第180回 シジュホスの神話」に落日の時を 関係資本とマネジメント・スキルの経験集積が「公共劇場の使命」を担保する。

2016年3月31日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

地方自治法の改正で指定管理者制度が導入されたのが2003年のことで、すでに13年にもなります。その間に一貫して劣化してきたのが雇用環境であったことは衆目の認めることではないでしょうか。2003年以前から、総人件費の削減は行財政改革の名目のもとで進められていましたが、指定管理者制度の導入により「錦の御旗」を得た施設設置者側は、加速度的に雇用環境を悪化させていきました。労働基準法第14条の「労働契約の契約期間を3年以内とすることができる」を都合よく適用させて「新規採用は最長3年までの有期雇用」という要件が自治体側から、あたかもそれが正義であるかのように平然と提示されることになります。当然のことながら、欠員補充はしなければなりませんから年々有期雇用の職員は加速度的に増加することになります。しかも、その当該職員が「3年雇止め」なのですから、毎年のように欠員が発生してその館の非正規職員比率は年々高くなります。「雪だるま式」に劇場ホールは非正規雇用者の塊になって行きます。仕事に対する意識と使命感と技術集積は年を追うにしたがって「低密度」になることが避けようもなく起こるのです。

私の知る事例では、「特別支援」に採択されて、誰もが「日本を代表する劇場音楽堂等」と認識しているだろうある施設の非正規率が、指定管理者制度の導入翌年に43.8%だった(2003年時でこの数値は随分と高い)のが8年後の2012年には66.7%にもなっていて、あれから4年も経っているのだから、おそらく現在では80%近くになっているのではないかと推測しています。その2012年の8月には「改正労働契約法」が公布され、翌2013年4月1日に施行されています。この改正の主なものとしては(1)「無期労働契約への転換」、(2)「<雇止め法理>の法定化」、(3)「不合理な労働条件の禁止」があります。これらは使用者側にとって従来からの制度に比べてかなりに厳しい制約を設けたものと評価できますが、にもかかわらず劇場音楽堂等では「3年雇止めの有期雇用」は常態化したままであり、精々のところ「有期労働契約が通算で5年を超えて繰り返し更新された場合に、労働者の申込みにより、無期労働契約に転換します(労働契約法第18条第1項)」に依拠して発生すると予想される無期雇用契約への転換を回避するために、姑息にも鉛筆をなめて「4年を超えない有期雇用」と募集要項を書き換える程度でしかありませんでした。

とりわけ、技術集積と市民との関係資本を経営資源としなければサービス機能自体が経年劣化することが自明であるにもかかわらず、作品創造型や包摂型の劇場音楽堂等が、タコが自らの足を喰うように自らの「強み」をひたすら空洞化に邁進して「有期雇用契約」の職員の増殖に危機感を持っていないことに、私は呆れるばかりでした。自らの劇場音楽堂等の持続継続性及び外部環境の変化に適応する能力をほぼ放棄しているに等しいこの事態は、結果として当該施設の経営責任者が、自分の任期中だけはそのステータスが維持できればよいという身勝手な考えに依っていると思わざるを得ないと考えるのは穿ちすぎでしょうか。これは、行政職員の退職派遣及び現職派遣が経営管理者としてポストを得ていることと無縁ではないのです。雇用形態を変えようとすれば当然自らの親元である設置自治体との丁々発止の厳しい交渉が必然となるし、組織の多少の歪みは仮に放置しても自分の任期の間は「何とかなるだろう」という気分が支配的になるのではないか。

経営とは、明日の成果よりも中長期的なデザインの中で何をどのように投資してより生産性の高い、ステータスの高い組織として進化を得るかを図ることです。有体に言えば、現在「特別支援」となっている15館のうちの3分の2は、およそ5年以内に技術の継承と蓄積を放棄していたために存亡の危機を迎える事態に陥ると思われます。地方自治法が改正施行された2003年9月の翌年の全国アートマネジメント研修会で、草加叔哉氏と「指定管理者制度」についてのセッションを受け持ちましたが、その時に私は「これは雇用環境に大きな変化を及ぼす」と警告を発しました。その頃はまだ大学の教員で研究者であり現場経験の乏しい時代でしたが、折からの行財政改革こそが正義であるかのような時代の空気と、何が何でも「官から民へ」が正義であるかのような風潮の中で、私は直感的にこの事態はただならぬ危機的状況を生むと確信していました。

案の定、「錦の御旗」のもとで劇場音楽堂等の雇用環境は急速に劣化して、職場環境は悪化して、劇場音楽堂等の存立基盤を年々脆弱化させることになりました。その後も、指定管理者制度導入後10年となった2013年からたびたび「館長エッセイ」と「館長VS局長」で警告を発していたにもかかわらずです。

その主なものを以下に挙げておきます。時間のある時に目を通していただければ幸甚です。

『時限爆弾を抱え込んでいる公立劇場・ホール― 非正規雇用率の高い職場からは優れた劇場音楽堂は生まれない』(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_151.html)、『指定管理者制度による雇用の不安定化と人材育成は両立するか』(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_161.html)、『忘れられた、従業員満足』(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_182.html) 、『職員は「資源」、しかも「利息」を生む「資産」と認識すべき』(http://www.kpac.or.jp/column/kan39.html)、『職員は「資産」か、それとも「道具」か』(http://www.kpac.or.jp/column/kan48.html)、『「人材育成」は人材への投資に他ならない』(http://www.kpac.or.jp/column/kan55.html )、『新しい職員を迎えて思うこと ― 再び「人材育成」とは人に投資すること』(http://www.kpac.or.jp/column/kan57.html)。

これらの提言の中で、私は「3年雇止めの有期契約雇用」をひたすら繰り返す愚かさをアルベール・カミュの「シジュホスの神話」になぞらえています。神々の怒りをかったシジュホスは、神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまうという話で、同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだが、指定管理者制度下での劇場音楽堂等の管理職がやっている有期雇用契約の職員採用を、私はこのシジュホスの喜悲劇的な徒労に満ちた行為に重ね合わせていました。しかも、その行く末は「結局は同じ結果にしかならない」のではなく、劇場音楽堂等と社会の外部環境の急激な変化につれて、年々その事態は劣化していくのです。そのうえ、劇場音楽堂等は若く才能のある人々にとって将来的に希望の持てないものとなり、優れた人材にはスル―されてしまうという事態に陥ってしまったわけです。もうすでにその陥穽にはまってしまっている日本を代表する劇場音楽堂等がいくつもあることに、私たちは危機感を持つべきだと思うのです。

「非正規雇用の正規化」の動きは、可児市周辺では公益財団法人かすがい市民文化財団と公益財団法人大垣市文化事業団ですでに始まっていますが、日本を代表する劇場音楽堂等であり、劇場音楽堂等活性化事業で「特別支援」に入っている彩の国さいたま芸術劇場を抱える公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団が、実に数年をかけてこの制度改革に取り組み、この4月1日から有期契約職員の無期労働契約への転換を果たしたというビックニュースが私にもたらされました。日本劇団協議会の理事会で同席した同財団の業務執行理事で事業部長の渡辺弘氏から、「衛さんに報告することがある」と言われて、上記のような人事案件が3月15日の財団理事会で決まったとの報告を受けました。

有期雇用契約の雇止めを繰り返していて、人材育成にかかる時間を考えると、ほとんど「もう手遅れ」と思われる「特別支援」の劇場音楽堂等が多い中で、彩の国さいたま芸術劇場を抱える公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団のこの経営判断は、将来にわたっての中長期的な劇場の進化を視野に入れたものであり、「シジュホスの神話からの訣別」であると私は高く評価しています。経験価値と技術集積と関係資本の集積は一朝一夕に起こるものではありません。そのために費やされるであろう長い時間を担保できることは、彩の国さいたま芸術劇場の中長期的な経営健全化を制度として手に入れたことを意味します。可児に戻った翌日に私は竹内文則理事長に電話を入れて、「素晴らしい、大英断です」と弾む気持ちを抑えられずにいささかつんのめった口調で伝えました。竹内理事長は「創造型の特別支援でありながら、非正規雇用の職員が3分の1というのはおかしいとずっと思っていて、半分を超える時期に労働契約法が改正されたので、県との協議を本格化させた」との旨のお話でした。

その1週間後に文化経済学会の理事会が東京であり、その合間を縫って彩の国さいたま芸術劇場を訪れました。これまでの経緯を専務理事で芸術劇場館長の木全義男氏がA4一枚のペーパーに纏めておいてくださり、竹内理事長、谷澤正行業務執行理事兼総務部長、島田功総務部参事兼経営企画課長、それに渡辺弘氏が私を迎えてくださいました。いささか仰々しくなって困惑しましたが、ペーパーを用意していただいた上に関係するエグゼクティブの方々に話を伺えたのはとても有難いことでした。

竹内理事長が財団理事長として着任したのは2003年4月で、すでに地方自治法の改正は通常国会の審議日程に組み入れられており、竹内氏が着任したときには県の指導で「新規職員を採用する際には、有期契約職員(契約期間1年・最長3年まで契約更新)」とされており、「ガチガチに固められていて身動きが取れない状態」だったそうです。それでも「これはおかしい」と思ったそうです。考えてみれば竹内理事長は常葉大学の経済学部で教鞭をとっていた研究者であり、劇場という業態は対面サービスを業務に含むサービス業であり、その業態が住民や芸術家等のさまざまな利害関係者との関係資本、つまり信頼関係を抜きにしては成立しないという経済学や経営学の「常識」をわきまえており、たとえ3分の1であっても、3か年以内にいなくなる職員によって劇場業務が支えられているという事態は、理をわきまえている経営者ならその基盤の脆弱さを感じないはずがないのです。今回の雇用環境の改革の発火点は、就任してすぐに感じた違和感であったとのことでした。

当時の有期契約職員の給与は定額で、その他に通勤手当、休日・時間外手当、勤勉手当が支給されているものの、正規職員には扶養手当、地域手当、賞与(期末・勤勉手当)が支給されており、待遇の格差は厳としてあったという。改革の助走は2006年には早くも始まります。有期契約職員数の増加に伴って、3年を超えての契約更新がどうしても必要となることから、有期契約職員を「第1種契約職員」(契約更新が3年までの職員)と「第2種契約職員」(3年を超えて契約の更新できる職員)というかたちにするために就業規則を改正し、同年からは第2種契約職員には住居手当の支給が行われるようになります。翌2007年には有期契約職員への給与等の改善がなされます。?常勤のプロパー職員と同じ給与表の適用、?勤勉手当支給の改正・第1種契約職員は年間2ヶ月分、第2種契約職員は年間2.4か月分、となり、4年後に改正される「労働契約法」により定められる重点ルールのひとつである「不合理な労働条件の禁止」を先取りするかたちでの待遇格差の是正に着手しています。

この点が今回の改革の大きなポイントとなるところで、規制する法律が成立したからそれに従って改革を進めたのではなく、就任当初から竹内理事長が感じていた違和感を解消する方向で、決してぶれることなく動きを進めた結果が、その後の一連の動きを下支えしていることです。私は劇場というものは体温のある場所でなければならないと思っていますが、ここまでの改革を検証しただけでも、竹内理事長の職場環境へ向けられた人間を中心に据えようとする温かみのある眼差しを感じます。

2012年8月10日に労働契約法が改正されると、改正後の重要ポイントである(1)無期労働契約への転換、(2)「雇止め法理」の法定化、(3)不合理な労働条件の禁止、に対応するために翌9月から県の改革政策局との協議に入ります。これは相当に厳しいネゴシエーションであっただろうことが、居並ぶ幹部職員の皆さんの口ぶり、表情から窺われました。この頃には正規職員と非正規職員の比率が逆転しており、竹内理事長の人間的な信念としても、また経済学者としての矜持から言っても、一歩も引き下がれない交渉だったのではと想像しています。今回の改革が大きく動き始めるのは改正労働契約法が成立した翌々年の2014年になりますが、施行は2013年4月1日であり、2012年8月10日には(1)無期転換申込み権と(2)不合理な労働条件の禁止は効力を持っていないわけで、私の想像では法成立と同時に効力があると認知されていた「雇止め法理」の法定化を中心に翌年4月の施行を視野に入れながら県と協議したのではないかと思っています。

改正労働契約法の施行直前の2013年3月29日に「劇場音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針」が告示され、その第2.の10.に「指定管理者制度の運用に関する事項」があり、具体的な努力目標の一つとして「その設置又は運営する劇場,音楽堂等の設置目的を実現し,運営方針を踏まえた劇場、音楽堂等の事業を実施するために必要な専門的人材が配置されている施設にあっては、より質の高い事業を継続的に実施する観点から、年齢構成に配慮しつつ、分野ごとに必要な専門的人材を適正に配置すること」とあります。この「大臣指針」の作成過程で文化庁は総務省との協議を行ったということを仄聞しています。劇場音楽堂等活性化法(いわゆる劇場法)を施行するうえで、文化庁が指定管理者制度の運用における雇用環境の劣化に相当の危機感を持っていることが窺えます。

前段の「雇止め法理」というのは、最高裁の判例に従って契約の更新の期待が社会通念上合理的と認められるものに対して被雇用者に有利に働いていた事実であり、「改正労働契約法」はそれを法律条文で実定化した(第19条)ということです。2015年4月にはプロパー職員と契約職員とのあいだにあった給与制度と休暇制度の格差是正改革が行われます。交渉を開始した2012年9月から2年半余りの時間がかかったということで、それだけでもきわめてタフな協議であったことと、竹内理事長の意志がそれだけ固かったことを物語っていると思います。この段階で改正労働契約法の「不合理な労働条件の禁止」への対処がなされて、残るは「無期労働契約への転換」のみとなり、2016年4月1日をもって対象者23名のうち退職者1名を除いた22名が「無期労働契約」を締結したというのが今回の雇用改革の流れの全体像です。

労働契約法の改正の問題点として、無期転換後の労働条件は特段の定めがない限りはそれまでの労働条件と同じでも良いことになっており、法曹関係者からは、それまでの無期雇用職員と転換後の職員の間に処遇の格差が生じてしまうのではないかということが言われていました。公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団の今回の雇用改革は、昨年度にすでに「不合理な労働条件の禁止」への対処がなされているため、前記の問題はきれいにクリアされていることになります。改革をきわめて段階的に進めたことで、「無期転換」した職員の不利になる法の問題点も事前に手当して実に手際の見事な改革と評価できます。

春日井市と大垣市でも「無期転換」がなされていると先に述べましたが、大垣ではそれによって支給される給与が下がるということが起きているようです。指定管理者である何処の文化財団も、総人件費のサラリーキャップ制は設けられているわけで、計画的に雇用改革を順次進めないと「無期転換」する職員と従前からのプロパー職員とのあいだに格差ができるのを防ぐことは出来ません。非正規職員の給与に対して、社会保険や各種手当、福利厚生費等を加算すると、正規職員にはおよそその1.675のコスト増が生じると言われます。ですから、周到に準備して無期雇用転換をしないと転換者には不利になる事態と職員間の格差が生じてしまうのです。しかし、それは雇用改革後に是正することも充分に可能ではあります。何よりも、劇場という業態では職員は使い捨てできる「コマ」ではなく、重要な「経営資源」であるという至極当然な認識が今後の劇場経営のスタンダードとなるべきだと私は思っています。

竹内理事長との話の中に出てきたのですが、買い公演の鑑賞事業と貸館を専らとする劇場音楽堂等であるならまだしも、創造型の製作劇場ホールが人材育成という投資や経年経験による技術集積、アーチスト、観客来館者、施設利用者を含む多様な利害関係者との関係資本等の劇場経営と事業製作に重要な役割を果たすいわゆる「無形資産」あるいは「簿外資産」をなんら顧みず、さらには後継者としての人材育成と技術蓄積までもが不可となる雇用環境をこのまま放置することは「施設経営の持続継続性」までも顧みないことになるのです。やがてはその劇場音楽等々が機能不全を起こすことが自明なのではないか、という危惧が、近い将来に取り返しのつかないかたちで現実となるように私には思えます。劇場音楽堂等活性化事業の「特別支援」枠にアプライする要件に、将来的な事業の「質的高度化」と「持続継続性」を考えるのなら、「全職員数に対する正規職員率」を加える必要があるのではないか。それが第3次基本方針にある、公的資金による「戦略的投資」を担保すると私は考えます。そして、それが経費節減に偏りすぎている現行の指定管理者制度の運用を糺すことになると私は断言します。制度の問題点の本質に切り込むことになるのではないか、と思います。その意味で、今回の埼玉県芸術文化振興財団の改革は、指定管理者制度導入13年目にして、その問題点を看過してきた私たちに確かな一石を投じたことになります。その周到なプロセスの意味するところを、私たちはしっかりと受け止めなければならないのではないでしょうか。