第212回 エッセンシャルワーカーとしての文化芸術「社会的処方箋活動」の実践  -戦略的アーツマーケティング(CSV)で文化芸術の社会包摂機能を解き放つ。

2021年1月22日

可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督 衛 紀生

【文化芸術は不要不急か?】

今回の館長エッセイの標題は、文化庁の「文化芸術収益力強化事業(公募3)」にアプライした際の事業名です。昨年暮れも押し迫っている時期に、顧客コミュニケーション室の栗田係長から同事業の公募がウエブにアップされているとの情報がもたらされました。しかし、ネット配信によって収支構造を変えようとすることは、ライブパフォーマンスを本来事業とする自分たちの首を自らの手で絞めることになるので、ネット配信以外のスキームで収支構造の改革提案をしようとの方向性だけを彼に提示して、あとは委ねました。第一次補正予算で文化庁は、舞台芸術の「ネット配信による収益構造の改革」を政策として挙げていましたが、私はそれに激しく異を唱えました。文化庁に当事者意識が欠如していることを曝け出していると憤りを感じました。現場に近いところでエビデンスを基にして政策立案すべきが所管機関の基本姿勢であるべきで、昨今EBPM(Evidence Based Policy Making=根拠に基づいた政策立案)が各政策分野で盛んに提唱され、それが行政の公開性を担保し、あわせて無駄な資金投入を防ぐことになる行財政改革の「一丁目一番地」と考えていただけに、舞台芸術の「強み」を手放してまで、何が「収支構造の改革」だ、と強い反発を覚えました。「収支構造の変化」には、いまでも強烈な違和感を持っています。文化庁の「当事者意識」の欠如を晒しているとしか思えません。

理事を務める日本劇団協議会の参加した関係団体ネットワーク「演劇緊急支援プロジェクト」からの文化庁長官、文科省大臣、厚労省大臣、経産省大臣あての要望書にも、急遽、映像配信には組しない旨の文言を付け加えてもらいました。文化芸術は、舞台芸術に限らず作品や演奏と対峙して個の裡に想起される「言葉」で紡がれる、主観的体験に基づく経験価値であり、その「価値」こそが、文化芸術の「本質的価値」です。そして、舞台芸術の「強み」は劇場ホール内で「ライブ」でなければ生起しない想像力と創造力による、個々の観客・聴衆の裡に生まれる「物語=ナラティブ」による彼らの創造的営為であり、映像配信で記録されたパフォーマンスとモニターの前の視聴者とのあいだには、その「本質的価値」の生起は到底起こるはずはない、と体験的に確信しているからです。

「強み」を手放してまで収益をあげるという選択肢は、ライブパフォーマンスに拘ってきた者たちにとっては、「魂を売る」に等しいことと私は「その時」に直感しました。そして、激怒しました。伝説のアートディーラーであるマイケル・フィンドレーの危機感が指摘するように、新自由主義的な経済原理である市場至上主義にあっては、本来的価値と価格のあいだに逆転現象さえ生まれているわけで、たとえばフィンドレーが言説の対象としている現代アートでは、「この作品は高い値付けがされているから良いに違いない」という逆転が起き、批評の持つ意味が著しく減衰していっている例を挙げています。批評の地盤沈下と同様のことが舞台芸術でも散見されますが、市場原理か否かは別として、資本主義経済下で芸術活動を行っている以上、たとえ生産と消費の同時性という特性を持っているにしても、舞台芸術の作品・演奏の「商品化」からは逃れることは出来ません。それは劇場音楽堂についても同じことが言えます。私たちは演劇作品やオーケストラの演奏を「現金化」することで活動総体を維持しています。

それだけではありません。舞台芸術の「労働集約型」、「生産と消費の同時性」、「一回性」、「装置型産業」等の産業特性から低位にとどまる限界利益率により、放置すれば消滅することになると危惧したボウモル=ボウエンは『実演芸術 その経済的矛盾』を著して、その政策提言とも言える著作が、その後の米国政府主導の「全米芸術基金」の創設につながります。つまり、実演芸術の「強み」を減衰させることなく維持しつつ、その「弱み」である効率性・合理性を重視する資本主義下では成立と持続継続性の困難な「産業特性」は、行政から公的資金による支援や企業等による準公的資金によって、実演芸術の経済的矛盾を支援するスキームこそが肝要としたのです。「ネット配信」での収支構造の改革は、ボウモル=ボウエンの歴史的学績と、それを根拠としていた世界各国の芸術支援の根拠、つまりは足元を突き崩すほどの負のインパクトとなることなのです。

一方、英国から可児に戻った4月段階で、「身体的障害」、経済的困難等の「社会的障害」、遠隔地在住のための「地理的障害」による鑑賞の機会ロスを最小にとどめる手段として、パッケージチケット毎にまとめた包摂的な配信事業と社会包摂プログラムである「アーラまち元気プロジェクト」のアーツワーカーのプロジェクト企図と経過報告込みのネット発信については、いずれ取り組むと館長ゼミの際に職員に明示していました。しかし、この映像配信プロジェクトは、事務量と予算を捻出しなければならないことから、コロナ禍のある程度収まると予測している、3年後からを想定しています。今回の「文化芸術収益力強化事業」でのアーラの構想は、ネット配信等の一回限りの収益増加ではなく、舞台芸術の「強み」を担保したうえで、チケット収入に高依存する舞台芸術団体及び劇場音楽堂の財務体質から、「社会的ブランドの高度化」へ向かう仕組みを設計して、「資金元の多様化」を実現する方向に舵を切り、持続継続性のある体質転換を企図する提案であり、栗田係長にその方向性を示しました。可児市文化創造センターが13年間取り組んできた「社会包摂型劇場経営」の延長線上に、その手法を敷衍する仕組みを設定して、その先に「不要不急」とされている文化芸術へのアクセスを、社会的信頼というブランド価値の高度化によって、それを梃子に転換させようと考えたのです。

これは、アーラの館長就任以前の90年代半ばから構想していたことなのですが、13年やっていても、どうしても正確な理解と拡がりが十分でない「社会包摂」の理念と実践を、広く認知するために「戦略的フェイズ」を変えるということでもあります。全国民の3%から5%と言われる舞台芸術の少数の愛好者のみを対象とすれば、どうしても「不要不急」と考えられてしまいます。忸怩たる思いはありつつも、今のところはそのレッテルを受け入れざるを得ませんが、コロナ禍で様々な困難に見舞われている人々に対して、私たち文化芸術の側にいる人間は「何ができるのだろう」と自問すれば、利他的な考えを持って、私たちの「強み」を総動員して、コロナ禍にポジティブに立ち向かう「レジリエンス(立ち直る力)という社会的価値」の「苗木」を黙々と植え続けることしかない、と考えています。その行為だけが、社会から、そして誰からも(とりわけて弱い立場に置かれた人々に)「必要とされる文化芸術」と、その拠点施設である劇場音楽堂の「公共性」を構築担保することになるのだ、と思っています。その戦略こそが、「不要不急」からの唯一の脱路を保障すると信じて疑いません。「コロナ禍」のいまだからこそ、「存在を癒す」社会包摂の微小な「点」を「線」に、そして「面」にする作業に取り掛からなければならない、と行程困難な選択を前にして、心を奮い立たせているのです。

【コロナ禍とリーマンショック 景気後退に向かって】

3月に日英共同制作『野兎たち―Missing People』の英国・リーズプレイハウス公演から帰国して、強いショックを受けたのは、文化芸術が「不要不急」とされていることでした。私が可児市文化創造センターに館長就任して以来13年間年々進化させて継続してきた社会包摂型劇場経営が、文化芸術と劇場音楽堂等の高付加価値化を射程として、社会的価値のさらなる高度化を目論んだ長い時間であったのに、微小な影響すら与えていなかったのかと、いささか徒労感をともなった失望に打ちのめされました。これでは、25年前の阪神淡路大震災の際に兵庫県から発出された「歌舞音曲の類の自粛」から一歩も進んでいないではないか、と還暦の齢から13年もの時間を費やしてきた文化芸術の公共財化とその拠点施設としての劇場音楽堂等の社会的認知の使命で打ち込んできた仕事は何だったのかの思いに、一時は没滅の中にいました。

しかし、コロナ禍になったことで次々に<そして日々露わになっていく社会と政治の機能不全と、その前でただただ無力感にたたずむしかない私たち、そして「ソーシャル・ディスタンシンク」゛や「三密回避」、さらには耳にするのも忌まわしい「新しい生活様式」という言葉が、文化芸術の明日のみにとどまらず、私たちの未来を塞ぐかのように言い募られていました。実演芸術も包摂型のコミュニティ・プログラムも、人と人が近接することではじめて成立するきわめて社会的な営為です。しかし、私は機能不全を起こしている私たちの社会を目の当たりにし、その惨状をつぶさに俯瞰して、コロナ禍という有事下にこそ、「心を癒す文化芸術のナラティブ・クリエイト(自分だけの物語を紡いで心理的課題を解決に向かわせる)機能」と「存在を癒す文化芸術の社会包摂機能」に、きわめて高いニーズがあると思いました。「不要不急」どころか、コロナ禍だからこそ必要なのだ、必要とされる社会価値財なのだと思いなおしました。ともに社会と個人に「レジリエンス(立ち直る力)」をもたらすアーツの本来的機能だからです。そして、私がやってきたことはまさしく、文化芸術の「強み=特性」をもって文化芸術の社会的認知を図ることだったと、一人でも多くの「誰か」が文化芸術の果実で健全な日々を過ごせるようになることだと、コロナ禍で緩むゼンマイを巻きなおして、動揺しているおのれを立て直しました。

「CSV(Creating Shared Value)」を私は「共創価値創造」と訳していますが、これはハーバート大学の教授で、経営戦略の大家であるマイケル・ポーターと同大学ジョン F.ケネディ行政大学院上級研究員のマーク・クラマーの共同研究論文として、2011年の「ハーバート・ビジネスレビュー」誌に発表された『Strategy and Society』で唱えられた経営戦略のスキームです。それ以前、ポーターとクラマーは、2006年に『競争優位のCSR戦略』と題した論文を発表して、従来からのCSR(Corporate Social Responsibility=企業組織の社会的責任経営)の、一般的にはボランティア派遣や寄付金の拠出というフィランソロピーを中心とする考え方からは脱却すべきと唱えています。あわせてCSRは、たとえば「ナイキ」が学齢前の児童労働によって製品製造をしていることへの批判や環境問題に抵触する企業活動に対する贖罪的意味を持つ受動的な企業活動であり、それはまさしく企業組織にとってはコスト(負担)でしかないと切り捨てます。

企業組織が真に社会とコミットしようとするならば、本来事業の「強み」を活かして社会課題を解決することで、その活動が当該企業団体に収益をもたらすことになり、社会的価値と経済的価値の双方を両立創造すべきというのが、「積極的・戦略的CSR」であるという、いかにもマイケル・ポーターらしい提言です。つまり、共創価値創造マーケティング(CSV)とは、企業組織にとって負担(コスト)となるものではなく、社会的な課題を自らの「強み」で解決することで経済的な意味の「新しい価値」をも生み出し、企業組織の持続的な成長へとつなげていく差別化経営戦略、ポーターらしく言えば、社会貢献で充足して「いい子」ぶらないで、社会課題にコミットすることが「競争優位戦略」に舵を切ることなのだ、とまさしく「常識やぶり」の大胆な提言をしたのです。くだけて言ってみれば、「いい子」ぶらないで「損して得とれ」、「下心を持っていい子になれ」ということです。彼の言葉を引用すれば、「CSVは、社会的責任でもなく、慈善活動でもなく、サスティナビリティでさえなく、経済的な成功を達成するための新たな道である」となり、この言葉はポーターのCSVに託したすべてを語り尽くしています。経営戦略や競争優位の研究大家ならではの発想と言えます。

前職の大学教員時代でのアーツマネジメント&マーケティング研究では、競争戦略に特化したマイケル・ポーターの論文は、あまりに資本主義の競争社会と競い合いばかりが目に付いて正直あまりそりの合わない学績でした。したがって、もっぱらセオドア・レビット、フィリップ・コトラー、PF・ドラッカージョン・スポールストラなどの文献渉猟が主であり、アーラの館長に就いた時も、社会包摂については現行の「アーラまち元気プロジェクト」は構想に入っていましたが、「劇場のある生活」が市民に根付くように、そのためには市民の生活課題の襞にまで劇場の機能をしみこませるための戦略手法としては、むしろCSRを念頭に入れていました。そのことで劇場に対する市民の信頼性を獲得して、同時にいままでは文化芸術を「他人事」と感じて劇場には足を向けなかった市民にもアーラへの親近感を持っていただこうと中長期的な経営計画を設定していました。そして、「アーラまち元気プロジェクト」が年間400回を超えるころから、市民の皆さんのアーラの活動に対する関心の在り方が、比較的身近な「自分事」になって行き、「少し気になる」存在となってきていると日常の肌感覚で実感していました。

安定的・継続的に経常黒字を積み上げていた2010年前後は、チケット収入と貸館貸室収入の1%をアジア・アフリカの子供たちの医療と教育にNGOを通じて寄付することで、チケットを購入したり、貸館貸室を利用することで可児市民が世界につながり、可児市へのロイヤルティを涵養するとこを視野に入れたプロジェクトや、アーラの職員が可児市内各地域のフラダンスグループなどの市民活動に加入して、共に活動することで職員と市民との間に「つながり」という「無形資産」をつくろうと計画したりもしました。仮にポーターにその経営戦略を吟味されれば、その時点で満足していた私の経営展開には確実に赤点が付いていたのだろうと思います。前者はまだしも、後者は本来事業からは離れたものですから。それらの計画は、従来からCSRの限界だったと総括反省しています。と同時に、経営の見直しを余儀なくされる事態がまもなく来るだろうと予測できる、経済環境の激変と冷え込みの足音がヒタヒタトとアーラに迫ってきていました。

館長に就任した年の9月に「リーマンショック」が起きます。景気後退のインパクトは、庶民レベルの実質消費の伸び率下落までには数年のタイムラグがあるので、チケット価格とパッケージチケットの値下げのタイミング時機を、それから毎年、翌年度の年間ブロッシャー編集時期の初冬には慎重に計ることになります。それが数年間続きました。それに加えて消費税の8%への引き上げが政治日程にうっすらと噂されるようになります。消費税は景気後退とは異なって、新型コロナウイルスと同様、時を置かないで瞬時に市民生活を直撃します。料金設定の改定はほぼ「臨戦態勢」に入るのですが、チケット売り上げはまったく下降しないまま推移していました。

鑑賞者開発は就任後3ヶ年で観客累計数を3.8倍に、4種のパッケージチケットの購入者数を8.7倍になり、経常黒字を消費税増税の2014年度まで続けていて、収支の課題ははた目にはないままで年を経て行っていました。事程左様に、アーラの経営面の実績は順調にアウトカム出来ており、国及び国の機関からの、就任前にはまったくなかった補助金・助成金も身に余るほどの多額に上りました。そのあいだに劇場音楽堂活性化事業(当時)で全国15館の「特別支援館」にもなります。このチケット収入に関わる経営課題に時間を費やしている数年のあいだに、私の中では、マイケル・ポーターの、「強み」で社会課題を解決して、それを事業体の経済価値に結びつける、という「二兎を追う」CSV手法が俄然リアルになってきます。「寄付や社会貢献を通じて自社イメージの向上をはかるこれまでのCSRは、事業との相関性はほとんどない」というマイケル・ポーターの視点が、私自身の「アーラまち元気プロジェクト」の視座とゆっくりと重なり始めたのです。

なぜそのようなCSRから戦略的CSR、さらにはCSVへの視点の移行が起きたのか、いまになって振り返ると、就任以来経常黒字を出し続けた要因は二つ考えられ、その一つには「アーラまち元気プロジェクト」に依るところが大きいとの判断がありました。「観客を3.8倍、パッケージチケット8.7倍」の賑わいは、いわばアーラの経営が、見た目にも実質的にも、従来から180度大転換したことと市民には映ったでしょうし、市民のアーラへの関心が急速に高まったことが挙げられます。いわば「ビギナーズラック」が主原因だろうと考えました。私の持論である「何かを変えようとするときには「サプライズ」を起こすこと、が要因の一つだと思いました。

たとえば、全国的には知られていない人口10万人の小さなまちに、日本を代表する芸術団体の新日本フィルハーモニー交響楽団と劇団文学座が「おらが町のオーケストラと劇団」というかたちで準拠点としてレジデントする地域拠点契約の締結、あるいは他にはあまり例のないパッケージチケットシステム・当日ハーフプライス制度、一人のアーラ支持者の背後に隠れている友人を掘り起こして、その支持者を起点にバズマーケティングを起こし、4人から8人までまとまるとディスカウントされるというビック・コミュニケーションチケットによる「チケット購入の際のつながり創造」等、期待値の膨らむチケットシステム。アーラの経営手法の部分的修正と新規手法の「上書き保存」は年々間断なく繰り返しました。これらチケットシステムも、社会包摂型経営の一端として位置づけて、導入しました。

しかし、そのおよそ2、3年は続くとされる「ビギナーズラックの賞味期限」が終わっても、消費税増税年まで黒字経営が持続したのには、別の環境要因が作用していると現状分析しました。それは、ひとつには高水準の舞台芸術を一切の妥協を排して、しかも従来の自治体立の劇場の商慣行を破って、決して「言い値」では買わない、同時に年間最低3事業で滞在型製作(アーチストイン・レジデンス)を実施して、レジデンス期間のアーチストと市民との「つながり創造」の仕組みを設計稼働させていたことなどにより、アーラへの市民の関心をほぼ毎年のように「上書き保存」していったことがあると感じました。市民を「常識」に安住させないで、絶えず「サプライズ」を起こして「常識」に変化を起こす経営を、この13年間続けてきたことが停滞期の収益の落ち込みの谷の浅さになっていたと思っています。

懸案となっていたチケットシステムの大幅改革には、消費税引き上げの2014年度に、なんとリーマンショックから6年も経ってから着手しました。市民の消費性向をスーパーや飲食店やタクシーの運転手さんに聞きながら観察して、手に汗握る状態でその時機を窺がっていました。価格政策は早すぎても、遅すぎても機会ロスとなり、経営に深刻なダメージを与えます。いまとなっては、よくも6年間も手に汗握って我慢していたなと思います。「リーマンショック」による景気後退のインパクトが市民のふところにもダメージを与え始めているとの感触が、その頃にかなり実感として受け止められるようになってきており、「価格弾力性と所得弾力性」の分析から、「実質的値下げ」はやむなしの経営判断をしました。検討は前年の夏のはじめに始まりました。というのは、パッケージチケットの最高値が24000円前後であり、この金額だと比較的世帯家計に余裕のある市民は継続客として残り、一方で購入を躊躇せざるを得ない市民が多く出るだろうことも予測できました。あわせて、劇場音楽堂の主な顧客層は子育ての終わった40代から60代の層であり、その6年間で年金生活に入っている高齢者世帯が少なからずあると推測できました。公立文化施設であるということは、常々言っているように「10000円で500人の観客を入れるより、5000円で1000人の観客を入れる方が使命にコミットしている」とのロジックから、収入減を覚悟して「まるごとクラシック」と「演劇まるかじり」のそれぞれ4本のパッケージを減数して3本のパッケージにすることにしました。

パッケージの減数は検討する数年間で選択肢のひとつとして考えていたので、意思決定は早かったのですが、減数となると翌年度の事業計画と決定を通年よりも繰り上げなければなりません。また、アーラには「当日ハーフプライス」という制度もあり、単券で購入する市民の方は、可処分所得によっては、半額チケットの利用をおすすめしてセーフティ・ネットにすることにしました。このパッケージチケットの減数という大幅改革にあわせて、ご自分で分野横断的にパッケージできる「アラカルトパッケージ」を新規に組み込むこととして、新しいタイプの鑑賞者を掘り起こすことにも着手しました。また、演劇公演のチケット価格は、それまでの3000円から4000円に値上げをしました。演劇は私の就任以前は主劇場(1017席)で実施していたのを、鑑賞環境も実演環境も桁違いに良い小劇場(311席)で最低2回公演としていたので、東京からの買い公演の場合に、満席となっても最低180万円から230万円程度の赤字となるため、やむなく値上げということになったのです。

そして、二つめの要因は、「アーラまち元気プロジェクト」に限らず、劇場運営のあらゆる場面に「アーラの価値を共創し、共有する」というCSVマーケティング基盤の働きかけを施していたからだと総括しています。お小遣いではチケット購入の難しい中高生への、地域の企業・団体・個人からの浄財で賄われる「私のあしながおじさんプロジェクト」、同じく就学援助世帯と児童扶養手当受給世帯の家族にチケットを提供して、コミュニティ形成の必須の条件である体験を共有してもらう「私のあしながおじさんプロジェクトFor Family」、学校でのいじめの認知件数を優位に減少させた「スクール・プログラム」、子育てで孤立する若いお母さんと乳幼児の「親子de仲間づくりワークショップ」、高齢者対象の「ココロとカラダの健康ひろば」等々、年間500回を超えるまち元気にするプログラムが、多くの可児市民にとって「自分事」になりつつあって、アーラの社会的価値を市民との協働で高めて、来館者数と鑑賞者数の高止まりをアウトカムすることが出来て、それが経常黒字を続けた大きな要因と考えています。アーラの価値を「共創し、共有する」ことが、一方向的に可児市民にアーラの果実を供給するより、はるかにロイヤルティを生成させる、と気付いたのです。

「文化芸術は人間が生きるうえで必要不可欠」の曖昧な言葉からテイクオフするために】

「フェアトレード」など、1970年前後からその動きはあったのですが、とりわけ2000年代に入ってから「エシカル消費」ということが盛んに言われ始めました。「性能や品質に大差がないのなら、(自分の)消費行動は、社会を支える仕組みを持っている方を選択する」という「エシカル消費」が無視できない市場性向になっていました。むろん、それは80年代から始まる「差別化の出来ない」横並びの製品品質とサービス品質を原因とするジレンマから由来している消費行動の潮流です。エシカル(ethical)とは、人間、社会、地球環境のことを考えた倫理的・道徳的という意で、そういう価値観による消費行動やライフスタイルをとる人のことをエシカル・コンシューマー(カスタマー)と言います。社会の一員として、より良い社会の発展のために積極的に関与する消費者のことで、いわば消費行動に欠乏動機のなくなった社会がその背景にある、と私は思っています。 行動経済学の知見からは「セルフイメージ仮説」と説明できて、「自分がフェアな人間であるという自己イメージを守るために人間は利他的な行動をとる」、とされています。また、英国のニューエコノミクス財団の2008年版の報告書には、「他者を助けることに関心がある人たちは幸福度が高い傾向にある」という利他的な行為が幸福感を高めるという文言が記載されています。 アーラが採ってきた社会包摂型劇場経営は、このエシカル消費性向のトレンドを背景として、それを優れたて利他的な時代の空気を絶好の「機会」として捉えたからこそ成功しているのです。

CSRは、利益の一部を社会に還元する活動だけを指すものと解釈されることが多くありました。そのため、企業業績の悪化や経営者が交代した際の継続が難しくなるケースがあります。このように社会に向かう活動は一過性で自己完結する類のものではありません。また、その成果としてのアウトカムは、10年、20年、なかには就学前教育の非認知能力涵養プログラムのように、40年以上を費やさないと、その政策根拠となるエビデンスが測定不可能なものもあります。したがって、持続継続性を担保する仕組みと、本業の「強み」を持って社会課題に向き合わなければ、到底エビデンスとなるほどの成果は望めません。その意味では、持続可能性を重視するSDGsと同じ要素を求められます。本業の「強み」そのものにSDGsの考え方を組み込むことを前提に事業設計がなされます。そのため、ボランティアや寄付ではなく、事業を行い、劇場が収益をあげることが同時に社会環境や地球環境の改善につながるようなビジネスモデルが私たちに求められていると言えます。

先日の通常国会冒頭の菅首相の所信表明演説に対する野党側の代表質問で、立憲民主党の逢坂誠二議員が芸術団体の構成員の生活困難に触れて「文化芸術は人間の生命維持装置です」という発言を聞いて、決して間違ってはいないものの、このような抽象的な概念論では具体的な政策には結びつかないと、いささか首を傾げました。しかし、これは致し方ないとは思います。議員は政治の専門家であって、文化芸術に関わる専門家ではないのですから。しかし、これに類する国会議員や首長の発言で「理解がある」と喜ぶ向きもありますが、私たちは当事者ですからそのような糠喜びをするわけにはいきません。私は館長に就任して以来、市長や市役所職員との対話の中で、「文化芸術は私たちの生活に不可欠」というような曖昧で説得力に著しく欠ける、発言根拠の不可知、不稽なことは一度たりとも口にしたことはありません。これは、地域に出てから40年間、一度も口にしませんでした。

あまりに主観的で、そこには、径庭の感のある彼我の価値観の違いを埋める言葉の力は皆無と感じていたからです。自治体職員や首長・幹部職員と私とは、そもそも「前提」が異なるからです。たとえば、「生活に不可欠」は、文化芸術に携わってきた者の自身の「成功体験」を基にした発言であり、「館長はそうお思いでしょうが、私たちは違います」の一言で片付けられる類のものです。あわせてワークショップ等で「みんな笑顔になりました」、「クラスの空気が変わりました」という印象評価も主観的に過ぎて説得力は欠如しています。鑑賞後のアンケートで「満足」、「やや満足」が90%を超えているというのも到底エビデンスにはなりません。そのような分類の観客・聴衆しかアンケートは絶対に書かないからです。

経済的な生活困難ならまだしも、文化の必要性、必需性を訴えて、政策と制度に結びつけるには客観的な根拠がなければ訴えに説得力はありません。根拠に基づいた政策立案(EBPM)をして、目の前にいるのが文化行政官であっても、財務・財政の担当者と対峙して提言・請願・要望・対策を具申していると仮定すべき思っています。私は地域に出てから40年間そう思って行動してきました。相手が係長なら、その上の課長、部長、局長の上級職員に、その提言・請願・要望・対策がほとんどそのまま上げられるように、いわば彼が上にあげる良き「言い訳」を用意するように心構えがなければ、曖昧で、主観的に過ぎる、エビデンス不在で、不可知で不稽な内容になり、「聞き置く」程度にしか扱われません。そのためにも政策エビデンスに基づいた、しかも国民市民との共創価値マーケティングに依拠した。提言や請願の内容が必須なのです。

3月以降、文化芸術に関係に従事する人々の「保障問題」が大きな政策イシューとなりました。厚労省の試算では、国内に300万から400万人いるとされるフリーランス労働者は押しなべてコロナ禍により経済的困窮に瀕していました。その状況に対して一定の補償を求める際、「生活者」として緊急事態下での保護政策を求めるのは至極当然な行動です。文化芸術関係者も、それを請願する大きな動きをして「フリーランスの地位保全」を求めた結果、昨年12月段階で独占禁止法の適用によるセーフティネットを張って保護する動きが、公正取引委員会、中小企業庁、厚労省で進められています。これは大変な成果であると思います。これは、現に経済的な生活困難という現実(エビデンス)が共有されているからこそ、実現できた成果なのです。共有できる課題があってこそ、その訴えが初めて実効性を持つのです。言葉が届くのです。実効性がなければ、どのように切実な思いを込めても意味はありません。独りよがりでしかありません。

上記の経済的生活困難に対する救済の請願と、文化芸術の社会的必要性を主張して、劇場音楽堂や芸術団体への新たなスキームの補助制度や既成の補助制度での積み増しを求めることは、まったく別のフェイズです。その際の「文化芸術は人間が生きるうえで必要不可欠」のような曖昧な訴えに、私は有効性、実効性はないと思っています。私は第三次基本方針以降、文化政策は保護を目的とした恩恵的補助金による「文化政策2.0」から、投資的資金である「文化政策3.0」に移行していると考えています。政策エビデンスが求められ、それに基づいたEBPM(Evidence Based Policy Making)が必要となっている時代背景が、補助金に戦略的投資性がないと制度化が困難な時代に移行している要因と考えています。また、2003年に施行された「行政機関が行う政策の評価に関する法律」が、戦略的投資に対する費用対効果を厳しく求める環境になっている証左と思います。それだけに、「文化芸術は人間が生きるうえで必要不可欠」は、文化芸術の専門家が発する言葉としては稚拙に過ぎると思います。なぜ「生きるうえで必要不可欠」なのかを抽象的な概念ではなく、実証的なエビデンスを付与した提案や請願として発することなしには「聞き置く」ことになってしまいます。文化庁、芸文振をはじめとする関係省庁等の職員は専門家ではありません。いわば、文化芸術の伴走者です。それだけに、彼らの腑に落ちるエビデンスを伴った言葉の説得力が必須であると私は考えています。上記の「言い訳」の中でも、とっておき極上な、最上級の「言い訳」を用意すべきと思っています。

顧客はもたらされる「価値」を購入する、演劇や音楽そのものを購入しているのではない

私たち文化芸術関係者及び劇場音楽堂等の関係者にとって大切なのは、顧客たる国民市民は「何を受取価値としているか」を考えなければならないことです。マーケティングの巨人と言われるセオドア・レビットが1960年に発表した歴史的論文『マーケティング近視眼』で提起した「事業定義の誤り」が事業の衰退化を惹き起こす、という考え方です。私たち文化芸術に携わる者は自身の事業をどのように定義しているのか、それもレビットは製品やサービスの視点での、「これを購入しないわけはない」というような「生産者主権」の定義ではなく、顧客が何を「受取価値」としているかから出発する発想をしなければ真の事業の定義とは言えないと断じています。わかりやすく「アーラの事業定義」を書きます。「人間の家」を目指して構想した非常勤の初年度に決めたもので、現代演劇とクラシック音楽と社会包摂型のコミュニティプログラムを軸とした経営ですが、定義としては「私たちは『経験価値』と、そこから派生するかけがえのない『思い出』と、さらに新しい価値による行動の『変化』とその『生き方』を提供する社会機関である」です。利他的な生き方への行動変容を促がす社会機関ということです。可児市文化創造センターalaの経営に関するすべては、この「人間の家」に向かう「事業定義」を出発点としています。各種の事業設計をつらぬく理念、人材育成をはじめとする人事政策、チケット政策、ボランティア・マネジメント、顧客政策等のあらゆる仕組みは、まさしく「人間の家」を構成する利他的な色彩の建材部材と言えます。

文化芸術の機能は、本当に舞台を創造して鑑賞に供する際に起きる「心を癒す文化芸術のナラティブ・クリエイト(自分だけの物語を紡いで心理的課題を解決に向かわせる)機能」、いわばカタルシス域の精神に働きかけるものだけなのかを良く吟味しなければなりません。また、「普及啓発」と「社会包摂」は、まったく異なる概念であり、目指すところは同じであっても、経由する筋道がまったく違うことはわきまえなければなりません。「普及啓発」は読んで字のごとく、関心を高めて、事業におけるパフォーマンス価値を「現金化」するミッションにしたがって設計される考え方で、成果は主に劇場音楽堂内部に発生するスキームと言えます。「社会包摂」は、社会における人間の在り方に由来する、主にメンタルの癒しとレジリエンス形成(負の境遇と環境から立ち直る能力)にミッションを据えた事業です。ゆえに、劇場音楽堂内部で自己完結することはなく、劇場という拠点施設及び芸術団体の「スキルと強み」が社会を経由する価値循環をもって、高度なブランディングを成果とする仕組みです。いわば、前者が劇場により大きな網を張って欲求を集める集客志向の「待ち受け型」の考えなのに対して、後者は、社会的ニーズのある所に飛んで行って、受粉して其処に果実をもたらすと同時に蜜をいただくという「蜜蜂型」の経営と言えます。

「普及啓発」も「社会包摂」も、ともに最終成果としては、鑑賞者開発と支持者開発と支援者及び機関開発を目指してはいるものの、前者が劇場内で自己完結する傾向に流れやすいのに対して、後者は、社会を経由する価値循環とその波及を目途としており、射程が長いというか、狙っている標的が相対的に広く、大きいと言えます。成果が外部に出る、という観点からも、劇場音楽堂及び芸術団体のブランディング及び社会的信用力という無形の経営資産の増大に寄与し、文化芸術系の団体にありがちな「脆弱な経営基盤強靭化の実現」へのより確実なステップとなります。もう一点、私たちが留意しなければならないのは、「普及啓発」を下支えするのは「販売=Selling」であり、同様の鑑賞者開発と支持者開発と支援者及び機関開発を目指してはいるものの,「社会包摂」を支えるのは顧客志向のマーケティング(関係づくり)であるところです。販売志向は、製品やサービスから出発している生産者主権の「一人称の顧客づくり」の作法です。自分たちがつくった製品やサービスは「間違いない」から購入するはずだという、いわば独断的なのです。私はマネジメントとマーケティングの設計には、「三人称」で物事を考えなければ成果は出ないとの信念を持っています。この相違は非常に大きく結果を左右します。

類似するコミットメントでありながら、マーケティングにより「強み」があるのは、社会包摂と文化芸術の持つ機能の「親和性」です。第三次基本方針(2011年2月閣議決定)の「文化芸術の社会包摂機能」に依拠した「『強み』を活かして社会課題を解決すること」、そして、同じ年にマイケル・ポーターによって、そのような活動が企業と組織に収益をもたらす経営戦略デザイン、「社会的価値と経済的価値の双方を創造する」とCSV型の経営戦略とマーケティング手法が提唱されるのです。その経営戦略のさらなる「強み」は、価値を共創して、共有するという顧客と市場との双方向性の関係づくりのプロセスによるバリューチェーン(価値連鎖)が、顧客のロイヤルティ(帰属性)を螺旋状に育むという点です。つまり、継続客と固定客を生成することにより、有名タレントや俳優を起用して一過性の集客に期待しても、その顧客の経験価値は終幕と同時にリセットされて、劇場音楽堂や芸術団体への帰属性の生成はほとんど期待すべくもなく、限りなくゼロです。一方、中長期的にCSV経営手法によってもたらされるのは、継続客と固定客であり、その他の経済的利得(チケット収入・公的資金収入・協賛金収入等)、さらには無形で簿外の信用とか帰属性という経営資産であり、それは販売志向の経営でのチケット収入に偏る販売志向の広報宣伝による収益と比べて、その多元化によってもたらされる収入は比ぶべくもなく大きなものとなります。そのように波及性の高いウイングを広げることで、「つながり」とか「信頼関係」とか「共創共有」とかの「無形資産」を生みます。この「無形資産」を、私は「将来の稼ぐ力」であると位置づけています。

さて、あらためてマーケティングとは、おおむね以下のように定義されます。「複数の当事者が相互に関わり合い、対話と交流を通じて新しい価値を作り出し、ともに目的を達成し、かつ相互の変化と再組織を推進していく、継続的・螺旋状の進化のプロセスをいう」。 これは、日本マーケティング協会JAMの「マーケティングの定義」です。この「定義」は、劇場内で舞台と客席に起こっていること、ワークショップでアーツワーカーと参加者のあいだに起こることを説明しているでもあると、私は考えています。マーケティングとは、そのように私たちの生活の中に自分と外の存在とのあいだで頻繁に起こる「化学反応」とも言えるのです。整理すると、つまり、「対話と交流による新しい価値の創出」と「相互の変化」と 「継続的・螺旋状の進化」がマーケティングのプロセスであり、一言で表せば「共創して、共有する価値による関係づくりの作法」と定義できます。これに加えて「自らの強みによって」と「社会的価値と経済的価値を創出して、両立させる」を書き足せば、ポーターの唱える「Creating Shared Value」の脚注解説文となるほどです。商品・製品・サービスを「現金化」する販売志向の広報広告とマーケティングのあいだには径庭の感がありは、おそらく誰にでも理解できるのではないでしょうか。ドラッカーもレビットもコトラーも、マーケティングと販売の大きな違いに留意するようにとの警句を出しています。ドラッカーは代表的著作『マネジメント』の中で「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである」との名言を書いており、その前段には「販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない」と言い切っています。日本では1950年代に経団連から米国に派遣された視察団が、「大量生産大量消費」時代に在庫を生まないための当時の米国の経営手法「販売促進」をマーケティングと曲解して国内企業に伝わったために、「SellingとMarketing」を混同して、販売促進のプロモーションをマーケティングとして現在に至っても位置づけている東証一部上場企業さえあります。在庫コストを回避するための可能なかぎり「売りつける」プッシュセルと、売れる環境を創造するためのマーケティングとは、まさに「似て非なるもの」であることに、私たちは気付かなければなりません。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ「売れる環境」を創造して、、おのずから売れるようにすることである。

【文化芸術を媒介として「誰かと誰かをつなぐ」、そして「アーツと誰かをつなぐ」】

孤立と孤独は「つながり」の欠如です。これは、新自由主義経済の「競い合い、奪い合う」という価値観により形成されてしまった「体温のない社会」という私たちの現在です。経済の仕組みが社会ばかりか、人間のものの感じ方、人間の関係の在り方まで規定することは、マルクスの吟味を待つまでもなく良く知られています。私たちは孤立と孤独に瀕する危険と背中合わせに生きています。ひとたびコロナ禍のような危機的状況に晒されれば、一挙に私たちは寄る辺ない生活環境に追い込まれます。そのような時代環境で私たちはずっと生きてきているのです。それは、社会包摂の反意語である社会排除による「自己責任」の弱肉強食社会です。そのような社会で生きていることが快適という相手に、私は文化芸術の社会包摂機能を活用して「体温のある社会」を再構築すべきとは口が裂けても言いません。彼らとは違う風景を見ているのですから。個的な「芸術的野心」に忠実に創造活動を続けることに、私は異を唱えるつもりもありません。

しかし私は、この文化芸術の世界に足を踏み入れてから55年、相も変わらず「一部の愛好者」により構成されるきわめて狭隘な市場から逸脱できずに、十年一日のごとく「良い舞台を創れば客は集まる」と呪文のごとく唱えている地点から、どのようにしたら抜け出せる隘路に至るのかを長い間考え、探ってきました。そういう文化芸術の未来戦略、将来的な文化政策のグランドデザインが、創造現場の何処からも出てこないでいることに、心の底から強い違和感を持っています。90年代から始まった、いわば体験型のワークショッププログラム、たとえば「演劇体験教室」や学校への「出前演奏会」などの「普及啓発」(以前は「教育普及」)で、演劇や音楽の周辺環境のどれだけが変化したというのでしょうか。その頃から、もう既に四半世紀以上、およそ30年は経っているのです。2000年以降は時代環境の変化が、ドックイヤーどころか、瞬きのあいだに変わるブリンクイヤーのスピードで目まぐるしく変化する時代になっています。文化芸術が、非常に危うい成熟社会での重要なセーフティ機能として認知されるためには、倍速、三倍速でその価値を高めていかなければ「不要不急」の奈落にいつまでも置き去りにされるばかりだと、私はとても危惧しています。

文化芸術に公的資金とメセナ協議会設立によって企業からの準公的資金が入るようになった1990年以降、どれだけ文化芸術の周辺環境が変化したと言えるのでしょうか。それらは「常識の範囲以内」での、誰もが許容できる「教育普及」であり、せいぜい「普及啓発」までの、旧い考え方に依るものでしかありません。日本における文化芸術の社会的価値の認知は、欧米に比べて確実に周回遅れです。阪神淡路大震災の直後に、バークレー・レパートリーシアターのエグゼクティブ、スーザン・メダックに名古屋で会って、死傷者5500人に及ぶロサンジェルス大地震のあと劇場は何をしたのかと訊いたときに返ってきた「いつもと変わらず公演をすることが、市民に余分な動揺を与えないことです」の言葉を聞いて、「歌舞音曲の類の自粛」の震災直後に出された勧告との距離に絶望的になりました。彼女だったら現下のコロナ禍の劇場をどう導こうとするのか、考えを巡らせるばかりです。

「一部の愛好者」だけではなく、すべての国民を対象とする「常識はずれのマーケティング」が向かう文化芸術と国民市民の関係づくりのグランドデザインの描き出しが、いまコロナ禍で機能不全に陥っている社会から強く求められているのではないでしょうか。私たちは多彩な、そして多様な機能を持つ文化芸術という「武器」を持っています。演劇人であれば、音楽家であれば、誰もが「それと気付く機能」です。それが「誰か」のためになるのなら、躊躇することなく使おうではありませんか。その「武器」を手にしようではありませんか。芸術至上主義者や芸術聖域主義者からの「芸術道具主義」の批難(フィリップ・コトラー&ジョアンナ・シェフ・バーンスタイン共著『Standing Room Only』より 未訳)に対しては、彼らがどれだけの鑑賞者と支持者と支援者を開発できたのかと厳しく問うことにしよう。いまだに「文化芸術は人間の生活には不可欠」などというお願いベースの請願しかできないことに、私たちは「いままで何をしてきたのか」を自問することから始めよう。

収益力強化事業へのアプライで栗田係長が顧客コミュニケーション室の面々と共に構想し、したためた「エッセンシャルワーカーとしての文化芸術『社会的処方箋活動』の実践」は、アーラが13年にわたって蓄積してきた実践と、それだけの時間を費やして輪郭をあらわしつつある成果の連続線上にあるひとつの答えです。この構想では、「アーラまち元気プロジェクト」のほかに、ノーベル経済学賞のジェイムス・ヘックマン博士の学績にヒントを得た「就学前教育」による非認知能力の涵養プログラムが新たに加えられています。また、アーラがプラットフォームとなったハブ機能を担い、岐阜医療科学大学と劇団文学座の協働による地域看護・地域介護の担い手育成に社会包摂の演習を設けることも想定されています。このコレクティブ・インパクト(異なる分野の機関のミッション共有と協働とによる変化を目指す取り組み)を目指す協働は、岐阜県教育委員会と文学座の協働に続いての、二件目の大きなコレクティブ・インパクトとなります。市民に向けてアートと生活課題を結びつけるアーツ・リンク・ワーカーによる常設相談窓口も想定されて、それに対応するピア・サポーター等の人材育成にも着手します。その総体を持って、支持者開発、支援者及び機関の開発、そして社会的信頼(ブランド)によって惹起される鑑賞者開発と継続顧客の生成、その結果の経営資源の多元化にコミットしようと今後10数年にわたって機能させようと企図するのが、アーラからの、そして構想責任者・担当者からの政策提案です。

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「館長エッセイ」は今回で220回になります。就任当初は、本当に気軽に読める文字通りの「エッセイ」の心積もりだったのですが、それは各戸配布の機関誌「ala Times」の月一のエッセイに譲って、間もなくネットメディアを活用して全国に劇場経営と文化政策を発信するかたちをとることになりました。

今回の執筆後感は、どうしても総括めいたことに偏ってしまい、退任後の引き継ぎとバトンタッチを意識したものになってしまいます。したがって、どうしても長尺になりますし、読者の方にもご迷惑をかけている、の後ろめたさもつきまといます。本来のワンイシューにフォーカスしてせいぜい1200W程度にとどめるべきと思っています。

そして、今回書きながら思ったのは、今後アーラ職員をバックアップするようになったからと言って、折々に「ブツブツ」の小言はたまるだろうし、物言わぬは腹ふくるる思いになるもストレスがたまるので、アップ頻度は少なくなるでしょうが、書き続けようと決心しました。

どうも黙ってはいられなくなる性格は変わりそうにありません。

ウエブサイトの建てつけのリニューアルが進んでおり、3月にはクリック数を少なく深いところに届くサイトとなります。当然現在の「館長の部屋」のネーミングも変わると思います。今回書きながら、私の仕事はまだまだ思ったより遠くには来ていないことを実感しました。

いま少し、相変わらずのとめどのない愚痴の垂れ流しで、お暇を頂戴いたします。

(出囃子「野崎」のSE で)