第44回 出会いの不思議を思う。
2009年3月25日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
可児市に住み始めてから、もうすぐ丸二年になろうとしています。時々、アーラの西側の職員通用口で煙草を吸いながら愛知用水越しに可児の町を一望していると、どうして自分がここにいるのだろう、と思うことがあります。宮城大学で、学生や院生たちとゼミをやっていた三年前には「可児市」がどのあたりにあるのかの地理的な知識もなかったし、ましてや訪れる機会など私の身辺のどこを探してもなかった町でした。
それが、フランソワ・トリュフォー監督の『突然、炎のごとく』ではないが、出会った瞬間にアーラとの恋に落ちました。日本中探してもこれだけの可能性を秘めている劇場はほかにはない、と思いました。私が見て回った世界中の地域劇場にもこれだけのポテンシャルを持っている劇場はそうはない、と思いました。『突然、炎のごとく』のジャンヌ・モローの演じるカトリーヌは「絶えず男たちの注目と関心を自分に集めていないと気のすまない女」ですが、アーラは心を注いだだけ応えてくれるし、気まぐれに、奔放に恋を渡り歩くようなこともありません。私は人生の最後に近いところで、ものすごく幸せな出会いと、恋に落ちたのだと思っています。「老いらくの恋」ですかね。
出会いというものは本当に不思議な出来事です。恋でも、結婚でも、友人でも、仕事でも、ほんのちょっとした出会いが人生を思わぬ方向に向かわせる舵切りをするものです。何でもない、あまり気にも留めない偶然の出来事が、後になってみると必然のように感じることがあります。日本だけに限っても、1億2768万7000人もいる中のたった一人に出会って、何かが共振して、その人間の生き方が大きく変わるのですから、この不思議は頼もしくもありますが、空恐ろしくもあります。
私は1996年、49歳のときから足掛け7年間、北海道劇場計画(当初は道立劇場)に関わりました。知事の交代で計画は凍結になりましたが、本当に寝食を忘れて全精力、全見識、あらゆる創造力を駆使して身を賭した仕事でした。そのときずっと思い続けていたのが、あと10年早くこの計画に携わっていたら、ということでした。冷静に思えば、49年という時間によって集積されたキャリアがあるから、主査としてこの計画の中軸に位置できたのであり、10年早かったら、たとえ計画にかかわれても、中軸として計画のデザインを描ける立場にはなかったでしょう。40歳を過ぎるあたりから、何かにつけて、この「あと10年若かったら」がふっと頭をよぎるようになりました。そういえば「出会いの不思議」を感じるようになったのも、この頃からでした。東京で演劇評論だけを仕事としていたあと40歳を過ぎてから地域に出るようになりました。このときも「あと10年早ければ」と思いました。アーラに出会った時も、そしていまでも、「あと10年若かったら」と劇場経営の難題にぶつかるたびにいつも考えます。
本との出会いも、音楽との出会いも、さらには食との出会いも、もっと早くに出会っていればと思うことがあります。たとえば、フィリップ・コトラーの一連の著作が私のアーツマネジメントやマーケティングの考え方に与えた影響はとても大きなものがあります。そのほかにセオドア・レビットや井関利明先生など、劇場経営の戦略的思考に多くのヒントを与えてくれた先人は少なくないのですが、なかでもコトラーからは多くの考え方を学びました。「生き方」を学んだといっても過言ではないほどです。もっと早く出会っていれば、と思いますが、それまでの蓄積があったからこそ彼の著作と共振したわけですから、本当のところはちょうど良い頃合いに出会えたと考えるべきなのでしょう。
アワビのキモを食したことがありますか。料理屋で鮑の刺身を注文しても、このキモの部分は絶対に出てきません。美味しいところは、板さんたちのもので「まかない」で食べられるのでしょう。若い頃から行きつけの魚介専門の店が下北沢にあって、とはいっても20歳代はお金がないから定食のようなものを誂えてくれてタダで食べさせてもらっていたのですが、ここで三十歳代半ば頃に、他のお客さんの頼んだ鮑の刺身の上前をはねたことがあります。頼んだわけではないのですが、毎夜あらわれて一升近く飲んでいたので、「たまには変わったものを」と出してくれたのでしょう。コリコリとした歯ごたえと、濃厚な海の香りと、ちょうどよい海水の塩味と豊潤な味わい。見た目の悪さとは打って変わった味わいの鮑のキモに、私は恐れ入ってしまいました。まだ独身で、お金も以前より自由になるようになっていましたので、大抵の美味いものは食していましたが、このキモのような「廃(すた)れもの」にはそうはありつけるものではありません。「おかわり」と言ってもあるものではないのです。こんなに美味いものならもっと早くから、と思いましたが、さんざん美味いものを食べていたから、ちょっとした好奇心を「調味料」として、鮑のキモの味わいが分かったに違いないのです。これも「ちょうど良い頃合い」の食べ物だったのかもしれません。
アーラにも「ちょうどよい頃合い」に出会ったのかも知れません。早過ぎても、遅過ぎても、これほどアーラに恋したか分りません。恋はしたでしょうが、早過ぎたらアーラの可能性を引き出せる能力が私には備わっていなかったかもしれないし、遅過ぎたら時間の無さを嘆くだけになっていたかもしれません。やはり「ちょうど良い頃合い」にアーラと出会ったのでしょうか。