第154回 あそこは特別、真似しようと思っても無理」。
2013年10月25日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
表題は、私がFacebookに書き込んだ、1800席のホールを計画している那覇市からの視察に関して書き込んだ提言へのレスポンスとして、徳島市民の方から寄せられた投稿にあったもので「徳島市の新ホールは計画段階にも関わらず、大1500、小300の席数は変えられないと市が宣言しています。市民の文化活動などそっちのけで興行的、また文化を育てる視点など皆無で計画が進行しています。衛先生のお話などだと、『あそこは特別、真似しようと思っても無理』と言われる始末」からの引用です。アーラは決して「特別な」存在ではありません。何処でも真似をしようと思えば真似のできる方法しか仕組んでいませんし、現に色々なところに呼ばれて講演する時にも「どうぞ、積極的に真似をしてください、予算が少ないならダウンサイジングすれば良いだけのことです」と話して、その経営手法と、その手法の根拠となる考え方を指導したりもしています。それによって成果が出ている公立ホールもあります。アーラは決して「特別な」マジックを施している施設のではないのです。
もし「特別」なのだとしたら、市民・顧客の立場に寄り添い、彼等にとって「価値」とは何か、どうすれば「価値」として受け取るのかを徹底的に考え、しっかりと実行していることです。当たり前のことですが、それが出来ていない人間の側から見れば、アーラは「特別」なのです。劇場ホールの業態はサービス業です。顧客や、それを利用する市民の側に徹底して立たなければ「サービス業」としては成立しません。顧客志向の徹底です。「あそこは特別、真似しようと思っても無理」と言ってしまうことは、「由(よ)らしむべし知らしむべからず」という自分の立場を証し立てていることに他ならないのではないでしょうか。そんな人間に劇場ホールを考えることはできません。構想する能力も疑わしい。サービス業の構造とは真反対の姿勢です。市民には説明する必要のない「大1500、小300の席数」の道理の根拠は何処にあるのでしようか。その「知らしむべからず」の「道理」から私はまず疑います。
「1500席はないと採算がとれない」、「お稽古事の発表会の入場者が入りきれない」というのが決め手となって席数が決まったのだと私は推察します。後者の「お稽古事」に関しては、私は北海道劇場計画でも経験済みですが、地元文化団体のその時の主張は2000席以上でした。しかし、一度に2000人以上が入場するのではなく、その数字は入場者実績の「延べ人数」でしかないのです。2000席のホールを創ったとしても常時700人程度の客席しか埋まっていないのです。縁故者の出演が終わるとさっさ帰ってしまう類の観客なのです。「延べ人数」を根拠にすること自体がごまかしであり、からくりであり、おかしいのです。一度、抜き打ちで調査してみれば明々白々になります。
次に「採算が取れない」という考え方ですが、これには「費用重視価格」、「競争重視価格」、「地域慣習価格」という入場料の値付けの根拠が複雑に絡んできます。地域の劇場ホールの経営の場合には、「費用重視価格」と「地域慣習価格」が重視されます。「競争重視価格」は同業他社が多い大都市圏の価格政策の根拠になります。しかし、1500席ないとそれに掛かった費用を回収できないと、鉛筆をなめなめ計算したとしても、それでは実際にどれだけの観客を集めることができるのかというマネジメントとマーケティングの能力が、その計算式には勘案されていません。つまり、非現実的な机上の計算でしかないのです。「地域慣習価格」とは、この地域に住んでいる方は、たとえばフルオーケストラのコンサートにいくら支払うだろうか、ということであり、それをも勘案しなければなりません。「由(よ)らしむべし知らしむべからず」の態度では、もうすでにその立場に立った時点で劇場建設計画は絵空事であり、「ハコモノ」への道をまっしぐらなのです。
東京圏というところは極めて特殊なマーケットをもった地域です。「費用重視価格」が一般的に通用するところで、それが商業的には「正義」である地域なのです。40000円を超えるミラノスカラ座のチケットが普通に販売されて、売れる地域なのです。公立劇場でも、1万2000円の演劇のチケット料金が通用するマーケットなのです。たとえ公立の劇場ホールでも「興行師」であることが求められるのです。つまり「競争重視価格」を無視することが出来ない地域なのです。地域ではそれはほとんど問題となりません。地域で特に重要なのは「地域慣習価格」です。
しかも、5000円で300枚売れるのなら、3000円で500人、2500円で600人の市民に鑑賞機会を提供することの方が、公的資金に依拠している以上、原理的には「正義」なのです。アーラの価格政策は、名古屋の3分の2、東京の2分の1をおよその「地域慣習価格」としています。市民から強制的に徴収した税金で運営を賄っている以上、市民がチケットを買った時点ですでに個人に幾ばくかの「公的補助」がなされている、という考え方です。したがって、満席になっても、事業単体の決算では「赤字」ということも当然あります。しかし、それは地域社会への「投資」であり、市民への「投資」という考え方です。公立の劇場ホールの運営に、この「投資」という考え方がないと、公立の劇場ホールがやるワークショップやアウトリーチなどはまったく成立しません。補助制度が充実してきた昨今でも、補助率は2分の1ですから、出費をゼロにして収支を均衡させることはできません。
つまり、地域の公立劇場ホールは、劇場部分だけで収支を取ろうとすると余程高い価格設定になって「地域慣習価格」から大きく逸れるか、机上の計算でキャパシティを限りなく大きくしていくしかないのです。しかも、マネジメント能力とマーケットを無視したマーケティング技術の限界を超えて、ひたすら大きくしていくしかないのです。大きくなるにしたが゛って、鑑賞環境は加速度的に劣化していきます。1000席のホールで800人の観客なら「満員感」はありますが、1500席で800人では客席に「すきま風」が吹きます。顧客(市民)の側にとって、どちらが「価値」と感じるかは言うまでもないことです。
「費用重視価格」も地域ではあまり重視されません。掛かった費用を目論む観客数で割ってチケット価格を決める方法はいかにも真っ当のようですが、地域では幅の広い市民に鑑賞機会を提供することのできない価格政策となってしまいます。民間の「興行師」ならそれでも良いのですが、公立施設であるかぎりにおいては、あたうかぎりに多くの市民に鑑賞の機会を提供しなければなりません。舞台芸術は一部のマエストロと呼ばれる指揮者や名優とされる俳優、テレビの露出の多いタレントを除いては、基本的には価格弾力性のある「商品」です。価格弾力性の均衡点である「地域慣習価格」をしっかりと見極めれば、より多くの市民に「価値」を提供できるのです。
したがって、顧客に「価値」を提供するためには、収支の均衡は、「利用料金制度」で劇場・諸室からあがる売上によって取るべきなのです。そのためにも、劇場部分を最適な鑑賞環境を提供できる適正な規模にして、市民が集い、文化的な活動のできる諸室を多く設けることの方が正しい施設設計の基本作法なのです。たとえ2000人の来場者があっても、それは「瞬間最大風速」でしかなく、観客が去ったあとはガランとした空間が残るだけです。それよりも、経常的に通年で多くの市民が施設を出入りする環境を整えることを地域では重視すべき、と私は考えます。
肝要なのは、市民の皆さんの「受取価値」を最大化するためには何を為すべきか、という経営哲学です。徹底した顧客志向です。それに貫かれていないと、劇場ホールは、結果として誰にも愛されない、社会的にも必要とされない、単なるイベント会場と化してしまいます。ハコと化してしまいます。東京圏の劇場ホールはそれでも特殊なマーケットであるがゆえに成立するのですが、地域においてはそれではホールは無用の長物となってしまいます。東京圏では貸館が常態ですし、それでも次々に借り手はいるのですが、地域ではそれだけの需要はありません。
ましてや市民が使いこなせない1500席以上の施設は、舞台面も大きくなって、必要になる舞台経費も高くなって、市民にとっては無縁の長物となってしまいます。そのうえ維持経費も高止まりして、経営を圧迫することになります。良いことは少しもありません。それでも音楽プロモーターが借りてくれて有名歌手のショーがやられるではないか、という意見があります。かつて視察に見えた東広島市の議員さんたちがそうでした。しかし、貸館をすると、受益者負担は掛かる施設維持経費のせいぜい25%前後で、残りの75%前後は「税金」で補填しなければならないのです。したがって、貸館事業というのは、使われれば使われるほど支出負担が大きくなるのです。地域の劇場ホールは「小さく造って、大きく育てる」が健全な在り方なのです。
アーラは「特別」な施設ではありません。如何にして市民に愛されるか、必要とされるか、「価値」と思っていただけるかを真摯に考えて、さまざまな仕組みを実行しているだけのことです。人間としての「真摯さ」を持ち合わせていれば、誰にでもできる劇場経営をしているだけです。これは「人間としての哲学」のようなものです。ですから、何処でも真似のできるシステムを動かしているだけなのです。
4種のパッケージチケット、当日ハーフプライス、ビッグコミュニケーション・チケットなどのチケットシステム、席を指定してピンポイントで買えるインターネット券売システム、クレジットカード決済のできるシステム、誕生月の観客に手づくりカードとラッピングしたバラ一輪を進呈して館長がご挨拶に伺うバースデイ・サプライズ、冬季のイルミネーションの市民による毎日の点灯式とイルミネーションをバックにした記念写真をカードにして進呈するサービス、来館者が「歓迎されている」と感じる雰囲気づくり、年間500回を超える教育機関、福祉施設、医療機関、多文化施設へのアウトリーチとワークショップ。これらは少々手間がかかっても、「市民の受取価値がすべて」、という経営哲学に裏打ちされた私たちの意思表示なのです。「やろう」と思えば、そして手間を厭わなければ、何処ででもできる経営の作法なのです。おそらく「人間をどう見るか」という価値観がすべてなのです。先行き不透明な、非人間的な種々の格差に晒されている社会です。せめて劇場くらいは、体温のある、命のぬくもりのある場所でありたいと、私は思っています。私がアーラの館長に就任してから言い続けている「芸術の殿堂より人間の家へ」です。