るという行為はいかにも手堅い感じはする。DMを名簿にしたがって一枚一枚郵送するのも手堅いように思えるだろう。だが、本当に手堅いのだろうか。印刷した大量のチラシが手元に一枚も残っていないことに何の意味があるというのだろうか。それで達成感を持ってよいのだろうか。私たちは従来からの「常識」と思われていることを疑ってみる必要があるのではないか。時代は大きく、しかも急速に変化しているのである。
大量生産大量消費に適合するマスマーケティングの有効な「大衆」の時代はとうに終わっているのではないか。とりわけて舞台芸術という商品は生活にとって必需財ではなく選択財であるから、いきおい市場は狭隘なものとなる。また、他者と同じことで安心していた大衆社会は終わり、価値観の多様化による分衆社会へと変化した以上、マスマーケティングの優位性は相対的に失われている。
繰り返すが、もちろんそのようなマスマーケティングがまったく必要ない、というつもりはない。また、ワン・トゥ・ワンやリレーションシップのマーケティングのみで経営が成り立つとも考えていない。いわばどのマーケティング手法とマーケティングツールを、いかなるバランスで組み合わせるかである。マスマーケティングは新規顧客創造に欠くことのできない手法であり、ワン・トゥ・ワンやリレーションシップのマーケティングは、顧客維持と顧客進化に最適な顧客アプローチである。どこにに、どの程度の資金を充当するか、いわば創客と集客のポートフォリオ・セレクションを作品や外部環境に応じて適正に作成して、予測可能性なかたちで実行できるか否かだと思うのだ。いまや顧客のニーズやデマンドは多様であり、それだけに複雑な作業とシステム設計が要求される。またマスマーケティングでの集客においても、顧客データベースを駆使することで、延々と投網を打ち続けるような非科学性を回避すべきだと思うのだ。従来のマスマーケティングが対象とした漠然とした不特定多数の「大衆」から、顧客データベースから抽出したセグメントで特定できる「分衆」重視へと経営意識を転換してマーケットにアプローチすべきなのである。
狭隘な舞台芸術市場に必須となる創客のマーケティング。
「欧米では劇場やコンサートホールに通うことが生活に根付いているから羨ましい」という意味のことを舞台芸術の関係者の口から聞くことがある。それは「隣の芝生」のたぐいの誤解である。ブロードウェイやウエストエンドを別にすれば、私の体験だけではあるが、セントルイス交響楽団のパウエル・ホールやバーミンガム・レパートリーシアターなどの一部の例外を除いては、英国や米国の地域劇場で白人以外の人種を見かけることはきわめて稀だ。英国や米国では、高所得、高学歴、白人というのが劇場・ホール観客のおよその相場である。欧米にあっても舞台芸術はきわめて偏った市場なのだ。
むろん劇場の関係者やコンサートホールの経営陣たちは、地域に住むすべての人々にとって憩いと安らぎと共生の場所でありたいとイコールアクセスという社会福祉的なポリシーを究極の目的としており、これまでも、そしてこれからもその方針の下に活動をしていくだろう。しかし、日本に限らず、舞台芸術の市場規模は望ましいほどの広さをもってはいないのである。
芸術団体や劇場・ホールが取り扱うサービスは、「体験=経験(experience)」という個々人によって多様な、しかも有形ではない顧客価値である。舞台芸術の狭隘なマーケットに対応するアーツマーケティングは、より良い「経験」をしていただくことで次につながる「創客」を企図する経営手法でなければならない。アーツマーケティングを「集客」のための技術であると考えているのなら、それは勘違いというものである。
フィリップ・コトラーは『芸術の売り方』の序文で以下のようにアーツマーケッターにメッセージを送っている。
マーケティングは座席を満席にするための懸命な方法を考え出す技術ではない。マーケティングは本当の顧客価値を生み出す技術なのだ。「顧客」がもっと豊かになるのを助ける技術なのだ。
フィリップ・コトラーは、セリング(Selling)を「刈り取り」、マーケティング(Marketing)は「種まき」に喩えている。前述したように、ピーター・F・ドラッカーは「究極のマーケティングは、セリングを不要にするもの」とまで言い切っている。セリングとマーケティングは、いわば「営業」と「環境づくり」の違いであり、顧客開発に重点をおいて今日の売り上げを中心にする考え方と、顧客維持と進化にスタンスをシフトして中長期的に売り上げを伸ばそうとする考え方の違いである。
一回かぎりの観客をかき集めるだけなら、巨額の資金を投下してマスメディアをフル稼働させ、芸能記者が飛びつきそうな話題づくりをしてパブリシティを大々的に展開すればよいのであって、これはコマーシャル・シアター(商業的演劇=ブロードウェイやウエストエンド)の手法である。非営利舞台芸術団体や地域劇場・ホールの世界的傾向である、少ない資金で比較的狭いマーケットを相手にする私たちが志向すべきは、劇場・ホールのあるライフスタイルを楽しみ、喜び、生きがいとする継続的な得意顧客(リピーター)づくりである。広報宣伝はマーケティングの一部ではあるが、すべてではない。「販売は、マーケティングという氷山のほんの一角でしかない」(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)のである。
短期的な「動員」のための仕事(work)は、場合によっては必要ではあるが、中長期的な顧客づくりこそがマーケティングの本来の仕事であり、充分な広さを持たない舞台芸術市場を考えれば、対象となる顧客の生活習慣に関わるようなマーケティングを展開して「顧客維持」を企図することがどうしても必須となる。劇場・ホールに関連する、あるいは連鎖する感性の律動が生活の一部となるようなマーケティングが求められるのである。
私が考える「創客」のマーケティングとは、舞台芸術をコア・プロダクトとして、そこから派生するすべての「経験」を基にした双方向性の関係づくりを企図して、ニーズのある潜在顧客・有力見込み客(prospects)を初期顧客(customers)に、そして継続顧客(repeaters)、固定客(clients)、支持者・協力者(supporters・leads)、支援者・擁護者(advocates)、協働者(partners)と弁証法的に進化していくプロセスを、顧客と関わり合いながら実現するマーケティングのことを指している。
これを実現するには、顧客と関わり合いながら劇場内で起きる「出来事=舞台成果」を中核にすえながら、それへの「共感」と「共創」によって派生する「総体的な顧客価値」(total experience)をどのようにデザインしていくかの創造性と革新性が問われることになる。アーツマーケティングは芸術的ではないが、アーチストと比べても充分に創造的で、革新的な仕事(task)である。ここで注意しなければならないのは「創造性」と「革新性」を混同しないことだ。「創造性」は新しい仕組みを考え出すことであり、「革新性」はそれを実行に移すことである。新しいアイディアをもっている人間は多いが、それを現場にダウンロードできるように仕組みを構築して実行できる人間は稀有である。そのような人間は組織にとっては顧客と同様に価値の高い「無形資産=簿外資産」である。
英国の鑑賞者開発と芸術支援の仕組み。
英国ではかつてサッチャー政権下で中産階級が大幅に減って、80年代に国民のあいだに芸術離れ、劇場離れが起きた。その後ブレア労働党政権になって、保守党政権のサッチャーが創設した宝くじの収益を芸術文化に投資することになる。英国芸術評議会は「新たな観客や支持者」を創造するための「鑑賞者開発」を掲げて青少年劇団(ユースシアター)の運営やエデュケーション・プログラムの充実やアウトリーチ・プログラムに力を入れ、観客創造のためのプログラムを実施した。英国の文化施設では「顧客維持」ではなくて「顧客創造」に軸足を置いたスキルが発達したのにはそのような背景がある。
しかし、英国を代表する地域劇場であるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)のマーケッターにインタビューしたところ、新しい顧客の開発も大きな課題ではあるが、いまでは既存顧客を失っていることの方がより現実的であり、緊急に解決しなければならない問題になってきている、ということだった。初めて来場した顧客のおよそ60%が再来場しない状況に陥っているということである。「鑑賞者開発」の英国でも、いまや顧客維持が大きな課題であり、潜在的顧客の掘り起こしと併せて、初期顧客をロイヤルティの高い常連客にしていくための新たな戦略構築が求められている、と切実に語っていたことを思い出す。
ここで注意しなければならないのは、「鑑賞者開発」は「芸術助成機関や地方自治体はコミュニティにコミットした芸術を支援した」(ジェラルド・リドストーン ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ教授)のであって、結果として劇場・ホールを下支えしたが、必ずしも無条件で芸術そのものを支持したのではないことである。実は、ここに「創客」のヒントがここに隠されている。「創客」は芸術の愛好者や支持者を創り出すことではないことに注目してほしい。もっと大きな枠組みのなかで、舞台芸術や劇場・ホールの社会福祉的機能をコミュニティの中に位置づける考え方であり、英国芸術評議会の「鑑賞者開発」はマーケティングを社会改革にまで敷衍するコミュニケーションの作法なのである。社会的な企みといっても良いかもしれない。
WYPが常連客を創客する方策として、チケットのパッケージ販売を用意したことも記憶しておきたい。その名称は「ビッグ・ディール(Big Deal)」である。2003年から導入して、シーズン中の作品により多く足を運んでもらえるように、一作品を低価格で鑑賞できるように仕組んだチケッティング・システムである。観客の歩留まりを促進して固定客化すると同時に、まとめて販売するためにマーケティング・コストが低減される仕組みを構築したのである。余談になるが、米国ではかつては多くの劇場・ホールが年間予約会員制(サブスクライバー制度)を採用しており、それが英国とはことなり米国で「顧客創造」よりも「顧客維持」に重点を置いたマーケティング・スキルが発達する結果になったと考えられる。
日本の舞台芸術マーケットは、言うまでもなくきわめて狭隘である。その狭隘な芸術市場で、ある程度の固定した顧客層を維持するには、双方向性のあるコミュニケーション・メディアでロイヤルティの高い顧客を創りあげていかなければならない。いわば顧客の基数となるロイヤルティのある観客数を確保する施策をとることである。あわせて先年施行された文化芸術振興基本法にあるように、教育機関、福祉機関、医療機関などとのコラボレーション、あるいは地元企業との戦略的アライアンスを推し進めることも創客のアーツマーケティングの仕事(task)である。
前者が顕在顧客や潜在的顧客へのダイレクトなマーケティングなのに対して、後者はコーズ・リレイテッド・マーケティング(CRM)と呼ばれる支持基盤づくりのマーケティングである。CRMが社会的責任経営(Corporate Social Responsibility)によるブランディングによって潜在顧客を掘り起こし、顕在顧客のロイヤルティを高めて顧客進化を推し進めることは想像に難くない。CRMの詳細は後述する。
非営利事業体である劇場・ホールや芸術団体は、高い収益をあげるために活動しているわけではない。ミッションを遂行するための手段として収入を創り出しているのだ。目指すべきは収益(もしくは原価回収)の最適化と、観客サイズの最大化であることは間違いない。
そのためにも組織風土をマーケティング志向にシフトし、組織のIT化を推進して、顧客との双方向性のある関係づくりの基盤整備を急がなければならない。したがって、「創客」のマーケティングは、「動員」や「集客」という言葉からは遠く、「舞台成果の品質高度化」と「顧客の鑑賞環境の整備」と「良質の経験の提供」、さらには地域社会にコミットできる硬直化していない組織体質とその組織の高いマーケティング意識に、ともに深く関わる経営手法であるといえる。
最も寡黙なアーツ運営者にさえ働きかけ、顧客中心のアプローチを受け入れる助けとなる理論的根拠は、顧客を変えるのは難しい、しかし団体を変えるのは難しくない、という事実である。団体はマネージメントのコントロール下にあるが、顧客はそうではない。(『Standing Room Only』)
この認識から私たちはいますぐに歩き始めなければならない。組織の体質と精神風土を変えること、これは顧客の行動に変化をもたらすことと比較すると、いますぐにでも容易に取り掛かれる改革の第一歩である。芸術文化を通して豊かな社会の形成に関与するための第一歩である。それは結果として劇場・ホールを社会的な機関として位置づけることになる。芸術文化がどのような社会的、経済的環境にあっても社会的必要に支えられる財となるために、私たちはいますぐに動き始めなければならない。