第130回 劇場音楽堂等の機能を「舞台芸術振興」や「文化振興」に圧し込めるな― 社会機関として位置づけないと国民市民と文化芸術の乖離は拡がるばかりだ。
2012年4月18日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
劇場音楽堂等に係る法制化が大詰めになっています。音楽議員連盟による議員立法で、今会期末に上程審議される予定であり、今月26日の音議連総会であらましが見えてくることになっているそうです。そもそも、「劇場音楽堂等の定義」を、「本来,劇場,音楽堂とは,もっぱら音楽,舞踊,演劇,伝統芸能,大衆芸能等の文化芸術活動を行い,観客が鑑賞等することを目的とした施設」(文化庁・劇場,音楽堂等の制度的な在り方に関するまとめ)とするのはきわめて前時代的です。この点で、芸団協も音議連にロビー活動する際に使用した「(仮称)劇場法の検討に係る要点(修正案)」でも「『劇場』とは、音楽、舞踊、演劇、芸能等の文化芸術(以下『舞台芸術』という。)の公演を行い、一般公衆の鑑賞に供することを目的とする文化施設である」と同様の定義をしています。
これらの定義の前提には、劇場ホールをファシリティ(施設)としてしか認知していない頑迷な固定観念があります。「鑑賞施設」としてのみの機能しか認知していない一般論からまったくテイクオフしようとしていない極めて保守的な意識があります。このような前提でも国民市民には受け入れられていないという「事実」をどのように整理している定義なのだろうか、と私は訝しく思います。そんな固定観念に縛られているから「ハコモノ」と揶揄されてしまうのです。舞台芸術の鑑賞者は、芸団協の調査でも、今日の社会環境や経済状況に影響されて低落傾向にあることが分かっています。もともと少なかったうえに舞台芸術への国民的関心が現在進行形で薄らいでいるのに、なぜ劇場ホールを「鑑賞に供する」ことを専らとする施設と定義するのか、私にはその政策立案能力に疑問を呈さざるをえません。
劇場ホールを、上演施設及び鑑賞施設であることを専らとするという考え方は非常に偏った、前時代的な考え方です。アウトリーチ活動が40%の会館で実施されているという今日的な劇場ホールの運営実態から組み立てられている定義とは到底思えない時代錯誤の前提です。「劇場ホール」あるいは「劇場音楽堂」における「上演施設」はあくまでも部分でしかなく、その他のホワイエや練習施設や飲食施設などの空間及び社会機関としてのサービスは、鑑賞サービスとは相対的に独立した社会的効用を構成するものです。この考え方は再々この館長エッセイでも述べて来ました。すべての国民市民が上演施設の鑑賞者になる可能性を持っている、と考えるのは不健全であると私は思います。定義としては、「すべての人々が社会的に排除されない健全な社会生活を送れるためのサービスを供給する社会機関」、つまりインストチュート(機関)とする方が、国民市民の生活実態に適合しているし、劇場ホールの社会的存在意義も社会的使命も明確な輪郭で描けるのではないでしょうか。
先の芸団協の「(仮称)劇場法の検討に係る要点(修正案)」には、「観客の位置づけについて」という項目で「舞台芸術を鑑賞し、応援する観客の存在もまた重要な要素である」という文言があります。劇場法は、「舞台芸術を鑑賞し、応援する観客」を生み出すための法律であってはならないし、そのようにはありようもないと思います。それを目的とすることを「舞台芸術振興」とか「文化振興」というのなら、それは実効性のない「お題目」に過ぎないと断じます。法律をつくれば鑑賞者開発ができる、という楽天的な感覚は現場の経営実践からはかなり懸け離れた非現実的な考え方です。また、法律で国民市民の嗜好を左右することなどできようもないし、当然ながらすべきでもないでしょう。社会的信頼のないところに固定客も支持者も生まれるわけもないのは自明です。劇場ホールは愛好者や鑑賞者にだけ利する施設であってはいけません。国民市民にとって、必要な社会機関とならなければならないのです。そのための法律は、「社会の中で生きる権利」を守る社会機関(インストチュート)として劇場ホールを位置づけるものでなければならないのです。
「舞台芸術振興」や「文化振興」は、成果や結果を表わす語彙であり、前述するように、これらが立法の目的とはなりようもない。国民市民の嗜好を規制して誰が喜ぶというのでしょうか。この法律が守るのは、芸術家の生活や創造環境でもなく、劇場ホールの経営環境でもない。芸術家支援でもなければ、劇場ホール救済でもないのです。むろん、国民市民に鑑賞者であることを求めるものではありません。国民市民の健全な生活と社会こそが、この法律が守るものであり、その結果として鑑賞者開発や支持者開発がアウトカムすると考えるべきではないでしょうか。
「経営」とは、いつでも微細にわたり具体的なものです。「舞台芸術振興」や「文化振興」は、劇場経営の具体的なミッションにはなりえません。それらは空中闊歩的な政策概念でしかありません。より具体的な規定をすれば「機関としての義務遂行」です。これを規定してこその「劇場法」であると私は考えます。文化芸術振興基本法の個別法としての劇場法ではあるのですが、屋上屋を重ねる法律ならば無意味です。より具体的に、より微細な経営手法に踏み込むべき理屈を文言とすべきと私は考えます。