第34回 鳥のように飛べれば。
2008年11月23日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
朝、ベランダ側のカーテンを開けたら、百羽以上の鳥の大群が自在に宙を舞っていました。右に左に、高く低く、それは見事な飛翔振りで、しばらくは見とれていました。リーダーがいるわけでもないのに、少しの乱れもなく飛んでいる鳥たちを見ていて、羨ましいと思いました。
組織というものも、こんな風でなくてはいけないなと感じました。皆が以心伝心で一糸乱れぬ動きをする。人間ではあり得ないことかも知れませんが、そうなったら仕事は楽しいことだらけだろうなと感じます。皆が楽しさばかりでなく、自分たちの仕事に誇りを持ってくれるだろうと思います。アーラの組織もあのようになりたい、と強く感じました。
館長職に就いてから一年半が過ぎました。自動車に喩えれば、エンジンを下ろし、ボディを外して、シャーシだけを残して、新しいエンジンを載せた状態がいまだと思います。これから新しいデザインのボディを装着し、カラーを塗り替えて、ようやく丘に向かって走り始めることができると思っています。丘に向かって走り始めるにはあと二年程度は必要ではないかと感じています。ちょうど指定管理者の二巡目の頃になります。鳥の群れのようになれるかどうかは、その先の話なのですが、新しい道を切り拓くときの大変さに、私はいますぐそうなったら楽だろうな、と感じます。なにしろ前例のないことを始めているのですから。先行者のいない新しい道をつくることで、可児をブランド化しようと企図しています。それだけに、一番怖いのは「カモメのジョナソン」のようになることです。
カモメのジョナソンは、思い切り空高く飛んでから、おもむろに一直線で海へ向かって急降下します。そうして餌の魚を捕らえようとします。それが彼の美学なのです。羽がぼろぼろになっても、彼は急降下を繰り返します。仲間のカモメたちは、そんなジョナソンを奇異の目で見ています。「ジョナソンの美学」は素敵だと思います。そういう生き方に憧れを持っています。ジョナソンは、いわばドン・キホーテ的な心根をもつカモメなのかも知れません。サンチョ・パンサにはなりたくない、という気持ちから、いままで私はジョナソンのような生き方を選んできました。
しかし、組織では「ジョナソン的な生き方」ではいけないと思っています。鳥の大群のように以心伝心で自在に飛び回ることはどだい無理でしょうが、少なくとも私のような立場の人間は、皆より何歩も前に行ってしまってはいけないと自戒しています。半歩くらい先を、しかも歩いていることが大切なのでしょう。組織のマネジメントとはそういうものなのかも知れません。「ジョナソン的な生き方」を選んできた私は、時として、突っ走りたくなります。それを押さえ込むのはいささかストレスになりますが、皆の力で日本を代表する地域劇場にならないと意味がありません。是非とも可児ブランドをつくらなければいけないと思っています。そのことを職員皆が喜べなければ、誇りを持たなければ意味がありません。とは言っても、「サンチョ・パンサ」には絶対になりたくないし、なれないのが私だとも思っています。そうそう人間の生き方は簡単には変えられません。
私が敬愛してやまない、英国の地域劇場のマネジメントで長いキャリアを持つマギー・サクソンは、人間を束ねる能力、すなわちヒューマン・リソース・マネジメントを非常に重要視しています。すべての職員の、個々の才能を充分に引き出すことが、劇場を素晴らしい施設にするばかりか、市民にとって居心地の良い場所にする、と考えています。その点で、私はまだまだと思っています。何とかしてマギーに一歩でも近づきたい、と常々思っています。そして、アーラをあの鳥の群れのような組織にできたらと考えています。年が明けたら、私は62歳になります。マギーに近づくには少し遅すぎるかもしれません。夢を見るには体力が衰えてしまった、と感じます。夢は体力がなければ見られないと思っています。しかし、せめて何年後かには、鳥の群れのように飛ぶ組織にはしたいと願っています。