Essay

エッセイ・連載

第27回 『あんぱん』からの学び-時代の空気とマーケティングの要諦。

2021- 「人間の家」の劇場経営をナビゲートする。

2025 年 10 月 15 日 (水)

劇場経営・文化政策アナリスト 早稲田大学文化推進部参与 衛 紀生

我が家のこの1年のルーティンは、午前7時30分からNHKBSで朝の連続ドラマを観てベッドからリビングに出て、コーヒーミルでフレンチブレンドの豆をひいてモーニングコーヒーを淹れるのが朝の流れになっています。『虎と翼』、『あんぱん』は、ともに当時の社会への批評性があって、私も妻も好みのドラマなので会話の潤滑油としても欠かせません。私には横になってからいろいろと思い付く癖のようなものがあって、携帯のメモにベッドの中で忘備録のように打ち込み、それでも気が済まないと夜中に起きてPCを立ち上げて作業したりします。新著を書き下ろしていた2年半は、それが習い性になっていました。エアコンは24時間つけっぱなしなので冬でも夏でも快適です。オール電化にして、屋上に太陽光パネルを設置してあって、原発と化石燃料の電気にはなるべくは頼らない考えでしたので、エアコンを24時間稼働させていても電気代は10000円超です。3年前に冬の嵐で雨水が蓄電池に入っておよそ1か月間は普通電力のみに切り替えられた時は、電気の使用量が高止まって32000円強となりましたが、売電料金も加えると現在は10000円弱ですので、心身ともに快適な朝を過ごしています。

太陽光パネルを設置して初めて気付いたことですが、雨天でも曇天でも、光があればある程度の光が地上に届いていればインジケーターは発電蓄電で動作しています。「太陽光」は誤解の下ではないかと思っています。正確には「光発電」と言うべきと思います。自給率12.1%とエネルギー資源の乏しい日本では、再生エネルギーにもっと投資すべきと考えますが、宇沢先生の提唱する社会的共通資本の三本柱の一つである自然資本である森林や山野や湿原を破壊して太陽光パネルを大量に設置する乱開発に、私は絶対に反対です。自然破壊は短期間で復元できない絶対的損失だからです。風力発電は、陸上設置だと低周波音による健康被害があり、漁業への悪影響が限りなく抑制できる浮体式洋上風力発電が再生可能エネルギーのベストチョイスではないでしょうか。「太陽光発電」もペロブスカイト太陽電池が近い将来改良されれば、設置場所が無限に近く、デメリットも最少化できるので、近年の異常気象下で人間の生活環境を整える意味で期待して良いのではないでしょうか。

閑話休題。昭和4年に亡父母が、当時まだ開発されていなかった下北沢に移転して建てた木造住宅は87年を経ていて、様々な家族の記憶を断ち切って3階建ての鉄筋コンクリートの賃貸マンションにして、生まれてこの方軒の接していて光の入らない居住空間で育った私は3階を自宅にしました。館長を辞する前の3年くらいは、今年の夏は酷暑となると報道があると、「この夏は乗り切れるだろうか」とその度に考えていました。そんな時に妻からのメールに「ここはリゾートのよう」と書いてありました。そんな大袈裟なことをと都度思っていたのですが、確かに自宅にいるかぎりは避暑地に滞在している環境であることは間違いないです。熱帯夜で寝付けないは皆無ですし、体力を減衰させる灼熱の夏でも自分の思考回路を呪縛している常識に囚われず考えを巡らせる余白はあります。今となって「確かにリゾートだな」だと得心している次第です。

走ってばかりの「ハチキン」と呼ばれる「のぶ」と転校生で気弱な「たかし」の前半の戦争を挟んだ物語もおもしろく観たが、私が興味深く惹き込まれたのは、二人が東京に出て来てからの展開でした。ともに何があっても「逆転しない正義」を希求しているいるのですが、たかしは漫画家仲間からは「ファイティング柳井」と呼ばれるほど漫画以外の仕事を「来るもの拒まず」で何でも引き受けて、ようやく糊塗をぬぐう生活をしています。「ファイティング」は当時の世界フライ級チャンピオンのファイティング原田から来ているあだ名で、一発で相手をマットに沈めるパンチはないが、手数の多さで相手を圧倒するボクシングスタイルから来ています。そのプロセスで、「アンパンマン」のキャラクターを生み出すものの、まったく世間からは受け入れられないというジレンマの中でたかしとのぶは日々を懸命に過ごしています。私も父母を看取った頃の30歳代前半は、明治生命保険のPR誌に「おふくろの味」という見開き2ページの、ショートストーリーと料理のレシピを2年以上連載していましたし、『BRUTUS』とい平凡出版の男性向け雑誌や森英恵さんのファッション誌『流行通信』に無署名の駄文雑文を度々書いていました。下北沢にアーチストやその予備軍が集まる朝まで飲めるスナックがあって、飲み友達に東京藝大のデザインを卒業した男がいて、「朝日新聞からの依頼があったが、断った」と話していて、なぜそんなもったいないことをと話を返すと「次にはもっと良い条件の仕事が来る」と返事が返ってきたことがありました。駄文雑文を書くだけでは欲しい本を買えないことがその頃の私の最大の問題でした。ゴルフとか麻雀とかの金のかかる趣味とは無縁でしたが、唯一の楽しみは早稲田や神田の古書店を見て歩くことで、読みたいと思ったらすぐに自分のものに出来ないことに我慢できないで、六本木から溜池方面に坂を下ったところにあった「よいどれ伯爵」というクラブのマスターをしたりもしていました。ほぼ同時期には、知り合いの経営している広告プロダクションで、アートディレクターやコピーライターの仕事も請け負っていて、JALの「行動・感動・北海道キャンペーン」や「カワサキオートバイ」や「ヤマギワ電機」の広告の仕事をしていました。「衛紀生」で演劇雑誌に劇評連載をしているにもかかわらずにで、まさしく私も「ファイティング紀生」だったわけです。

私はよく「時代環境の変化」という言辞を慣用句のように使いますが、アンパンマンが70年代まで世間から評価されず、誰にも見向きもされずに受け容れられなかったのには、この「時代環境」があったと私は思っています。「時代の環境」とは「時代の空気」とでも言い換えられるマーケティング戦略をデザインする際にとても重要な視座のことです。いわば、経営の最要点と言えます。直近では、国際協力機構(JICA)がアフリカ諸国との人的交流事業「ホームタウン構想」を発表して、一部の国民から批判を受けた事例も、私は「時代の空気」のなせる現状維持バイアスだと思っています。オリンピック当時にはヨーロッパは難民問題で大揺れだったのですが、当時は対岸の火事としか見ていなかった日本人が、参議院選での参政党の大躍進を機に「外国人問題」を政治のメインアジェンダに押し上げているのです。その背景には人権にも抵触するほどの格差の拡大があります。「ホームタウン構想」に反対するデモに参加していた初老の婦人が「私たちの税金が外国人に使われているのは許せない」と答えているのを、私はブレグジットの折の英国内の空気と同じと思いました。今般の総裁選でも、前回とは違って「外国人問題」が重要な政策として取り上げられています。まさしく「時代の空気」なのです。その空気を読まないで「ホームタウン構想」を立ち上げるのは、邪気はないにしてもマーケテイング戦略的には不適当であり、不穏当だと私は思います。「時代の機運」と言い換えても良いでしょう。あるいは、「時代の気分」とでも、あからさまに表せば「機運が満ちた」でしょうか。私がアーラの職員たちに常に言っていた「政治・経済・社会の動きにアンテナを張っておくように」というのは、その空気をいち早く感じ取ることがマネジメント(経営)を考えるうえでの第一歩だからです。「企業組織の社会的責任経営」(CSR)から2011年のマイケル・ポーターとマイク・クラマーによって「ハーバード・ビジネスレビュー」に発表された論文『Creating Shared Value(共創価値創造の戦略)』により、従来は「芸術的価値」と「社会的価値」はトレードオフ(二律背反)とされていた「常識」をブレイクスルーして、企業組織の使命は利潤の最大化とともに社会課題解決にあるとの再定義が、「CSV経営」という企業のイノベーティブな社会的存在価値を登場させることになりました。私のマーケティング研究で、「顧客満足度から顧客幸福度への移行」と「HappinessよりWell-being」を希求する社会の空気、あるいは「Ethical human network(親密圏)としての公共劇場というプラットフォーム」へのマーケット・イノベーションも、時代の環境変化によって、近年は強い追い風を受けている実感があります。

『あんぱん』に話題に戻せば、高度成長期の空気の残滓がまだ残っている時代に「アンパンマン」の自己犠牲というテーマは受け容れられるはずもない、と私は思いました。「アンパンマン」が世に受け容れられるためには、まず意思決定をする大人によって受容されなければならず、そのプロセスを経て子供に届くからです。高度成長期は欲望を満たすことが生きる意味となっていて、その欲求が拡張して、しかも存分に充たされていた時代です。GDP信仰が各層各世代で拡がった時代環境にあったと言えます。アンパンマンのモチーフは時代が受け容れるはずもないのです。それが大逆転したのは、『それいけ!アンパンマン』が1988年秋テレビアニメ化されて放映されたことによります。時はまさに「バブル」の真っ只中です。アンパンマンが受け入れられなかった70年代とどう違っていたのだろうか考えてみました。「バブル」とは言うものの、社会全体が好景気で浮ついていたという実感はありません。地価が上がり続ける「土地本位制」が病的に蔓延していたわけで、土地という不動資産を所有している者や、企業が土地を買い漁って資産を増やし、それを担保として借り入れを起こして将来的に生産能力を増加させるために設備投資を活発に行っていた時代です。不動産は将来にわたって、当時の常識では永遠に値上がりを続けると信じられていたので、高度成長期のように、国民の給与手取りが毎年10%強伸びて「成長実感」は地に足のついたものだったのですが、「バブル期」には国民にその実感は乏しく、根拠のない「土地神話」に便乗した浮ついた高揚感でしかありませんでした。70年代とは実態も実情も懸け離れていたと、その空気の中にいた者として振り返ります。そのような時代の空気のなかで『それいけ!アンパンマン』はテレビアニメ化されて、子供たちのあいだで一気にブレイクすることになります。

ここには、マーケティング思考の「ブランディング」の構造が隠されています。実在したか否かは分かりませんが、『あんぱん』に柳井家を訪れて迎えに出たのぶにいきなり「あんぱんまん」と言ってしまうテレビマンが登場します。「あんぱんまん」のことで頭がいっぱいで道すがら考え続けていたから、と言い訳をしますが、「浮ついた高揚感」に囲まれながらも、「アンパンマンのモチーフ」を正面から受け止めていた「大人」がいたのです。彼が子供たちとの懸け橋となって大ブレイクを用意するのです。さらにたかしは、ジャムおじさん、カレーパンまん、ばいきんまん、ドキンちゃん、おそうじトリオ、どんぶりまんトリオ等々、ギネス記録となっている1768ものキャラクターを次々と創り出します。商品サービスを顧客の求めに応じていくつかの顧客接点(コンタクト・ポイント)を設定するのがマーケティングの常道でしたが、南オーストラリア大学エレンバーグ・バス研究所のジェニー・ロマニウク教授によって提唱されたカテゴリー・エントリー・ポイント(CEP カテゴリー想起点)の観点から見れば、『それいけ!アンパンマン』のカテゴリーに1768ものエントリー・ポイントを設けたということで、子どもたちが「あんぱんまん」を思い出すきっかけとなる状況や目的や感情の入り口をそれだけ設けたということで、これは到底まねのできないマーケティングとブランディング手法です。大ブレイクするのは当然と言えば、当然なのです。マーケティングとブランディングは表裏をなす戦術であり、ともに人間の情動や社会の空気により強い影響力を与えるために一定程度のインパクト(衝撃)はとても重要な要素です。私はこれを人間や社会に与えるサプライズ(驚き・驚愕)と考えています。アーラが、いまからおよそ四半世紀前の2008年に掲げたアーツマネジメント(芸術経営)と社会政策用語の社会包摂をシュンペーターが『経済発展の理論』の中でイノベーションとして定義した「新結合」に従って掲げたのも、常識的には「ありえない」組み合わせによるサプライズから生じるより強いインパクトを企図したものでした。『それいけ!アンパンマン』も、やなせたかしの「誰かのために自分の犠牲をかえりみない精神」は、当時の浮かれた時代の空気にどっぷりと浸かっていた大人たちには理解を超えたもので、そのような空気と無関係な無垢な子どもたちにある意味限定的に刺さったのではないだろうか。大人たちにしてみれば、まさしくありえない「新結合」だったのではと私は想い起こします。

これはマーケティングやブランディングとは無関係ですが、『あんぱん』を最後まで観てつくづく思ったのは、いのちの終わりに誰と一緒にいたいのかが「結婚」の極言すれば究極の意味なのではないかという感想でした。「結」は文字通りつながるや共同体を意味する「ゆい」であり、「婚」の「昏」は、「日暮れ」や「夕暮れ」を意味するもので、私には「いのちの終わりに」と読めるのです。年齢のせいでしょうかね。

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