第159回 思い付き」と「ひらめき」― 劇場経営を仕組む作法。

2014年4月3日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

「どのようにしてアーラのような劇場を創り上げたのですか?何かモデルになるものがあったのですか?」と昨年から聞かれることが多くなりました。一つは、40歳代の半ばに上梓した『芸術文化行政と地域社会 ― レジデントシアターへのデザイン』の第5章「滞在型共同制作の財政的課題とレジデントシアターへの道」に記した内容がその萌芽なのですが、「追い付き、追い越せ」と目標にしたモデルとしては50歳前後に英国北部のリーズで出会ったウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)です。ロンドンのナショナルシアターに招待されて1ヶ月間の公演を打ったり、ロンドンの興行街ウエストエンドにトランスファーされる舞台を製作している一方で、年間1000回にも及ぶコミュニティ・プログラムを実施して20万人もの人々が参加しているという劇場の存在には驚愕しました。『芸術文化行政と地域社会 ― レジデントシアターへのデザイン』で構想した公共的な劇場がそのまま現実に存在したのですから正直驚きました。

その論理と構想とWYPのイメージをベースとして、2003年に凍結された北海道劇場計画の基本構想、基本計画、PFI調査、基本設計まで7年間にわたって関わっていました。用地が札幌駅前の高度利用地区であったために、観光客にも向けて一年中ミュージカルを上演する1200席の大ホール、演劇の1ヶ月公演を会員向けに上演する600席の中劇場、地元の舞台芸術関係者が複数回数の公演を打てるような200席で、しかも舞台機構は中劇場並みの小劇場、それに北海道劇場の人事ツリーとまったく同様な組織体制をもって子供だけで運営するエンジェルシアターの四つの劇場と、その他の数多くの練習室・リハーサル室を備えた計画でした。

それでもなお多くのテナントを必要とする容積率でしたが、障害者福祉施設に委託するパン焼き工場に隣接する直営レストラン、さらに在宅高齢者の宅配弁当の会社も併設する計画でした。また、地元在住の演劇人4人1組で道内の学校や福祉施設にアウトリーチするカンパニーを5組、半年の委託期間で前後期に分けて契約し、全道をツアーする計画などもありました。その意味では、劇場法をさかのぼること10数年前に社会包摂的な劇場を計画していたことになります。のちに副知事になった当時の道庁文化振興課の課長に「こういう劇場は日本の何処にあるのですか」と訊かれて「日本には何処にもない劇場ですよ、外国に行けばありますけど」と答えて「エーッ」と驚かれたことがありました。

アーラはその北海道劇場計画で練り上げられた劇場経営の構想を、基本的にはダウンサイジングしたものですが、人口10万人の可児市というまちにマッチした要素も数多く付加しています。経年の「市民意識調査」を徹底的に読み解き、実際に住んでみての市民との関わりから実感する日常体験がベースとなって、いまもアーラの経営計画は進捗し続けています。「そういう計画はどんなふうに考えるのですか」とも言われます。「思い付きです」と私はあっさりと答えます。視察相手や講演などの受講者は虚を突かれたような表情になります。良く言えば「ひらめき」や「インスピレーション」です。時にはサービス業の経営者や起業家からインスパイアを受けて経営の仕組みを設計することもあります。その設計図の中には、可児ならではのものばかりではなく、全国どこでも導入すべき経営システムも沢山あります。

「思い付き」には理由があります。40歳代に入ってから猛烈に勉強したマーケティングを含めた経営学、経済学のなかでも特に文化経済学と行動経済学、認知心理学、公共政策学、地域経営学、組織運営学等々がベースとなって「ひらめく」のです。それでも先人の研究によって裏付けができるまで根拠をしっかり固めます。むろんリスクは取りますが、80%前後の「成功の確信」が持てるまで「裏をとる」ことに専心して、確信が持てるようにします。むろん既に持っている知識のみではなく、必要なら、あるいは予想通りに仕組みの動く確信が持てないのなら関連する先行研究を渉猟することもあります。そして、20%前後のリスクはとれると確信したら制度設計は完了です。

事業や演目の決定にも同じことが言えます。アーラの経営方針としては、メロンパンが食べたい人に、パケットにオリーブオイルを添えてテーブルに置き、食べさせようとすることはしません。「市民の半歩先」というアーラの考え方は、舞台芸術の進化のために実験的で、先駆的な事業をあえてやる東京の業界とはまったく異なる地域劇場の生き方です。集客が出来る、出来ないだけで事業の選択・決定はしません。集客が出来なくても、可児市民にとって「メロンパン」であることもあります。たとえばマキノノゾミさんの作品『東京原子核クラブ』をアーラで最初に上演した時の客席稼働率は36%程度でした。ガラガラでした。それでも15分の休憩時間に耳にした可児市民の声は、「凄く面白い」というものでした。そこで、「マキノノゾミは可児市民にジャストフィットしているのでは」という感触を得ました。そして翌年にも彼の『赤シャツ』を上演しました。50%弱という集客率でしたが、アンケートの回収率が抜群に高く、しかも好意的な評価ばかりでした。そしてマキノ氏に年3本のマキノ作品をやる「マキノノゾミ・イヤー」をやらないかと申し入れて、それがアーラコレクションで、関西で十三夜会賞を受賞することになる『高き彼物』に繋がるのです。『高き彼物』は8日間で1767人の観客を集める舞台になりました。3年がかりの成果でした。

どれほど遠大で、壮大なビジネスプランも、その当初はちょっとした「思い付き」から出発しているのではないでしょうか。それほど壮大なことではないのですが、アーラの人気公演に『シリーズ恋文』というシリーズ物があります。これを思い付いたのは館長になって2年目のことでした。すでにアーラコレクションという滞在型創造事業を始めていたのですが、キャスティング依頼の時、どの俳優も何処にあるか分からない可児市という小さな町に1ヶ月半滞在することに不安を感じていました。持病のある俳優から「大きな病院がなくては」と断られたこともあります。本当にキャスティングには大変苦労をしました。

そんなことに頭を悩ましている時に、可児のスーパーマーケットであるバローで買い物をしていました。このスーパーには、やたらに多くのPB(プライベートブランド)商品があることに気付きました。PBですと、当然ですが、仕入れが安価で済み、上代も廉価で売り捌ける訳です。「これだ!」と思いました。仕込経費が低く、廉価でお客さまにも提供できる舞台製作は、俳優の側から見れば「お試し可児暮らし」になってステージあたりのギャラは高く、私にとっては長期滞在型への参加の種蒔きになります。三方善しなのです。

そこで出てきたのが、短期間の稽古で出来るリーディング公演で、5日間の滞在で、3日間稽古、2日間2ステージ公演のプロジェクトでした。短いストロークのリーディングとして、すぐに手紙を読むという形式が、経費的には適切だと思いました。リーディングなどという形式を知らない可児市民だけに不安はありましたが、「手紙」は良い思い付きだと膝を打ちました。そこで有名な作曲家や画家と恋人や愛人との往復書簡を読み漁りましたが、翻訳が悪いせいか心に響いてきません。そんなときに手にしたのが、秋田県二ツ井町(現能代市)が主催した「恋文コンテスト」の全国公募で集まった「普通の人々」の筆になる恋文でした。2分から2分半ていどの恋文で、短いだけに思いが凝縮されており、リーディング公演を未体験の可児市民も退屈せずに聞ける、と思いました。恋文を繋ぐブリッジに何か楽器の生演奏を挟めば、内容にとても心が動くだけに一級の舞台作品になると確信しました。

これで知名度もバリューも高い俳優を可児に招けると思いました。 今年は渡辺徹さんと石川さゆりさん、これまでには風間杜夫さん、佐藤B作さん、津嘉山正種さん、三田和代さん等が可児に滞在しています。5年後のアーラコレクション・シリーズの種蒔きは出来ていると感じています。こんな瓢箪から駒のように成立した『シリーズ恋文』も、来年度からは地域巡演演目になります。鳶が鷹を産ませた気分です。