第71回 「可児モデル」をスケールアウトするために。

2016年11月16日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

全国公文協での事業活性化専門委員会で会った東京芸術劇場の高萩宏副館長から「可児のような地域劇場モデルを全国で何ヶ所もつくればよい」と言われた。まったくその通りであるし、2012年に「国の特別支援劇場音楽堂等」に採択されてからの講演と経営コンサルティングは90%強が、「アーラまち元気プロジェクト」(社会包摂プログラム)、「社会貢献型マーケティングによるステークホルダーからの支持者開発と、それに連動する鑑賞者開発、社会包摂型経営におけるOJTによる“やりがい”を梃子とした人材育成等のアーラの劇場経営手法」についてのものになっている。98年にはじめてウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)を訪れて、前年にそれまでの著作の一部をまとめた『芸術文化行政と地域社会―レジデントシアターへのデザイン』で構想したあるべき地域劇場の理想像とほとんど相似形の経営モデルに遭遇して、「こんな劇場が全国に10あったら、日本のウェル・ビーイングは劇場によって実現できる」と思って以来、北海道劇場計画においても、宮城大学・大学院の実践型のゼミにおいても、そして可児市文化創造センターalaで開館以来の運営とシステムをいったん破棄して180度変え、市民がまったく違う劇場と思うに違いない劇場経営に踏み込んだ時も、ブレることなくそのモデルの日本への移入と異なっている行政風土と文化環境への適応を研究し続け、現在もアーラは毎年少しずつ進化している。

したがって、高萩氏に言われるまでもなく「可児モデル」のスケールアウトは私の生き方なのであるが、時系列を輪切りにすれば地域劇場の状況は変化してきているのだが、そのスピードは牛歩のようだと言わざるを得ない。私に残されている時間を考えるとほとんど絶望的とさえ思う。特に一昨年に軽い脳梗塞を患い、その後1年半のあいだ投与される薬の副作用で体調が整わなかった時期には焦燥感にまとわりつかれていた。それでも昨年あたりから議会視察と議会研修に呼ばれることが急増しており、すでに述べたように修士論文と博士論文の研究対象にも多くなっている。確実に拡がりは感じているのだが、コトが急速に進まないのは、既存施設の財団も、新たに建設計画を持っている自治体も、意思決定に関わっている幹部職員が、「劇場音楽堂は鑑賞施設」、「観客をたくさん動員して収支の均衡を図る興行場」という「常識」の呪縛から自由になっていないからだと思っている。

私が可児市文化創造センターalaの館長兼劇場総監督に就任した時のようにゼロベースで考えられないのである。あるいは、建設計画の場合、既に設計図の線を引いてしまってから私を呼んで話を聞くという順序が逆の作業過程を踏んでしまっているからである。既存施設も自治体も、いずれも若い職員は柔軟にゼロベースから経営計画を前提として劇場のハードの活用手法に考えに至っているのだが、意思決定に関わる幹部職員の「常識の呪縛からの自由」が壁になってしまっている。それが、「あそこは特別」という言い方となる。これは急激な変化から保身を図るための言い訳にすぎない。大都市圏の公立劇場が民間の劇場と差別化できないで同じ土俵に上がって「経営腐心」しているのも「地域は特別」という意識が邪魔をしているからだと私は思っている。「地域」と「都市部」の異なる特殊性はあり、その外部環境に適応する経営手法を編み出すべきと考えるが、税金で設置し運営しているという根本と原点に立ちかえれば差別化への展望は拓けると私は確信している。「常識の呪縛からの自由」という「変化」は、外部からの圧力で起きるはずもない。自発的に「変わろう」、「変えよう」という意志がなければ起こらないのだから、「変化」が牛歩のようなのは致し方ないと言えば、致し方ないのだ。

それでも議会からの視察と研修会講演が急増していることは好ましい影響をもたらす兆候であると私は思っている。また、氷見市、苫小牧市のように、それぞれ本川祐治郎市長、岩倉博文市長のように進取の精神で劇場を構想する人物がいらっしゃることや、第三次基本方針、劇場法、大臣指針、第四次基本方針を読み込んで「未来に開かれた地域劇場」を考えて、検討委員会を牽引する北海道大学森傑教授のような方が存在することは、私にとっては頼もしいかぎりである。「常識」とは過去の経験集積の総和である。そこに止まるかぎりは、何処まで行っても「鑑賞施設」から抜け出せない。その総和を実証的に分析して外部環境の変化にそぐわないものは排除して、新しいパラダイムを創りださないかぎり未来に開かれた劇場経営は何処まで行っても「未見」のままであり、永遠に「ハコモノ」を造り続けることになる。そもそも「常識」に囚われている人間たちで検討委員会を組成しても何も生まれないのは自明である。第三次基本方針、劇場法、大臣指針、第四次基本方針とそれらの外部環境の激変からの補助金・助成金の要項を読み解いて将来的に如何なる機能が求められているのかにさほど関心を持っているとは思えないコンサルティングしかしておらず、「常識」に縛られたままにアドバイスをしている劇場コンサルも、現状のままなら当然不用である。

「常識」をブレイクスルーして「変化」をして新しい価値をつくることは「摩擦」と「痛み」と「苦悩」をともなう。リスクを選ぶことだからだ。スタンフォード大学教授で未来学者のポール・サフォーは「過去にすがりつけば悲しい結末を辿ることになる」と警句を発している。まるで日本の公立劇場の「ハコモノ」という結末を言い当てているようだ。どれだけ公的資金の無駄と失敗を積み上げれば転換のための臨界になるというのだろう。アーラで一応の成果をアウトカムしている劇場経営のモデルを全国に拡散させてスケールアウトしようと発信しているのである。それを受け止めようともせず、「あそこは特別」と言い放って保身に走る人間が何と多いことか。

私の生きているうちには全国に包摂型経営の劇場が成立するまでには至らないかもしれない。しかし、本当に心から地域社会と市民の未来ために投資行為としての劇場成立を目指そうとする意志があるならば、新しく劇場をつくろうとしている自治体であろうとなかろうと、あるいは既存の劇場ホールでも大胆な組織改革と新しい使命の設定を企図しているのであれば、私は私の知識と人脈のすべてを提供して尽力する準備は出来ている。個人的なことを言うのが許されるなら、時間との競争なのである。