第7回 公立劇場・ホールは何をなすべきか – アーツマネジメントの原理原則 (その1)。
2021年8月6日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
就任依頼のあった3ヶ月前に、はじめて可児市文化創造センターalaを見る機会を得た。金沢市民芸術村のアドバイザー時代にプロデュースした『おーい幾多郎』が、戯曲ワークショップから7年かがりで長岡公演、東京公演、全国16か所の公演を実現した折、大学に籍を置いたまま春休みから夏休みの終わりまで、毎週各地に出掛けて全国約50か所の営業の旅をしていて、その折に可児市にも訪れた。隅々まで案内されて、そのポテンシャルの高さには舌を巻いたが、事業のラインアップを見ると、確かに「尖がった」ものは散見されたが、自分のところで創れる施設内容であるのに、創造的な事業はリーディングが一本あるだけだった。そのほとんどが、いわゆる「買い公演」で、「先進的な公演はしているが、仕組みから言えば東京の方しか見ていない並みの公立ホール」というのが感想だった。前館長は可児を辞す時に「10年経ったら並みのホールになる」と言って去ったと聞いたが、私の感想としてはラインアップをみるかぎり、もうすでに並みの公立ホールだった。時折、「尖がったもの」を東京から買っている、という程度のホールだった。何となく思ったのは、東京の先端的な舞台を可児市民に観せるという啓蒙的な姿勢だな、という感想だった。
そういう先端的な事業を選択することで「並みの公立ホール」と差別化しようとしていたのだろうが、私から見れば、「タレント芝居」を呼んで集客を図るのと「先駆的な舞台」を買って「これが分からないと東京の観客のレベルには達していない」という啓蒙性とは五十歩百歩である。ともに舞台の持っている知的な達成感を顧客に体験させることを目的としていないという点で、マネジメントやマーケティングができていないと断ぜざるを得ない。顧客から出発していないのである。マネジメントとは、顧客の現実と欲求と価値観から始まる。その「半歩先」をプレゼンテーションすることで知的な快感と達成感と自己実現を提供する。そのことで、顧客に心地よい緊張感とリラックスできる鑑賞環境を提供する。劇場側の「これを売りたい」という欲求から始まるマネジメントは、とうしても「押し付け」に偏らざるを得なくなる。
「タレント芝居」は観客はタレントを「見物」に来るのであって、舞台を媒介として想像力と創造力を駆使して新しい価値(自分の物語)をつくる知的な冒険の場とはならない。有名俳優やテレビに出演する露出度の高いタレントがキャスティングされていると、これで多くの観客動員が可能だろうと、どうしても公立劇場・ホールの側は飛びついてしまう。しかし、達成すべき課題は、演劇を知的な想像力や創造力で楽しむことを知っている顧客を基数として育てることであり、安易な「買い物」公演は、中長期的な創客戦略から言えば費用対効果に疑問符を付けざるを得ない。たとえ満員札止めとなっても、それは「瞬間最大風速」でしかない。固定客をつくる仕組みからは逸脱している。また、例え東京で先駆的であっても、顧客の五歩も十歩も先に行っている舞台を見せられたら、当然だが想像力が働きにくい緊張感と、舞台とはぐれてしまい、想像力と創造力が自分の日常をはるかに超えてしまい伸びやかに飛翔できなくなる。客席は「孤立した」観客で埋まることになる。酷い鑑賞環境である。そんな状態を体験すると、顧客は劇場通いを忌避するようになる。当然である。これらは、「こういうものを観せたい」という劇場・ホール側の欲求から出発している。自分たちの選択から出発している。顧客や市民からは出発していない。
その意味で、マネジメントやマーケティングの原則を踏み外している。したがって、どちらにしても「並みの公立ホール」と言わざるを得ないのだ。
就任依頼があった翌月の12月に、私の要請で、事務局長と総務課長が開館以来の4年分のアニュアルレポートと収支決算表などの財務諸表を大きめの紙袋一杯、渋谷のホテルに持参してくれた。その読み込みと分析に、年明けから2ヶ月を費やした。その作業をしながら、数ヶ月前につぶさに見た可児市文化創造センターalaの施設内容とその評価を重ね合わせていた。劇場のポテンシャルは、日本では飛び抜けたものがある。しかし、明らかに劇場のポテンシャルは活かされていなかった。公立ホールにも「ビギナーズラック」はある。開館時から2年程度は何をやってもお客さまが集まる。問題はそのあいだに3年目以降の事業の組み立て、マネジメントの設計、マーケティングの仕組みづくりをしてマネジメントとマーケティングの射程をフォーカスしなければならない。陳腐化した仕組みは破棄しなければならない。破棄した代わりに「新しい価値」を提供するためのソリューションを行わなければならない。本来は、開館事業に追われる1年を見込んで、中長期的には開館の3年程度前にその作業はしなければならないのだが、それなしに開館するのが普通になっている日本の公立施設では、最初は何処だって、誰だって手探りになる。
ところが提供された資料を読み込んでいくと、トライ・アンド・エラーによってその都度マネジメントやマーケティングの仕組みを「変化」させて行った形跡が見えない。ソリューションの形跡が見えないのだ。音楽はまったくのところ「職員の趣味」でワールド・ミュージックばかりをやっている。クラシックはプロモーターの売り込みに従っているだけに見える。演劇は東京で評判のもの、という範囲を出ていない。可児市民にとってどのような価値を持つかの配慮は窺えない。それぞれの分野に劇場経営の原則となる柱がないのだ。しかも、前述したが、収支比率が25.4%(平成15年度)、32.1%(平成16年度)という惨況である。これは一つに、プロモーターや劇団の「言い値」で買っているため収支比率が下振れしていることが考えられる。経費をつぶさに分析すると、買い値が異常に高い。当時の制作課長は「地域の公共ホールは東京の芸術団体を支える」という方針を言い放っていたそうである。地域劇場・ホールの「蛇口論」である。「使用量」に見合った料金を支払うだけの存在である。当然だが「言い値」で買うことになってしまう。価格のネゴシエーションをしないのなら、管理職の仕事など楽なものである。極論すれば、自分の「趣味」や「人間関係」で事業選択をするだけが仕事なのだから、ある程度の「事情通」ならだれでも出来る仕事になってしまう。そこに劇場経営(マネジメント)は介在しない。
二つ目の原因は、マーケティングの不在である。「何を売りたいか」という劇場側の事情から出発したセリングはあっただろうが、顧客(市民)との関係づくりを進めて、ブランディングを企図するマーケティングは皆無だったのではないか。劇場・ホールの側が関心を持つべきは事業毎の「集客」ではない。「今日の利益」のみに着目して、「明日」の健全さや誠実さや真摯さを犠牲にするのは、結果的にはブランディングによる固定客獲得を放棄することになる。テレビタレントや有名俳優や流行している歌い手の出演する事業を買えば、満席になるかもしれない。しかし、それは「瞬間最大風速」でしかない。マネジメントが注視すべきは、「瞬間最大風速」を期待できない事業の客席稼働率のアベレージに注視すべきだ。私たちは興行師ではないし、イベント屋でもないのだ。一発勝負で仕事をしているのではない。劇場・ホールのブランドを創りあげ、顧客が安心してそのブランドを信じる鑑賞行動を起こすことのできる環境を整えることである。創客である。これはマネジメントの責務である。誰に対する「責務」か、と言えば、民間企業ならばサービスや商品を購入した顧客であるが、公立文化施設にあっては納税者に対する責務である。いわば「拠出者」への責務である。強制的に徴収した税金で設置し、運営しているのだから当然である。
公立の劇場・ホールの職員は、地域住民から「生きやすい地域社会の形成に資する」という使命を付託されているのである。公立の劇場・ホールの「成果」は、市民の価値観や生活スタイルに現われる「変化」であり、芸術家の自己実現では決してない。「劇場法」(仮称)の論議でも、芸術家の側の利害から法制化が語られているケースが見受けられる。住民や国民が透けて見えない論議に終始している。「劇場法」(仮称)のもたらす「成果」は、劇場・ホールの外に現われなければならない。なぜなら、劇場・ホールは社会に「変化」をもたらす社会機関であるからだ。芸術家の創造活動が劇場内部で自己完結し、それを住民や国民がチケットを購入して傍観することを許されるという施設であるはずがない。芸術家の芸術的野心の実現に立ち会うために劇場・ホールがあるのではない。「劇場法」(仮称)は、むしろ住民や国民を前面に押し出して、その社会的福祉や社会的包摂を実現するためのツールとして「劇場・音楽堂」を定義すべきと私は思っている。「成果」は外部に出るのである。
私が「館長エッセイ」で述べている「舞台芸術拠点による社会包摂推進法」という法概念は、その具体例である。参照していただきたい。
「変化と成長」が、企業、組織、団体の社会機関としての存在理由である。内部環境も外部環境も、「変化」によって「成長」し、「成長」によって「変化」し、その都度創出する「新しい価値」(成果)が社会や地域や個人を健全化させる。その、社会や地域や個人の健全性が、社会機関としての劇場の経営を健全化するのは言うまでもない。そのプロセスがブランディングであり、その相互性がブランドとなっていく。ブランドの進化は螺旋状により強固で、ゆるぎない信頼関係を劇場・ホールと市民・国民のあいだに築き上げて行く。
私が就任後最初にプライオリティの高い仕事としたのは、二期目の指定管理者を非公募特命指定でとることだった。可児市文化芸術振興財団は「一財団一施設」であり、指定管理者をとれないとプロパー職員はサドンデスで失職することになる。公募となっても、その危機にさらされるということである。職員には落ち着いて、長期的な展望で仕事の出来る環境を用意したいと思っていた。常勤になって三年目が切り替え時期であった。およそ二年間で大方の方向が決まる。勝負は二年で決まる、というのはあまりに短期間に過ぎると思ったが、「変化と成長」を最大限に起こして、可児市という域内でのブランド力を高めるしかない。相当に切羽詰まった仕事になることは覚悟した。「地域拠点契約」と「チケット改革」とバースディサプライズなどの「顧客志向のホスピタリティ・システム」は、そのアクセルの役割を果たした。次いで着手したのは、アウトリーチとワークショップ、シンポジウム、講演会をまとめて地域の健全化を企図する「アーラまち元気プロジェクト」(年間324回実施 参加人数11433人 2010年実績)を立ち上げることだった。質はもちろんのこと、少々の数の実施では地域に「変化」は到底現れない。効果が表れるまでに、少なくとも時間はかかる。金土日と祝日は可児の町中でアーラのプロジェクトが行われている状態をつくらなければならないと考えた。教育機関、高齢者福祉施設、障害者福祉施設、病院、公民館、多文化施設へのアウトリーチは、従前は皆無の事業方向性であった。「まちに拡がるアーラ」という切り口で事業は設計された。大きく切り替わった経営方針によって職員の負荷は並大抵なものではなかっただろうが、職員が踏みこたえて頑張ってくれた。
チケット制度だけでなく、「アーラまち元気プロジェクト」でも、クモの巣型(waiting mood)からミツバチ型(seeking
mood)へ大きくシフトした。ただ「待つ」のではなく、必要としているところを探し当てて、こちらからアクセスする。劇場・ホールが社会機関として機能するには、潜在的ニーズに「当たる」ことが必須であり、それなしには域内のブランディングは進行しない。劇場・ホールの三大評価ポイントは、芸術的評価、社会的評価、財政的評価であるが、芸術愛好者以外にアウトリーチすることで、劇場経営の評価要素のひとつである社会的評価の獲得を企図する。それがブランディングに加速度を増すことになる。潜在的ニーズとは、「未充足なニーズであるが、充足する商品の存在を認知していない、または自分が未充足であることを