最終章 公共文化施設の未来をデザインする。(2)
2009年4月15日
文化や芸術への行政の取り組みは、行政の側の物質的・財政的・恩恵的余裕(カネ)と、住民側ののんびりとした余暇(ヒマ)があってのもの、という先入観は行政にも住民にも根強く、いかにも手ごわいのである。
(中川幾郎『芸術文化の公的支援に関する理論的根拠について』)
社会機関としての公共文化施設へ。
潤沢な税収と予算を裏付けに、公共事業の一環として公共文化施設の建設ラッシュのあった80年代後半から90年代半ばまでと現在とでは、言うまでもなく外部環境は大きく変化をしている。したがって、社会的ニーズとして求められる公共文化施設や文化芸術の果たすべき役割も、当然のことだが大きく変化してきている。そのことに気づいていない行政関係者、公共文化施設関係者、さらにはアーチストがあまりに多いのには驚かされる。外部環境が変化すればパラダイム・チェンジをしなければならないのは火を見るより明らかではないか。
外部環境に対するレスポンスビリティが乏しいということは、公共文化施設を無用の長物としてただひたすら廃墟となるのを待っているだけになるだろうし、行政は毎年多額の維持管理経費を必要とするハコモノ建設をしたうえに「機会ロス」という失政を重ねることになる。ひどい言説になると、文化芸術は先験的に公共性を持っているものである、というアーチストがいまだにいる。その無自覚さには呆れるばかりである。
環境の変化に対応できずに朽ちているのなら、私たちは、空洞となった幹を切り倒すための斧を用意すれば良い。命脈をたもって生きながらえる力を公共文化施設がまだ秘めているなら、私たちは、どう変わるべきかを考え、私たち自身が変わることから始めなければならない。そこから地域社会に対して公益的な機能をもつ公共文化施設のデザインは描き始められるだろう。
公共文化施設は、かつてのように福祉配給的にアーツを地域に供給する、一部の芸術愛好者のために特化した施設であってはいけない。地域社会から求められる文化施設の社会的な役割は変化している。潜在的なニーズは大きく変化している。ファシリティ(施設・設備・箱物)としての公共文化施設から、インスティテュート(機関・機能・事業主体)としての公共文化施設への転換がなされなければならない。地域社会全体を視野に入れて、その健全化にコミットした施設とならなければならない。地域の社会機関としての公共文化施設への役割転換である。「政策目的としての文化施設」から、「コミュニティ政策を実現するための政策手段」として、公共性を持った、公益的なミッションを遂行する機関にならなければ外部環境の変化に対応しているとは言えない。文化芸術の多機能性をいろいろな意味で荒廃の兆しの見える社会の健全化に生かす時代になったのである。
文化芸術を贅沢なものと、社会的にその存在を軽んじる時代から、ようやく文化芸術が社会化する機会のある環境になったとも言えよう。そうなって初めて、「赤字」経営と言われ続けていた公共文化施設の決算における欠損は、地域社会の健全化への投資と捉えられるようになるだろう。
文化予算や教育予算、あるいは福祉予算の決算における欠損は、「社会的投資」であり、それらは投資的経費である。地域社会にコミットした社会機関としての公共文化施設は、「どのようなまちをつくるのか」という政策目的のための政策手段でなければならない。
アーラのような地域劇場・ホールにはどのような「経営力」や「思考回路」が求められるのでしょうか。たびたび言いますが、地域に「芸術の殿堂」は要りません。必要なのは、社会機関としての機能をもつ公共的な地域劇場、公共ホールであると私は考えます。「人間の家」なのです。そのための経営戦略を考えられる「思考回路」が必須であると思います。地域社会とコミットした、文化芸術でコミュニティの健全形成に資することのできる社会機関が、とりわけいま必要とされているのだと強く思うのです。
(館長エッセイ2009.03.04『三つの会議に参加して― 社会機関としての地域劇場へ』)
地域社会とコミットした社会機関としての公益的文化施設へ。
そんな世の中になってきたからこそ、アーツの社会的役割や劇場の公共的なミッションは以前にも増して重要になってきます。アーラは来年度から、教育機関、福祉施設、医療施設へのアウトリーチ・プログラムを重点施策のひとつにします。アーラに何らかのご都合でいらっしゃれない方々のところには、こちらから出向こう、という考え方です。「オルタナティブ・アーラ」(もうひとつのアーラ)という考え方です。そのためのアウトリーチ・コーディネーターを配置します。社会機関としてのアーラへ大きく一歩を踏み出します。
(館長エッセイ2009.01.15『ツケまわしが来ている―品格のない、危ない国を誰がつくった』)
マーケティングとは哲学であり、プロセスであり、行動に影響を与えるための一連の戦略と戦術である。(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)
私たちから変わらなければならない。行政の無理解や社会の不寛容を嘆く前に、まず自分たちから変わるべきである。社会機関としての公共文化施設にならなければ、公立の劇場・ホールは、次第にその存立の社会的根拠を失っていくに違いない。社会的ニーズに応えられなければ「退場」するしかないのである。外部環境の大きなうねりに対して、私たちはそれを超える大きな構想力を対峙させるべきではないか。その能力がなければ、施設の存続ができないばかりか、憲法に保障されている「幸福追求権」を担保できる、優れて高い社会的機能を持った機関=ラストリゾート(最後の拠り所)となる機会までも失ってしまうだろう。公共文化施設の「最終使命」は、まさしくそこにあることを関係者、職員は強く意識しなければならない。とりわけ、公益財団法人に移行しようとする組織にあっては、末端の職員まで自分の仕事の「公益性」が何たるかを考え、行動する必要が求められる。
アーツへの評価には三本の柱がある。芸術的評価と社会的評価と経営的評価、である。それぞれを、芸術的価値、社会的価値、経営的価値、と言い直してもよいだろう。これらは等価でなければならない。日本においては、芸術的評価を他の評価よりも高位に見る傾向が強く、その一方で、冒頭に引用した中川幾郎氏の指摘にもあるように芸術は「万人のものではない」という考え方があるためにアートやアーチストが社会から遊離した存在として見られてしまっているのである。また、それで良し、とするアーチストが多いのも事実である。行政の無理解や社会の不寛容は、自分たちが蒔いた種から生まれたものであることに私たち気付かなければならない。アーツの、市民から遊離している障壁は、アーツの側のエリート主義が造り上げてしまったものである。したがって、アーツの側から、その「障壁」を率先して打ち壊さなければならない。
現在するファシリティとしての公共文化施設を社会機関へ転換するために私たちがやらなければならない最初の仕事は、この「アーツの障壁」を自らの手で破壊することである。つまり、自分たちから変わることである。鼻もちならないエリート主義からの逸脱を試みなければならない。地域住民と同じ目の高さでコミュニティに踏み込んでいかなければならない。地域社会が何を必要としているのかを聞き取る耳を持たなければならない。そうして初めて、社会機関としての地域公共文化施設が私たちの視野に入ってくるだろう。私たちは必要とされなければならない。その為の道は、自らが変わり、自らで切り拓かなければならないのだ。
私たちは誰のために仕事をしているのか、何のために仕事をしているのか。これを自らに問うことから、アーツマネジメントは出発させなければならない。また、誰にどのようなクオリティ・オブ・ライフ(生活の質、と同時に私はこのQ.O.Lを「いのちの価値」を意味すると考える)を提案するかという自問から、アーツマーケティングは出発する。地域の人々のライフスタイルに関わる、あるいはライフステージを用意するという意味でいえば、地域文化施設のアーツマーケティングは、かぎりなくソーシャル・マーケティングに近いものとなろう。地域社会にコミットした社会機関としての地域の公共文化施設は、コミュニティのすべての人々を視野に入れて、たとえば国籍の違い、世代の違い、障害の有無、男女の性差、経済的・社会的階級格差などのすべての違いを受容した上で「いのちの価値」を高め、いのちの輝きをもたらすマネジメントとマーケティングを志向することになるだろう。その先に、多くの人々に必要とされる社会機関としての公共文化施設が、デザインされ、現前化することになる。「創客」とは、そういう仕事である。
<追記> 数字に表れたブランディング(マーケティング)効果。
2009年度のパッケージ・チケット(「ウエルカム・ホーム(地域拠点契約の芸術団体の公演だけのパッケージ)」、「演劇まるかじり」、「まるごとクラシック」、「かに寄席」)が3月28日の午前9時から発売された。3日前から正面入口にあたる劇場南口に並んだ数人を含めて、最終的には270人を超える市民が行列をつくった。いささか混乱したが、最後のお客さまのパッケージ購入が完了したのが19時になっていた。
前例のない経済危機であり、家計も前年比が大きなマイナスとなっている時に、決して廉価ではないパッケージ・チケットを購入するために多くの人々が列をなすというのは、人間がリスクを回避して合理的に行動するという従来の新古典派経済学の理論では考えられない現象である。しかし、ハーシュマンやホルブルックの指摘した芸術やスポーツに向けられる非合理的な「快楽消費」とはいささか違った「合理的な消費」の側面があるのではないか、と私は思っている。梅沢伸嘉の『消費者ニーズの法則』にある10の幸福追求ニーズのいずれかを充足させようとする合理性のある購買行動であったのではないか。その意味では、「合理的な消費行動としての快楽消費」だったのではないかと考えている。
幸福追求ニーズ
1.心豊かな人生を送りたい。
2.尊敬されたり、認められて生きる人生を送りたい。
3.自分を高める人生を送りたい。
4.愛されて生きる人生を送りたい。
5.元気な人生を送りたい。
6.楽しい人生を送りたい。
7.自分らしく生きる人生を送りたい。
8.心ときめかせる感動の人生を送りたい。
9.仲良く、心温まる人生を送りたい。
10.快適な人生を送りたい。
今年は現段階(4月15日現在・パッケージチケットは7月中旬まで販売)の総計で338人、717セットである。初年度にあたる2007年度が96人、163セット、2008年度は220人、372セットであるから、人数では前年比154%、セット数では199%の伸びである。前々年度比では、人数で352%、セット数で454%となる。一人当たりのセット数でみると、前年、前々年が1.7、1.69なのに対して、今年は2.19と、複数パッケージをまたいで購入している方が急増していることが分かる。
その理由を探ってみるといろいろなことが見えてくる。ひとつは、昨年度のアーラの事業内容などのアクティビティの評価により、顧客にとって「損失回避性」が担保できた(事業に対する安心感が増した)ということではないか。市民のあいだで事業完了後もクチコミが広がり続けた『向日葵の柩』、『愛と地球と競売人』がともに、その経験を評価する上で、ピーク時と最終段階でのインパクトの強さで印象的な記憶を残す「ピークエンド効果」のある舞台だったことがアーラの評価を大いに高めたことは疑いない。つまり、高品質の「経験価値」をつくりだすこと自体がマーケティングであり、さらにはブランディングを意味する、ということを証明しているのではないだろうか。
新日本フィルハーモニー交響楽団と劇団文学座との日本で初の地域拠点契約の締結、ala Collectionシリーズ『向日葵の柩』が8ステージ中7ステージのソウルドアウトで観客数1600人を超えたこと、そしてそのマーケティング戦略が想定どおりに進んだこと、さらには市民参加ミュージカル『愛と地球と競売人』に200人の市民が関わり、1400人弱の観客数となり、舞台も客席も感動で大いに揺さぶられたことなどが、市民の中でのアーラのブランディングを大きく進捗させたと考えられる。
発売当日にボックス・オフィスでのお客さまとのやりとり見ていると、アーラの劇場がどのような座席の並びになっているのかをご存知なくて、担当者に劇場のパンフレットを請求している方が多くいることに気づいた。『向日葵の柩』や『愛と地球と競売人』で初めてアーラに足を運んだ市民が多かったことではないかと推測できる。その新規顧客がパッケージ・チケットの購入に向かったのだと思っている。「もう名古屋まで行かなくても、アーラで十分に満足できる」という声を何回も聞いた。名古屋に向いている可児市民の目が、少しでもアーラに向けられるようになりつつあるのだと理解して良いだろう。名古屋まで行けば、往復の交通費のみならず、時間コストも無視できない。
「どうせ観るのだから、一回の手間で買ってしまった方が良い」という声も聞こえてきた。しかも、およそ25%OFFなのだから、「賢明な消費者」であることと「アーラのブランディング」との相乗効果もあったのではないかと思われる。
さらに、パッケージ・チケット購入者には、購入パッケージ以外の公演を一つずつばらで買える「アラカルト・システム」を新たに導入した。どの公演のチケットでも20%OFFで購入できるシステムである。これが予想を大きく上回った枚数の発券があった。(117人・574枚・一人あたり3.6枚) さらに、一人当たりの購入パッケージ数が飛躍的に伸びたのには、窓口でのクレジット・カードによる決済を今年から導入したことによる効果があったと推測できる。カード決済の導入で、お得なものをより多くという「メンタル・アカウンティング(心理会計)」が働いたのは疑いのないところだ。そのため、パッケージをまたいで多数枚購入する顧客や、アラカルト・チケットの購入者が予測を超えて急増したのだろう。一人で50枚を超えるチケットを購入した方さえ出たのだ。
今後これ以上にパッケージ数を増やして選択肢を多くすることは考えていない。選択肢をあまり多くすると顧客の満足度を低下させる(選択のパラドックス)と考えるからだ。ただし、アラカルト・チケットを導入することで、顧客が自分独自のパックをつくることのできる選択肢は用意して、顧客の自己選択による充足性は求めた。また、パッケージ・チケットの大きな出費に対して、アラカルト・チケットを購入するという小さな出費が過小評価された結果がアラカルト・チケットの大量発券となったといえる。パッケージ・チケットによる「アンカリング効果」と言える。
また、次のようなことが考えられる。新聞折り込みにするパッケージ・チケットのチラシは、初年度から片面が「スーパーの大売り出し」的なデザインにしている。今年は紙質も、カラーもまったく「大売り出し」と見まがうほどのものにした。開館前に並んでいる市民にご挨拶に伺った折に、それを示して「こんなチラシだと気軽になる」とか「間違って一度捨ててしまった」という声をかけられた。私は就任以来、芸術の障壁を私たちの側から下げることに腐心してきた。ふらっと立ち寄れる止まり木のような劇場、「芸術の殿堂」ではなく「人間の家」でありたいと思ってきた。「スーパーの大売り出し」と見まがうチラシにもそのポリシーが込められている。このチラシによって、他にも「Dan-Danチケット」や「ビックコミュニケーションチケット」などのディスカウント・チケットがあるのにそちらに向かわずにパッケージチケット購入という消費行動となったのは、「パッケージでまとめて買えば大幅割引」というチラシのデザインや紙質のイメージの具体的集約による「フレーミング効果」が確実にあったと考えている。
いずれにせよ、マーケティングやブランディングの効果を、短期間に時系列でアウトカムが見えたことはアーラの現在位置を知るうえでの一助となった。「創客のマーケティング」が少しずつだが前進していることが確認できた意義は大きい。「創客」が新規顧客を開発するのみならず、経験価値の高度化によって顧客進化をとげたロイヤルティ(帰属性)の高い顧客を創出することでもあることが数字によって証し立てられた意義も小さくない。結局ブランディングを進めるということは、お客さまの立場で経営戦略を考え、お客さまにとって新しい価値を提供し、また新しい価値への期待感が高まるような高品質のサービスを提供し続けることに尽きるのではないだろうか。
しかも「公共」であることは忘れてはいけない。売上高や利益を上げれば事足りるとは決して思わないことである。私たちの経営戦略のいちいちが、地域社会への「投資」になっていなければならないのである。そのため、利益を上げようと、おおよそ決まっている地域における「慣習価格」を無視すべきではない。「公共」であるということは、多くの「利益」をアウトプットすることではなく、多くの人々の生きる意欲を喚起するための「経営=新しい価値の創出」をいかに広く、多くの人々と共有できるかである。その意味で「創客」とは共生のための経営哲学であり、マーケティング技術であると言えよう。
おわりに。
可児市文化創造センター(ala)の館長兼劇場総監督として就任しておよそ二年間。ここ10ヶ月で書き下ろしたおよそ147,000字を超えるこの『集客から創客』の論文は、7年間に及んだ北海道劇場計画の仕事、新しい知事の就任による計画凍結を経て、「地域劇場の考え方」のDNAを次の世代に受け継いでもらおうと着任した県立宮城大学事業構想学部・大学院研究科での8年間に、多くの研究書に触れ、多くの人々、多くの学生・院生たちとの交流の中でかたちづくられたもので、それを研究者や職員へのメッセージとして「とにかく書き始める」を旨に、大学でゼミ生たちに伝えようとしたことを思いつくままに綴ったものだ。一冊にまとめるためには推敲をしなければならない類のもので論文の態をなしていないと思うが、覚束ないながらも考えの輪郭だけは描けたのではないかと思っている。あわせて、館長エッセイも二年間で44本にもなった。これは、市民や職員へのメッセージとして書き継いだものだ。
「集客から創客」という言葉は、40代半ばに岡山に招かれて講演をした際に、初めてキーワードとして使用したアーツマーケティングに関わる考え方だ。「集客」は、マス・マーケティングや従来からの広報・宣伝のみに依拠する考え方であり、「創客」は、顧客のライフスタイルに働きかける意味では、ソーシャル・マーケティングの色彩を帯びた、人間の行動様式を見つめておこなう「関係づくりのマーケティング」だと思っている。その意味では、行動経済学、経済心理学を根底にすえた顧客への働きかけである。
また、この「創客」についての論文には、可児市文化創造センター(ala)という最前線の職場でトライ・アンド・エラーをしながら、マーケティング効果を確認できたことの「報告」という色彩も組み込んだものとなっている。可児市文化創造センターでの2年間で、およそ考えられる顧客への「働きかけ」は、すべてとは言わないがかなり試みたつもりだ。「働きかけ」は顧客たる市民にとどまらず、役所や議会へのマーケティングも含まれている。それらの仕事は、創造的であり、革新的であり、日本の公共文化施設においてはどこも着手していない、というより従来の公共文化施設の運営においては考えの及ばない発想と実践を連ねてきたつもりである。
しかし、それらはいまだ試行を繰り返す「過程」でしかない。可児市文化創造センター(ala)での仕事があと何年になるかわからないが、いつ退任してもおそらく「過程」のままで、「未完の地域劇場」でしかないだろう。だが、新しい道は造れているという実感はある。その道をナビゲートすれば、後から来る世代の力で、地域劇場としてのモデルの一つにはなれるりに違いない、との自負はひそかに持っている。
この後はしばらく間をおいてから、1997年に上梓して、地域文化行政のエポックメイキングとなり、この種の本としては珍しく5ヶ月後に二刷となった『芸術文化行政と地域社会―レジデントシアターへのデザイン』を増補して連載するつもりでいる。42歳の頃から地域に出て、93年から雑誌『テアトロ』に連載レポートしたものの一部をまとめたもので、絶版になってから長い時間が過ぎて、多くの人から手に入らないとその再版を要望されていたものだ。
紙数の都合で致し方なく再録されなかったものも拾い上げてみようと考えている。あらためて読み返すと、確かに生ものである地域や施設や活動の情報は古くはなっているが、考え方はいまと大きなブレはない。「ワークショップ」や「アウトリーチ」、「アーチスト・イン・レジデンス」の意義や公共ホールにレジデンス劇団をつくる提案と、その活動がいかに教育機関や福祉機関、医療機関と連携するかの提案がなされている。そのくだりを雑誌に書いたのは94年前後である。しかも、外国の地域劇場は未見で純粋培養のように書き下ろしたものである。読み返してみると、早過ぎる問題提起だった、という気持ちはある。
最近の政府機関の文化施策を概観すると、生意気なようだが正直言って「時代が追い付いてきた」というある種の感慨は禁じえない。阪神淡路大震災の折に私が組織した「神戸シアターワークス」の活動は、多くの第一線の演劇人から面と向かって罵詈雑言を浴びせられた。関西の演劇評論家からは「衛さんのやっていることは理解できない」と書かれた。芸術の社会化が盛んに言われ、誰もがワークショップやアウトリーチの必要性を認知している現在とは隔世の感あり、である。
この作業は、大きく変化した時代と私自身の「いま」に立脚しながら、『芸術文化行政と地域社会』をもう一度なぞって、誤謬は誤謬として、発展させられる記述は発展させて、自著を批評するつもりで書き進めようと思っている。「原点に帰る」ことで、何か新しい視界が広がるかもしれないとの期待を込めた作業になるだろう。
また、あわせて「世界劇場会議 国際フォーラム 2009」での2日間7時間にも及んだシンポジウム『地域公共ホールの未来を展望する』を再録する。中川幾郎(帝塚山大学法政策学部)、荒起一夫(吹田市文化振興財団理事長)、大和滋(芸団協芸能文化振興部)、西川信廣(劇団文学座演出家・日本劇団協議会常務理事)という私が信頼する論客各氏にパネリストとなっていただいた。「指定管理者の現在と今後、新公益法人改革、劇場法、そして創造都市へ」と副題されているように、長大なテーマに挑んだシンポジウムとなった。いたるところに「考えるヒント」の散りばめられたものとなっている。大いに楽しみにしていただきたい。
<予告>『芸術文化行政と地域社会 ― レジデントシアターへのデザイン』目次
序 章 「芸術支援」から「芸術による社会支援」へ。
第一章 「フィクションとしての文化国家」からの脱却。
第二章 演劇と地域と市民社会。
第三章 地域と演劇・その進捗と課題。
第四章 シアター・ボランティアと芸術文化NPO。
第五章 滞在型共同制作の財政的課題とレジデントシアターへの道。
インタビュー 市民文化の創造をめざして。