Special 「マイ・ラスト・ソング」小泉今日子インタビュー
恩師、久世光彦が残した「音楽と言葉」を伝えていくために
演出家として数々の名作ドラマを世に送り出し、作詞や小説を始め文筆家としても活躍した久世光彦(1935-2006)。彼が 年間にわたって雑誌で連載し(5冊の単行本にまとめられて刊行された)エッセイ『マイ・ラスト・ソング』の世界を、小泉今日子の朗読とシンガーソングライター・浜田真理子のピアノ&唄で受け継ぎ伝えるステージが、6月にアーラへ届けられる。
-人生最期の間際に、一曲だけ聴くことができるとしたら…というテーマでその歌にまつわる想いが綴られたテキストをもとに、昭和の歌謡曲やポップスから童謡まで様々な”ラスト・ソング”が登場するステージですね。2008年から各地で巡演されて好評を博してきました。
日本の歌謡史を掘り起こしてゆく過程で久世さんの本と出会ったプロデューサーの佐藤剛さんが「これ、今日子さんと真理子さんがいたらできると思ったんだよね…」って、あるコンサートの打ち上げの席で企画を提案してくださったのがきっかけ。私自身もお世話になった久世さんへの恩返しとして、彼の想いを後世に伝えるようなことが何かできないだろうかって考えていたので。
-久世さん演出による伝説のカルト・ドラマ『あとは寝るだけ』(1983年放送/テレビ朝日)に出演されて以来、たくさんお仕事を一緒にやられています。小泉さんにとって恩師のような存在だったとか。
例えばパンを持って走るシーンがあれば、ひとつ落としてそれを拾わせるとか、演技のなかにちょっとした”ひっかかり”をチャームとして入れる天才でした。ナレーションを撮ってる時にも「下手だなあ、家で新聞を声に出して読んで練習しなさい」って言われたり…役者としての演技についてだけでなく、FAXを送ったら漢字や言葉遣いを添削してくれたり、設定当時の時代背景や人々の所作だとか、役を通して人生のことをいろいろと教わりました。書評とか文章を書く仕事に繋げてくださったのも久世さんでした。
-エッセイは全部で119篇。日本人の愛する昭和の名曲がいっぱいです。
久世さんはドラマでも本当に歌のシーンが多かった…私も出演させていただいたおかげで自分が生まれてもない頃に流行した歌をどれだけ覚えたことか(笑)。彼がエッセイで書かなかったら出会えなかった名曲は数え切れません。でもうちの母が久世さんと同世代でいろんな曲を聴かせてくれたことと、音楽好きな姉が二人いたので、私も周りの同級生たちよりは昔の歌をよく知っているかもしれません。あと真理子さんも、実家のスナックのジュークボックスを聴いて育ったり、デビュー前にナイトクラブやバーでピアノの弾き語りをしてお客さんのリクエストをいっぱい覚えたらしく、世代を超えてたくさんの持ち歌があるので素敵です。
-毎回選曲も違うとか。今年はどんなステージになりそうですか。
できるだけその時に世の中で起こっている出来事を反映したいと思っていて、前回(2020年3月)世田谷パブリックシアターでの公演が「懐かしの水曜劇場編」と楽しい内容だったので、今回は少しシリアスな内容でやってみようかなって。ウクライナでの戦闘もずっと続いていますし、日本もあの太平洋戦争をリアルに体験している世代がこのままいなくなってしまったら、どうなるんだろうって最近よく考えるんです。久世さんが「小学唱歌」(単行本『みんな夢の中~マイ・ラスト・ソング2』収録)のところで書いている、終戦直後すし詰めの引揚船の中で、目に包帯をしたお婆さんが呟くように唄いだした〈朧月夜〉のエピソードなどを読むと、せめてそういう話を親世代から実際に聞かされた私たちには、それを若い世代にも繋げていく役目があるんじゃないかって思うのです。選曲についてはこれから、構成担当をお願いしている佐藤利明さん(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)と一緒に曲とテキストの両方の魅力からじっくり検討しますので、どうかご期待ください!
-朗読する際に特に心がけていることはありますか。
あまり私情を挟まないようにして、あくまでも久世さんの言葉を伝える”媒体”に徹するようにしています。それは真理子さんの唄も同じで、私たち二人して久世さんの想いを代弁する巫女さんというか…恐山のイタコのようなものですね(笑)。
-浜田真理子さんのピアノとサクソフォン奏者のMarinoさんの共演で紡がれる唄も凄く楽しみにしています!
Marinoさんと真理子さんの化学反応が最高です。 真理子さんのプレイはアレンジがカッコイイし、間奏に洋楽のフレーズを入れたりして洒落てるんです。よく知っているはずの唄も真理子さんが唄うと全然違う。彼女のことは1枚目のアルバムが出た時からの大ファンでずっと聴いてきましたが、この頃は昔より低音も豊かになってどんどん声の”ふところ”が大きくなってきた気がします。まるで聴く人みんなを浄化してしまう感じ。久世さんが真理子さんのことを知らずに逝ってしまったことだけが、心より残念でなりません。絶対に彼女のことが大好きになって自分のドラマでも使ったはずです。久世さんなら真理子さんの唄に触発されてどんな「マイ・ラスト・ソング」を書いたんだろうって、つい想像してしまうのです。
取材/東端哲也 撮影/中野建太 協力/フリーペーパーMEG