第60回 職能重視の合理的な経営よりも、職員の個性を生かした劇場経営を。
2009年10月23日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
経営には正解はありません。成功した企業の仕組みに学ぶベンチマークもある程度の有効性はありますが、そのまま真似をしても企業業績は上がりません。外部環境がまったく異なるからです。ただ、ひとつ断言できることはあります。サービス業は、顧客とのコンタクト・ポイント(CP)をいかに豊かで、潤いのあるものにするかが最重要であることです。劇場で言えば、お客さまへのホスビタリティ(温かいもてなし)こそが、顧客価値を創り出し、その顧客価値に対してお客さまは対価を支払っている点です。演劇や音楽の催しものにいらっしゃるお客さまも、貸館申込にいらっしゃるお客さまも、また対価は直接支払っていないが、納税というかたちでアーラを支えてくださっている、劇場ホワイエをただ利用しにいらっしゃるお客さまも、水と緑の広場に遊びに来たり、手作りのお弁当を食べにいらっしゃる市民や子どもたちも、私たちにとっては大切なお客さまです。
コンタクト・ポイント(CP)におけるホスピタリティは、職員とお客さまのあいだで起こる相互行為です。サービス業の根幹です。それだけに職員の個性が全面的にそこには反映されます。私が職員の人間的な側面を重視する理由はそこにあります。職員はコマであってはならないのです。ファストフード・チェーンやファミリーレストラン・チェーンのサービスや接客態度が味気ないのは、管理部門がサービス(CP)の均質化をしようとするあまり、店員の人間的な営為の部分をあたうかぎり抑え込むか、削り取っているからです。あの「お前は人間か、ロボットじゃないんだから」と思わせる接客態度に、私は不快感を覚えます。あれは、アルバイトでも誰でも店員ができるようにするためのマニュアル化なのでしょうが、管理部門が手間を省いているだけとしか映りません。管理部門は、あくまでも従業員や店員によるCPの最良化を実現するための環境づくりの役割を果たすべきで、マニュアル化はその意味では、CPの劣化を招く管理部門の失敗と言ってよいでしょう。
マニュアル化はおそらく米国型の経営手法ではないかと思います。仕事を職能のみに着目して、人材を代替可能な、いわばコマとしてしか見ていない点で、米国型の合理主義的経営であると考えます。各職員の職能のみに着目して、彼らを差し替え可能な人材として評価する合理主義的な経営では心の癒される、あるいは何かを癒すことのできる、安心できる、楽しい場所としての劇場やサービス業は具現化しません。劇場経営やサービス業経営にとって大切なのは、まず管理職や管理部門がすべての職員の個性を丸ごとリスペクトして、各職員のそれぞれの個性が劇場の雰囲気やサービス自体に全面的に反映されることが可能な企業風土が必須と考えます。つまり、アーラで言えば、一人ひとりの職員の「個性」の総和がアーラであるという、極々当たり前の結論となるのですが、これを担保することは大変難しいと思われます。しかし、アーラがサービス業である以上、レストランのサービスが従業員の個性の総和として来店客に受けとめられるのと同様に、そういう企業風土を目指す経営でなければ「顧客感動」や「顧客共感」は生まれるはずもありません。なぜなら、「感動」や「共感」は人間同士の相互行為によって生まれるものだからです。
それだけに私は、職員の個性を育てることを最優先するし、採用にあっては好ましい人間性と温かさと性格的には明るさを重視します。職場のルーティンの仕事は二、三か月あれば何とか出来るようになりますし、デザイン系のパソコン技術も一年もかからずに習得できます。業界の人脈は二、三年あれば一通りは出来上がります。それよりも大切なのは劇場の「人財」たりうる素材であるか否か、なのです。「職員の個性の総和が劇場」であることが、公共劇場・ホールの人事面で忘れられているように、私には思えます。もう一度、私たちの携わっている劇場という業態がサービス業であることに立ち返るべきと考えます。そして、管理職や管理部門が、従業員の個性をリスペクトして、彼らの創りだすCPのための環境づくりに専心すべきと考えています。公立劇場・ホールは行政が造った造営物ですが、その組織の仕組みは、役所とは真反対の組織風土に依拠していると言えます。