第208回 コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する ― 文化芸術と劇場音楽堂等の諸機能を「いのちのルネサンス」へ向かわせる。(上)

2020年7月10日

可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督 衛 紀生

はじめに。
はじめに、今回のコロナ禍で多大なる不自由と経済的なご苦労をこうむり苦境に瀕していらっしゃる多くの皆様と、新型コロナウイルス治療の最前線で感染へのストレスと闘いながら国民の生命を身を挺して守っていらっしゃるエッセンシャルワーカーたる医療関係者、その使命をまっとうなさっておられる皆様のご苦労を労い、心からの敬意と感謝を表します。そのうえ、差別・偏見・中傷、社会的排除という、あってはならない負荷をももたらしている劣化した日本人の「悪しき同調圧力」を激しく嫌悪し、同じ日本人として酷く恥ずかしく思います。6年前、67歳の5月に突然私を襲った脳梗塞が、3年前に心臓の影響による発作であると診断されて、ニトログリセリンのフランドルテープを処方されました。そこで一度立ち止まって熟慮して、それからの3年間を猶予期間として、可児市文化創造センターalaの館長職を辞することを秘かに決断して組織改善と人材育成をどのようにすべきかを試行錯誤しながら、望みうる最良のかたちを整えて後進に「アーラと可児市のこれからと、日本の総合政策として文化政策の未来」を託して引き継ぐことだけを考えてきました。

そして、最後になると心に決めていた今年度、コロナ禍という思いもよらぬ事態に放り込まれ、おそらく誰も体験していない有事下での劇場経営の舵取りをしなければならない地点に立たされました。当初はいささかたじろぎました。緊急事態宣言中の5月4日に、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室から発出された「ソーシャル・ディスタンス」を遵守した客席稼働のガイドラインを読んだ夜は、明け方までまんじりとも出来ず、キャパシティの最大およそ20%しか稼働できない経営環境では何もできないし、つまりは「劇場を開けるな」ということなのだな、としばらくは鬱々とした時間の中にいました。しかし、退任後も数年は可児市に居住して、非常勤の劇場総監督としてアーラと職員たちをバックアップしようと思っていますが、残された時間は8ヶ月と限られています。鬱々とはしていられないと思い直して、コロナ禍での劇場経営を零から組み立てることを考え始めました。この「館長エッセイ」では一貫して、何者にも縛られず、忖度は誰にも決してせず、将来の、人間を中心に据えた社会づくりに、文化芸術と劇場音楽堂等がどのように関わり、潜在する機能をまっとうできるかを、そして外部環境の変化にともなって経営の舳先を何処に向けて切るべきか、どのように人間の尊厳とウェルビーイング(健康と幸福)の実現に投資する文化政策を構築すべきかを、今後も引き続き試行錯誤しながらも提案していきたいと思います。

可児市文化創造センターalaの館長職を引き受けたとき、「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ」というピーター・ドラッカーの言葉を、前例のない劇場経営の「歩みの杖」にしました。また、90年代に芸術を聖域と考えるアーチストと文化研究者たちのネグレクトと激しいバッシングに孤立した体験から、谷川雁さんの「連帯を求めて孤立を恐れず」の海図を懐中に忍ばせての経営者としての出立でした。「初心忘るべからず」、コロナ禍の中で、いま社会で起こっていることをつぶさに観察して、改めて原点回帰しなければと、いま強く思っています。

本当に「変化」させなければいけないものは?
そして、私は「死」とは断念であると思っています。家族をはじめとする様々な「つながり」、それぞれの「夢と希望」、おのれの仕事といのちの使命などを断念することだと、20歳過ぎに同世代の人間たちとの多くの訣れを体験して強く心に刻みました。新型コロナウイルスによる日本国内の死者数は、7月4日現在977名にものぼっています。これはただの数値ではありません。コロナによる「死」は、長い時間をかけて緩慢に訪れる「死」とは違います。私はそこには「977の断念」が蒼氓累々たる光景として横たわっていると感じています。死者の数だけの「断念」があると私はその数値を受け止めます。だとすれば、私たちは、彼らのためにいま何をなすべきなのか、何処へ向かうべきなのか、思考の舳先を向けるべき方角は?

私たちが「変化」をしなければならないのは確かです。その想いの強さと深さを、私たちは試されています。ただ、現在アフターコロナに向けて変容しなければとマスメディアで喧伝されているのは「新しい生活様式」「新しい日常」「ニューノーマル」です。ソーシャル・ディスタンスの遵守からくる「従来の常識的な行動様式」からの離脱と逸脱を促がすものばかりに偏っています。そのことで、新型コロナウイルスのパンデミックで焙り出された、真に変わらなければならない「制度」と「仕組み」は見えにくくなってしまっています。「ソーシャル・ディスタンス」に関わる直近で求められている新しい日常等の「変化」は、中長期的なマクロ的視点の変化ではありません。治療薬とワクチンが開発され供給されて、あるいは長い時間をかけて集団免疫が成立すれば、それは殆ど意味をなさないことになります。そうなれば、新型コロナウイルスはインフルエンザ同様に「季節性感染病」となり、おのずとソーシャル・ディスタンスの私権の制約・制限は不要となるものです。つまり、このソーシャル・ディスタンスに関わる「変化」は、これからも続く長い私たちの時間から見れば、極めて短期的な制約であり、制限なのです。

私たちが真に「変化」させなければならないのは、「新しい日常」の陰になって見えにくくなっている社会の本質的な、そして根底的な「変化」、広くはコロナ禍で格差の大きな国ほど死者数が多いという事実、翻って身近な社会課題としては、子どもが学校閉鎖となったことで給食がなくなり1ヶ月で3キロも体重を落としている現実、非正規であるために日給月給で所得の激減に瀕して生活維持と生命の維持さえままならない、あるいは「雇止め」で住む場所からも追い出されて先の見えない生活を余儀なくされている人々、そして在留外国人家庭など、コロナ禍によって露わになり剥き出しになった「孤立と孤独」、無援で孤立する高齢者世帯、そしてそれらに通底する「不完全な社会」をどのように克服して真の「変化」への道程を歩めるのかなのではないかと強く思うのです。どちらとも言えないグレーゾーンはあるものの、私たちは大きな犠牲を払った以上、遺された者として「未来」を展望できる海図を描き始めなければならないと思っています。

私たちは、国の違い、肌の色の違い、言葉の違い、性別や性指向の違い、所得の多寡、年齢の違い等のあらゆる違いはありながらも、新型コロナウイルスという未知の疫病によって、好むと好まざるを問わず「地球という箱舟」に乗っているクルーなのだと私は思っています。それがたとえ見知らぬ「誰か」であったとしても、その「誰か」のために何かをなさなければ、このコロナ禍を乗り越えることは出来ないと考えます。社会の分断を選挙対策として主張する政治家、自己の優位性を差別によってしか保つことのできない差別主義者、「自国第一主義」は自国民をコロナ禍で世界の孤児に堕とし込むことであり、それらはコロナ禍にあって到底許されることではないのです。いま私たちが選ぶべきは、「自発的な連帯」であり、「利他主義に基づいた行動」なのです。時として鬱状態に落ち込むほどの重い負籠ではありますが、コロナ禍を体験した者としての、それは果たさなければならない歴史的な、そして人間としての生きる責務であると思っています。

そして、このコロナ禍に在って「ソーシャル・ディスタンス」と「社会包摂型劇場経営」、或いは「文化芸術による社会的処方箋活動の拠点施設」としての劇場の公共的役割は著しく矛盾します。矛盾というよりは相容れないと言った方が正確でしょうか。文化芸術振興のための第三次基本方針(2011年)に書き込まれた「文化芸術の社会包摂機能」と「戦略的投資」を私たちの生活に根付かせる営為とソーシャル・ディスタンスの制約と制限は、「水と油」ではないかと私は思っています。そのような有事の環境での可児市文化創造センターの隘路とも思えるマネジメントに携われることを、「不要不急の娯楽施設」という負の国民的合意に閉じ込められている「劇場という概念」を、思い切りブレークスルーして「未来」を展望する歴史的な機会を与えられたのだと、私は現下を受け容れ、理解しています。社会の歪みに対する処方箋が「社会包摂」であり、その総合的社会政策であるのが「社会的処方箋」です。現下のコロナ禍で露わになり、白日の下に晒された人間よりも経済を中心にした「不完全な社会」とその「歪み」を精査検証することなくして、私たちの「変化」への歩みは一歩たりとも前に進めないと考えています。

新型コロナウイルスのパンデミックが焙り出した「機能不全に陥った社会」は変わるか。
医療はもとより、政治、経済、福祉等、「人間の安全保障」たるセーフティネットがことごとく機能不全に陥ってしまっているコロナ禍の現下の社会を、何処からかスナイパーに狙われているような緊張感のある2ヶ月にも及ぶ在宅勤務の東京にあって、2週間程度で次々にフェイズを変える状況を比較的冷静な立場で観察しながら、なぜそのような事態になってしまっているのかをひたすら考え続けていました。世界では、現下のパンデミックを経験するきわめて短期間の内に、様々な社会の歪みと課題が次々に露呈して、その対策が医学者をはじめとする経済学者、政治学者、社会学者たちによって探られ始めています。例えば、罹患者及び死者が貧困層あるいはアフリカ系米国人や移民層に偏っていることから、米国では「オバマケア(国民皆保険)の拡充」が、スペインやフランスでは「ベーシックインカムの検討」が、EUと日本では「医療費改革と称する予算の大幅削減の結果としての医療崩壊危機」が、そして安価な労働力に依存した「サプライチェーン構築への反省と再構築」への模索が始まっています。それらは世界中の先進国で、グローバルな新自由主義経済思想による「経済成長至上主義」の負の部分としてコロナ禍によって焙り出され、認識され始めています。

日本では特に専門家会議が比較的早い時期に提起した「三密」=ソーシャル・ディスタンスに基づいた「新しい生活様式」に関わる「新しい日常」が一般的には話題の中心になっています。また、政府の機能不全からくる公的支援の支給の遅滞に対する制度上の問題点、新型コロナウイルス感染拡大防止政策における政府省庁の機能不全、たとえば何故パンデミック初期に「クラスター対応」を優先させたか、或いは、濃厚接触者でありながら「無症状者」になぜ感染拡大当初PCR検査を実施しなかったか、それと対照的な現場に近い自治体の迅速な新型コロナウイルスへの対応、それを体感することで国民の裡に胎動し始めた中央集権政府への信頼性失墜と地方分権への胎動を、危機的なコロナ禍のなかで私は皮膚感覚で感じながら、何処に光があるのかを考え続けていました。専門家会議と政府のディスコミュニケーションが露呈されるに至っては、「37度5分・4日間」のPCR検査基準を、そのために志村けんさんや岡江久美子さんをはじめ多くの方々が亡くなっているというのに「国民の誤解」と言い放ったり、「無症状感染者」も強い感染力を持つということが判明してからもなぜPCR検査と無症状感染者の疫学的隔離を迅速に進めなかったのかなど、中央政府の機能不全には首を傾げざるを得ない。

専門家会議からの「無症状者も感染を拡大させる恐れ」という提言に対して、パニックを起こす恐れがあると文言を削除したという報道に接すると、それが本当に「政治判断」なのかと思えてしまう。感染拡大防止政策と社会経済活動がトレードオフにあり、それでも社会経済活動を動かさないと経済的に「パンデミック後遺症」からの立ち直りが困難になるとの判断から、経済活動を動かすというのは正しい「政治判断」だと認められるのですが、「無症状者とパニック」は医療を社会的な負担と考えて、その裏には「医療改革」として、例えば保健所を1990年の850施設から2017年には481施設に、病床を同じ1990年の153万床から2015年の133万床に削減してきた政治の事情があったのではないでしょうか。(平成30年版厚生労働白書) 同じ時期にPCR検査の不足が盛んに言われていました。保健所の職員数がその機能不全の事由とも報道されていました。政府も専門家会議も神経をとがらせて「医療崩壊」を危惧していましたが、「感染者の40%は無症状感染者からの感染」との疫学的知見が先の削除された専門家会議の提言のベースとなっていたとしたら、それはPCR検査の中核的役割を果たしていた保健所のキャパシティ不足からくる「パニック」への危惧だったのではないか。

7月6日に専門家会議を廃止して特措法に基づいた政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の初会合が開かれて、その直後の記者会見で尾身茂分科会会長(地域医療機能推進機構理事長)が非常に強い口調で「保健所の機能強化はたびたび提言してきたが実現していない」と政府と専門家会議の裏での暗闘ともいえるエピソードを明かしました。「やっぱり」と私は思いました。PCR検査の「目詰まり」の原因と推定されていた保健所の機能不全も、「無症状者も感染を拡大させる恐れ」の提言を「パニックを起こす恐れがある」と文言を削除した報道も、根は同じなのだと私は確信しました。医療費削減に向けた数次の「医療改革」が、「治にいて乱を忘れず」のリスクマネジメントの施されていなかったことの暴露を政権中枢が懼れた結果だったのだと、私のパンデミック当初から抱いていた疑問が解けたのです。「治にいて乱を忘れず」の「医療改革」がどれだけの医療に関わる予算削減がトータルでどれだけの額となったのか、このコロナ禍で投入された補正の経費と社会的損出を比較すると、どれだけのものとなるのか。「木を見て森を見ない」政策ではなかったのか。

医療と福祉は社会の負担か、或いは投資なのか。
仮にそうだとすれば、医療費を社会的負担(コスト)と位置付けて、最初に削減目標ありで一瀉千里に進めてきた医療政策が、「治にいて乱を忘れず」のリスクマネジメントの施されていない数値目標ありきの「人間の安全保障」をおろそかにした偏った施策ではなかったのか。医療経済学の知見では、病床数が多いと医療費が増加するという「医師需要誘発仮説」が支持されています。その観点を受け容れたとしても、日本が世界的に突出した高齢者社会である外部環境要因を前提としながらも、医療費及び福祉費を「社会的コスト」(社会の負担)の考えで数値目標ありきの「改革」の遂行は乱暴に過ぎたのではないだろうか。団塊の世代が後期高齢者となる2025年に向けて厚労省から提示された「医療改革」案では、病床数を現在より16万?20万床削減して、手厚い医療を必要としていない30万から34万人を在宅か介護施設での治療に切り替え、重症患者の集中治療をする高度急性期病床は13万床、救急医療の急性期病床は40万床と各々30%程度を減らすとなっており、かわりに「リハビリを施す回復期病床」は38万床とおよそ3倍に増やすと発表された矢先のパンデミックだったのです。

医療を「コストから投資的視点へ」という津川雄介氏(カルフォルニア大学ロサンゼルス校医学部・医療政策学部助教授)や山本雄士氏(ミナケア代表取締役社長)ら若い研究家からの提言は傾聴に値しますが、この考え方も、一歩間違えると英国・サッチャー首相が一期目で手が付けられなかったナショナル・ヘルスサービス(NHS)の抜本的な改革のために米国から招いた新自由主義経済学者のアラン・エントホーフェンの「デスレシオ」(患者が死ぬまでにかかる経費)を最小しようとする適者生存の「命のトリアージ」と、投資価値のある者を優先治療する「新しい優性思想」につながる危険があり、そこをどのように回避するかが課題と言えます。文化芸術に立脚する者としても「社会的処方箋」に強い関心を持ち、その政策立案を志向する当事者として、投資としての医療・福祉は深堀しなければならないと思っています。前述の「リハビリを施す回復期病床は38万床とおよそ3倍に増やす」という方針が投資としての医療を政策化するものではないかとは思っています。予防社会政策としての「社会的処方箋」については、コロナ禍を経過する中での文化芸術による誰も取り残さないための政策必然性とともに、その詳細は後述します。

昨年度42兆6000億円に膨らんだ医療費と2025年に向けての何らかの手を打たなければならないのは理解できますが、「治にいて乱を忘れず」のリスクマネジメントの欠落した数値ありきの施策には同意できません。それに加えて「在宅か介護施設での治療に切り替え」は、社会問題となっている「介護離職」と「介護施設と人員と職員の待遇改善」を視野に入れているのかが不透明で首肯できません。「地域の中核病院の統廃合」が病院名を明示して発表されて、地域からの猛反発があり議論が沸騰した昨年の出来事はまだ耳新しいニュースです。その直後に新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、「医療崩壊」をはじめとする「不完全な社会」の医療と福祉の弱点が露呈したのだと、私は3月から6月にかけてのフェイズの目まぐるしい変化を観察体験しながら思いました。

パンデミック後の社会変容として特に有名なところでは、14世紀にポッカチォの『デカメロン』に描かれた黒死病のパンデミックのあとに訪れる、新たらしい価値の時代、「ルネサンス」の文芸復興と科学復興が好事例として挙げられます。その背景には、感染病の災禍を凌ぐ激しさで全ヨーロッパに拡がった「ユダヤ人迫害」と、それと表裏をなす、神父も感染を恐れて教会を捨てて逃げ出したとのエピソードも残るキリスト教の権威の失墜、既成の価値観への激しい怒りと失望、さらには「貨幣経済の発展により封建社会の揺らぎ」が起こり、封建領主の理不尽な抑圧からの逸脱としての農奴の待遇改善や解放という、従来からの価値や常識の壊滅的転換が通低音のように流れていたことを決して忘れてはいけないでしょう。

今般の新型コロナウイルスによるパンデミックも、従来の価値観を大きく揺るがすような胎動を内包しているように思えます。「新しい価値」へ向かおうとする人々と従来からの「常識」にしがみつこうとする人々との間に、変化にともなう「摩擦と痛みと苦悩」が起きている、と私は感じています。米国での大規模なデモは、アフリカ系アメリカ人への米国社会の宿痾の如き差別に端を発していますが、それはトランプ大統領の「分断を助長する政治」へのアメリカの良心からの「異議申し立て」にほかなりません。私はこの原稿を激しい憤りを抑えて書いています。コロナ以前の日常を取り戻したいとは、私は決して思っていません。学校で給食を食べられない子供に食事をさせるために、母親が痩せ細っていくような社会には断じて戻りたいとは思いません。戻るべきだとは断じて思っていません。コロナ禍で露呈した今の社会の機能不全が克服された「新しい社会と未来」を可能なかぎり力を尽して構想することが、この有事の時代を生きざるを得なくなった私たち生きる者の、そして「社会包摂型劇場経営」を進めて、そのアウトカムを政策エビデンスとして「社会的処方箋」の政策立案を志向する、私たちの社会的責務だと考えています。