第54回 営業の旅で感じたこと―夢を見ることが困難な時代。
2009年9月26日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
およそ18日間の営業の旅に行ってきました。長いこと可児を留守にしました。今年度のアーラコレクション・シリーズ第2回作品の『岸田國士小品集』と、来年度の第3回の『精霊流し』のツアー営業です。北海道、東北、関東圏、北陸と回りました。暑い盛りのキャリーバックを転がしての旅は、60歳を過ぎた身には、いささか堪えるものがありました。
それ以上に堪えたのは、地域の公共文化施設の元気のなさでした。進むべき方向を見失っている、という漠とした不安定感が、さらには地域社会からの孤立感が文化施設に否定しがたくあるのです。そして、東北のある施設の若い職員から、一通りの営業が終わったあとに小声で「相談したいことがある」との申し出を受けました。移動の高速バスまでの時間があったので、私と彼女は、灰皿のある館外に出て話をすることにしました。
彼女は早稲田大学で私の講義を聴いていたとのことでした。あいまいな言い方なのは、その講義が200人以上入る大講義室でのものでしたので、私には彼女を教えたという実感はないのです。とても不思議な出会いでした。「先生」と少し思いつめたように彼女は言いました。彼女いわく、東京の興行会社や音楽団体から事業を買って、それを右から左に流しているだけのいまの仕事は、自分が思い描いていた「アーツマネジメント」や「アーツマーケティング」とは無縁のように感じて、ただの事務補助の仕事でしかないように思っている、という意味のことを私にぶつけてきました。私は彼女を知らないのだから、いささか不躾な切り出し方だなと思いましたが、彼女は私を「先生」と思っているのだから「まぁ、こんなものか」と話は聞いてあげようと思いました。志を高くもって公立文化施設に就職した若者が、そこでの仕事の内容に失望するのは至極当然であると思いましたし、彼女の落胆は手に取るように分かりました。と同時に、「アーラの職員に空きはないか」と言われるのではないかと、ちょっと身構えました。
しかし、それは杞憂でした。彼女は東京の文化施設や文化団体は、もっと進んだマネジメントやマーケティングをしているだろうし、首都圏の施設なら実家から通うこともできるから、ともかく東京に戻って一からやり直したい、というのでした。そして、ついては何処か進んだマネジメントをしているところはないか、ということでした。
一般論として、地域の公共ホールの仕事が無味乾燥で、面白くないのは理解できます。「アーツマネジメント教育と人材育成」が盛んに言われていて、その人材の導入こそが時代の要請であり、必要であると中央政府の役人や文化関係の識者はかなり以前から提唱しています。そのような人材の受け皿がないことも問題視されています。しかし、そもそも日本の公共文化施設に「アーツマネジメント」や「アーツマーケティング」の概念がないに等しいのですから、彼女の落胆と失望にはそれなりの理由があるわけです。「アーツマネジメント=企画」、「アーツマーケティング=宣伝」くらいにしか考えていないのが現状なのです。これは地域に限らず、東京圏(中央)でも五十歩百歩です。逆に東京を中心とした圏域は多くの人口を抱えており、パイが大きい分だけ舞台芸術に不適なマーケティングをしても「それなり」に観客は動員できるので、経営に対する哲学とスキルのないことは露呈しない。また、それを厳しく問われることもない、と言ってよいでしょう。
私は彼女に「実家に帰りたい、というのなら分かるが、ここより良い職場があるだろうと思うのは認識不足だ」と言いました。「東京では、もっとましなマネジメントやマーケティングが行われている」というのも幻想だと付け加えました。「それに」と私は話の穂を継ぎました。私が東京に行くたびに感じているまちの閉塞感の話をしました。
私は東京に行くときは、いつも品川で新幹線を降りて山手線に乗り換えて、自宅のある下北沢に向かいます。その山手線に乗ると一種の寂寥感を感じます。乗るたびにいつも、です。携帯でゲームをしながら、iPodで音楽を聴いている人、DSのゲームに夢中になっている人、携帯の既着メールを見ている人、そんな人々のあいだにすきま風が吹いているのです。東京で仕事をしている人で、仕事に生き甲斐ややり甲斐を持っていて、人間的で、標準的な生活を送れている人は、労働人口の数パーセントに過ぎない、と私は感じています。ただ「東京にいる」ということだけが拠り所になっている人間たちの「大きな塊」が東京という街をつくっているように思えてならないのです。その数パーセントの「勝ち組」を、90パーセント強の人が下支えしているのが「東京」なのではないでしょうか。山手線に乗るたびに、私はそんな思いに囚われます。東京の有効求人倍率は0.43です。つまり、100人の求職者がいても、43人にしか就職先がないのです。しかも、その43の就職先のほとんどが非正規雇用なのが現実です。私が山手線の中で感じる荒涼とした空気には、理由がないわけではないのです。
私はくだんの彼女に、そういう現実を知っていて東京に帰りたいと思っているのか、と訊ねました。さらに、そういう現実を知らないのなら、アーツマネジメントをやる資格はない、と厳しく言いました。社会のありようにアーツを通して関わり、立ち向かうのが、アーツマネジメントであり、アーツマーケティングという仕事のミッション(使命)なのですから。ただ東京に戻りたいのなら、戻ればよい、しかしまともな職業について、まともな生活のできる確率はきわめて低いことを覚悟しなければね、と彼女に伝えました。また、東京にアーツマネジメントやアーツマーケティングの先進事例があるというのは幻想にすぎないことも繰り返して伝えました。チャンスがあれば公立文化施設で働きたいと思っている「予備軍」は、おそらく数千人はいる。君はいま在籍している施設に入れたのだから、それはそれで幸運だと考えるべきではないか、とりあえず「機会」だけは与えられたと考えるべきではないか、と言いました。幸運にも「機会」は与えられたのだから、逆風ならば這ってでも前に進もうとすべきだし、無風状態であるなら君が風になればよい、と言って、移動のための高速バスの時間が迫っていることを彼女に伝えました。最後に、発言力のある物分かりの良い上司を見つけて、アーラ視察をそそのかしなさい、ちゃんと対応してあげるから、と冗談めいて付け加えました。
全国の公共文化施設は厳しい時代のなかにいます。出口を見つけようと必死のマネジメントをしている逞しい施設もあれば、ただただ手をこまねいて立ち尽くしている施設もあります。しかし、そのほとんどが、直近の指定管理者と指定管理料の多寡のみに危機意識をもっている、くだんの彼女の在籍している公共文化施設のようなところです。幸運にも文化施設に職を得ても、多くの若い職員たちは、「やりたい」ことと「やれる」ことのギャップに苦しんでいます。しかも、東京に行くことが必ずしも突破口にならない時代の瀬戸際で、立ち尽くしているのです。
「アーツマネジメント人材の育成」、耳触りのよい言葉です。しかし、その人材の受け皿がないばかりか、たとえ幸運にも受け皿に乗れたとしても、アーツマネジメント自体の行われていない、あるいはそれを理解しない上司のもとで仕事をしなければならない「現実」はどうするのか。アーツマネジメント人材の育成には、就業できる受け皿がないという問題とあわせて、彼らの知識や発想やスキルの生かせる環境が整っていないことも考えなければならない。そういう「現実」を見据えた施策こそが喫緊の政策課題なのではないか、と強く感じた旅でした。