第17回 「劇場が生きている」。
2012年1月26日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
表題は、現在イギリス・リーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)を主な研修先にして留学している職員の澤村の「留学記」にある言葉だ。確かにWYPを目の当たりにすると「驚き」でしばらくは茫然自失となる。
15年ほど前に、バルセロナで開催された国際文化経済学会の研究大会のあとリーズ・ブラッドフォード空港に飛んで初めてWYPを訪問した時も、日常的には閑散とした日本の劇場を見慣れている目には、多くの人々が集い、それぞれにそれぞれの時間を過ごしている様を見て、驚きを通り越して茫然としてしまった。それだけに澤村の感じた「劇場が生きている」という言葉は実感として伝わってくる。アーラも年間34万3000人(2011年度実績)の来館者があり、賑わいという点では日本で有数の劇場であると自負しているが、その状態を見慣れている彼の目にもWYPのすごさは驚きだったと想像できる。それは英国内の地域劇場でも群を抜いている。
初めてWYPを訪れた時、何故こんなに多くの人々が劇場を日常生活の中に織り込んでいるのだろうかと考えた。当時の私の「常識」では考えられない光景だったのである。WYPは750席のクォリイシアターと350席のコーシヤードシアターの二つの劇場スペースを持っている。しかし、劇場に観劇のために来る市民はおおむね夕方から集まり始める。WYPは午前10時頃から市民で賑わい始めるのである。コミュニティの集まり、待ち合わせ場所、軽食などの目的で、さまざまな市民が、さまざまな目的のためにロビー的な役割を持った、集いのためのオープンスペースを使っているのだ。劇場スペースはドアチケット制度(ドアのところでチケットをもぎる)で、フリーなスペースがより広くとれるように工夫されている。ランチ時となると、多くの市民がビュッフェ・スタイルのレストランに集まってくる。レストランという決まったスペースはなく、フロアに多くのテーブルと椅子が並べられており、コミュニティのミーティングに使用されたオープンスペースがそのまま食事のスペースとなる。こんな劇場が日本に10でもあったら状況は一変するのに、と思ったものだが、それには建物の設計から考えなければいけないとも思った。
つまりは、WYPは施設の設計思想から、地域の人々が集まりやすく、コミュニケーションしやすい空間にすることが重視されているのである。この思想は、アーチストやスタッフが出入りする楽屋口が封印されていることにもうかがえる。楽屋口自体は稽古場スペースの傍に設けられているのだが、しっかりと封印されている。キャストもスタッフも、市民と同じ劇場のエントランスを使うことで、触れ合いとコミュニケーションが起こることが期待されている。そういう環境がつくられている。劇場スタッフのミーティングも市民と同じスペースで行われている。事務所にはそのための会議室は設けられていない。一種の公開性が担保されている設計思想である。まさに「文化の民主主義」である。WYPの設計は、劇場関係者が主導して線が引かれたそうである。
WYPの一件もあって、劇場ホールの設計は多くの人々に親しまれるうえで非常に大切だと私は思っている。仙台メディアテークや長岡リリックホール、座・高円寺の設計者の伊東豊雄氏が「ホールに人が集まらないのには建築家の責任もある」という意味のことを言っていたのを憶えているが、WYPの設計も良く考えられており、地域劇場はどのように機能すべきかが透けて見えるのだ。世田谷パブリックシアターや北九州芸術劇場のように、再開発ビルのなかにある劇場は、その点でハンディキャップを持っている。公演がない限りは劇場のドアは閉まっていて、人が集うオープンスペースがないのだ。その意味で、アーラの香山壽夫氏の設計は、まちと地続きになっているデザインで、多くの市民が気軽に立ち寄れる空気がつくられている。
むろん、劇場スペースでの演劇公演以外の事業も非常に多くやられている。前述の集いのためのスペースをはじめとする劇場のすべてのスペースを使って、毎週水曜日の午前9時半から15時半まで行われている、高齢者のための「ヘイデイズ」もそのひとつである。800人前後の高齢者が登録をしており、午前と午後に分かれて24前後のグループに分かれ、水彩画、焼き物の絵付け、キルトづくり、レース編み、折り紙、人形づくりなどの作業をにぎやかに楽しみながらやっている。むろん、合唱や演劇、朗読は稽古場スペースを使って行われている。地元新聞社の論説委員をファシリテーターにして、100年後のリーズ市を語り合うというユニークなグループもある。また、お揃いのスクールセーターを着た子どもたちが毎日バスでやってきて、スクールツアリング・カンパニーの1時間程度のパフォーマンスを鑑賞するというプログラムも行われている。
スクールツアリング・カンパニーの活動は、前期後期に分かれていて演目と出演者が変わる。地域在住の作家とカンパニーの専属演出家であるゲイル・マッキンタイアー女史が、子どもたちの現在抱えている問題を題材にして戯曲をつくり、俳優をオーディションして稽古をする。基本的な活動は、俳優(概ね2人程度)と技術監督で、ワゴンに道具と機材を乗せて月曜日から金曜日のほとんど毎日アウトリーチをする。学校ではワークショップをしてからパフォーマンスを見せて、そのあとに取り上げられている題材についての子どもたちとのディスカッションをする。イギリスの俳優は、大学でコミュニティシアターやエデュケーションという科目を選択受講しているので(日本の大学の教職科目のような選択科目だと思ってよい)、子どもたちとのディスカッションのアニメーター(議論を活発にさせる人)の役割を果たせる技術は持っている。このほか、子どもたちが麻薬に手を出したり、犯罪に巻き込まれる割合の高い放課後時間の対策として、スポーツ指導者やダンサーや俳優やワークショップで授業科目を教えられる教員などを派遣する「SPARK(スパーク)」というプログラムもほとんど毎日のようにコミュニティに供給している。「SPARK」はスポーツとアーツとノレッジの頭文字を組み合わせた造語だ。WYPの大きな特徴はコミュニティ・プログラムの豊富さである。ほかにも障害者向けのプログラム、犯罪や麻薬に手を染めたティーンエイジャーのセーフティネットとしての「ファーストフロア」、若い母親と幼児のコミュニケーションを促進するプログラム、「ヘイデイズ」から出来た高齢者劇団が警察の要請で悪徳商法に騙されないための演目をもって地域を回るプログラムなど、枚挙にいとまがないほどで、年間1000プログラムに約20万人がアクセスしている。これらのコミュニティ・プログラムが、WYPの地域社会における社会的信頼を形づくっていることは想像に難くないだろう。
WYPは、もちろん芸術的に評価の高い舞台も製作しており、ロンドンのナショナルシアターに2カ月招待されたり、ウエストエンドに演目がトランスファーされたり、ナショナル・ツアーも行っている。優れた舞台成果と多くのコミュニティ・プログラムの相乗効果がWYPに「ブランド力」を付与している。コミュニティ・プログラムそれ自体が、英国芸術評議会が先導する鑑賞者開発を直接的に目的としているわけではないが、そのシナジー効果としての「ブランド力」が結果としての鑑賞者開発を誘発していると言えるだろう。むろん、ブランドがコミュニティの人々に「安心安全な場所」としての認知を促し、劇場に多くの人を集めていることにつながっている。アーラのコミュニティ・プログラムは年間328回である。WYPの3分の1にすぎない。まだまだ、である。昨年の総務大臣賞、今年の『エレジー』での芸術祭優秀賞と讀賣演劇大賞男優部門優秀賞と顕彰は受けているが、ここでも、まだまだ、である。英国内で「コミュニティ・ドライブ」(地域社会の牽引車)とニックネームで呼ばれるWYP ― 何とか一歩でも近づければと考えて劇場経営をしている。