第81回 1年で消えた「東美濃」ナンバープレート導入構想
2018年10月25日
可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己
昨年10月、東濃5市と可児市及び御嵩町の6市1町の行政や商工関係団体は、「東美濃ナンバー実現協議会」を発足させました。これは、中津川市に駅が予定されているリニア中央新幹線開通も見据え、美濃地方の東に位置する地域で「東美濃」の呼称で何とか知名度を高めて観光や地域振興につなげるため、その旗印としてこの地域の車のナンバープレートを「岐阜」から「東美濃」に移行させようとする取り組みです。
岐阜県は、大きく分けると北部の飛騨地方と南部の美濃地方に2分されていることは天気予報等の区分で良く知られていることだと思います。この美濃地方は、さらに行政的な区分により、西濃、中濃、東濃に区分されており、この東濃地域の多治見市、中津川市、瑞浪市、恵那市、土岐市の5市が中濃に属する可児市と御嵩町を加えて「東美濃」として連携しようとしたものであり、多治見商工会議所会頭が会長職を務めておられます。
これまでの経緯を振り返ってみると、協議会設立後、チラシ、ポスター、のぼり旗等でPRをしつつ、1月に人口比率に応じた18歳以上の住民1万人と668事業者を無作為に抽出してアンケート調査を行いました。その結果は、住民では反対派が44.5%で賛成派の31.7%を上回り、一方事業者では逆に賛成が55.8%で反対の31.5%という結果となりました。同協議会では業界各種団体からの賛同書も加味し、事業者の結果を重視し、住民の反対も半数以下と認識し、県知事に導入を申し込む案を了承しました。 しかし、可児市の中では波紋が生じていました。可児市内では、市民対象で反対派が40.5%、賛成派が30.0%で、市内事業者対象でも反対が42.5%、賛成が32.9%と何れも反対派優勢の結果が出ました。これを受けて、即座に可児市議会は「多くの住民が反対しており、現時点でのナンバー導入の決定は適切ではない」として2月15日、同協議会からの脱退を宣言。可児市と可児市議会が相反する主張を行うこととなってしまいました。
このことが尾を引き、3月の可児市議会予算決算委員会において、市の執行部が提出した新年度一般会計予算案に計上した「東美濃ナンバー実現協議会への負担金」を削除する修正動議を提出。最終的に「東美濃」という言葉の普及、連携した観光振興のための観光パンフレットなど商工費の「印刷製本費」に置き換えて全体の歳出額には影響は生じなかったものの、可児市自体が協議会の中で協調して動くことに制限が加えられることとなりました。
こうして構成団体の足並みも揃わず、住民の理解がなかなか進まない中、住民への周知に一定期間を要するとして、同協議会は申請期限の延長を県に求め、国土交通省から特例的に、本来3月末が申請期限であったものを9月28日まで延期をしてもらえることとなりました。 これを受けて、可児市は6月議会に当初予算から一旦削除された「実現協議会への負担金300万円」を盛り込んだ一般会計補正予算案を上程し、可決されるとともに可児市議会の実現協議会への復帰も決まりました。
ただ、この朗報よりも少し前に遡って、実現協議会では1波乱あったようです。 新年度を迎え、4月に可児市議会議長及び予算の裏付けのない可児市長を除いて同協議会の会合が開かれ、新年度の活動計画や予算案について話し合われました。そして、ここで問題となったのは、住民の意向を再調査するアンケートを実施する予算が計上されていなかったことです。申請までの工程表を早く決定したい事務局側には、昨年のアンケート結果で反対派が50%を越えていないことをもとに、再アンケートは全く考えていなかったようです。 当然アンケートのみが全ての判断基準ではなく、総合的に判断して機運を高めていくという意見もあったようですが、やはり、賛成が半数以上という確証がなければ周知も進まないという指摘が強く反映し、再度の民意確認に傾いたようです。
9月28日の申請期限を前に9月1日から20日までをかけ、再度アンケート調査が行われました。今度は、選択肢に「どちらかと言えば・・・」とか「どちらでも良い」という曖昧なものを省き、前回と同じように市町の人口比率に応じて無作為に抽出した18歳以上の住民1万人を対象に行われました。 結果は、回収率が41.8%で、反対票が61.1%、賛成票が36.9%となり、最終的に住民の合意形成が図れていないと判断し、ご当地ナンバー「東美濃」の導入は断念せざるを得なくなってしまいました。
そもそも、この地域に馴染みの薄い「東美濃」という発想が生じたのでしょうか。 他ならぬ、本年4月から9月まで放映されたNHKの朝の連続テレビ小説『半分青い』に乗っかって、ということだと思われます。 「岐阜県東美濃市梟町」という架空の東濃地方の町と東京を舞台としたドラマで、実際のロケの中心となったのは、恵那市岩村町で、このドラマの影響で一躍注目されることとなり、東濃地方全体としてもそれにあやかろうといった発想ではなかったかと思われます。
このドラマの脚本家の北川悦吏子氏は、岐阜県美濃加茂市の出身で、私も通った高校の、おこがましいことではありますが、私の後輩に当たります。ご自身の生まれ育った町の様子や実際の体験も踏まえて書かれたこの作品ですが、可児市と美濃加茂市は隣同士で、東濃地域の恵那市とは少々離れていますが、ドラマの中の世界は、まさに我々が育ってきた環境に相通ずるものがあります。ヒロインの鈴愛(永野芽郁)と幼馴染の律(佐藤健)が過ごした県立朝露高等学校の中庭と体育館のシーンは本市の可児高等学校で撮影されました。ちなみに我々の母校である加茂高校では、弓道場のシーンが収録されました。このように身近な場所、身近な生活が、間接的ではあっても全国に紹介されることは、我々にとって非常に喜びであり、なぜか誇らしく感じるものです。この感覚が、「東美濃」を前面に出してお互いに連携していこうという動きに繋がっていったのだと思います。 ただ、住民の間で湧き上がり、議論が活発化して起こってきた話ではなく、行政や観光、経済の関係筋からまさに性急に推し進めようとして、上滑りしてしまった感があります。 渦中のメンバーからみれば、この好機を逃さず流れに乗って地域を盛り上げることができると信じて動いた訳で、このような結末を迎えようとは思ってもいなかったことでしょう。
一方結果から見れば、しかも反対票を投じた住民からみれば、周到な説明、議論もなく、単なる思い付き、尻馬に乗る的な行為に写るとともに、取り返しのつきにくい失敗であったと感じておられることでしょう。 当事者である自治体の職員である私がとやかく物申すことは、非常に僭越であり、適切ではないと言われるかもしれませんが、この1年間にこの事業のために協議会に負担金として支出された額は、7市町合わせて1,400万円と小額ではありません。 このうち、いかほどの金額が残っているかはわかりませんが、すでに支出された額を無駄にしないために、ナンバーにこだわらずとも、地域の連携を進め、何らかの形として目に見えてくるよう、努力をしていかねばならないと思います。
以上の出来事を「他山の石」的に見立てつつ・・・ アーラが開館して16年余となりますが、文化庁等からの補助金をいただいたり、運営の取り組みを評価いただいたりで“ala(アーラ)”の愛称は、全国的に見てもよく知られるようになって来ました。この知名度という点から言えば、私たちがずーっと愛着を持ってきたこの「可児市」という町の名前よりも高いところまで来ていると思います。 遠く離れた地で「可児市」を「かごし」や「かこし」あるいは「かじし」と読まれることは現在でも珍しくありません。必ずしも愛着の度合いと知名度は正比例の関係ではありませんが、互いに相乗効果を持ち合っていることは確かだと思います。 折も折、可児市役所では、市外向けの情報発信や市外在住者への文書には、 「可児市」にふりがなを付けるよう再確認したそうです。 私たちは、このアーラの役目をしっかり果たしていく過程の中で、「岐阜県可児市にある“ala(アーラ)”」、「“ala(アーラ)”のある岐阜県可児市」どちらも愛着を持って良く知っていただけたら幸せなことだと思います。