第8回 公立劇場・ホールは何をなすべきか – アーツマネジメントの原理原則 (その2)。
2011年8月22日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
公立劇場・ホールに「芸術監督」の配置は必須か。「劇場法」(仮称)の論議の中で、「経営監督」、「技術監督」とともに、「芸術監督」の必置が創造型の劇場・音楽堂の要件となっている。「芸術監督」を置くことで、あたかも公立劇場・ホールの諸問題が解決できるかのように思われている。本当にそうなのか、私にはそうは思えない。公立劇場・ホールの諸問題の多くは、むしろ「経営監督」の不在によるものと考えている。専門家のいない劇場・ホールを医師のいない病院にたとえることがある。鈴木忠志氏や平田オリザ氏の話から、公立劇場・ホールの問題点としてこのたとえ話としてたびたび耳にしたことがある。
分かりやすいたとえである。「医者のいない病院、そりゃ、ないだろう」と思わず首肯してしまうが、よく考えると経営経験のない芸術監督に、いまの公立劇場・ホールの抱えている問題を解決する実践的な経営能力があるとは私には思えない。「経営監督」ではなぜいけないのか。「人間は必要に応じて神を創り出す」(セオドア・レビット『模倣戦略の優位性』)のではないか。病院の例えに倣えば、公立劇場・ホールは「総合病院」である。多くの舞台芸術家は、固有の芸術的信条にしたがって自分の演劇を創造している専門家である。外科医に内科医の専門性はない。内科医にも精神科医の専門性はない。それぞれの専門性に従って単科の「医院」を運営している分にはその「強み」を発揮するが、総合性の求められる場では「弱み」の方が勝ってしまうのではないか。したがって、専門家は自分の劇団をやっている分には存分に力を発揮するが、それ以上でも、それ以下でもない。公立劇場・ホールにいま必要なのは、「事業のマネジメント、人と仕事のマネジメント、社会的責任の遂行」(P・F・ドラッカー『マネジメント』)という三つの使命を果たせる専門家である。すなわち「経営監督」であり、必ずしも芸術家たる「芸術監督」ではないと私は考える。
それに、「芸術監督」は芸術家のポストと言われているのに、「経営監督」は館長や事務局長で代替できるという芸団協案や平田オリザ案、それに文化庁の考え方もおかしい。安直に過ぎないか。「経営」を軽く見ていないだろうか。公立劇場・ホールで、いま直ちに改革しなければならないのは、組織経営に対する意識の欠落であり、公的資金を原資としていることへの公的機関の経営者感覚のなさではないか。「ハコモノ」、「ムダ」という一般論的な劇場・ホールへの批判は、「芸術監督」によって是正されるものではなく、「経営監督」にその改革を委ねられる類の問題である。劇団経営を専らとしている「芸術監督」の手に負える課題ではない。「経営監督」こそ、公的機関の経営に通じた専門家でなければならない。専門家たる「芸術監督」に委ねれば、いまの公立劇場・ホールの抱えている問題を解決できるというのは「幻想」にすぎない。欧米でもそれは常識であり、証明されている。欧米では劇場経営には「経営監督」が携わっている。問題は、そういう専門性を持った「経営監督」の人材が日本には不在であることだろう。したがって、館長や事務局長で代替するという発想が容易に出てくるのである。
「経営監督」というのは、それほど人材が払底しているのだろうか。いや、払底しているのではない。もともと、そういう人材の育成が日本ではなされていないということだ。全国46大学でアーツマネジメント教育はなされているではないか、という反論はあるかもしれない。しかし、日本のアーツマネジメント教育が始まって20年になろうとしているのに、日本の公立劇場・ホールの舳先を少しでも動かした人材が出てこないのは何故か。私自身、高等教育機関でアーツマネジメントのゼミを持っていた経験から言えば、アーツマネジメント教育が、知識のみを教える知育中心で、現場に即した思考能力を培う智育教育がなされていないことが大きいと感じている。分かりやすく言えば、「学者」は育つかもしれないが、劇場経営の現場で戦力となる「経営者」が育つ土壌ではないと言い切れる。芸術全般の知識はアーツマネージャーには必要だが、その知識があるからと言ってアーツマネージャーにはなれない。第一、教えている教師に「現場経験」がないのだから、劇場経営の何たるかを教えられるはずもない。日本のアーツマネジメント教育の不毛さが、「経営監督」への、館長、事務局長でも代替できるという認識の浅さに直結しているのではないかと私は見ている。そうなってしまっているのには、劇場経営という職業が社会的に魅力のあるものではないことがある。魅力がなければ、優秀な人材が其処を目指すわけはないだろうし、すぐれた経営者が輩出されるわけもない。
私は、何よりもまず、全国の公立劇場・ホールは「経営監督」の人材に着目しなければならないと思っている。公的機関であるから、その特殊性はあるものの、時代を読み、改革の舵とりのできる経営感覚と経営全般に対する幅広い見識と、舞台芸術を愛する気持ちがあれば、私はサービス業の民間企業人に「経営監督」を委ねても良いとさえ思っている。むろん練達なコミュニケーション能力、すぐれたリーダーシップやキャプテンシーなどの劇場経営者としての資質は重要視しなければならないが、いま公立劇場・ホールが抱えている課題の解決にとっては、少なくとも「いまより、まし」な劇場・ホールの存在価値を、3ヶ年あればアウトカムできると私は確信する。「芸術監督より経営監督」である。公立文化施設の現況を変えるには、芸術の拠点施設であるという認識を転換させる発想が必要である。社会機関としての公立文化施設という考え方が必要である。それにはむしろ、公立文化施設以外の「外部の血」を導入すべきなのかもしれない。前述したように、「魅力的な職業ではない」だけに、公募では良い人材に恵まれるのは難しいかも知れない。思い切った人材登用か大胆な