第48回 職員は「資産」か、それとも「道具」か。
2014年7月23日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
公立の劇場音楽堂等の非正規雇用率が、日本の非正規雇用率38.2%をはるかに上回って、実感としては75%程度ではないかと思われる。4人に3人が期限付きの職員ということだ。「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」(いわゆる劇場法)でも、「劇場音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針」(いわゆる大臣指針)でも、さらには文化審議会の文化政策部会においても「人材育成」は大きな課題となっている。しかし、2003年の指定管理者制度導入以降の劇場音楽堂等における非正規職員の急増は、「人材育成」をさらに難しいものにしていることは否めない。この「現実」が、文化庁及び文化政策部会の委員となっている研究者たちに届いているか、しっかりと認識しているのか、はなはだ心許ない。
そもそも、劇場音楽堂等の経営に携わっている管理職が、職員を「資産」と考えているのか、あるいは使い捨てのできる「道具」と考えているのかを、私はまずは厳しく問いたい。「道具」という言い方が厳しいのなら、「機能」と言い換えても良い。設置自治体による予算の削減という事情は充分に承知しているが、それでも2、3の自主事業をカットすれば、非正規雇用を正規雇用に転換することは充分に可能である。私は職員を「資産」と考えるから、育成のための時間と機会を与えることで、その「資産」には経年で「利息」がつき大きく育つと思っている。職員は市民やアーチスト、地域のステークホルダーとのあいだに「関係資産」を築く存在である。時間と機会を与えれば、劇場音楽堂等にとって大きな資産になる可能性を持った存在であることに疑いはない。
アーツマネジメントの三大要素のひとつに、私は「ヒューマンリソース・マネジメント」を掲げている。人材をいかにマネジメントして、彼等の「強み」を十二分に発揮させて「弱み」を意味のないものにするかをマネジメントすることである。これは職員を「資産」と考えることからしか出発できない経営手法である。ところが、多くの劇場音楽堂等は、とりわけ「特別支援」となっている日本を代表する施設には概ねこの考えはない。職員は使い捨てのできる「道具」としか考えていないようである。そのような考えのもとでは、経営はいきおい不安定なものとなる。「道具」にロイヤルティ(帰属性・忠誠心)を求めること自体が虫の良い考えだからである。
ベネッセの顧客データの流失がマスコミをにぎわしている。子会社への派遣された職員によって行われた犯罪であるが、経営の根幹を為す顧客データベースへのアクセス権を、外注して、しかもそこへの派遣社員に付与していたこと自体が経営者として失格だと私は思っている。彼らにロイヤルティを求めること自体が虫の良い、無理筋なのである。経営の合理化でデータベース管理を子会社の、しかも派遣職員に委ねていたのであるが、200億円という賠償責任と信用の失墜という事態を、その経営の失敗が招いたのである。ベネッセの経営陣も、彼らを経営合理化と経費削減の「道具」と考えていたに違いない。
非正規職員増加の問題は、劇場音楽堂等にも中長期的には「経営の危機」をはらんだ事態に進展する可能性が非常に高い。短期的には、目の前の事業をこなしていくだけであり「3年雇止め」の職員でも充分にできる。なぜなら、そこで行われる業務は一般事務でしかないからだ。それは到底アーツマネジメントとか、アーツマーケティングと言える代物ではない。しかし、「人材育成」となると、将来的には管理職たるアーツマネージャーやアーツマーケッター、さらには館長職を担える人材を中長期的な視野に立って育てていかなければならないということである。しかし、劇場音楽堂等の現況を見ると、プロパー職員から管理職や館長が生まれる確率はほとんどないと言って良い。大規模の劇場音楽堂の管理職は、自治体からの現職派遣か再任用の退職派遣、あるいは外部の商業劇場やプロモーターからの中途採用者で占められている。「人材育成」が機能しないままで今後も進むとなれば、管理職クラスには外部からの登用者が加速度的に増えていくであろう。彼等にその地域を愛することができるか、劇場音楽堂等を通して地域社会の健全化への適切な投資行為ができるかどうか等、多くの疑問符がつく。つまり、ここでも地域社会への「ロイヤルティ」の問題となってくる。
したがって、最善の方法は、プロパー職員を中長期的な視野に立って育成し、ロイヤルティの高い管理職に育てることである。多くの大規模館は目の前の事業の遂行のみを考えた人事体制しか採用していないが、それでは近い将来、当該館は空洞化を免れないだろう。将来的には外部登用しか手段がなくなり、「外人部隊」に頼る運営しかできないことになる。経営に新しい血を入れる意味では外部登用も必須ではあると思うが、それだけに頼ることで起きるのは、地域社会と乖離した経営に陥ってしまうことである。また、館長職やプロデューサー職を外部から招聘することを全面的に否定するつもりはないが、それらの人材が東京の仕事を捨てて地域に在住する「覚悟」があるかどうかである。
おそらくそれは考えにくい。スタンスは飽くまでも東京に置いて、月に数回程度当該地域に来訪するだけなのは、現在の大規模地域館の芸術監督や音楽監督の例を見れば歴然としている。なかには、2館、3館と芸術監督や音楽監督を兼務している非常識きわまりない者さえ見受けられる。それを承知で就任を依頼する劇場音楽堂もおかしいが、2館や3館の経営を請け負う芸術家やプロデューサーの不見識も倫理的に問題だ。私も可児市にとっては「外人部隊」である。しかし、当初にアーラから出されたホテル滞在と職員の運転で送り迎えという条件は初めから受け入れなかった。市内のマンションと契約し、車も購入した。職員から「腰かけ」と思われることを避けたかったこともあるが、「日本を代表する地域劇場をつくる」という「覚悟」でアーラに赴任したからである。
また、アーラにも就任当初には「契約職員」という雇用形態はあったが、雇用条件に大差ないことを確認したうえで即座にそれを廃止した。サービス業である劇場音楽堂等にとって、職員は「資産」だからである。アーラが「日本を代表する地域劇場」に育つということは、彼等がそれを担える職員に育つということを意味する。それに、私にはアーラを、日本を代表する地域劇場にするための戦略は当初から見通せていた。したがって、その為にはどのような人材が必要かの輪郭も描けていた。
就任当初に描いていた戦略デザインから言うと、1年は遅れたが、6年目には国の特別支援劇場音楽堂になることができた。当然であるが、職員も大きく育ってくれている。10年後はむろんのこと、20年後の組織体制まで見通せるようになっている。
前述したように、指定管理者制度という大きな壁はあるものの、それでも職員は「資産」である。そう考えるべきである。使い捨てできる「道具」では断じてない。これはサービス業たる劇場の経営手法の「イロハのイ」である。指定管理期間があるから「3年雇止め」と良く耳にするが、それは「経営者の言い逃れ」でしかない。自治体からの現職派遣か再任用の退職派遣だから短期間の視野でしか経営を考えていない証左でもある。「後は野となれ山となれ」とまでは言わないが、自治体からの派遣職員に中長期的な視野のある経営戦略があるとは到底思えない。仮にあるのなら、事業数を減らしてでも「資産」たる職員の就業環境を改善するはずである。このままでは才能のある有望な若い人材は劇場音楽堂等には入ってこなくなる。いや、もう見切りをつけられているのかも知れない。使い捨てのできる「道具」としか考えていない経営者のもとで働きたいと誰も思うわけはないのである。いまはただ「文化で働きたい」というモチベーションに縋っている雇用形態