第50回 マーケティングと社会包摂 ― 健全な劇場経営への関心が高くなった。
2014年9月19日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
年間80回前後の講演・セミナーと視察対応の一環としてのマネジメント・セミナーを行う機会をいただいている。依頼内容としては、「劇場法と大臣指針」についてのリクエストが相変わらず多いのだが、昨年あたりからは「マーケティングについて」という講演依頼が多くなってきている。「時代が変わってきているな」という実感を持つ。私がマーケティングを研究し始めたころは、芸術団体でのセミナーで「マーケティング」と発言すると「私たちは芸術をやっているのだから」と幾分軽蔑されることに多く出くわしていた。「マーケティング=商業主義」とレッテルを貼られていた時代であった。マーケティングと芸術は「水と油」という風に一般的には認識されていたのである。
私がマーケティング研究に踏み込んだのは、当時喧伝されていた「アートマネジメント」(正確には「アーツマネジメント」)が「芸術と社会の架け橋論」という抽象的な言辞で語られていたことに違和感を覚えたからである。90年代半ばのころだ。
そのような抽象的な言辞では現場が抱えている課題は何も解決できないという違和感を持っていた。94年頃に「創客」という概念を岡山県美術館でのシンポジウムで初めて持ち出したのも、広義のマーケティングを現場的な手法で説明するためであった。アーツマーケティングに関する研究書は当時まったくなかったので、セオドア・レビットやフィリップ・コトラー、ピーター・ドラッカー等の研究業績を「アーツならばどうなる」とトランスレートして理論構築を進めていた。その後はスポーツマーケティングの書籍を買いあさって、アーツとスポーツとの相違を検証しながら「創客理論」を考えて行った。
「集客」でもない、ましてや「動員」でもなく、一過性の観客ではない「継続客」を獲得するためには、既存顧客との不断のコミュニケーションを重ねる仕組みを創らなければならない。と同時に、その頃の日本の広報宣伝は、ひとつの舞台や作品を売ることのみにフォーカスされた近視眼的な手法でしかなく、劇場ホールへの社会的信頼性を高度化するというブランディングやブランドデザインとはおよそ隔たったものであった。そうなってしまったのには歴史的な理由がある。日本の芸術団体が自前の劇場ホールを所有してフランチャイズ化することは極々稀で、公演をする際には劇場ホールに貸館料金を支払って一時的にレジデンスするのが長い間のならわしだった。当然、そうなると勢い、その期間に打つ公演のみにフォーカスした広報宣伝に専念することになる。二次的な産物として、劇団やオーケストラのブランディングが行われる、というのがその実際だったのである。私はそのスキームを逆転させるべきと考えたのである。
つまり、「ワークショップやアウトリーチ等の社会的プログラム(地域社会とのコミュニケーション)㱺社会的信頼としてのブランディング㱺現在顧客と潜在顧客との身内意識の醸成㱺新規顧客と継続顧客の開発」という、従来は観客を掻き集める経営手法と認識されていたマーケティングの「常識」を逆流させることを考えたのである。あるいは、その循環総体を指して「マーケティング」と言うべきであると私は考えたのである。したがって、近年言われているコーズ・リレイテッド・マーケティング(社会貢献型マーケティング)における、社会包摂プログラムによる地域社会への貢献がブランディングという果実をもたらし、それが新しい顧客を開発し、あわせて社会的活動への共感をともなって現在顧客の持続継続性を担保する、という図式である。
「文化芸術の社会包摂機能」が第三次基本方針に書き込まれるという大きなイノベーションがあって以来、それに沿ったソーシャル・プログラムやコミュニティ・プログラムへの関心が高まり、全国的にプログラム数が急増して来ているが、そのような活動とアーチストの創造的な芸術活動を、二項対立的に捉えたり、それぞれを相対的に独立していて自己完結するものと考えている向きがある。プライオリティはあくまでも芸術的成果であり、コミュニティへのプログラム供給は副次的な活動でしかない、という従来の「常識」から踏み出せない守旧的な立場を頑なに言い張る者が焙り出されてきているのである。しかし、その双方は互いに補完し、循環して、弁証法的に進化するものと考えるべきである。
アーチストの創造活動と社会包摂活動を二元論的に考えるのは、あるいは二項対立的に図式化する思考は、そう考える者が、従来からの「常識」に囚われているからである。芸団協が主催した劇場音楽堂等連携フォーラムで、クラシックの某統括団体関係者が、「アウトリーチとかコミュニティ・プログラムと言われても、クラシックの音楽家は世界を目指して研鑽しているので、そのような活動をする使命はない」というような意味の芸術至上主義的な発言をして私に一喝されたが、そのような思考回路からただちにテイクオフしてほしい。でなければ、社会と言う外部環境から取り残されるだけである。「常識」を疑えないところからはイノベーションは起きようがない。「あるべき変化」は起こるべくもない。可児市文化創造センターalaが成功しているとすれば、コミュニティへの貢献と鑑賞者開発と持続継続客の開発というマーケティングの循環がスムーズに運ぶように仕組まれた企画力と運営力の高度化に因るのであろう。
文化庁の在外研修などで欧州に派遣され帰国した演劇人たちから「芸術や演劇が生活に根付いているのが羨ましい」という感想を良く聞くことがある。むろん、私も同じ感想をとくに数多く訪れている英国の地方都市の劇場に行くたびに持つのであるが、そうなるには長い時間をかけた、アーチストやコミュニティ・アーツワーカーや劇場人やマーケッターたちの、地域社会に根付くための、あるいは地域社会から敬意を持って受け容れられるための、辛抱強い活動と使命を果たそうとする闘いがあったことを決して忘れてはいけない、と思っている。英国で戦後すぐに成立した政権を担ったクレメント・アトリーは、「揺り籠から墓場まで」の福祉国家政策とともに、あわせて「文化の享受は万人の権利である」という方針を掲げて、芸術評議会の理念的基礎を固めた人物である。つまり、文化芸術は「一部愛好者や特権階級の独占物」であってはいけないというメッセージを、荒廃した社会の戦後復興の中に位置づけたのである。英国芸術評議会はそのメッセージによって造られたのである。
その時代の変化を追い風として、50年代にコベントリー市のベルグレード劇場芸術監督トニー・リチャードソンが一人の教師を雇い入れることになる。地域社会への戦略的意識的な事業を展開する嚆矢である。ベルグレード劇場をはじめとする地域劇場は、地域社会の健全化を使命として学校や地域の子供たちへの文化サービスへ乗り出すことになる。
現在の英国の地域劇場では、コミュニティ・プログラムは「社会包摂」という考え方に裏打ちされて、コミュニティ活動への揺ぎない確信を持って行われている。アウトリーチ先は、学校はもちろんのこと、貧困地域、刑務所、紛争地からの難民の多く住む地域、犯罪や麻薬に手を染めてしまった子どもたちのコミュニティ、高齢者及び認知症高齢者等、非常に多岐にわたっている。地域社会の解決しなければならない政策課題に対応するプログラムを組んでいるからだ。その詳細は、前々回の7月にアップしました英国への視察ツアーの報告である『英国地域劇場の社会包摂プログラムを見て』を読んでいただければ理解できると思います(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_165.html)。また、それらの劇場政策の基本的な理念については、同じく館長エッセイに昨年6月にアップしてある『「社会包摂」及び「社会包摂機能」について― 今後、文化芸術を語るうえでのキーワードとなる新しい概念』を読んでいただければと思う(http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_153.html)。
そのような先人たちの辛抱強いコミュニティ・アプローチの闘い成果が、私たちが彼の地で感心する、すべての人々の基本的人権として保障されている文化芸術へのアクセス権である。地域のすべての人々を視野に入れた社会包摂プログラムと鑑賞者開発の好ましい循環なのだ。いわば、私たちが彼の地を羨ましいと思うのは、「文化の民主化」に対してなのである。それでも、英国の劇場人たちは「途半ば」と思っている。
来年度に向けた概算要求が先月末に発表された。文化庁も前年比182億400万増(同17.6%増)の概算要求を公表したが、財務省からは「文化芸術に対する具体的な国民の支持が足りないのではないか」というような意味の発言があり、相当な苦戦を強いられているようだ。悔しいが「その通りだ」と私は思う。劇場法の前文には、劇場音楽堂等はいわば「公共財」である、と書き込まれてはいるものの、実態としては「公共財」には未だし、というところだ。何かが一挙に解決できることはあり得ない。英国の劇場人の芸術と社会への認識と意識から、日本の芸術家や劇場人は60有余年も遅れているのだ。だから「社会包摂機能」を発揮して健全な社会づくりに寄与するプログラムを「副次的」な活動だと言い張る守旧派が一定程度の影響力を持ってしまうのである。財務省から「国民の支持が足らない」という言葉を取り上げなければならない。教育・福祉・保健医療や子どもの貧困と彼等の社会的孤立化、社会問題化している20歳代の自殺などの格差対策や安全安心のための社会政策に有効な社会政策手段としての文化芸術と劇場音楽堂等の社会包摂機能をしっかりと社会に認知させ、定着させるために、私たちが「いま」できることは、動き始めた「社会課題への対応」とその実績を辛抱強く積み上げていくしかないのである。
いわば、50年後、100年後の劇場人のために、あるいはその時代に生きる国民市民のために、諦めることなく「マーケティングと創客」の循環を仕組み続