第一章いまこそアーツマーケティングの導入を/創客へシフトせよ(1)
2008年5月28日
舞台芸術の観客数は、2001年を境に右肩下がりに減少している。景気動向や余暇時間の減少などの状況をみると舞台鑑賞どころではない外部環境であることは確かなのだ。一方で、幕が開いてみないと分からないという不確実性が舞台芸術のチケットを購入する行為には逃れようなくある。今回は、舞台芸術を取り囲む環境と行動経済学から、舞台芸術チケットの消費行動について考える。
マーケティングとは観客、参観者、参加者の観点から物事を見つめることです。
私たちは人々に関わってもらうための理由を提供しなければなりません。
ヘザー・メイトランド「成功したマーケティング、失敗するマーケティング」
素晴らしいパフォーマンスを作るものは何か、というのはよく聞かれる質問だ。だがこの質問は翻って言えば、素晴らしい観客を作るものは何か、ということである。
フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』
多くの場合、人はモノを見せないと、自分がそれを欲しいかどうかすら分からない。
スティーブ・ジョブズ(アップル社の創業者)
舞台鑑賞どころではない外部環境
芸団協の調査報告書『芸能活動の構造変化―この10年の光と影』によれば、舞台芸術の観客数は、クラシックを除いて2001年を境に5ポイントから2.7ポイントの幅で右肩下がりに減少している。舞台芸術にとっては到底看過できない事態だが、それに対して次の一手を見出せていないことの方が舞台芸術界にとって深刻な問題だと思う。だから公的な補助をしろというのでは虫が良すぎる。ときに保護政策的な施策も必要だとは思うが、ここを機会としてマネジメントやマーケティングの技術開発をすべきだと私は考える。そこで、舞台芸術団体及び劇場・ホールをこれまでどのように経営してきたかを振り返って海図を描きつつ、大きく舵を切る必要があると思う。
観客数が減少傾向になった要因はいろいろと考えられる。むろん、景気動向は相当に深く絡んでいるだろう。原材料や原油の高騰によって、すでに物価が上昇して所得が減少するスタグフレーションの状況に入っていると言われる。舞台鑑賞どころではない外部環境であることは確かなのだ。
余暇時間についても同様の厳しさがある。正規職員のみを対象としてみても、平成18年の年間総実労働時間は 1842時間で、前年比13時間の増加である。ここ10年の総実労働時間の短縮は、パートタイマーや派遣労働者など短時間労働者の総労働者に対する比率の上昇による「見せかけ時短」という側面がきわめて色濃い。余暇が必ずしも芸術参加に結びつくとは思えないが、余暇時間の減少は、それだけレジャーや娯楽に対する品質へのこだわりが強くなるだろう。厳しい選択が必然となる。20年前よりも余暇生活の選択肢は確実に増えている。しかも当然だが、時間は誰でも一日24時間しかない。したがって、1時間あたりの価値は以前よりかなり貴重になっている。限界のある「時間」が希少になると、必然的にそれを消費する態度が厳しくなる。これはいわば「メガトレンド」であり、メガトレンドは一人の人間や一企業がどうすることもできない世界的な大きな潮流なのだ。
経済的なゆとりについて「家計調査報告」をもとにして見てみると、平成18年度の全国・勤労者世帯の実収入は対前年比0.5%増(名目)の525,254円、可処分所得は同じく0.3%増(名目)の441,066円となり、企業業績の回復が家計収入にも僅かではあるが反映してきている。しかしながら、消費支出は320,026円と前年(17年度)より2.9%の減少となり、個人消費が回復局面とは到底言えない。余暇との関連性のある「教養娯楽費」は2.9%のマイナス、趣味・創作部門は前年比1.4%のマイナスと芸術文化関連への消費マインドは冷え切ったままである。
余暇=文化的消費行動と単純に考えるべきではないが、消費マインドの冷え込み、余暇時間の実質的減少という外部環境の変化で芸術鑑賞愛好者でさえチケット購入を手控えるだろうことは想像に難くない。あわせて舞台芸術のチケットを購入するという行為は、購入者が一方的にリスクを負うことを意味している。舞台芸術の商品特性のひとつである「認識の困難性」がその原因である。
認識の困難性をいかに克服するか
「認識の困難性」とは、これも舞台芸術の商品特性である「生産と消費の同時性」からくるもので、チケット購入時にはその品質についての保障はない。「見込み客はずばり『満足を与えます』という誓約を買っている」(セオドア・レビット『無形性のマーケティング』)のである。この「誓約」には情報の非対称性が圧倒的に存在する。売り手と買い手の持っている商品情報や予備的知識に大きな隔たりが存在するのだ。幕が開いてみないと分からないという不確実性が舞台芸術のチケットを購入する行為には逃れようなくあり、可処分所得の目減りや余暇時間の品質に対する消費者の厳しい姿勢からみても芸術団体や劇場・ホールが厳しい環境におかれるのは構造的な「宿命」と言えないこともない。
舞台芸術は、店頭で手に取ったり、試しに作動させてみたりということのできる商品とは根本的に異なった非物質的生産物=「無形性」をその特性としている。にもかかわらず、あらかじめ対価として決して安くはない金額を支払わなければならない。その購買行為には、顧客側だけがリスクをとるという片務性があるのだ。行動経済学でいう「損失回避性」が、勤労者所得の9年間にわたる減少と家計における可処分所得の低減を背景に不確実性の高い舞台芸術へのアクセスを減少させているとは考えられないだろうか。この不確実性(認識の困難性)をいかに克服するかが、アーツマネジメントやアーツマーケティングの重要課題のひとつであることは確かだ。
行動経済学からみる舞台芸術チケットの消費行動
従来の経済学では、「すべての人間はつねに合理的な判断を下して効用という満足度を最大化しようとする」というホモエコノミクス(経済学的人間)を前提としているが、行動経済学とは、生きた人間の行動は時として非合理な感情や直感や慣習に支配されることがある、ということを説明するもので「価値関数」と「確率加重関数」によって構成されている。
「損失回避性」とは価値関数の一要素で、実証研究では利得と損失の金額を同額とすると、人間は損失のほうを2倍から2.5倍にも評価するという。損失の方を大きく感じるのである。損失を感じる可能性のあるものを極力回避しなければならない経済的な外部環境が現にあり、しかもその損失を2倍から2.5倍に評価するなら、不確実なものに手を出すのを控えようと思うのは必然的な成り行きである。「認識の困難性」は、とりわけ経済環境の停滞期における舞台芸術とそのマーケティングにとってかなり厄介な特性である。
余暇時間の希少化からくる消費品質への厳しい選好性もまた、舞台芸術にとってかなり重い負荷である。むろん、すでに述べたように余暇時間と芸術消費のあいだに厳密な相関性や合理性があるわけではない。しかし、余暇時間と時間消費の品質にはかなりの程度の相関性は認められる。それは「経験価値」の品質に関わる問題と考えてよい。
舞台芸術の競争相手
「認識の困難性」を克服するには付加価値によってブランディングを戦略的に進める必要があるが、それは後述するとして、ここでは舞台芸術や劇場・ホールが余暇時間の品質において競争しなければならない相手について考えてみよう。
アーツ団体が理解しなければならないのは、自分たちの競争相手が誰かということと、競争で優位に立つために自分たちはどんなことを提供できるのかということ。マネージャーたちは、自分たちの強みと弱みを理解する必要があるし、最良の戦略を決定する過程においては、できるだけ多くの競争情報を集めるべきである。(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)
舞台芸術団体や劇場・ホールにとって競争相手はおよそ無限大に存在する。映画、テレビはむろんのこと、ディズニーランドをはじめとする複合的なサービス施設をもつリゾート・パーク、スポーツ観戦、多様なオプションを備えて魅力ある経験を提供する旅行代理店、付加価値の高いサービスとグルメを満足させる料理を用意するブランド力のある有名料理店など、挙げれば切りがない。
人々が選べるエンタテインメントのオプションがどんどん増えているという事実こそが、非営利アーツ団体の直面する最強の競争勢力と言えるだろう。アーツ団体が挑戦するべき課題は、他からは得られない利益、自分たちだけが提供できる利益を特定し、広告や広報活動、教育などを通してその情報を広めることである。(『Standing Room Only』)
問題とすべきは「経験」の品質
そう考えてくると、舞台作品を1本ごとにフォーカスして制作をし、しかも舞台成果の品質のみに着目している現況はアーツマネジメントの観点からも脆弱きわまりない、戦略性の欠如した経営といえる。まず問題とすべきは「経験」の品質であり、そのコミュニケーションの集積としてのブランディングにある。また、顧客満足度と同じ様に、期待度や習熟度によっても顧客価値は左右される。しかし、その「経験価値」を生み出すコミュニケーションの品質に着目することで、舞台芸術関係ならではの関係づくりのマーケティング作法をあぶりだせるのではないか。コミュニケーション・アートとしての舞台芸術の強みはそこにある。そのフェイズでなら他の業態とのあいだで競走優位を実現できる可能性があると私は考える。
「創客」の基点は顧客の「経験価値」
日本の芸術団体や劇場・ホールの側は、いままで目の前の公演に客を集めようと多くの労力を払って努力してきた。しかし、顧客のライフスタイルのなかに演劇やクラシックや劇場・ホールのある生活をかけがえのないものとして定着させることにはほとんど努力してこなかったのではないか。顧客の気まぐれな購買行動に任せきりだったのではないか。それを省みるという発想もなかったのではないか。直近の公演の「動員」や「集客」には熱心に取り組んできたが、進化する仕組みの中に顧客を位置づける「創客」は手付かずのままではなかったか。「創客」の基点である顧客の「経験価値」にどれだけの配慮をしてきただろうか。営業(selling)には熱心に取り組んできたが、関係づくりや環境づくり(marketing)には一顧だにしてこなかったのではないか。いま一度、来し方を振り返り、私たちの仕事の品質を、さらに私たちのマネジメントとマーケティングは時代の変化に見合った進化を着実にして来ているかを検証してみる必要がある。