第2回 芸術監督制に対する本音
2011年6月15日
可児市文化創造センターala 事務局長 篭橋義朗
財団法人地域創造の平成22年度地域の公立文化施設等に関する実態調査からの抜粋のリーフレットに「芸術監督・プロデューサー等の肩書を持つ人は全国に152人(常勤68人、非常勤84人)」とありました。これについて記します。
この152人という数字は多いのか少ないのかというと、私は非常に多い数字であると思います。全国に劇場・ホールが2,400館あると言われる中ではこんなにもたくさんの芸術監督がいるのか、という感想です。ただしその劇場、地域の空気を吸い、住民との関係性を考えれば常勤の68人のみが本来カウントされるべきである思います。私なりに芸術監督の職務を解釈すると、その劇場において一定レベル以上の芸術性を担保し、アウトリーチを含めた良質な舞台芸術活動を提供することである思います。さらにはその芸術性の責任者である、ということです。そこまでは分かるのですがその先の具体的なところになると分からなくなります。
芸術監督制を導入するにあたって、設置者である行政としてはそれまでの活動のレベルが大きく向上するのではないか、市民の満足度も向上するのではないか、という期待があります。しかし私は懐疑的です。その施設に芸術監督を招くだけですべてうまくいくとは到底考えられません。芸術監督、専門家といえどもそれぞれの分野の専門家であって、演劇、クラシック、ポピュラー、伝統芸能その他のすべての専門家はいないと思います。多くの施設が多目的である以上、限られた分野の専門家では限界があります。建設されたときの市民の思いが無視されかねません。それよりも劇場・ホールの組織マネジメントに優れた能力を持っている人間が最適だと思います。
そもそも公立文化施設を運営するにあたって基本的に抑えておかなければならないことは、それが「公立」であるということです。設置者は地方公共団体です。地方公共団体の目的は唯一「市民福祉の向上」です。そしてそれを実現する施策のひとつとして文化芸術施策があります。さらにその施策を実現するひとつの手段として公立文化施設(劇場・ホール等)があります。したがって劇場・ホール等は市民福祉全体の向上に寄与することが最終目的です。劇場は演劇をするところ、音楽ホールはクラシックをするところだからアーティストが在住して活発に活動し、市民はそれを応援すべきとの考えがありますが、これは公立文化施設の使命、目的を逸脱している考え方であると思います。民間、個人で十分やっていただきたいと思います。税金を投入する必要はないと思います。
文化芸術は行政にとってはあまり得意とする分野ではありませんので、専門家の意見を聞きながら建設とか運営がなされるべきですが、設置目的が前段で記したものであるならば専門家の意見が市民の側になければ本末転倒の運営がされかねません。その部分を行政としては修正しながら運営しなければなりません。行政は芸術に理解がないとよく言われますが、専門家から見ればそう映るかもしれません。しかし決してそうではなく、専門家の基準やその世界の常識とまちづくりや市民福祉の常識や慣行とが当然のことですが一致していないのだと思います。そのことを前提にお互いが歩み寄らなければ決裂するしかありません。公立劇場では市民の血税をもとに自治体住民の心の豊かさを醸成するため彼らの作品と市民を繋げていく立場なのです。そこにはルールや慣習や法律や予算の制約を調整する必要があり、非常に困難な仕事です。その中にはアーティストからすれば受け入れがたい制約もあるでしょうし、物別れにならざるを得ない場面もあると思います。その中での芸術監督の仕事はすべての事業をバランスを取りながらそこに住む市民が生活するために文化芸術が必要であることの重要性を高めていくことだと思います。
芸術監督制を設置者の行政側から考えると、行政としての目的と連携できる価値観を持つ芸術監督を置くことで専門性を担保できるし、まちづくりの質をぐんと上げることができると思います。ただし、その芸術監督の考え方を予算、規則、労務等とどう折り合いをつけていくかを常時話し合いながら進めていかなくてはいけません。決して東京で行われていることを”そのまま”やろうとしないでもらいたい。地域には地域の、可児市には可児市の状況がありますから。ただし一般的行政と劇場運営は同一ではないので方法は違ってもよいと思います。そのために公益法人制度を採用して弾力的、機動的運営を可能にしているのです。
「病院には医師がいるし、学校には先生がいる。同じように劇場には芸術監督が必要だ。」と言われています。そのことに全く異論はありませんが、全市民及び周辺住民を対象に行う文化芸術”行政”は芸術の専門性だけではなく教育、福祉の分野も視野に入れた総合的な見識を持たなければならないと思います。そこで働く職員も同じ目的を持って常に勉強し、組織的に動かなければなりません。だんだん硬い文章になってしまいましたが、結局、芸術監督を含めた我々の業務の評価はアーティストでも専門家でもなく、ましてや行政でもありません。それは観客であり市民であることを念頭に置くことが大切であると思っています。