Special かに寄席 初席 五街道雲助インタビュー
「かに寄席 初席」新春から縁起良く、落語&浪曲をたっぷりと。
風の吹くまま気の向くまま、自由に姿を変えながら悠然と大空を漂う、はぐれ雲のような孤高の芸人。端正な面持ちと粋な芸風で江戸前を感じさせる、当代随一の名人・落語家が8年ぶりにアーラに再登場。
-「かに寄席・初席」は2015年に三遊亭圓丈さん、入船亭扇辰さん、林家彦いちさんらと一緒に出演されて以来となります。
8年前? もうそんなになりますか。落語家には定年退職がないとはいえ、私も団塊の世代ですから、同期の多くは膝やら何やらを痛めたりして、年相応の衰えは避けられませんが、おかげさまで私はなんとかやっております。まだデルタ株のとき、コロナに感染して2週間も隔離生活を送った時は辛かったけれど、今はすっかり元気になりました。また可児に伺うことができて嬉しいです。
-昭和の名人と呼ばれた五代目・古今亭志ん生の長男である十代目・金原亭馬生師匠に弟子入りし、落語家となって今年で55年になるそうですね。
師匠馬生は1982年に54歳で亡くなりましたから、その年齢を越えてしまった…芸の方は超えないで(笑)。まわりのいろんな先輩がたの薫陶を得て、ここまで来ることができた。そして寄席に育ててもらったのだと思います。酒蔵の中でお酒が美味しくなるのと同じように。
-落語界に「五街道」という方は他にはいらっしゃいませんよね。「雲助」という名前もユニークです。
入門して最初につけていただいた芸名は「金原亭駒七」でした…7番目の弟子だったので。二ツ目に昇進する時、師匠馬生が常々「隠居したら‟五開堂雲輔″にでもなるか」と言っていたのを思い出して、その名前を頂戴したら、そのままだと年寄りくさいからと「五街道雲助」という表記に変えてくれたんです。過去にも「ごかいどうくもすけ」を名乗った落語家が何人かいたらしいのですが「五海堂」だったり「五海道」と書くなどいろいろ。それに「雲助」とは五街道の宿場から宿場へと荷物を運搬していた‟人足″のことで、現代ではタクシー運転手の蔑称として使用されたこともあって、なかなかの‟悪名″なのですが、風の吹くまま気の向くまま、自由に姿を変えながら悠然と大空を漂う、はぐれ雲のようなイメージで自分ではとても気に入っております。
-師匠の3人のお弟子さんもそれぞれ珍しい名前ですね。
「桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)」と「蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)」は先代が亡くなってかなり経つ古い名前。「隅田川馬石(すみだがわばせき)」も、志ん生が一時期名乗っていたことがあります。それぞれ師匠にとらわれることなく自分の道を進んで欲しいと願って付けたものですが、みんなすっかり一人前になってくれて嬉しいかぎりです。
-師匠は墨田区の生まれで、現在も本所にお住まいとか。可児市は「すみだトリフォニーホール」を本拠地とする新日本フィルハーモニー交響楽団と縁が深いことで知られています。
それはいいですね。自分はまだ「すみだトリフォニーホール」の舞台には出演したことがないけれど、区民にとって自慢のホールです。 私は‟すみだ″で江戸落語に出てくるような人たちとのやりとりのなかで生まれ育って、‟江戸のことば″など自然と身についたものを活かして仕事にしているわけです。
-アーラのお客さんにはクラシックのファンと同じように、落語好きな方も多いので「初席」にも大いに期待してお待ちしています。
ここ数年の「初席」のネタを確認してかぶらないように気をつけて、皆さんのご期待を裏切らないように頑張ります。他の人があまりやらないような噺がいいですね。そして新春に相応しく、『夜鷹そば屋』(※新作落語『ラーメン屋』を雲助師匠が時代を江戸に変えて、古典落語風にした噺)のような、じんわりと心温まるようなものがいいですね…大笑いネタは柳家三三師匠に任せて(笑)。
-今回は落語あり浪曲ありの、充実のラインナップです。
三三さんは現在の落語シーンを背負って立つ、中堅のどころの代表。そんなネタどこから仕込んでくるんだろうっていつも驚かされます。浪曲の玉川奈々福さんとは何回か一緒にやったことがありますが、彼女も今の勢いづいている浪曲シーンを象徴する存在。そして上方の露の瑞さんとは、今回が初めてですがとても華がある方のようで楽しみです! それでは1月22日にお会いましょう。
取材/東端哲也 撮影/中野建太 協力/フリーペーパーMEG