Essay

エッセイ・連載

第30回 遠くを見て、歩む-社会包摂からWell-beingまで28年間の遍路。

2021- 「人間の家」の劇場経営をナビゲートする。

2026 年 10 月 30 日 (金)

劇場経営・文化政策・アーツマーケティング アナリスト 早稲田大学文化推進部参与 衛 紀生

花盛りのWell-beingへの違和感と空虚しさ。

「ウェルビーイング(Well-being)」が花盛りである」、と書くと一般的には何を言いたいのか不明なのではないか。しかし、私が社会包摂経営を掲げて可児市文化創造センターalaの運営に携わった当時の「社会包摂」の語彙に対する概ねネガティブな反応に比べて、ウェルビーイングは、間口がとてつもなく広く、広範で多彩な立場の人々の多種多様な利害を包み込んで、現下であたかも「オモチャ箱」の様相を呈しています。この相違の根底には何があるのだろうか。08年の就任時から数年間続いた公共劇場や演劇業界からのネガティブなハレーションの頻出と、同業者からも「衛紀生は可児に行って考え方が変わった」との言辞を耳に届くたびに、比較的先駆的な舞台を評価していた東京での劇評家時代の物差しでは可児市での事業選択は難しいことを見極めて「変わった」というより「変えた」のとはほとんどの業界人は思わなかったのではないだろうか。鑑賞眼の涵養されている観客が多くいる地域であるなら、劇評家としての職能に忠実な事業ラインアップでも十分に鑑賞者開発は望めるが、特に演劇に関してはほぼ実績のない可児エリアでは、そこは大きく譲る必要を感じていました。それにしても、「Well-being」は「社会包摂」をも含む概念であるのに、この反応の違いはどこから来るのか。耳に障りが良い、というだけなのだろうか。この「Well-being」をめぐる「おもちゃ箱」の混乱と呼んでも良い現象は、18世紀に活躍した主観的観念論哲学を展開したジョージ・バークリーの主著の一つである、『人知原理論』で一度だけ記載されている「Well-being」に着目して『「ウェルビーイング」の哲学的基礎について』と題する論文を発表している関東学院大学大学院の宇野光範教授の論及に従えば、「Well-being」という語彙は、意味の外延性が果てしないインフレーションを引き起こす可能性を強く帯びていて、自己都合と自己事情を際限なく受容する性質を持っている語彙とされています。「ウェルビーイング」という語彙は主観的ウェルビーイング(個的な幸福感)を際限もなく盛り込込んでしまうのである、と「花盛り」になってしまう意味の外延性によるインフレーション現象の必然性を指摘しています。この語彙の外延性と拡張性をそのままにすれば、「花盛り」現象の結果と言えそうな「学会設立」や「財団設立」もその成果物と考えられます。経営戦略の策定やEBPM根拠に基づく政策立案がそれでは覚束なくなると私は危惧します。したがって、「個人的な幸福感」「主観的な幸福感」にとどめずに、「人権の尊重される公正な社会経済構造を構築するための社会哲学」としてWell-beingの外延性と拡張性を「制限する必要」があると私は考えます。「花盛り」のウェルビーイングの枝葉を剪定しなければ、あるべき社会哲学に、あるいは私たちが生きたい社会構築、私たちの後にくる将来世代に残すべき社会には行き着けないと危惧しています。「Well-being」は、個人の主観的幸福感とはほど遠く、社会の在り方を指す語彙であると私は強く思っています。

アリストテレスから現代を俯瞰する。「ユーダイモニック」と「ウェルビーイング」。

「Well-being」を俎上に上げて議論をすると、誰ともなく必ずや古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説いた社会哲学、政治哲学の「ユーデイモニア」(eudaimonia)の話題となります。日本語訳では「幸福」、「より善い人生」、「充実した生き方」などをあてるのが妥当と言えます。アリストテレスの時代は、そのような個人的で主観的な幸福感の先に、共同体の健全な社会経済体制が決定されると信じられていました。そのロジックの展開は、常識的にも科学的にも当時は正当性を持っていたと私は思います。今日ほど複雑な社会構造ではなかったからです。心理学領域の用語に「ユーダイモニック・ウェルビーイング」という語彙があります。「ユーデイモニア」と「ウェルビーイング」の相関性は分かちがたい概念と、その時代にあっては位置づけられていたのです。アリストテレスの時代の社会は都市国家(ポリス)であり、比較的小規模で、シンプルな構造であり、「ユーデイモニア」と「ウェルビーイング」を一体として捉えることが可能だったのだと考えています。近代を経て現代となると、社会は巨大な規模となり、相互扶助に依拠する共同体精神は相対的に減衰退行して、非倫理的な個人主義傾向の価値観が台頭し、複雑怪奇な様相を呈して、欲望を調整する制度としてのマーケットも限りなく自由放任状態となり「カネがカネを生む」という非倫理的な金融資本主義の登場まで許してしまうことになります。「ユーダイモニック」と「ウェルビーイング」のあいだに人間の生命維持にとって必ずしも不可欠とは言えない猥雑物が入り込んできて、その結果、価値の等価性が分断されることになりました。

アリストテレスと同様に、「Well-being」を語るときに必ずや話題の中心となるのがWHOの「健康の定義」にあるSocial Well-beingでしょう。国際機関であるWHO設立時の最年少理事であった施思明(スーミンスー)が、それまでの臨床経験の体験から、彼女は単なる「Well-being」にとどまらず、「Socialという限定域」を設けることを強く主張したのです。原文はこうなっています。Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. この最後の一節である「単に病気や虚弱でないことではない」が彼女の臨床での実感だったのではないか。つまり、健康にとって最も大切なのは「孤立していない」こと、すなわち当事者が家族や周辺、すなわち社会との「つながり」を持続継続的に持っていることで継続的なWell-beingがはじめて保障されると認識していて「Social」の一語に彼女の思いを込めたのだと私は思っています。「ユーデイモニア」と「ウェルビーイング」の乖離してしまったのと同様に、経年によって生じた社会的棄損を填補する意味で「Social」との限定域を加筆した、と私は想像しています。その気付き以降は、「ユーデイモニア」と「ウェルビーイング」の相関性を乖離させた猥雑物を明らかにするのも健全な劇場経営にたどりつくための使命の一つとなりました。それは、制御できない欲望、その欲望の自由放任と暴走を許さない精神を持ち続けることになります。欲望をコントロールできない3名の国指導者が原油の高騰をもたらして、エネルギー価格ばかりか物価高騰で家計を圧迫しています。また、アフリエイト(成果報酬型広告)でより刺激的な内容の記事を掲載して、選挙をはじめとする社会に混乱を起こして収入を得る行動も非倫理的で、欲望をコントロールできない人間の仕業です。それらの結果としての格差社会と分断と社会矛盾が指数関数的に拡大しているのが、私たちの生きている社会なのです。可児市文化創造センターalaの掲げる「人間の家」は、他者を受容してcollaboration(協働)する、つまり、共創して共有して、相互依存的に生活の質を上げて、生活文脈を協働の成果とする制度=コミュニティを含めて成果物を生産する健全な社会づくり、を基盤に据えた劇場経営哲学です。

公共と公益性後退の時代に閉幕の危機に-世界劇場会議国際フォーラム。

ホール建設ラッシュの最盛期である93年に愛知県芸術文化センターで幕を開けた世界劇場会議国際フォーラムは、欧米や豪州、アジアから数多くのエグゼクティブのパネル、キーノートスピーカーを招聘して、国内の論客と活発な議論を展開する画期的な国際会議でした。記録によれば、世界13ヶ国の150以上の事例報告が展開されたとのことです。当時としては世界有数の国際劇場ミーティング゛だったのではないでしょうか。閉幕後に発行される電話帳を凌駕するほど分厚い報告書を、私は時間を忘れて読み耽り、赤鉛筆の罫線とボールペンの書き込みをした記憶があります。当時のプロジェクトリーダーは、名古屋大学の清水裕之氏と中京大学の安藤隆之氏で、主にお二人のネットワークで世界各国から多くの劇場エグゼクティブが名古屋に参集したわけです。その報告書が、私の最初の劇場経営の参考書でした。その後は、私も何回かパネルとして参加して、基調講演の依頼も喜んでお引き受けしたりしていました。2000年代に入った頃らからは、実行委員会の理事にもなって、インナーとして企画や招聘にも関わるようになっていました。ところが、劇場会議20周年を前にして、愛知県の事業団から「手を引きたい」との意思表示が不意に示されることになります。

2001年12月に「文化芸術振興基本法」が公布施行され、第二条の3の「文化芸術の振興に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることにかんがみ、国民がその居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。」があり、さらに(関係機関等の連携等)の第三十二条に国は「第八条から前条までの施策を講ずるに当たっては、芸術家等、文化芸術団体、学校、文化施設、社会教育施設その他の関係機関等の間の連携が図られるよう配慮しなければならない。」「2 国は、芸術家等及び文化芸術団体が、学校、文化施設、社会教育施設、福祉施設、医療機関等と協力して、地域の人々が文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造する機会を提供できるようにするよう努めなければならない。」と、それまでの文化政策の主な柱であった1990年に設置された芸術文化振興基金の財政的支援は画期的ではあったものの、芸術団体の創造活動の自助努力に対して財政的支援をするというところにとどまっていて、「文化政策と社会構築」を相互に連関することと捉えていない点で不十分であったと私は考えていました。その点で、「文化芸術振興基本法」及び翌年に閣議決定され発出された「第一次文化芸術の振興に関する基本的な方針」には、「文化芸術は、芸術家や文化芸術団体、また、一部の愛好者だけのものではなく、すべての国民が真にゆとりと潤いの実感できる心豊かな生活を実現していく上で不可欠なものであり、この意味において、文化芸術は国民全体の社会的財産であると言える」と「社会的財産」という新しい価値観として芸術文化を位置づけて、芸術文化及びそれに資するための施設を社会構築との相関の中で捉えていたのです。これは日本の文化政策史における大きな一歩でした。

1994年1月17日にロスアンジェルスのノースリッジ地方を震源としたマグニチュード6.7の直下型地震が起きました。死者57名、負傷者約5400人にのぼる震災で、高速道路が崩壊するなどの被害があり、米国史上最も経済的損害の大きい地震と言われていました。そのまる1年後の95年1月17日に、阪神淡路大震災が起こることになるのですが、そのおよそ1か月後の2月11日、12日に愛知芸術文化センターで開催された世界劇場会議国際フォーラムで基調講演に招かれていたのが、当時全米を代表する地域劇場であるバークレー・レパートリーシアター(BRT)の経営監督であったスーザン・メダックでした。彼女は、バークレー・レパートリーシアターの経営監督であり、観客層の変化、多様化を絶えず観察し、常に追跡し、催物の内容の検討からチケット制度の変更など、劇場運営の第一線で観客開発に当っている米国を代表する地域劇場経営の専門家の一人でした。上演作品のマーケティングについてもあらゆるメディアを利用しており、ときには来場者に直接電話するなど、アメリカの小都市における草の根運動ともいうべき活動の紹介等のキーノートスピーチが一段落してから、私はスーザンに「ロサンゼルス地震の時にBRTは何をしたのか、それは何故なのか」という質問をフロアからしました。帰ってきた彼女の答えは、「いつもと変わらず公演をすることが、市民に余分な動揺を与えないことです」というものでした。そのコメントに、米国と英国の劇場が担うと期待される社会的役割の大きな違いに感じた戸惑いは禁じえませんでした。急性ストレス障害に悩まされる子供たちの「心のケア」と、孤立と孤独の状態にある仮設住宅の「コミュニティづくり」を企図して神戸シアターワークスを組成して活動していた私の期待する答えではなかったのですが、「市民に余分な動揺を与えない」という普段と変わらず舞台を上演する事由に、私は一応納得した記憶があります。

文化法制が社会構築に向かって整いつつあった、その矢先に劇場経営を巨視的に俯瞰できる機会としての世界劇場会議国際フォーラムの幕を閉じるということはあまりにも不見識ではないかと、私は強いショックを受けました。しかも、実行委員会は会場費の一定額の減免を受けるのみであり、2013年の予算表を見ると愛知県から40万円、名古屋市からも20万円の支援と県事業団の負担は閉幕を意思決定するほどの金額ではありませんでした。私は閉幕の通告後、慌てて大和日栄基金、グレートブリテン・ササカワ財団等に支援先になってもらえるように交渉しましたが、パネルやキーノートスピーカーの旅費謝金等の事業経費はおよそ1000万円弱が必要です。実行委員会の母体団体である世界劇場会議名古屋の側にも解決しなければない財政課題がありました。93年の立ち上げから主な財政基盤は、劇場設置に関わる建設会社、機材会社等の関連企業からの多額の寄付に依存してきていて、2010年代後半から、内部留保していた資金が底をついていて来ていました。そこで、文化庁の当時の文化部長であった川端和明氏に「せっかく法令の整備が社会との関係で整ってきているのに、世界の劇場経営の実態に触れる機会を喪失してしまうのは大きな損失ではないか」との旨の申し入れをして仲裁の依頼をしました。川端部長は、その年に愛知文化センターに新館長として就任した丹羽康雄氏をすぐに召喚して聞き取りをしてくださったようですが、不調だったようで、再度私は文化庁を訪れて川端部長から「衛さんのところでやったら」と言われました。丹羽氏はニッセイ文化振興財団で企画制作部長と財団理事を兼務していた経歴の方で、私もニッセイバックステージ賞の第一次審査を10年を超えて勤めていたことで知らない方ではなかったのですが、結局は振出しに戻って旅費交通費、謝金等の運営経費の手当てをしなければならない重い宿題を、しかも短期間で解決しなければならなくなりました。

「館長兼劇場総監督」の役職名ではあったものの、また就任以来、黒字決算を続けていくばくかの内部留保はあったものの、1000万円は権限だけで右から左に動かせる金額ではありません。とは言え、この時機を逃してしまったら、日本の文化政策がまたしても周回遅れになることは火を見るより明らかでしたので、次回の開催まで10か月間の猶予はありましたし、補助金なしに開催できる内部留保の金額も総務課長に確認していましたので、むしろ「やりがい」に奮い立つたくらいでした。愛知芸文センターでの最後の世界劇場会議国際フォーラムのテーマが、偶然ですが『パブリックシアターは何処にあるか』だったことも、翌年から会場を可児市文化創造センターalaに移す良い区切になったと今では思います。それを機に、私の専門であるアーツマネジメント、マーケティング、文化芸術の真の「本質的機能」であるそれらと社会的接続に絞った開催要項にしました。劇場ホールの建設仕様もコミュニティ形成に重要な要素ではあるのですが、私の能力から言って、同時に併設するのは難しいと判断しました。したがって、財政基盤に劇場建設関連会社からの寄付は望めないので、可児市からの指定管理料と文化庁、地域創造、自治総合センター、大和日栄基金、グレートブリテン・ササカワ財団からの補助金・助成金と、加えて就任以来黒字決算を継続していたので、ささやか乍ら積み上げた内部留保を充てることにしました。ギリギリの決断でしたが、私にとってはその負荷は「未来への投資」であって楽しみな退任するまでの時間を過ごせることとなりました。

「点」を取るか、「面」を選択するか、ポジティブ心理学で吟味する劇場の発展性。

可児市での世界劇場会議国際フォーラムも落ち着いて開催できるようになって、2016年には同国際会議をさいたま市文化センターでも開催しようと動いていました。関東以北からの若い人たちが可児にまで来るのは過負担になると数年前から考えていたからです。また、「あーとま塾」のように助成金で若い人材の旅費交通費の負担の一部を支援するのも、30人規模の研究会とはことなり集まりが一桁違っていて難しいとの判断でした。それに、文化芸術の東京一極集中は幾分是正されてはいましたが、ことマネジメントとマーケティングに関してはやはり東京に人材が偏在していて、世界劇場会議国際フォーラムで、その未来形を議論するならアクセスの利便性を鑑みれば、東京からの参加者を増やした方が発信性は高まると考えました。その件の初交渉でさいたま市文化センターを訪れた折に、センターの課長級職員から「公演事業は概ね好評です。顧客満足度は94%ですから」と言われて、「それは鑑賞アンケート集計だろう」と彼らが観客のアンケートを信じ切っていることを訝しく思いました。

そもそも「顧客満足度」は、高度成長期が終わった70年代半ば過ぎあたりから、価値観の多様化が社会の一般的な様相となり顧客のニーズが見えづらくなったことを契機に企業サイドが顧客の必要の充足度をはかるリサーチ手段として始まったものです。その頃の経営学の書籍には、「顧客満足度」と同時に「従業員満足度」もあわせて横並びで併記されていたことを思い出します。その「従業員満足度」が研究書から消えるのに時間は要しませんでした。ミルトン・フリードマンの新自由主義経済思想の急速な拡がりとともに、従業員は代替可能な「稼ぐ道具」との位置づけと考えられるようになったからです。「満足感」をWeblio類語辞典で牽くと「充実感」「充足感」「達成感」「幸福感」「歓喜」「満ち足りた気分」等が記載されています。ともに一時的な感情の高まり言い表している表現です。松下幸之助翁の名言に「生活課題を解決するために製品がある」というのがあります。私の中高生時代の高度成長期では、こと家電に関してはこの名言を日々実感する時間でした。

ポジティブ心理学の創始者であるペンシルバニア大学のマーティン・セグリマン博士は、軍隊と協力して兵士の心理的健康を増進し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ兵士の割合を減少させることに成功して、ストレスから立ち直る心理的機能である「レジリエンス研究の権威」として有名ですが、同時にHappinessとWell-beingを明確に分けて考える思考法を提案したことでも記念碑的業績の持ち主です。その指標の比較の一部掲載しておきます。

HappinessとWell-beingの指標比較

項目Happinessの指標Well-beingの指標
何をみるか幸せだと感じる度合い人生全体にとっての良好な状態
中心感情や満足感感情と生活環境条件の両方
時間軸比較的その時点や瞬間という短時間ж(点)中長期にわたる持続継続性ж(面)
測り方単一質問が多い・即時的計測中長期にわたる複数項目の計測

上記の表で注目すべきは、主として時間軸です。さらに加えて中心に何を据えるかではないでしょうか。時間軸のアスタリスク(ж)は、筆者によるものです。私は新たにどうしても必要な「制限域として時間軸」を加えたいと思います。いわば点と面という制限域です。主観的幸福感(Happiness)はどこまで行っても「点」であり、それとは対照的に「持続継続性のあるWell-being」は「面」であり、しかも三次元的な面の立方体で、その形状は個々人の個性や生活環境によって多様な形状を持っていると私は考えます。Well-beingが「社会性」という拡張性をもつのは、その多角形因子によるのであり、多様な変数を許容する対応性の高い語彙だからではなないだろうか。

さらに言えば、統計学者のニック・マークスによって創設されたロンドン・ニューエコノミクス財団の地球温暖化に由来する気候変動要因を指標化するHPI(ハッピー・プラネット・インデックス)の高いハードルをも設定すべきと考えます。ニューエコノミクス財団のことを初めて知らされたのは、2017年の世界劇場会議国際フォーラム『劇場は社会に何ができるか、社会は劇場に何を求めているかⅡ~日本版 社会的処方箋は可能か? 』にパネルの一人として英国から招いたウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP :現リーズプレイハウス)のアーツデベロップメント(芸術による社会開発)部の職員ニッキー・テーラーの発言でした。彼女のコメントに「国のシンクタンクであるニューエコノミクス財団の2018年の報告書の一節に他者を助けることに関心がある人たちは幸福度が高い傾向にある」がありました。彼女はWYPの誇る高齢者プログラム「ヘイデイズ」のプロジェクト責任者であり、近年は認知症プログラム、難民プログラムの開発実施も担当しています。

ニッキーの言っていた「他者を助けることに関心がある人たちは幸福度が高い傾向にある」は、1994年に岡山県立美術館でアートファーム岡山の大森誠一氏の司会進行で開催されたシンポジウムで初めて温めていた劇場によるまちづくり構想を「創客」という言葉で提案した時から、その所与の条件としていた「利他性による社会的価値」を内包している社会心理学のエビデンスです。ニューエコノミクス財団は、ケンブリッジ大学で経済学、経営学を学ぶ一方、応用統計学を専念領域としたニック・マークスによって2001年にロンドンで創設されたチャリティ法人格を有する非営利法人で、設立と同時に組織内にCentre for Well-beingを設立しています。英国政府に対しての、環境を保全しつつ持続可能な発展を続けるための政策提言を中心業務としています。ニックは、これまで人類が改善や進歩として考えていたのは、もっぱら金融や経済面から定義付け、もしくは、意味づけされている事であり、それらに関する数字が増えることを、社会の成長として良い事だと思われてきた。つまり、株価や国内総生産(GDP)が増える事が社会の豊かさを増し、それが人々の暮らしを良くする、と考えていました。しかし彼は、なぜ我々は国の成功を「国民の幸福と福利」ではなく「国の生産性」で語るのかと考え、また、国の幸福度を資源の使用量との兼ね合いで測るべきで、幸せな生活(Well-being)は、地球を犠牲にするものではないとして、社会正義(social justice)、持続可能性(sustainability)、人々の生活の質(people’s well-being)に基づいた指標が要る、と考えました。HPIはそのような経緯をもとにして考案され、発信されました。

正直言って、このHPIを「Well-beingの制限域」に加えることには躊躇いがありました。私たち人間の日々の生活とはいささか乖離しすぎているのではないかという考えが脳裏を過っていたのです。しかし、直近の秋雨前線と熱帯低気圧によって頻繁に起きている豪雨災害、欧州を襲っている猛暑と干ばつと食料危機等を考え併せれば、地球を犠牲にして繁栄と栄華に安住している私たちは、まさしく私たちの日常の襞に潜んでいる「GDP信仰」に囚われいるからであり、「経済成長至上主義」が社会に様々な歪みを生んでしまっていることに気付かされます。それを看過して「Well-beingを語るのは偽善」でしかないと思いました。現実の成長=豊かさという大きな錯誤が拡大再生産する惨禍を看過して、無為に日々を送ることは著しくおのれを欺くことではないかとの思いに駆られました。7年前に新築した我が家に、原発の電気は利用しないとの思いで太陽光パネルと蓄電池を設置した初心に帰るべきと今更ながら気付いたのです。したがって、「HPIの考え方をWell-beingの制限域」の一つに加えるべきと判断したのです。

様々な制限域の共通項は、「積極的で、楽天的で、建設的な他者関係」。

WYPにはじめて訪れた年の前年に成立した労働党のブレア政権のアドバイザーであったアンソニー・ギデンスは、後述する有名な「積極的福祉」(Positive Welfare)の概念形成における福祉制度とは、給付とか優遇措置とか経済的概念ではなく、「当事者が生活実感の過程で人間が獲得する経済的給付や優遇措置の制度に働きかけて修正や調整を実現する能力と規定」する「構造化理論」と「再帰性」という他者(社会)との共創共有関係の中で生成された結果生じるとしています。私が日々の生活といささか乖離するのではないかと制限域に加えるのを躊躇したニューエコノミクス財団のCentre for Well-beingが提起するHPIにも、ソーシャルウェルビーイングとコミュニティウェルビーイングを「ビジネスにおける5つの構成要素」に挙げています。井原高忠先生の『愛は経済社会を変える』にある「親密圏」と「身内意識」も言うまでもなく他者との良好な関係の中で共創される価値であり、前述したマーティン・セグリマン創始したポジティブ心理学でも、幸福度を上げる5つのポイントとして日々の生活で私たちの出来ることを以下のように整理して示しています。

  • ① つながる(Be Connect):人とつながる、コミュニティの一員となる、自然とつながる
  • ② アクティブになる(Be active):生活実感に行動的な思索をする習慣をつける
  • ③ 好奇心を持つ(Take notice):季節の移り変わりや疑問を持つ瞬間を喜びとする
  • ④ 学び続ける(Keep learning):やったことのないことに挑戦する、新しい考えに触れる
  • ⑤ 与える(Give):何かしらの「いいこと」をしてみる、他者に利することをする

「ウェルビーイング」と「レジリエンス」はポジティブ心理学における中心的なテーマです。ただし、「所得や資産の増加」、「社会的地位の高位化」は一時的なもの、短期的な利得感であって、ポジティブ心理学では「Happiness」に分類されて「Well-being」とは厳しく峻別されています。上記の表を見れば分かるように、ポジティブ心理学にあっても、ニューエコノミクス財団Centre for Well-beingの提起したHPI同様に、ここでも「つながりの構築」と「利他的な価値観」は、最重要視されています。

また、英国には「芸術・健康・ウェルビーイングに関する超党派議員連盟( All-Party Parliamentary Group on Arts, Health and Wellbeing以下APPGAHWと略す)という政策議連があります。APPGAHWは「芸術活動が健康とウェルビーイングに寄与する」という認識を高めることを目的に2014年に結成され、政策と実践の提言を行うことを目指して、医療や福祉における芸術の実践と研究について2年間の調査を行いました。芸術はPTSDをはじめとする強いストレス状態や社会的逆境から脱するためのメンタルヘルスに効力があると実践的に認知されてきました。レジリエンスを高めるには、①自分の感情や思考を正しく把握する能力、②感情や行動を状況に合わせてコントロールする力、➂多角的な視点で物事を柔軟に捉える能力、④未来は良くなるという現実的楽観性、⑤自分には困難を乗り越えられるという自己効力感⑥困っている時に支えあえる周囲との信頼関係、が必要とされています。

WYPの初訪問時に驚かされた年間1000の包摂型コミュニティプログラムの供給は、政治的社会的発言が多いとされていた芸術監督のジュード・ケリーと、同様に社会的視野の広い経営監督マギー・サクソンによって、劇場がリーズ大学構内からクォーリ―ヒルズに移転した1990年に戦略的に計画開始されたものと想像します。なぜなら、当時には既にサッチャー政権による新自由主義的改革によって、多くの人々と北部英国という地域が、経済的な零落と格差の惨禍を身に染みて体感していたからと想像できます。ここでも、「困っている時に支えあえる周囲との信頼関係」(つながりの構築)が挙げられます。高齢者が週に一度劇場に集まって手芸や絵画や縫物をする、前述のニッキーが所掌していた「ヘイデイズ」のように一見アーツとは懸け離れているものでも、「つながる」ことが主目的ですので、彼らを劇場の将来の観客として招き入れようとする期待と下心はWYP側にはありません。7回ほどWYPを訪問してインタビュー等をしましたが、そのうち一回だけ「ヘイデイズ」の百数十名の参加者に当時のマーケティング部長のケイト・サンダーソンから「明日のショーにみなさんをご招待します」との告知が唐突になされて、参加者たちから歓声が起こったのを経験しています。「参加者を観客に」、との経営戦略は皆無のようでした。「ヘイデイズ」で創られた品物は、半期ごとに劇場内で開催されるバザーで一般販売されるのですが、その売上は市内の福祉施設に寄付されます。自分たちの活動が社会とつながっていることを実感してもらう大切な仕組みです。WHOの施思明(スーミンスー)の主張したSocial Well-beingの現場での実践事例です。

就任2年目の2009年に当時の事務局長 篭橋義朗.(現館長)と村松技術課長(故人)と連れだって英国劇場視察のために渡航しました。その折に当時WYPの芸術監督イアン・ブラウンに国際共同制作で提携しないかとの申し入れをしました。芸術監督等の人事権と予算執行権は理事会の所掌範囲なのですが、その当時はイアン・ブラウン自身が理事会に入って全権を掌握しようと野心を持っていた時期であり、そのあとにWYPの「顔」と言っても良いマギー・サクソンを罷免して全権を手中にする途上であったため、その申し入れはペンディングのままとなってしまいました。それでも、それ以降も両劇場の関係を絶やさないために、毎年アーツディベロップ部の職員を招聘してスクールプログラムや、それを担う専門人材の養成をするなどの人事交流はWYPとアーラのあいだでは継続していました。

しかし、イアンのWYP経営は大きく失敗します。演出家としての力量は2009年にリバプール・プレイハウスとWYPの共同制作の舞台は観る機会があり、戯曲を読み込む力は確かであるし、舞台としてまとめ上げる力量もあると思ったのですが、いかにも組織運営という劇場の経営基盤を築き上げる大切な知見に乏しかったと言わざるを得ません。不在となっていた経営監督はWYPの理事会が地域アーツカウンシルに依頼して、立て直しのための人材が派遣されてきました。地域フェスティバルのディレクター等を務めていたキャリアを持つシーナ・リグレイが「経営総監督」の名称で就任しました。2012年のことです。当時のWYPは「コミュニティ・ドライブ」とか「北部イングランドの国立劇場」の異名で呼ばれていて、ジュード・ケリーとマギー・サクソンの築いたナショナル・ブランドをイアンは一掃したかったのではないか、シーナの職名がシンプルな経営監督ではなく「総」を付与していることに理事会の深い意図と強い意志があると私は読みました。さらに最高経営責任者であるCEOまで付与してありました。

国際共同制作の顛末記―申し入れから10年、契約締結から5年、構想製作3年 / 社会包摂経営の選んだ新作発信。

そのシーナを翌年の世界劇場会議国際フォーラムに呼ぼうと意図を共有して、NPO世界劇場会議名古屋のメンバーたちとWYPを訪れました。同行したNPO理事長の下斗米隆はその時の驚きを以下のように書いています。「1998年に当時の経営監督マギー・サクソンさんをパネラーとしてお呼びしている。(中略)しかしいざ実際に現地に行って見たものは、想像をはるかに超えたものだった。朝の10時、劇場の正面を入ってまず驚く。人がもう大勢行き交っている。話しをしたり、コーヒーを飲んだり、とても劇場入口の朝の空間とは思えない賑やかさ」といった具合に書き記しています。私が初めてWYPを訪ねた時と同様の驚きを理事長も体感していました。私にはシーナにアーラを実際に見てもらいたいとの考えがありました。4年前にイアン・ブラウンに申し入れていた共同制作を含めた提携契約を具現化するには、とりあえず彼女に「地域に生きている劇場の実際」を見てもらわないとの気持ちがありました。そして、国際フォーラムの1日目が終わり、2日目の開場直前にシーナからコーディネーターの臼井幹代さんを通して、「話がしたい」とのオファーがありました。あるいは彼女は理事会からの一任を得ていたのかもしれませんが、ほぼ即断に近いものがあり、館長室に招き入れて「契約書案を提示してほしい」と彼女から告げられました。当方にとってはむろん喜ばしい展開なのですが、私には、日英の社会に共通する問題をテーマにしたオリジナル戯曲を、世界初演でやりたいとの希望があり、稽古は可児市滞在で「可児発信」にもこだわっていました。それだけに、契約書案を作成するのはとても難しい仕事になると、同時に覚悟しなければなりませんでした。国際共同制作、人事交流を含めた人材育成等の項目からなる提携契約締結は、何回ものやりとりを経て、年をまたいだ2015年になります。契約締結を報告する記者発表と、文化庁、大和日栄基金、グレートブリテン・ササカワ財団等の挨拶回りのために、芸術監督のジェイムス・ブライニングと新任の経営監督ロビン・ホークスに来日してもらいました。

作家はプレイハウス側から推挙してきた3名の中から、日本でのリサーチ期間を確保できる見通しのあるウェールズ出身のブラット・バーチに決めました。来日して日本の現状を体感してもらうことは作品創造にとってどうしても譲れないことだったからです。演出は地域拠点契約を結んでいる文学座の西川信廣とプレイハウスのアソシエイト・ディレクターを務めていた マーク・ローゼンブラットに決まりました。可児市滞在で始まる稽古前の記者会見でのマークのスピーチから『野兎たちMISSING PEOPLE』の企画意図は透けて見えます。

「衛さんとジェイムス・ブライニング芸術監督の最初のアイデアは、社会の片隅に追いやられた人たち、社会から疎外されている人たちの芝居を作るということでした。それで日本の文化や社会をリサーチするうち、興味深かったのは、失踪したり行方不明になったり、突然いなくなる人たちがたくさんいるということでした。そしていちばん重要なのは、人が失踪した後、残された家族は一体どうやってそれに向き合っていくのかということ。難しい問題ですが、劇作家のブラッドがうまく戯曲にしています。」

作者のブラッドのコメントはより具体的で社会包摂を掲げる劇場の作品創造を表しています。「日本には3回来ているんですけど、東京、大阪、可児……、名古屋も少し行きました。いろいろな分野の専門家と会って話を聞きました。貧困について詳しい方とか、子ども食堂や学校で苦労している子たちの面倒をみる機関の方にも会いましたし、自殺したい人の電話駆け込み所なども取材しました。その中で心に残ったのは、大阪の釜ヶ崎を訪れた時のことです。釜ヶ崎は行方不明になった方や失踪した方が結構住んでいて、自分の国とは違うなと。そして注意深くその人々の経験を受け止め、ドラマにするうち、イギリスと日本、直面している課題は同じだと感じたんです。貧困やメンタルヘルス、社会の構造の問題などは日英で共通していますね。」

戯曲作成のための日本国内での取材やヒヤリングを終えてブラット・バーチから、とりあえずの最終稿(第二稿)が送られてきました。それに対して私は、「第2稿に対するプロジューサーからの視点での意見と提案」と題した意見を送る、という往還を何回か重ねました。例えば、

■まずはブラットのこの間の仕事を大いに労いと思います。初稿に比べてある程度の作品の輪郭は、ぼんやりとですが見えてきたブラットの思索は、私たちにとっても良い時間だったと感じています。

■しかしながら、第2稿の最大の問題点は、サキコの「日本に残るという選択」にインパクトがなく、作品の終わり方が捉えどころなくぽんやりしていることです。これは、それまでのドラマの展開の中で「ヒロキの失踪」に端を発した「家族の内実の暴露」、包装紙は美しくデザインされているものの「つながり」がメルトダウンしている「家族」。これらのエピソードがいささか弱く、何よりも「ヒロキ」の像が、登場人物の彼に対する評価とエピソードの積み重ねで観客の中に結ばないのでは、と危惧され、それが終幕の「ぼんやりさ」になっていると思う。

■つまり、彼の「失踪」は借金や浪費癖が直接の原因ではなく、それ以前のマサルからの過度の期待に応えるしかなかった「アダルト・チュルドレン」の精神的破綻、孤独感、孤立感に苛まれながらの「生」からのエスケープに違いない。それが「ナカムラ家」の、ずっと昔からのメルトダウンの実態である。

という風にお互いの考えを率直にやり取りすることを繰り返して、最終的な戯曲作成のためのワークショップを日本からと英国内の俳優10名とLP(ジェイムス・ブライニング芸術監督が就任してリーズ出身の彼の少年期の劇場の名称であったリーズ・プレイハウスに変わりました)の稽古場で実際に台本を持って演じてもらい、修正点を確認する作業をしました。5月11日出発19日帰国という日程で、7泊9日というかなり長期滞在でした。同行者は演出の西川信廣氏の他に俳優のたかお鷹さん、七瀬なつみさん、翻訳の常田景子さんをはじめとする大人数でのリーズ行でした。同時に、英国側のキャスティング・オーディションも日程後半に挙行することを決めていました。肝心の戯曲作成ワークショップと作家との協議ですが、非常にうまく事が運んで、ともに町とともにあろうとする経営をしている劇場同士の共同製作に相応しい舞台の基礎固めは出来たと思っています。作家のブラッド・パーチは春先に可児に来ており、市長表敬もしましたし、全国の社会状況を取材してもらっています。作品の舞台は可児市になります。英国の俳優3名はほぼ決まり、日本側のキャストも9月に実施ししたキャスティング・オーディションで決っていました。年が明けて可児市での稽古が始まり、英国からのキャストとスタッフは、長期の滞在となるため、市内のビジネスホテルやマンスリーマンションよりも隣町の御嵩町に所在する古民家のゲストハウスで自炊してもらうことにしました。口に合っている食べ慣れた食事をしてもらうことが、特上のポスピラリティでとの確信がありました。俳優のムードメーカーだった人間はウズラの卵のフライを大変気に入って、毎食食べていたというエピソードを思い出します。

全英ロックダウンで公演中止にーコロナ禍から得た教訓。

新国立劇場、可児市文化創造センター、リーズ・プレイハウスでの3日間のプレビュー公演を終えて、翌日から一般公開の本格的な公演であるプレスナイトを迎えることになっていました。英国での本公演までの運びは、舞台稽古をして装置や音響照明のキッカケの修正をする日本のそれとは異なり、ディスカウントされたチケット料金でプレビュー公演を数回実施して舞台を整えるかたちになっています。そのあとにブレスナイトとなって、全国から演劇記者や評論家が集まって劇評等の情報が流れるようになります。事前に全国紙のガーディアンの演劇記者がブラット・バーチを若手劇作家として高く評価しているとの情報を得ていましたし、2日目に観劇したWYPのCreative Engagementのマーケティング部長だったケイト・サンダーソンから「良い仕事だ」との賛辞を得ていしたし、何よりもプレビューに来場したリーズ市民から「想像力で深読みのできる舞台」との感想を聞いていたので、ひそかにロンドン・ナショナルシアターのコッテスロー(客席数200~400の小劇場)にトランスファー出来るかもしれないとの淡い希望もありました。したがって、プレスナイトが国際共同制作プロジェクトの成功の鍵と考えていました。また、新国立劇場公演の折の休憩時間に、面識のない真野響子さんがいらっして「良く書けていて、使っている英語にも深みがある」との感想もいただいていました。

ところが、プレスナイト当日の3月16日午後のボリス・ジョンソン首相の緊急会見があるとの情報がテレビを通して流れました。嫌な予感のとおりに、一斉ロックダウンとなり、プレスナイト開演1時間半前に公演は中止となりました。突然のロックダウンで、プレスナイトがあると思って、マギー・サクソン、リー・コナーをはじめ旧い友人たちはプレイハウスに既に駆け付けてくれていました。「五類移行後」のWHOの統計データですが、世界全体のCOVID-19による累計死者数は711万5000人で超過死亡者数は2210万人にのぼると推計しています。日本に限れば14万人を超えて、2025年でも単年度で2万1497人という驚くべき数値です。当然のことですが、コロナ禍の経済指標も激しい落ち込みとなっており、キャストの中には悔しさで涙している者もいましたが、ジョンソン首相の「即時ロックダウン」は理解できる意思決定であったと思っています。

日本時間の翌々日の午後に芸術文化振興基金運営委員会があり、プレスナイトがあっても中止になっても、いずれにしても午前3時半にはリーズブラッドフォード空港には到着していなければならないタイトなスケジュールでした。通常は利用するアムステルダムー成田便が欠航となっており、アムスからパリ・シャルルドゴール空港経由で帰国しなければならないので、はじめてのルートでいささか緊張していました。パリ・シャルルドゴール空港の空気は音がするほど張りつめていました。搭乗口近くの待合場までの30分近く通路の両側のショップはむろんのことコ―ヒースタンドまでシャッターを下ろしていて、3時間以上のトランジット時間をどう過ごすか困惑するほどでした。張りつめた空気は私から眠気を剥ぎ取っていました。リーズから成田まで40時間弱がかかりました。帰国したものの、シャルルドゴール空港で感じたびりびりした緊張感は成田空港にはもとより、日本の日常からは窺えませんでした。歪んだ正義感を振り回す「自粛警察」まで出没して、ソーシャル・ディスタンスや三密回避がうるさく言われてシャルルドゴール空港以上の緊張感があるのかと予想していたのですが、何処を切り取っても「臨戦態勢」といった様子は空港職員からも感じられませんでした。しかし、帰国後まもなく緊急事態宣言が発出されて文化芸術に関する「ソーシャル・ディスタンシングと三密回避」に沿ったガイドラインが全国公文協から出ました。演技の際に俳優はマスクをする、というまったくライプパフォーマンスを取りまとめる当事者意識の欠落したもので、その後の第一次補正予算の際にも、ネット配信により「芸術団体及び劇場音楽堂等の収支構造を変える」という、ここでも当事者意識に欠ける文言があり、ただただ呆れるばかりでした。

市長からは「5月の連休明けまでは東京に留まるように」の業務命令が届きました。実現までに10年、連携契約締結から5年、構想と新作製作に3年をかけた『野兎たち/ MISSING PEOPLE』の突然の公演中止でしたが、いま振り返ってその当座でもショックはあまり感じていませんでした。それよりも、アーツの持っている「社会包摂機能」「つながりの構築機能」によって可児市文化創造センターalaのナショナルブランド化への道を一応は切りひらいた社会包摂経営が、コロナ禍での「ソーシャル・ディスタンスと三密回避」によって、その機能を社会化できなくなることに、私の意識は成田に着く前の機内で向かっていました。「何かしなければ」の職員たちの気持ちもあって、やがてリモートで「まち元気プロジェクト」が始まりました。私のマーケティングにおける関係づくりの基本作法は、慶応義塾大学総合政策学部・環境情報学部教授だった井関利明先生からface to faceだと教えられていました。広報宣伝はメディア特性を鑑みて利活用して、多様な生活文脈で連鎖性のあるブランド想起起点(思い付き・気付き・メンタルアベイラビリティの起動)を設計して、ジョン・スポールストラの『エスキモーに氷を売る』の顧客接点(contact point)の拡張による顧客開発(ジャンプスタート・マーケティング)から、多様な生活好意的な共感でつながって商品サービスの想起をうながすCEP(カテゴリー・エントリー・ポイント)へのマーケティング戦略への移行が近年では顕著となっていました。したがって、face to faceのリレーションシップ・マーケティング(関係づくり)なしにリモートで「まち元気プロジェクト」を進めようとすること自体は、私から見ればすこぶる乱暴と映ります。

CEPマーケティング戦略における「メンタルアベイラビリティ」(心理的可用性)とは、顧客の記憶の中にあるブランドが、買いたいとか行きたいとか、瞬間に思い出されやすい状態にあるかどうかを指す概念です。多様な生活好意的な共感でつながるプラットフォームと言い換えられます。つまり、CEP(カテゴリー・エントリー・ポイント)への戦略移行により、コアサービスの専門性は低減するものの、より多くの潜在顧客へのアプローチを可能にして競争優位性を獲得する企業及び機関経営の手法を指します。より広く、多くの潜在顧客に強い訴求性を持たせて、独自のマーケットを形成するCEP戦略は、これまで縷々追求してきた「Well-being」の限定域を俯瞰すると、広範な生活文脈の中で、生活の質を大きく左右して、しかも感情と生活環境条件の両方の中長期的な、持続継続する安心感と心理的安全性となると、98年のWYP初訪問時に異様に感じた、また世界劇場会議名古屋の下斗米理事長を驚かせた劇場の賑わいが、この劇場から直接間接にSocial Well-beingの社会的価値を感受し、享受し、受容しているリーズ市民によって構成された集合体ではないかとの推断が醸成されるのですが、如何でしょうか。

当時インタビューして、マーケティングについて議論したマーケティング部長のケイト・サンダーソンとの合意点は、「インフォメーションの限界とコミュニケーションのポテンシャルの高さ」でしたが、現在ではこれに加えて、ブランディングによる心理的効用を挙げたいと思っています。年間約1000のコミュニティ・プログラム実施に、およそに20万人の全市民の3分の1の市民がアクセスしている事業展開によって、「コミュニティ・ドライブ(地域の推進力)」とも「北部イングランドの国立劇場」と称賛されているナショナルブランドとなっていて、その業績は全英で讃えられており、それはエグゼクティブのケイトも気付かないほどの「巨大な経営資産」となっていたのです。その大きなソーシャル・ウェルビーイングを共有するコミュニティは、演劇専用劇場でありながら演劇愛好者に限らず、しかも出入り自由な非拘束性のつながりであり、心理的安全性によってくつろいだ時空に充たされて、心がほどけて気持ちが和らぐSocial Well-beingの価値観によってつながる集合体となっていたのではないだろうか。ここで、私たちは、コロナ禍でヨーロッパの最高知性と評されるジャック・アタリが発した「生命維持装置」(Vital Industry)として芸術文化の可能性をあらためて吟味する必要があるのではないでしょうか。アタリが「vital industry」(生命に関わるきわめて重要な産業)という言辞を使ったのには、人間が生まれながらに持っている自己保存をはかる「社会的本能」が、外部環境の激変によって強要された「ソーシャル・ディスタンス」によって封じ込められ、他者とつながる回路が閉ざされて光が見えないことに、アタリは現下のコロナ禍が営々と積み上げてきた社会の危機をもたらしていると受け止めていない世界が、「命の経済」という新しいパラダイムに向かうより、コロナ禍前の経済成長至上の「死の経済」に帰ろうとして自壊へ向かうがごとき反応と姿勢しか持っていないことを大いに危惧していたからだと、私は受け止めました。

ジャック・アタリの『命の経済』を耽読する―クリティカルな精神を決して手放さずに。

昨年上梓した『人間の安全保障としての文化芸術』の第3章のエピグラフにジャック・アタリの『命の経済』から拾った「ポジティブな社会の実現の鍵になるのは利他主義である」を引用しています。アタリによれば、利他主義は究極的には利己主義となるという。他者とのあいだに価値の交換が起きるというミュニケーションや対話の構造を知悉している人間ならではの真を突くパラドシカルな言い回しです。ここでも「Well-being」の基盤である「出逢い、語り合い、違いを知り、理解し合う」という社会的本能が生命維持の絶対条件として挙げられています。彼は別のところで「社会で自分らしく暮らしていくには、働くことだけでなく、人と関わりながら必要なことを自分で整えていく力が大事」と語り、「社会的自立とは、社会の一員として、周囲と関わりながら自分で生活し、役割を果たしていくことです」と話の穂を継いで、さらに生きるとは「お金を稼ぐことだけではなく、日常生活を整え、人と協力し、必要な場面で助けを求めながら生きていくことまで含みます」と「社会的本能」を生きるための、生命を維持するために重要な心柱として位置づけています。

私が自宅待機をしている時に感じたどうにも手当てしようのない息苦しさは、ソーシャル・ディスタンスと三密回避によって社会包摂型経営のさらなる展開を妨げられたからというよりも、私自身の「社会的本能」が厳しく封じ込められて、機能不全を強要されていたからではなかったかと、いまとなって思い返しています。閉塞的な環境で社会的本能が封じ込められることは、人間にとってとてつもなく息苦しいことです。大規模改修とコロナ禍が重複していたことがあって、総員25名のデスクを並べる事務室は、かなり手狭な地下にある演劇練習室となりました。その決定権を事務局長に委ねていたことを、いまでは失敗だったと反省しています。たとえ大規模改修と重なっていようとも、職員たちの就業環境には細心の配慮をするべきだったと思っています。決して創造性の生まれる環境ではありませんでした。案の定、数年後にはアーラの経営戦略の中核を担うだろうと考えていた中堅職員3名から、その期間中に退職の申し出があり、私は高校野球の監督を務めていた10代の頃から一度やめるとの意志を持った者を引き留めることはしたことがなかったため、将来的には大きな損失になることは承知の上で彼ら彼女らの新たな旅立ちを祝福とともに見送りました。これが私の13年間の館長生活の一番の不明だったと思っています。館長就任以来、自身の「社会的本能」に従って積み上げてきた組織風土をなすすべもなく手放したことが、取り返しのない事態とならないことを祈念するばかりです。

『命の経済』からWell-being指標へ。

第二次世界大戦を予見してフーバー大統領がサイモン・クズネッツに命じて案出したGDPという経済指標に対して、クズネッツ自身が1934年の連邦議会上院で報告した弁明とつながっています。クズネッツは、誤って国の将来の繁栄をあらわすかのように用いられているGDP指標の現状に対して「この経済指標の数値が国民の『豊かさ』や『幸福感』を表す社会厚生指標ではない」と証言して強い警告を発しています。このGDPの錬金術的なカラクリを白日の下にさらそうと試みた嚆矢は、2008年2月に仏・サルコジ大統領の下で組成された「経済業績と社会進歩の計測に関する委員会」、いわゆる「スティグリッツ委員会」です。これを機に国民が実感する豊かさや幸せを評価するための新しい指標を検討するBeyond GDPの機会は年を追うごとに右肩上がりに急増します。近年では2024年9月に開催された国連未来サミット(Summit of the Future)では、SDGsの達成を促進し、従来のGDPを補完するBeyond GDP指標の策定を合意事項の一つとした「未来のための協定」が採択されます。それを遡った2003年のG7広島サミットでも、現下の資本主義の経済指標であるGDPでは、各種の格差や分断、ウェルビーイング、地球環境への負荷等は十分に捕捉できないことを課題視して「新しい資本主義の実現」を目指すための討議が以下のようになされました。「ウェルフェア(幸福)を追求する経済政策」が目標とされ提唱され、「幸福はGDP(経済成長)に代わる『豊かさの新指標』として、世界において浸透し始めました」とあり、「自社の利益追求だけではなく、『商品やサービスを通じて、いかに顧客を幸せにしているか』『いかに従業員が幸せに働いているか』といった顧客や従業員の幸せを考慮した経営のあり方は、今後ますます求められていくと予想されます」とその確信が記されました。

たとえば、クォリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)という語彙があります。このQOLは、保健医療、社会福祉、看護介護の分野で、当事者が「より良く生きる」ことを意味して80年代半ばにイリノイ大学の看護学者だったリチャード・パワーズ等によって開発されたQLI(クォリティ・オブ・ライフ・インデックス 生命の質の数値評価での指数化)は、関西学院社会学部紀要第72号によれば、QOLは日本では「Life」の捉え方によってさまざまな解釈がされていると報告されています。日本障害者リハビリテーション協会顧問の上田敏氏は、❶生物レベルの「生命の質」、❷個人レベルの「生活の質」、❸社会レベルの「人生の質」と著書『リハビリテーションの医学』で分類していると記しています。私の個的な捉え方は、生活も人生も包含して社会経済的な意味で「いのちの質」と考えます。コマーシャルなどにQOLが盛んに使用されたバブル時代の90年代からそう考えています。そして、私はGDPに代わる指標として、このQLIを国民の生活文脈を客観的に俯瞰できる指数として活用できないかと考えています。パワーズは、「より良く生きる」ことを意味するQOLを、個人が自分の生活や人生に充実感や満足感を持つことを指し、身体的、精神的、社会的な側面を含む多面的な概念として定義しています。QOLIを「いのちの質」の担保されている社会環境と定義することで、私はこの指標を応用することで、「Well-beingの指標化」の里程標を獲得できるのではと考えています。ジャック・アタリは「世界の社会経済システムを考え直さないといけない。第2次世界大戦後から続くシステムは異なる立場の人を包み込めず、環境破壊も引き起こしている。持続性に乏しく、もはや時代遅れとなった。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきだ」、「気候変動など地球規模の課題に直面しているいま」、「ほとんどの人々は刹那的に暮らし、危機を直視していないようだ」と日本経済新聞のインタビューに答えています。(2020年6月4日朝刊) 日経新聞の記事掲載日から推測すると、おそらくアタリはパンデミック後のパラダイムチェンジを著わす『命の経済』の執筆は始まっていたのではと考えられます。「命の価値を経済にいかに組み込むか」が近い将来に再び人類を危機に陥れる状況からまぬがれるために必要に迫られている、とのパンデミックの渦中でアタリが体感した使命感が『命の経済』の行間からは滲んでいます。「新型コロナ以前の社会・経済には戻らない」というのは、それまで営々と信じ込まれてきた経済成長至上のGDPの目くらまし根源である「死の経済」から逃れないと、ふたたび地球を襲うと予想されるパンデミックは人類の滅亡を招きかねないと主張しています。健康、医療、福祉、教育、研究、疾病予防、衛生、食糧、農業、再生可能エネルギー、エコロジー、都市インフラ、流通、安全、民主主義等によって組み上げられる「命の経済」へと、いまこそパラダイム・チェンジすべきと言い放ったのはまさしくと慧眼だったと言えます。「地球温暖化」による永久凍土や氷河の融解と「過度の開発による森林伐採」によって未知のウイルスが出現して今後も繰り返されるだろうと言われているパンデミック、最近ではAIによって予防ワクチンの開発が困難なウィルスは合成可能とも言われています。私たちは、たとえば医療予算、福祉予算等の膨大化を社会コストが他の予算を圧迫していると見ていないだろうか。「コスト」とは、負担を意味していることを忘れていないだろうか。「死の経済」を優先させて「命の経済」を相対的に軽視してはいないだろうか。それを「常識」としてはいないだろうか。「刹那的な『死の経済』を、共生を重んじ、将来を見据えた『命の経済』へ転換させることはできる」と語るアタリの現状認識を、私たちはコロナ禍の経験値から楽天的であると非難できるだろうか。命と経済成長が、いままで身を委ねてきた経済成長至上の経済と根源的に相容れないものとの認識に至れるだろうか。私たちは歴史の転換点で「試されている」のです。

資本主義の行き詰まりの処方箋としての歴史的論文。

ハーバート・ビジネスレビューの2011年6月号に、その後の企業経営の在り方を一変させて、急速に世界中に拡がる論文が発表されます。競争優位の経営戦略研究の世界的権威マイケル・ポーターと社会貢献コンサルタントのマイク・クラマーによる『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』です。従来はトレードオフ(二律背反)との「常識」にあった経済的利益と社会課題解決を一体的にともに追求し、かつ両者の間に相乗効果を生み出して経済的利益を増大する試みに向かうという大転換をもたらした歴史的且つ記念碑的論文です。私は県立宮城大学に招かれる前は、早稲田大学の講師をしており、主たる研究分野は演劇というパフォーマンスと向き合って、その構造を読み解く演劇評論家及び舞台評を生業としていました。したがって、まったく「経営」には関心は向いておらず、マイケル・ポーターが何者か、どのような研究をしていて、どれほどの業績の持ち主かの知識とも無縁でした。彼のことを知ったのは、ゼミの院生と学部生のなかにマイケル・ポーターの熱心な読者がいて、ゼミ生の関心が何処を向いているのかを知るためにポーターの代表著作『競争優位の戦略』を取り寄せて読んだのが最初のポーター体験でした。

この『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』が発表されるやいなや燎原の炎の如く瞬く間に企業経営の事業者の在り方の針を大きく揺さ振りました。その大きな振幅の背景には、米国・ビジネス・ラウンドテーブル(BR)が2019年8月19日に発表した「企業の目的に関する声明」(Statement on Corporate Governance)があります。それは次のように締めくくられていました。「どのステークホルダーも不可欠な存在である。私たちは会社、コミュニティと国家の成功のために、その全員に価値をもたらすことを約束する」と、新自由主義の「株主資本主義」から本来の「ステークホルダー資本主義」に回帰する強い意志が、そこには書き記されていました。資本主義が本来依って立つべき健全な軌道から逸脱してしまったために、その歪みが社会に富の偏在・独占と格差の拡大をもたらして社会それ自体の機能不全と劣化という病理の起因となった、という現状認識が此処にはあります。遅きに失したとの感想はありますが、新自由主義経済思想の発祥地である米国の主要企業が名を連ねる財界ロビー団体の企業トップ181人が署名した声明だけに、世界中の企業家たちの危機感が滲み出ていると、初見で私は感じました。それだけに『Creating Shared Value』の指し示す「経済的価値」と「社会的価値」は、トレードオフでは決してなく、その相乗効果で価値を飛躍的に増大させるとの言説は、枯草に火を放つように燃え広がったと私は理解しています。それによって、私はマーケティングも大きな転換が必然となったと考えています。それは一見、利潤の最大化という「数量の信仰」のマネジリアル・マーケティングからの大転換のように感じられますが、そもそも企業や事業体が生み出す製品サービスは、社会と個人の抱えている「課題解決」のために研究開発されて生産されているのであり、そのビジョンとミッションを果たせなければ市場からの撤退を余儀なくされます。

マイケル・ポーターとマイク・クラマーによる『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』の骨格は、松下幸之助翁の「企業は社会の公器」と同じ発想によるものであり、企業は経営者や株主だけのものではなく、社会全体のために役立つ存在であるべきだという考えを表す言葉で、「経済的価値」と「社会的価値」の等価性はここでも言われています。また、渋沢栄一の「士魂商才」は、高い道徳心を土台にして、商売や経営の才能を社会のために使うことです。渋沢の『論語と算盤』は彼の講演をまとめた一冊ですが、その中で渋沢は道徳と利益は対立するものではなく、両立させるべきだという考えを強調しています。こうして見てくると、企業家精神は一つの定型を持っていると思います。社会課題を解決するために、製品やサービスをそのような社会に供給する社会的存在が企業・事業体の存在価値との基本定型に集約されるのではとの思いに辿り着きます。企業、社会機関、NPO等の経営の基本定型が仮にこれであるとするなら、社会的価値のマーケティングにおける重要性がおのずと高度化します。最近来日したフィンランドの前首相サンナ・マリンの2020年の新年へ向けてのコメントだった「社会の強さは、最も裕福な人たち持つ富ではなく、最も弱い立場の市民たちがどう生活できるかによってはかられます。私たちはすべての人が尊厳のある人生を送れるのかどうかを問わなくてはならない」を想起します。「Well-beingな社会」は、このコメントに要約されると私は信じています。あわせて、アーラの館長時代に清瀬市の児童養護施設で施設長との会話で聞いた次のようなエピソードが重なります。「施設の子は一人で頑張らなきゃならない」と彼がふと呟いた言葉です。相談できる大人がいないという「不在と不信」というつながりの喪失がどのような結果をもたらすかの考察です。児童養護施設を出た人間の生活保護率が一般の19倍にものぼるのが「つながりの喪失」の結果なのです。Well-beingな社会の大前提には、私はあくまでも他者存在を必要とする「Social Well-being」を十分条件でなければないと思っています。

競争優位の経営戦略研究の世界的権威マイケル・ポーターと社会貢献コンサルタントのマイク・クラマーによる『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』が「数量の信仰」のマネジリアル・マーケティングからの経営手法の急速な大転換を社会化したことを考えていて、私はあのWYOの「異様な賑わい」現象の塊が私の裡でゆっくりと氷解していくのを感じていました。あの劇場内の打ち解けた空気、みずから選択した自由、類似する価値観の共有らよってもたらされる心理的安心感があの空気を醸成しており、演劇愛好者でもないのに何故と当初に感じ取った私の方が間違っていたのだと気付いたのです。

マイケル・ポーターと社マイク・クラマーによる「ハーバード・ビジネスレビュー」に掲載された論文『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』がマーケティングに大転換をもたらしたと書きましたが、それは直接的には社会的評価が外部経済性を生むことで経済的利益とのあいだに相乗効果という化学反応を起こす経営環境の変化がその第一です。この社会的価値を社会心理的価値と言い換えても良いでしょう。それらの価値総体はマーケットを形成するファクターなり、時代を画するイノベーションとなるのです。市場は「取引の場」から「取組の場」に変質したと言えます。この変化は、あわせてGDP信仰への疑義をもたらしました。

チケット販売による収支均衡だけが課題の劇場経営をイノベーションする。

私は2008年に「社会包摂型劇場経営」を標榜して可児市文化創造センターalaの館長に就任しましたが、現下の「全員参加の花盛りのWell-being」と比較して、「社会包摂」という語彙は芸術関連業界にあってもネガティブに捉えられて「どのような経営戦略を考えているか意味不明」とさえ言われました。面と向かって「社会包摂は流行り言葉」とも、現在でも公共劇場の統括団体の幹部となっている同業者から言い放たれたこともありました。社会政策用語である「社会包摂」と常識的には異質な「劇場経営」を融合させているのですから、常識の範囲でものを考える人間には理解不能だとは思います。これは、宮城大学事業構想学部・大学院研究科に教員として在籍していた頃、専門分野であるマーケティングを軸に据えた機関経営を考えていましが、日本で一般的になっている「アーツマネジメントの狭隘さ」に苦悶していた時にシュンペーターが、1912年に発表した『経済発展の理論』の中で「新結合」(new combination)という言葉を使って「イノベーション」の概念を提唱したことを知りました。シュンペーターのイノベーションの概念である「新結合」(new combination)とは、「従来の常識では組み合わせたことのない要素を組み合わせることによって、新たな価値を創造すること」と一義的には定義すべきで、いわば「思い込み」や「常識」から離脱して、思いもよらぬものを結合させて「新しい価値を創造する」ことがイノベーションの基本だと、私は理解したのです。そして、この「社会包摂型劇場経営」への信認をマーケティングすることが、来館者を増やし、チケット販売数の増加を結果すること実感するのでした

●劇場経営を考える原点はWYPの異様な賑わい。

そもそも私が劇場経営を考える契機となったのは、既に述べましたが、98年に初訪問した英国・リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)の市民たちによる「異様」な賑わいで、この賑わいは何故起きているのかといういたって素朴な疑問を持ったのが出発点です。当時の日本は、ホール建設ラッシュの真只中で、大都市部からの買い公演による「自主事業」のない時はほぼ訪れる人はなく閑散としているのが劇場ホールの当たり前の光景でした。したがって、この時期に建設された公共文化施設には「ハコモノ主義」、「税金の無駄遣い」の誹りが浴びされていました。この時期の公立の劇場ホールには、「劇場経営」という語彙はありませんでした。私も「劇場経営」という語彙は決して書きませんでしたし、言うこともありませんでした。チラシの配布、ポスターの貼付、提携する放送局、新聞社事業部のスポット広告に頼る広報宣伝ではとても現代的なマーケティングとは言えず、「現代経営」と私には思えませんでした。せいぜい「運営」にとどめておくという収支至上主義が一般的であり、収支は赤字決算が常識となっていました。その数値を主管している部署の職員がチェックするのですが、彼らにもマネジメントやマーケティングの見識はありませんから、「評価」と言っても単なるチェックでしかありませんでした。それだけにWYPの市民たちによる、しかも午前中からの賑わいが、私の目にはとても尋常ではなく「異様」に映ったのです。私の関心は、事前学習で認識していた「年間1000の包摂型コミュニティプログラムに20万の市民がアクセス」がWYPの賑わいを生み出しているのではとの誤った方向に向かっていました。「社会包摂型劇場経営」と「アーラまち元気プロジェクト」の原型はそこにあります。

また、WYPを初訪問する前年に、「社会など存在しない。あるのは個人と家族だけ」という自己責任論を掲げ、金融ビッグバンを推し進め、福祉や教育資金を削減し、通貨(ポンド)を強くして新自由主義政策を推し進めておよそ12年続いたサッチャー政権に代わって、労働党のトニー・ブレア政権が「ニュー・レイバー」と呼ばれた政策展開に大きく舵を切っていました。サッチャーの新自由主義でもなく、かつての労働党の大きな政府、社会保障肥大化政策でもない、「第三の道」を掲げて新政策を実行に移していました。余談になりますが、サッチャー政権下で国営の炭鉱産業が多く存在した北部イングランドと英国南部との地域格差も拡がったと言われています。サッチャー政権の新自由主義政策は、格差社会を生み出して、国民生活の将来に翳を落とすことになります。WYPでのヒヤリングで、「なぜこんなに多くの包摂型のコミュニティプログラムを実施しているのか」と質問したところ、アーツデベロップメント部のエグゼクティブだったサム・パーキンスは、「将来的な社会不安を回避するため」とキッパリと答えていました。「将来の社会不安」がどのような事態を指すのかを当時の私はにわかに了解できませんでした。サッチャーの置き土産で当時の英国社会にどのような翳を落とし、どのような分岐点にあったのかの実感できなかったのです。

トニー・ブレアは、内閣府内にソーシャルエクスクルージョン・ユニット(社会的排除対策室)を設けます。その意味と役割を理解することがWYPの価値を深掘りするだろうと直感しました。そして、ブレア政権のブレーンを務めた社会学者アンソニー・ギデンスの『第三の道-効率と公正の新たな同盟』がWYPを訪ねて受けたインパクトのさめない翌年に日本でも発刊されて、その中で提起されていた「積極的福祉」(Positive Welfare)の概念に遭遇しました。そこでギデンスは、①「福祉とは、もともと経済的概念ではなく、満足すべき生活状態をあらわす心理的概念である。したがって、経済的給付や優遇措置だけでは福祉は達成できない」とあり、②「福祉のための諸制度は、経済的ベネフィットだけではなく、心理的なベネフィットを増進することも心がけなければならない」と明快に言い切っていました。この文言総体がポジティブ・ウェルフェアの定義ですが、①は明らかに政治・行政の役割ですが、②は、当事者が生活実感の過程で人間が獲得する経済的給付や優遇措置の制度に働きかけて修正や調整を実現する能力と規定できます。そして、この機能こそが、ギデンスの「構造化理論」と「再帰性」であり、この②こそが、当事者の日常生活に寄り添い伴走する劇場の社会的役割だと私には思えます。

このポジティブ・ウェルフェアの定義が、ギデンスの「構造化理論」と「再帰性」を如実に表していると私は確信しました。社会の構造が個人の行動を決定するとする「構造主義」と、国民個々人の意志が社会を創造するとの社会学における対立を止揚して統合するギデンスの理論です。弱者を手当て(ネガティブウェルフェア、依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を支援(ポジティブウェルフェア、自立型福祉)する当事者の生きるモチベーションを信認するのがギデンスの姿勢であり、社会の捉え方と言えます。このギデンスの定義を突き詰めた先に「あの異様で、不思議な賑わい」の理屈があるのではと直観しましたが、その直観にロジカル・エビデンスを突合させて戦略的確信に転換するのに館長職を辞するまでの13年間も掛かりました。WYPの量的供給には到底かなわないが、少しでも近付けるように包摂型のワークショップ、アウトリーチを重ねることが、当面のアーラの目標となりました。

「人間の家」の事業定義が劇場のポテンシャルを広げ、可能性と潜在力を無限大に。

包摂型のワークショップやアウトリーチ、市民同士のつながりを構築する機会の提供を企図した「アーラまち元気プロジェクト」は、初年度年間267回で動き始めました。退任時には年間530回を超えるまでになっていました。

私はこの「アーラまち元気プロジェクト」をアーラのマーケティングするための主軸に位置づけていました。大学の教員時代の専門領域は、マーケティングとアーツマネジメントでしたから、セオドア・レビットの歴史的論文である、1960年の『マーケティング近視眼』が提起した「事業定義の如何が企業に隆盛も衰弱ももたらす」との見解は劇場経営の柱の一つでした。あわせて、私は90年代初めに慶應義塾大学教授の井関利明先生のリレーションシップマーケティングに出会い、私淑して事ある毎にご指導を受けていましたから、マーケティングとは「関係づくり」との理解がゆるぎなく根幹にあります。私のマーケティング理論のベースはこの二人のマーケティング理論に依拠して展開されています。さらに、宮城大学に籍を移してから、舞台芸術の商品サービス特性である生産と消費の同時性(共同生産性 不可分性)からくる制約から逃れえないためにブランディングが最重要となることを、レビットが81年にハーバート・ビジネスレビューに発表した『無形性のマーケティング』を大切な教本としました。それらの私のマーケティングの基盤によってアーラの事業定義は「人間の家」となり、「社会包摂型劇場経営」をアーラの社会的価値としてマーケティングするという経営戦略を組み立てることになったのです。

あわせて、阪神淡路大震災の折に、仮設住宅のコミュニティ形成と子どもの心のケアを目的に神戸で組成した神戸シアターワークスの活動をしながら読んだ慶応大学のサービス経済学の井原高忠先生の『愛は経済社会を変える』にある「親密圏」と「身内意識」という語彙が不意に脳裏を過りました。震災後の子どもたちの「赤ちゃん帰り」と「粗暴さ」が社会問題となって、そのトラウマに囚われているのは「自分だけではない」と仲間同士で確認する機会を持たなければ生涯のトラウマになるとの危惧と、当時の仮設住宅への入居は高齢者、障がい者、生活困難者を優先させて、彼らを支えていたコミュニティとの関係配慮が皆無であったために、入居者が孤立して多くの孤独死が顕在化も大きな社会問題となっていました。その課題解決の一助となればと読んだのが井原先生の『愛は経済社会を変える』でした。それを具体的にどう評価するかを定めた「指標(案)整理表」を眺めてみると、「事業の数」や「鑑賞活動への参加割合」「市場の成長率」といった、数えやすいマクロな定量的な数字が多く並んでいます。計画の本文で謳われている「Well-being」という概念や、その質的な変化に見合う評価項目はありませんでした。

現場と政策のギャップをどう埋めるか

そのギャップは測定の基準の差異によって生じているものであり、短時間の感情を短時間の変化として捉えているのと、持続継続的な中長期の社会との関係の中での存在の安定感から来る「生命維持装置としてのコミュニティ」の一員になると捉えるかでは、おのずと大きなギャップが生じてしまいます。宮城大学教員時代の2年次の文化事例のシラバスに「まちづくりに文化芸術を活用する事例は、90年代半ばから全国各地で参加になっており、資本主義社会の高度化により従来型のコミュニティが崩壊した21世紀にあって、『文化のまちづくり』は、知縁型コミュニティを形成するための施策としてその社会的要請は強まるばかりである」と書いていました。ピーター・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』(1993年)にある「地縁血縁から知縁」への移行こそが資本主義の行き詰まりからくる閉塞感の解決策であると私は考え続けています。「知縁」とは、選択的な「つながり」であり、同時に出入り自由なコミュニティです。「地縁血縁」に換わるものとして「知縁」というつながりの概念と機能が社会的に求められ、その影響力が強くなるとドラッカーは明言しています。ドラッカーの研究者によれば、専門知の発展による「知識社会」がポスト資本主義には招来することを前提とする概念であるとして、「家族集団などが扱う知識は念頭にない」と評価しています。しかし、私はこの「知縁」の範囲には、いわゆる「専門的な知識」だけではなく、日々の営みの中で育まれる「生活知」や「経験知」や「意見・主張・意識・趣味・共通感覚」をも含まれている、と考えています。それらも包括してこその「知縁=つながりの多様性」と考えるのが当然の理であり、解読知であり、社会観察学者のドラッカーにとってはごく自然に行き着く社会観ではないかと確信しています。それらを共有してこその「生命維持装置としてのコミュニティであり、相互扶助の共生のつながり」であり、その前提にはデニス・ガボールの「成熟社会の定義」である「成熟社会は量的拡大のみを追求する経済成長が限界に至り、きわめて困難となり、そして終息に向かうなかで、精神的な豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会」が希求されると符合します。この希求されるコミュニティと井原先生の『愛は経済社会を変える』で提言した「親密圏」と「身内意識」の緩やかなつながりが私の中で重なったのです。地縁血縁のように強固な制約がなく、自由が束縛されるコミュニティではなく、出入りさえ自由な緩やかなコミュニティであり、「精神的な豊かさや生活の質の向上」を担保する親密圏に、私はあのWYPの「異様な賑わい」が重なったのです。しかし、それはその時点での直観でしかありません。その「直観」に従って、社会包摂に依拠する経営を推し進めようとする私たちのできることは、誰かと誰かがつながる機会を、言葉を代えれば「つながりのプラットフォーム」を用意することと思いました。そのためにアーラがその「プラットフォームづくり」に専心することだと考えました。そうなれて初めて「人間の家」になる、と思いました。ただ、せっかくの触媒になる機会なのに最近の調査では「相談相手がAIと答える」人間が予想よりも多く、正直戸惑っています。それでも自分の「直観」を信じて経営を進めてきた私にとって、その「直観」が確信となって、社会的価値となって、その価値をマーケティングする経営戦略とする確信を持てるためには、2011年のマイケル・ポーターとマイク・ハマーの歴史的論文『Creating Sheard Value』まで数年間待つことになります。

●未来に何を遺すかが、時代の分岐点で私たちに問われている。

私はこの「知縁」の範囲には、いわゆる「専門的な知識」だけではなく、日々の営みの中で育まれる「生活知」や「経験知」や「意見・主張・意識・趣味・共通感覚」をも含まれていると考えています。それらも包括してこその「知縁=つながりの多様性」と考えるのが当然の理であり、解読知であり、社会観察学者のドラッカーにとってはごく自然に行き着く社会観ではないかと確信しています。それらを共有してこその「生命維持装置としてのコミュニティであり、つながり」であり、その前提にはデニス・ガボールの「成熟社会の定義」である「成熟社会は量的拡大のみを追求する経済成長が限界に至り、きわめて困難となり、そして終息に向かうなかで、精神的な豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会」と、前後して発出されたスイスに本部を置く民間シンクタンク「ローマクラブ」最初の報告書『成長の限界』があると推察しています。いわく「私たちが団結できる共通の敵を探す中で、公害、地球温暖化の脅威、水不足、飢饉などが当てはまるのではないかと考えた。(中略)これらの危険はすべて、自然のプロセスへの人間の介入によって引き起こされたものであり、それを克服することができるのは、態度や行動を変えることによってのみである。真の敵は人類それ自身である」としていて、「成熟社会」の行き着く先は共通しています。そして、ドラッカーの「予言」したポスト資本主義では、資本に替わり社会心理的な価値をも含めた「価値総体」が社会を主導するようになると記しています。私は、2018年のノーベル生理学・医学賞で顕彰された本庶祐先生の至言である 「幸福とは何かが充たされている状態ではなく、不満や不安がない状態」はアーラが提唱して全国に拡散している社会包摂よりも広い概念であり、「Well-beingに包含される社会概念」と私は捉えています。また、劇場人として、将来の、人間を中心に据えた社会づくりに、文化芸術と劇場音楽堂等がどのように関わり、潜在する機能をまっとうできるかを、そして外部環境の変化にともなって経営の舳先を何処に向けて切るべきか、どのように人間の尊厳とウェルビーイング(健康と幸福)の実現に投資する文化政策を構築すべきかを今後も考え続けていきたいと、80歳の傘寿を目前にして思っています。さらに、ジャック・アタリがコロナ禍で発した「vital industry」(生命に関わるきわめて重要な産業)として劇場音楽堂と芸術団体を再定義するための戦術的選択肢である、と私は位置づけています。コロナ禍で明らかになった「不完全な社会」は、変化させようとする私たちの不断の苦闘を永続的に続けることなしには、決して克服できないと思います。

                       

一覧へ戻る