第22回 文化経済学会が果たさなければならない使命。

2008年6月30日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

このところ他人の論文の査読に追われています。文化経済学会<日本>の年に一度の研究大会が、7月5日と6日に札幌・北海道大学で開催されるからです。今年は2日目の「事例報告3」の座長を務めなければなりません。論文は三本。北海道大学大学院研究科博士後期課程に在籍する伊藤大介さんの『公立ミュージアムの広報・広告活動とその研究動向』、東京芸術大学大学院音楽研究科応用音楽学博士後期課程の朝倉由希さんの『音楽事業を評価する視点―PMFを事例として―』、北海道武蔵女子短期大学学長の小林好宏さんの『舞台芸術に対する需要拡大要因の分析―札幌交響楽団の場合』。それぞれに力作で、査読しながら、座長を務める責任を強く感じます。

三本の論文ともに共通していることがあります。ひとつには、いかに芸術文化と人々の親和性を高めるかというマーケティングに対する関心と、いまひとつは「文化」を評価する困難さという、ある意味では永遠の課題です。数字としてアウトプットする定数的な評価のみならず、長い時間をかけて集積して社会のあり方に良い変化をもたらす定性的な「評価」を研究者は編み出さなければならないと思います。

ともに非常に難しい問題ですが、だからと言って立ち止まっていては研究者としてのミッションを放棄することになると思います。アーチストにそのミッションをゆだねるのは筋違いです。彼らは評価の高い作品を生み出す人たちです。したがって、現場で言えばマーケッターやマネージャーが彼らの活動に社会的意味を付加するべきですし、研究者こそが「文化」の社会的意義という定性的な評価を定着させる先兵となるべきと考えています。

社会的に必要な財なら市場からおのずと供給されます。しかし、ほとんどのアーチストはアルバイトやサイドビジネスをしながら創造活動をしています。ということは、芸術文化は、公共財ではないが社会的価値財であり、準公共財であるという証明が必要であり、だから第一セクターである行政が供給をサポートしなければならない、と論理的に証立てなければなりません。文化経済学という比較的新しい学問が、公的な機関(国や自治体や企業)と文化の関係のあり方に強い関心を示すのはそのせいなのです。準公共財(社会的価値財)としての文化をどのように支援するべきか、あるいは支援してきたのかを論理的に研究し、市場からは供給しにくい芸術文化の社会的必要性と、そのために公的機関が何をなすべきかを立証するのが、文化経済学の使命(ミッション)なのです。

アーラも難しい舵取りを迫られています。「市民にとってアーラは必要なのか」という論議があります。私たち劇場の職員は、アーラの活動が、市民や子供たちの五年後、十年後の生きる環境整備に関わっていることを日々の仕事で証立てなければならないと思っています。と同時に、そういう仕事をしているのだと自分の職務を信じることです。それは、蛇口に耳を当てて水道行政を推し量るように不確かなものです。自分の歩いている細い小道が、怠らずに歩き続ければいつかは霊峰の頂に至ると自分に言い聞かせるような地道な仕事です。

私たちは遠くを見て歩いています。十年先、二十年先の可児を心に描いています。でも、私たちは、十年先、二十年先の可児を見ることのできる目を持っていません。

文化経済学がやらなければならないのは、この「遠くを見ることの出来る目」を作り出すことではないでしょうか。市場から供給されないからといって、「文化」を私たちの社会から抹消してよいものでしょうか。そんな社会を作ってしまってよいものでしょうか。経済性だけですべての価値を計ってしまうような社会でよいのでしょうか、人間の価値をもです。文化政策の果実は、山に降る雨の一粒が地表に浸み込んで、何年もの時間をかけて豊かな恵みの水の「一滴」になるようなものです。しかし、その「時間」を必要なしとしてしまう風潮がいまの日本には色濃くあります。

都会に行くたびに私が感じる人と人のあいだに冷たい風が吹いている「嫌な感じ」は、そういう価値観のなせるところではないかと思っています。人間の価値を収入の多寡で計る、子供の価値を将来の経済生産性で決める、そういう社会は当たり前ですか?

私には寂しい社会、貧しい社会、温もりのない社会と思えます。「勝ち組」と「負け組」は経済的な勝ち負けであって、人間的な意味でのそれではないのは明らかです。その「ゆがみ」が理解を超えた多くの事件となって噴き出ているのではないでしょうか。私たちは「もう少し遠くを見るならい」を取り戻さなければいけないのではないでしょうか。「文化」には社会的制度を是正する力はありません。しかし、制度によって生じたゆがみを矯正する力はあります。

アーラでは、来年6月に文化経済学会<日本>の研究大会を開催します。一つの分科会では「アーラ・スタディ」(可児市とアーラの研究)をやってもらえるように、札幌での理事会で提案するつもりです。最近大いに売れている『芸術の売り方』の著者ジョアン・シェフ・バーンスタイン女史を、日本オーケストラ連盟と共同して可児に招いて講演をしてもらいます。アーラでの研究大会が「遠くを見るならい」を取り戻す契機になればと祈るばかりです。