第32回 「帰ってまいりました」という感じのまちで。

2008年11月7日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生


稲藁の野焼きのにおいを「懐かしい」と感じます。秋が深くなって、可児のまちには稲藁を焼くにおいが漂っています。車を運転していても、外気が車中に入ってくると仄かに稲藁を焼くにおいがします。アーラから戻ってリビングのガラス戸を開け放つと、野焼き匂いの染み込んだ、ちょっと冷たい秋風が部屋に吹き込んできます。

東京生まれ、東京育ちなのに、不思議にその秋の薫りに「懐かしさ」を感じるのです。それとも、物心つかないころに母の背中で嗅いでいるのでしょうか。何処かに連れて行かれたときに、その秋の薫りに包まれたことがあるのかも知れません。あるいは、落ち葉焚きの匂いの記憶なのかも知れません。そんな、季節のあるこのまちが好きになっています。まだ、住み始めて一年半少ししか経っていないのですが、東京をはじめとするいろいろな地域に出かけて戻ってくると、「ただいま、帰って来ました」という感じがするのです。

東京に比べて可児は不便ではあります。東京の自宅からは30秒も歩けば飲食店があります。小腹がすいて何か食べたいと思えば、三軒先にはコンビニがあります。それに比べれば、可児の私のマンションから一番近い飲食店までは、街灯のない真っ暗な道を十数分は歩かなければなりません。コンビニへも同じくらいの距離があります。ですから、お腹がすいたなら自分で料理をするしかないのです。それは確かに不便ですが、これは我慢すれば良いだけの話しです。「働かざるもの食うべからず」で、どうしても食べたければ、くたくたに疲れていても自炊をするしかないのです。

東京は便利ですが、「我慢」だけで何とかなるところではありません。喧騒というか、賑わいはあるのですが、一方で人と人のあいだに風が吹いているような感じがあって閉口します。賑わいの割りには、どうしてあんなに他者に無関心でいられるのか、私には理解できないし、不快を覚えたりもします。「我慢」では何ともならないのです。生理的に寒々しさを感じるし、人間の存在が希薄に思うことがあります。

汗を沢山かくのが好きなので、冬は背筋がゾクゾクしてあまり好ましい季節ではありませんが、可児の春は好きです。新緑で顔が染まる季節はまさに「薫風」の趣きです。アーラの芝生も芽吹いて、緑の絨毯を風が洗います。アーラの西側、愛知用水の側から鳩吹山に太陽沈む夕景は一年中見られる可児の、そしてアーラの絶景のひとつです。これは本当に素晴らしい。心が洗われます。可児は人間も素敵な人が多いと感じます。マンションの子どもたちや住民の皆さんとは、行き帰りに顔を合わせば大きな声で挨拶を交わします。気持ちの良いものです。「挨拶」というのは、相手に関心がありますよというメッセージですし、相手を受け入れているという証のようなものです。心がふっと軽くなります。ちょっと「我慢」さえすれば、可児ではそんなに嬉しくなることも沢山手に入れることが出来るのです。

可児市は、ちょうど良い規模の、「人間サイズ」のまちだと思っています。東京のような巨大都市となると、人間がみな歯車のように矮小化されて、自分とまちのあいだの脈絡を断絶されているように感じます。阪神淡路大震災のときの経験から、私は、まちは人と人の関係の中にあると思っています。その意味で、大都会に比べて可児市はとても人間的なサイズのまちだと思います。そんなまちにあるアーラも見事なほどに人間サイズの劇場です。地域の劇場は「立派」である必要はありません。人を圧するような「立派」な公共ホールを良く見かけます。そういう公共ホールほど、何も事業のないときには閑散としています。アーラは年間24万5000人の市民が訪れています。このうちおよそ4万5千人は、何を観るでも、聴くでもなく、アーラに訪れている人々です。一日に延べて150人ほどの市民でホアイエが賑わっているわけです。これほど市民に親しまれている劇場空間は他にあるでしょうか。

本当に良いまちです。体温を感じるまちです。温もりのある劇場です。季節のある、人間サイズのまちです。この可児市を全国ブランドにしたいと思っています。こんなにも住みやすく、居心地がよく、誇れる劇場のあるまちを、全国の人々に知ってもらいたい、そう強く思っています。昨日も「帰ってきました」と、可児に戻ってきました。