第80回 次の一手を考える ― 新年度にあたって。
2010年4月4日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
四月というのに朝晩は冷え込む花冷えが続いています。可児の桜は満開です。其処ここにいろいろな花が咲いて、新年度の新たな旅立ちを彩っています。私にとっては4回目の可児の春です。3月の連休から発売した「ウエルカムホーム」、「演劇まるかじり」、「まるごとクラシック」、「かに寄席」の4種のパッケージチケットは、私が就任してすぐに組成して販売してから3年目で初年度比849%、昨年度比174%の売り上げとなりました。(4月23日現在)
昨年度、一昨年度とパッケージチケット売上が前年比200%超えをしたのでいささか残念ですが、それでも購入者数が昨年度比213%となったのは大きな収穫です。パッケージでお買い求めになる習慣が定着しつつあると判断しています。全人口比率で見ますと、135人にお一人がパッケージをお買いになっていることになります。お一人当たり2パッケージ以上お買い求めいただけなかったのは残念ですが、後述するように「パートナーズチケット」制度で小澤征爾さんのシングルチケットが大量に出た影響だと分析しています。私どもが経営方針の一つとしている「何人かが連れだって同じ舞台を見て、その同じ経験価値を軸にしてコミュニケーションを活発にしていただきたい」という思いは変わらず持ち続けておりますので、来年度以降のチケット政策の設計に生かしていきたいと思います。
当然来年度への課題はありました。 ひとつは小澤征爾さんが、地域拠点契約をしている新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮をすることになったことで、パッケージのほかにシングルチケットを購入する「パートナーズ・チケット」を設けたことです。システム的に10枚まで発券出来るのでシステムの仕様に任せたところ、「小澤征爾&新日本フィル」のシングルチケットが369枚も出てしまい、その他のシングルチケットの最大枚数の15倍近い発券となってしまったことです。昨年も「財津和夫」という変数でいささか混乱したのですが、今年は「小澤征爾」という変数を読み切れなかった失敗をしてしまいました。市民の方々にはご迷惑をおかけしてしまいました。
「同じ経験価値を複数の人と共有していただきたい」というアーラのポリシーから設計された「パートナーズ・チケット」でしたが、「変数」を計算しつくして、私どものポリシーとの折り合い点を探って設計しなおさなければならないと思っています。来年度は「パートナーズ・チケット」を廃止して、市民がご自分で全事業から4枚のチケットをビュッフェスタイルでパッケージできる「アラカルト・パッケージ」の創設も考えています。まだまだ改善しなければならないことは山積みしています。
私どものような公共文化施設の外部環境は、ここ数年間で大きく変化しつつあります。生き残りをかけた戦い、いわばサバイバルの時代に入っています。小泉改革の「官から民へ」の掛け声で施行された2003年の改正地方自治法で「指定管理者制度」が導入され、何年かごとに組織がまるごと入れ替わってしまうような、経験の集積を必要とされる文化施設にはおよそ整合性のない制度にさらされることになりました。アーラの指定期間は5ヶ年ですから、今年度いっぱいで第一期の指定期間が終わります。私どもの財団が指定されなければ全員が失職ということになります。
2つ目が2008年に施行された公益法人改革三法による「公益法人改革」です。現在、私どもの財団は特例民法法人という位置づけで、2013年までに公益財団法人か一般財団法人を選択しないと解散となります。法律施行直後から、担当を配して公益財団法人化を目指す調査・研究をしています。新年度から公益法人会計を導入してシュミレーションに着手しました。これがなかなか厄介なシステムで、経理を所掌する総務課の負担は増大します。職員の定数が決まっているので増員してマンパワーで乗り切るということはできません。ハードルは低くはありません。
次に、今秋に成立するといわれている「劇場法」(仮称)と、その先取りと思われる文化庁の新年度事業「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」へのアプライと事業執行です。腕利きの職員が何人いてもマンパワーが足らないくらいの生き残りをかけた外部環境の大きな変化が続いています。私がアーラに就任したミッションは、このサバイバルに生き残る、ということでしたでしょうし、可児市を住みやすい、住みたいまちにすることだったと自覚しています。内外に横たわっているいろいろな課題を何とか解いてゆかなければならないと思っています。
可児での一人住まいも4年目に入りました。バローで食材の買い物をしていると見覚えのない方から「館長」と声を掛けられます。「お買い物ですか」、「気楽な単身赴任ですから」という会話をします。気楽ではあるのですが、時にこころが粟立つような孤独感に苛まれる時はあります。そんな時には「戦士は孤独なものだ」と呟いてナルシストめいた気分で、大好きな寝酒のスコッチを楽しみます。本当に戦い続けてきた3年間でした。私の任期はあと2年になりました。その2年間も戦い続けることになるでしょう。「疾風に勁草を知る」です。ファイティング・ポーズをとり続けないかぎり、決して「勁草」にはなれないのですから。アーラを日本一の地域劇場にする、小さな可児市を産業経済と文化の循環で螺旋状に進化する代表的な「創造文化都市」にする、私はこれからも遠くを見ながら前のめりで歩いていこうと思います。可児は、知らない間にツバメが群れて飛ぶ季節になっていました。「次の一手はなんだろう」、私の関心はそこにしかありません。アーラは「私の遺書」なのですから。