第27回 組織強化とヒューマンリソース・マネジメント ― 指定管理者制度と人的経営資源。
2012年10月14日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
いろいろな公立劇場ホールに伺って、劇場経営のコンサルティングをしていると、「うまくいっていない」劇場ホールは一様に、表裏の関係だが組織体制と雇用形態、それに経営意識に改善点がある。むろん、年間を通しての事業の組み立てにストーリー性がなく、バラバラに事業を並べているだけで顧客の次の事業に対する期待感をみずから寸断して一つひとつの事業を「孤立」させているケースは少なくないが、それも突き詰めていくと組織体制の問題とマーケティング意識の欠如に行きつく。どこの劇場ホールに伺っても、館長をはじめとするエグゼクティブクラスの職員は指定管理者制度を問題視して危機感を高めているが、それは組織体制と経営意識の脆弱さを指定管理者制度の問題に転嫁しているだけのように、私には思える。
むろん、指定管理者制度自体に問題点はある。駐車場管理と同様の制度で技術集積や社会関係資本の蓄積が重要な経営ファクターになる文化施設を縛ること自体に無理があることは自明である。ただ、地方自治法第244条を改正して例外規定や個別法を定めることはほとんど不可能である。いわゆる劇場法でその制約から脱したいという考えを持っている向きもあったが、劇場音楽堂等の活性化に関する法律は、文化芸術振興基本法の個別法として考えられていたのであり、地方自治法との関連は当初から折り込まれていなかった。「前文」にある「文化芸術の特質を踏まえ、国及び地方公共団体が劇場、音楽堂等に関する施策を講ずるにあたっては、短期的な経済効率性を一律に求めるのではなく、長期的かつ継続的に行うように配慮する必要がある」が精々のところである。したがって、私たちが考えるべきは、この指定管理者制度をいかに自分たちの「弱み」とせずに、「余人をもって代えがたし」の状態に持ち込んで非公募を勝ち取るかである。いったん「弱み」となると、どう抗しても劇場経営は負のスパイラルに陥ってしまう。
近年どこの劇場ホールに行っても目に付くのが、アルバイトとパートの職員の多さである。さらには正規職員と同様な働き方をしていながら、嘱託契約職員という不安定な身分の者も多い。多いところでは全体の3分の2を超える人員がそのような身分の非正規被雇用者である。トップクラスに入る劇場でも、世田谷パブリックシアターのようにほとんどの職員が個人業務委託という請負契約の非常勤雇用という例もある。むろんそこに人件費の削減によって全体予算を圧縮するという意図が働いていることは、それが劇場の雇用形態として正しいかどうかは別として、明らかに経営合理性に基づいていると判る。人件費を圧縮して物件費として人に関わる経費を計上するという経営手法であり、固定費を大きく削って繁忙期と閑散期に雇用調整のための柔軟性を持たせようとする経済効率重視の経営手法である。近年の製造業と同じ発想である。
私は2004年2月の全国公文協アートマネジメント研修会で、劇場コンサルタントの草加叔也氏と指定管理者制度についてのセッションを行ったことがある。その折に私が強調したのが、「指定管理者制度というのは雇用の問題であり、ということは、ゆくゆくは劇場の技術集積と人的経営資源の破綻に行きつく」ということだった。これは公立文化施設の存立基盤に関わる問題である。前年の9月に施行された指定管理者制度に対する関心は高く、会場は立錐の余地もない状態であったが、私の危機感を共有する者はほとんどいなかっただろう。多くの聴衆の関心は「制度の詳細」と「予算の削減に対する危惧」にあった。アルバイト職員とパート職員に劇場ホールのミッションを共有させることは無理強いでしかない。当該施設を手段として健全な地域社会をつくるという使命感をアルバイトやパートの職員に持ってもらうことは到底無理な注文なのではないか。製造業の非正規労働者に会社への忠誠心を求めるのが筋違いであるのと同様である。
彼らにミッションの共有を求めること自体に無理があることも問題であるが、そういう経営合理性を劇場の組織運営に持ち込んで平然としている館長以下の管理職員の意識の方が私はよほど問題だと思う。文化施設と駐車場は同じ指定管理者でも違う、と前述したが、文化施設に駐車場の雇用形態を持ち込んでしまっているのが現在の多くの劇場ホールの運営責任者である。それでいて「文化施設は駐車場とは違う」と一方では言う。そのうえで「ウチのホールを何とかしたい」はまさにマッチポンプである。雇用形態を現行のように選択して火をつけたのは自分自身たちではないか。非正規雇用の職員にとっての仕事はLABOR〔課せられてする務め〕である。「文化振興」という手段でどのような地域社会を実現するのかというMISSION〔自律的に行う任務〕からは程遠い。
それが劇場ホールの運営にはボディブローのように効いてくる。自治法改正による指定管理者制度の導入からおよそ10年、失速する劇場ホールと劇場ホールへの補助金の整備によって加速する施設と、はっきり二極化して来ているように思う。指定管理者制度下での自らの組織をあまりに自己防衛的な方向に導いたために結果的に「弱み」が引き立つところに組織を立たせしまい、終には経営の負のスパイラルに踏み込んでしまっているのである。「攻める経営」ではなく、「守る経営」になってしまっている。そこには組織の一体感なぞ望むべくもない。幹部職員の責任である。猛省を促したい。
MISSION〔自律的に行う任務〕に従って、それを実現させる職員は、「やりがい」や「生きがい」を行動律の軸として自律的に仕事にあたる意識の持ち主である。「やりがい」や「生きがい」とは、「役に立っている」、「必要とされている」という実感である。そういう意識で市民と接し、事業を組み立てて進めることが地域の劇場ホールの職員には求められる。そして、そのような職場環境をつくるのが管理職員の主たる仕事である。管理職は、職員の自己実現や自己達成を支援することを職務としなければならない。職員は重要な経営資源である。自己実現や自己達成のたびに資源としての職員は「利息」という自己成長を生んで大きくなっていく。公立劇場ホールの職員として進化していくのである。うまく運営されていない劇場ホールは、この循環がまったく機能していない。劇場という業態はサービス業である。サービス業の管理職は、顧客とのコンタクトポイントである一般職員にとっての最適環境を用意する後方支援の役割を果たすのが主たる仕事である。その点から言っても、前述した非正規職員数を膨らます経営手法がサービスの劣化を生み、劇場ホールが次第に負のスパイラルに嵌まり込んでしまうことになるのは明々白々である。
職員個々の「強み」を最大限に活かし、それによって「弱み」を薄めて無力化するのがヒューマンリソース・マネジメントである。管理職の任務のひとつである。管理職は、どうしても職員を「管理」することが仕事だと勘違いする。とりわけ行政からの派遣職員にはその傾向が強い。「管理」するということは、一律に職員を扱うことになりがちである。「弱み」に目が行きがちになる。そのために、その職員が持っている折角の「強み」を殺いでしまうことになる。「うまくいっていない」組織はほとんどがこのタイプである。管理職の意識が「管理」に向いてしまい、職員を「生かす」環境づくりに向かっていないのだ。管理職にも職員にも不満がたまっているのが外見からも分かる。管理職と職員の意思の疎通が図られていない。これでは「うまく」いくはずもない。
ヒューマンリソース・マネジメントは健全なコミュニケーションによってでしか成り立たない。コミュニケーションとは双方向性で水平型の関わり合いのことだ。一方的な「命令」が職員のモチベーションを低くすることはあっても、高めることは決してない。それを続けると、職員は「アメとムチ」でしか仕事をしなくなる。すなわち、「報酬」と「処罰の回避」をモチベーションとする指示待ちの凡庸な劇場職員の「一丁上がり」である。創造的で、なおかつ独創的な仕事をするなどということからは無縁の職員と、そういう職員によって構成される職場となってしまうのだ。90年代後半に、劇場ホールには「ミッション」が不可欠と言われ、多くの劇場ホールは「流行りもの」のように体栽だけはミッションを掲げたが、それにしたがって仕事を組み立て、行うことが「ミッション」を掲げる意味であるのに、「アメとムチ」の職員では「ミッション」はとりあえずの建前ということになる。仕事の品質向上に生かされなければ「ミッション」とは言えない。「ミッション」という軸が組織の仕事に一本まっすぐに通って始めて組織の一体感と優れた成果が生まれるのだ。
ハーバード・ビジネススクールの調査ディレクターで心理学者のテレサ・アマビルが、「内発的動機付けは創造性につながり、統制された外発的な動機付けは創造性を奪う」と主張したとダニエル・ピンクの『モチベーション3.0』に書かれている。つまり、「アメとムチ」での統制による外発的動機付けで仕事をする職員は、自己実現や自己達成を当事者にもたらす創造的で独創的な仕事の進め方からは遠ざかるだけだ、というのだ。一時期、民間企業が盛んに導入を試みた成果主義による報酬制度が期待していたよりも生産性を上げずに、むしろ職場での人間関係を棄損させる結果をもたらし、創造的な職場環境を生み出せなかったのがその好例である。ましてや、独創的な開発と製品化を求められるベンチャーや、ルーティンな仕事の仕方では日々刻々の「応用問題」にまったく対応できないために専門スキルや創造性が必要な劇場の仕事、あるいは顧客とのコンタクトポイントの品質が決定的な役割を持つサービス業では、給与や賞与や昇進や顕彰などの外的な動機付けではなく、権限の移譲による自己決定感や有能感、自己実現や自己達成による自己成長を実感できる内発的な動機付けによる創造的な職場環境が必須となる。自律的な組織とは、そういう考え方の成果としてアウトカムするのである。
むろん、権限を委譲できる資質と能力が職員にあることが大前提である。しかし、それらがないからと言って「管理と統制」を強めることで上記のような業態の職場環境が適正になるとは到底考えられない。長い時間をかけて辛抱強く職員を育成する努力が管理職には求められる。たとえばアーラには「バースデイサプライズ」というサービスがある。たびたび紹介しているので多くの説明は避けるが、ラッピングしたバラの花一輪と合わせてお客さまにプレゼントするバースデイカードは、毎回違った趣向のものを職員が手づくりで作成する。非常に手間と根気が必要な仕事である。したがって、私が誕生月のお客さまのところにご挨拶に行ったときには、カードの作成者を劇場に立ち会わせておいて、お客さまに「あの職員が作ったカードです」と少し離れた所に立つ職員を紹介する。お互いに軽い会釈が交わされる。こういう地道な動き方やフィードバックが、地味な仕事をする職員の内発的な動機付けとなる。職場の環境というものは、一朝一夕にできるものではなく、確信に満ちた経営思想と、職員との相互の信頼感と地道な作業の積み上げによって具現化するのである。LABOR〔課せられてする務め〕からMISSION〔自律的に行う任務〕へ、である。「やりがい」のある仕事の仕方をデザインしなければならない。