第172回 「集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング」再読 ― これからの劇場を担おうとする方々にぜひ読んでほしい論文。
2015年5月27日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
英国北部リーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)との業務提携の協定書(Agreement)への調印が3月11付で双方で済み、人事交流と経営ノウハウの技術交流、滞在型国際共同制作の舞台創造の双務性のある提携関係が(公財)可児市文化芸術振興財団とWYPのあいだで正式に発効しました(http://www.kpac.or.jp/outline/wyp.html)。東京を介在しないで地域の劇場間にこのような提携関係が成立するのは、おそらく全国で初めてのことではないでしょうか。毎年の職員の派遣で、私が考えている劇場の在り方を職員すべてと共有することができるようになったことが、何よりもこれからのアーラにとっては財産になると思っています。私の17年間の、是非ともWYPのような劇場を日本に現在させたいという思いと、「世界水準の芸術性」と「地域社会への貢献」を等価で両立させるWYPのミッションこそが日本の公立劇場には必要で、それをモデルにして「追いつき追い越せ」でアーラをつくりあげた一つの結節点として、この協定に至ったのだと私は思っています。
2008年、私は竣工5年目を過ぎて黙っていても人が集まるビギナーズラックに翳りが見えてきていたアーラを何とか再生させるためのSWOT分析を行い、何を「強み」とし、何が「弱み」と心得て再建すべきかを探る仕事に邁進していました。と同時に、私が理想とする地域劇場へとアーラをリデザインするために組織・人事体制、事業の組み立て、チケットシステム、存立理念、果たすべき使命のすべてをゼロベースで見直し、可児市民にとって必要な施設へと位相が180度転換するほどのドラスティックな改革を進めていました。当面の改革を猛烈なスピードで進めて、常勤館長になって一年で自分の任務を完遂できると目途がついてきたのを見計らって、私はその改革の「相棒」であった篭橋事務局長(現教育長)を誘って、私が考える理想的な地域劇場のグランドデザインを彼と共有するため、渡英してWYPを訪れることを計画しました。むろん自費での渡航でした。できるかどうか分からない「グランドデザイン」のために公費を使うわけにはいきませんから。
ところが、折からの新型インフルエンザの世界的流行があって、私たちの旅行計画には分厚い壁が立ち塞がっていました。マスコミでは「もはやパンデミックを想定すべき」との論調がなされていました。そのような状況で、私は民間人であるからまだしも、市からの現職派遣の職員だった篭橋事務局長は様々な軋轢の中に放り込まれてしまいました。私たちの渡英する意図を知らない役所からは「こんな時期に海外旅行なんて」という圧力がかかったのです。たとえ役所が「意図」を知っていたとしても、きっと「大法螺吹きの戯言」と受け止められたに違いありません。なにしろ私はまだ就任して間もない頃でしたし、たとえ私がアーラを将来的に何処に持っていこうと確信的に考えていたとしても、たかが元大学教授の研究者であり、演劇評論家であり、実践的な経営者としては何の実績もなく、何処の馬の骨かわからない訳ですから、誰一人聞く耳は持っていなかったと思います。ほとんどドン・キホーテ状態の渡英計画でした。
一時は渡英の中止を余儀なくされるのではないかという形勢になりましたが、当時の山田市長の「問題ない、行け!」の一言で相当強引に渡英することができました。いくつかの英国の地域劇場を回って、劇場と地域社会の関係づくりの実際を視察しました。当然ですが、リーズ市のWYPにも訪れました。しかし、久しぶりに訪れたWYPは、私の知っているかつての賑わいのある劇場ではなくなっていました。驚くほどの変化でした。劇場経営に失敗があったと後日聞きました。ともかくも、私はWYPとの業務提携のオファーを、就任間もない最高経営責任者(CEO)のシーナ・リグレイと当時の芸術監督のイアン・ブラウンとの懇談の中で提案したのでした。
いま思えば、彼らからするとかなり唐突な申し出であったと思います。私がWYPを最初に訪れて、その高水準な舞台製作と当時の日本では考えられないほどの量と質と幅のコミュニティへのプログラムに驚いたのは1998年のことです。その時のWYPの芸術監督は現在サウスバンク・アーツセンターの芸術監督をしているジュード・ケリーで、彼女と現在のWYPの基礎をつくったのは経営監督のマギー・サクソン(現アーツコンサルタント、英国マネジメント協会及び英国王立芸術協会評議員)でした。せいぜい、隔年程度の頻度で日本から学生や劇場関係者を連れてツアーでやってくる大学教授がいて、隔年でWYP関係者を日本に招いてセミナーを主催している人間がいる、という程度の申し送りがあったくらいだったでしょう。
確かに最初の訪問から2年後、3年後、そしてその後も定期的に、代表理事をしていたNPO法人でWYPの劇場スタッフやスクール・ツアリング・カンパニーを招聘して、札幌や金沢、東京でセミナー&シンポジウムを催行していましたから、当時の芸術監督ジュード・ケリーや経営監督マギー・サクソンのどちらかであったなら、私がWYPを高く評価していて、最近大学と大学院の教員を辞して劇場経営の現場に立っていることは知っていましたし、その申し出はある程度は理解したでしょうが、いま考えれば如何にも唐突な申し出と感じただろうと思います。ましてやイアン・ブラウンには何回か学生や劇場関係者でツアーを組成してWYPに行った折に話はしていましたが、意思決定権のある新任のシーナにはキツネに抓まれた感は否めなかったでしょう。それに当時はマギーを追い出すかたちで芸術性の担保あわせて経営の実権を握っていたイアンのプログラムが不評で、その立て直しでシーナが、彼のいわば監視役としてリクルーティングされたばかりだったので、私たちの申し出に対する明確な意思は示されないままで終わりました。
しかし、その年度末の私どもの大型市民参加型プログラム『オーケストラで踊ろう ― シベリウス交響曲第2番』を評価してもらう目的で、現在でもその辣腕を振るっている芸術開発部長のサム・パーキンスとスクール・ツアリング・カンパニーの演出家ゲイル・マッキンタイアをアーラに招待し、またその後も何度かツアーを組成して英国地域劇場のアーツマネジメント研修を催行していました。そして、世界劇場会議国際フォーラム2013の折に、他の英国のパネリストとともに最高経営責任者のシーナを招聘してアーラをつぶさに見てもらいました。その時に、シーナから他の英国パネリストに席を外してもらい私と二人だけで話したいとの申し出があって、アーラとの提携に積極的に取り組みたいという意思表示がはじめてありました。そのあいだに芸術監督は、イアン・ブラウンからスコットランドのダンディレパートリーシアター時代に会ったことのあるジェイムス・ブライニングに代わっていました。
協定書の署名が完了してそれが手元に届くまでのあいだ、私は、大学の教師との兼務であった1年間の非常勤館長時代のアーラ経営の基礎づくりを理論的にまとめた『集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング』を読み返していました。WYPとの提携契約を具体的にロードマップに描いて考え始めた頃に書いたものです。2008年4月に執筆をはじめて、およそ10か月で約14万8000字という長大な論文を書いたわけですが、フィリップ・コトラーとジョアン・シェフ・バーンスタインの共著である未翻訳の『Standing Room Only』をはじめとする多くの研究論文を横糸に、理想の劇場づくりの私の考えを縦糸にして、さまざまに仕組んだ劇場経営の手法の理論的根拠と現実的整合性が、不十分な個所はあるものの、かなりなところまで書き尽くしているという読後感を持ちました。
この論文は、私が東京から地域に活動の舞台を移した90年代初めから早稲田大学を経て県立宮城大学・大学院の教員時代にかけて研究したアーツマネジメントとアーツマーケティング、それに公共政策としての劇場経営の総括と言えるものです。いわば、県立宮城大学事業構想学部・大学院研究科で持った4つのゼミで教えていたことをまとめたものと考えてくださって結構です。「北海道劇場計画」、「WYPとの出会い」、「早稲田大学での研究」、「県立宮城大学でのゼミ生との理論構築」を経て集積された劇場経営の成果と言えるものです。
館長就任1年目に書き始めたものですから、現場での実証というスクリーニングは「これから」というところでしたが、この理論に「体温を通わせる」作業をすれば日本ではそれまで成立していなかった「これからの劇場」のモデルができるだろうという思いはありました。アーラのウェブサイトの相当奥深いところに隠れていて、何クリックかして、2回ほど長いスクロールをしないと辿りつけないので、ほとんどの読者に目に触れることはなかったと思います。私でさえ何処にあるのか定かではない程でした。その『集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング』をウェブサイトの1ページ目にタブをぶら下げてアクセスしやすいよう指示しましたので、今後は簡単に目に触れることが可能になります。WYPとの提携を考えていたころに書き下ろした、日本の公共劇場の私のグランドデザインと考えてくださっても良いものです。是非とも目を通していただきたい論文です。アーラの劇場経営の実践的根拠を理解していただけると思います(http://www.kpac.or.jp/kantyou/ronbun-all.html)。
6年ぶりに改めて読み返してみて、私たちが何気なく行っている制作手法やチケッティングや劇場のマネジメントにどのような経済学的根拠があるのか、あるいは行動経済学の知見によるといかなる論拠があるのかが比較的丁寧に書き込まれており、これから新たに劇場を設置してマネジメントをしなければならない人たちや、従来の「常識的な劇場経営」から脱して新しい経営を目指そうとしている方々、それに卒論や修論や博論をこれから書こうとする若い世代、また将来的に劇場で働きたいと思っている人々に、新しい視点と論拠を提供できるものとなっていると思いました。
表題の「集客から創客」は私が90年代半ばから言い続けている鑑賞者開発の手法であり、副題の「回復の時代のアーツマーケティング」の「回復の時代」とは、経済効率至上の時代から21世紀は「人間としての尊厳と営み」を取り戻す時代にならなければいけないという思いを込めて、いつかは出版したいと思っていたアーツマネジメント関係の本のタイトルとして『芸術文化行政と地域社会』を出版した頃から考えていたものです。決して旧くはなっていないと確信しています。文化政策学や文化経済学の研究者の方々も、アーラや劇場経営を研究する上で、また日本の公共劇場の研究をするうえでの前提としても是非とも読んでいただきたい論文です。そしてさらに言えば、この論文は、政府自治体との交渉事を進めるうえで当事者の言説に十分な政策根拠と説得力を持たせることが可能となる内容であると自負します。早稲田大学と県立宮城大学で教員をしているあいだに蓄積した、まさに変化する時代の「劇場経営論」です。何しろ15万字にもなろうとする長大な論文なので、簡単に読んでほしいとは言いにくいのですが、たとえ経済学や経営学などの知識がなくても、十分に腑に落ちるものとなっています。
追記要請 再び要請します。これからの文化政策の経済学的根拠、公共政策学根拠を定立させるために私と共同研究していただける研究者を求めています。どのような社会を実現すれば、人間的尊厳が守られ、自律的な生命の輝きが生まれ、文化的な生活を享受することができるのか、というような社会構築のデザインを共有できる、専門的な知見を持った方と共同研究をしたいと切望しています。
連絡は、ei-kisei@kpac.or.jp にお願いします。