第3回 時代の先を読む経営イノベーション-「ゆでガエル」にならないために。
2021年7月25日
可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生
経営を複眼的に適切に判断するための言葉に「鳥の目、虫の目、魚の目」というのがあります。最近では、これに「コウモリの目」というのが入るそうで、その背景には、時代の変化のスピードが、ドックイヤーどころかブリンクイヤーになって加速していることがあり、おそらく「常識」と言われるものさえが恐ろしいほどの速さで陳腐化して、自身の思い込みさえ逆さ吊りになったコウモリのように、まったく違った視角から検証しなければ、自身の「正常性バイアス」によって自分を疑わずに先入観や自身の常識によって「常識の罠」にはまってしまうことを戒めるべきと言うのでしょう。いわば「自縄自縛」に陥ってしまうというのです。
「鳥の目」は、自分たちの組織、ベンチマーキングとしている同業種の優良企業との比較、外部環境の因子等を俯瞰して、あるべき全体像を過去から未来にわたって掌握する視野の広さを指します。私と可児市文化創造センターalaの場合は、英国・ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP・現在 リーズ・プレイハウス)をベンチマークとして、どの点で何がどのような原因で劣っているのか、どの点ではキャッチアップしているかを自己評価していました。
また、たとえば消費税増税が不可避になりそうであるという政治経済の動向を、劇場経営の立場からどうとらえるのかを、2013年夏過ぎに消費税増税が自民党税調で話されたことを仄聞して、11月末のウエブ連載のVS局長に『再来年の消費税率10%は劇場音楽堂等には「脅威」になる』(https://www.kpac.or.jp/ala/essaylist/vs2013-12-12/)という原稿を書いているので、そちらを参考にしていただきたいと思います。その増税が家計にどのような影響を与えるかを考えるのが「虫の目」です。消費税増税は「低所得世帯」や「年金生活世帯」により強いインパクトを与えます。また、都市圏とは異なって、可児市のような地方の中小都市では、劇場音楽堂等は若者文化であるよりも、子育ての終わった中高年層がメインの顧客層になります。「教養費」や「趣味娯楽費」へ回す経済的余裕が著しく減衰すれば、経営資源の大きな柱である「入場料収入」の目減りは不可避と考えなければなりません。8%への増税時には、チケットシステムを改革して、パッケージチケットの公演数を削減して、家計の支出を抑える方策をとりましたが、自分の経営を冷静に「鳥の目」で俯瞰すれば、資金調達の多元化に向けての経営リスクのイノベーションが手付かずだったことを、強かに思い知らされることになりました。
刻々と変化する水流を判断材料とする「魚の目」には確信を持っていました。2008年から始めた「社会包摂型劇場経営」は、その3年後の2011年2月に閣議決定された「文化芸術振興のための第三次基本方針」で、「文化芸術の社会包摂機能」と、公的資金の投入をコストと捉える従来の認識から「社会的必要性に基づく戦略的な投資ととらえ直す」の文言が入ったことで、「道具主義」とか「社会包摂は一時的な流行り言葉にすぎない」のハレーションからは免れることが出来ました。そのような誹謗中傷がパタリとなくなったわけではありませんが、アゲインストからフォローの風に変わったとの実感を持って経営イノベーションを加速させ、進めることが出来ました。
「コウモリの目」は、いわば自分自身をまでもクリティカル・シンキング(批判的思考)に曝してみて、世間の「常識」ばかりか、むろん業界の「常識」にも、そして自己の裡に巣くって思考や行動を制約している「常識」にさえ囚われない、思いもつかぬ視座視点から経営や企画を発想してみる、というある意味では相当に難しい手法であると考えます。しかし、組織経営にあっては、そのような場面にはたびたび遭遇するものです。「これは無理筋だな」とか「到底出来ない」とか「かなりの抵抗を受けるに違いない」とか、外からばかりではなく内からのハレーションを鎮める信念とロジックで理論武装して、克己の苦痛に耐えなければならないケースがほとんどだからです。けれども「イノベーション」とは、そういうものではないでしょうか。顧客が「こんなシステムがあったら嬉しい」と利便性を感じるものは、そのほとんどの場合は経営する側にとっては、「常識ばなれ」なことで一般的には導入されていないものであることが多いのです。
たとえば、チケットの「キャンセルサービス」がそうです。「パッケージチケット」は、3月に発売しますが、「ニューイヤー・コンサート」と「かに寄席初席」は、最長およそ10か月先の事業となります。当然、この忙しい時代では、急な要件が入って劇場に出かけられなくなることが突発的に生じる場合は考えられます。そのような時には、公演の2週間前までであるなら手数料をチケット価格の20%を差し引いた金額の、別のチケットを購入する際に使用でき、また館内レストランの支払いにも使える「アーラクーポン」を受け取れる仕組みを作りました。(コロナパンデミックにあっては、体調不調者が無理して来館しないように当日キャンセル可で全額クーポンに換えられるようにしました)。劇場側にとっての利得は、予定が立たないとしての「買い控えの心理」に安心感をもたらすことにあります。館長就任時の「当日ハーフプライスチケット」も、業界では「ありえない」ことで、現在でも導入している劇場は知っているかぎり皆無ですが、「コウモリの目」で見れば、第一に空席の目立つ客席より満席に近い方が「鑑賞環境が良くなる」、第二に開演すると絶対的損失となる空席から半額でも売り上げが望める、という劇場にも鑑賞者にもウィンウィンの利得が生まれることが分かります。ともに、「業界の常識」が導入を妨げていた訳ですが、「コウモリの目」で見れば、私たちは「常識」とされている障壁によって、長年のビジネス機会喪失に気付かされるのです。日常生活でも企業経営でも、「気付き」の情動はとても大切なモチベーションを築く経営資源であり、経営改善とイノベーションの契機となる糸口であることは言うまでもありません。「キャンセルサービス」も「当日ハーフプライス」も、最近の頻繁に使われる言葉で言えば、「カスタマー・サクセスを積極的に支援して、支持されるサブスクリプション・サービスの構築」ということになります。
さて、室生犀星の詩である『じんなら魚』をご存知でしょうか。大正13年の詩文集『高麗の花』に収められている一篇です。「伊豆伊東の温泉(いでゆ)に じんならと云へる魚棲みけり けむり立つ湯のなかに 己れ冷たき身を泳がし あさ日さす水面に出でて遊びけり 人ありて問わばじんならは悲しと告げむ 己れ冷たく温泉(ゆ)はあつく されど泳がねばならず けぶり立つ温泉(いでゆ)のなかに棲みけり」という詩で、犀星の私生児としての生い立ちと、その赤貧洗うがごとき若き日々と、居場所を探して故郷金沢を幾度も後にして東京に出るという、旭川の『トンボは北へ』の詩人小熊英雄と同じような出自で彷徨を繰り返す自らの生を「じんなら魚」になぞらえている、寂しさと哀しさの滲む好きな叙述です。犀星はよほどじんなら魚に自分を投影していたのか、晩年の長編小説『杏っ子』にも「「じんなら、じんなら、あはれなりけり」という詩句を引用しています。閑話休題。
この「じんなら魚」と正反対なのが「ゆでガエル」の教訓です。いきなり熱湯に放り込まれたカエルはすぐに飛び跳ねて死んでしまうが、器に少しずつ熱湯を注いでいくと、その水温の変化にカエルは気付かずに、終には茹でられて死んでしまう、というビジネスの教訓として語られることの多い警句です。ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さと難しさを戒めるたとえ話で、企業経営の文脈で良く語られます。いささか残酷なたとえ話ですが、滑稽でさえあります。これは、いわば「魚の目」のことで、水の流れの変化に敏感になる、すなわち時代環境の変化に絶えずアンテナを張って対応する能力を持たなければならない、ということです。その価値観等の変化に対処しなければ、いずれその組織経営は時代から取り残されて、陳腐化して、市場から退場をせざるを得なくなるということです。
以上の「鳥の目、虫の目、魚の目」、そして「コウモリの目」は、経験値、「常識」と信じて疑わない価値観、先入観、固定概念等に囚われないで、あたうかぎり自由な視野で、私の場合は顧客の立場に立って課題解決の方法を探るということになります。「人間の家」というアーラのミッションからは当然な道筋です。いわば、自分の視野を遮る様々な、そして複雑に絡み合っている「心理的盲点」(スコトーマScotoma)から、いかに自由になって発想するか、ということになります。これは言うは易しで、生易しい課題ではありません。しかも、必ずしも「ニュートラルであれ」ということではないのです。人間に対しての信念、核心的な揺るぎない確信と意思を持ったうえでの「自由さ」なのです。そのうえ、組織経営では、個の集合体である組織の意識改革をしなければ、たとえば劇場という組織体として結束してひとつのミッションの共有に向かわなければならないとなると、そのための組織運営とヒューマンリソース・マネジメントは、決して容易なことではありません。「芸術の殿堂はいらない、人間の家をつくる」と就任直後の挨拶で言ったときに、「何言ってるんだろう、この人は」と思ったアーラの当時の職員が、一応同じ方向を見るようになったのは、その5年後くらいではなかったかと、私は思っています。月2回の「館長ゼミ」を辛抱強く重ねたことで、職員の意識改革が進んだと思っています。「踏み分けし 麓の道は多かれど おなじ高嶺の 月を見るらん」の相聞歌の、その「高嶺の月」が、ぼんやりではあったものの自分たち「みんなのミッション」として浮かび上がってきたのです。この歌の指し示す肝要なところは、数多ある麓の道の何処を登っても良い、という緩やかな、そして「自発的な連帯を善し」とする点です。
確かに時間はかかります。当たり前です。人間の心はそうは簡単には変化しません。それでも、「怠らで 行けば千里の果ても見む 牛の歩みのよし遅くとも」です。この4月に芸文振のウェブに、劇場音楽堂等機能強化推進事業に再採択された総合支援の4館の「助成対象活動名」が話題になりました。世田谷パブリックシアター『共に生きる場としての劇場:多様性を巻き込む同心円プロジェクト』、彩の国さいたま芸術劇場『新芸術監督体制への移行~多様な人々が行き交うオールインクルーシブな劇場へ~』、神奈川県芸術文化創造総合センター(KAAT)『あらゆる人々が集う場・神奈川県立県民ホール』、兵庫県立芸術文化センター『ひょうご「心の広場」ステップアッププロジェクト』。いずれも大都市圏の大型施設で、高いブランド力を持つ評価の高い劇場音楽堂等です。従来からの各施設が掲げていたタイトルとは、明らかに転調していると、私の周囲では話題になっていました。私は何回もその文字列を眺めながら、潮目が変わりつつあることを実感しました。そして、掲げたタイトルに職員全員の心が向かうように内部へのインターナル・マーケティングの辛抱強い努力が、これから求められるのです。決して諦めることなく、一歩ずつ前進してほしいと願うばかりです。
90年代には「セラピー」と呼ばれて、アーツとは峻別されることの多かった社会包摂型のワークショップは、2011年の第三次基本方針によって「市民権」を得たように教育・福祉・保健医療・多文化等の各分野のNPOが牽引するかたちで、その裾野を燎原の火のごとく拡げました。むろん、その嚆矢は90年代後半から点在はしていました。それが線になり、面となったのが2010年前後と認識しています。次いで、音楽団体、劇団が、その流れを加速させたと私は思っています。したがって、可児市文化創造センターalaが社会包摂型劇場経営を始めた2008年には、私たちの先行者たちが、既に面として存在していたことになります。世田谷パブリックシアターは、設置当初は学芸課でその分類に入る事業を所管して立ち上げて、いわゆる「先行者利得」としての高いブランド力を獲得していましたが、第三次基本方針の成立した2010年前後の社会包摂前夜には、この分野でのリーディングシアターの役割はすでに終えていた、と私は考えています。
それだけに、最終受益者たる市民国民全体へのサービスの供給へ向かって舵を切り、この「潮目」が5年後、10年後、さらには20年後には、文化芸術が「不要不急の罠」から脱して、Well-Being(幸福と尊厳と健康)を担保する拠点施設及び芸術団体として、どれだけの社会的認知と国民的合意を獲得できるか、私は心から期待してやみません。コロナ禍に際してフランスの世界的知識人ジャック・アタリは、劇場や音楽ホールや美術館、そして文化芸術を「Vital Industry」(生命維持に不可欠な産業)と定義しました。私たちは、コロナ禍を契機として、劇場や文化芸術を再定義する歴史的使命を負っているのではないでしょうか。そのためにも、社会的価値を生む機関として劇場音楽堂等や芸術団体は活動の裾野を戦略的に広げて行かなければならないと、私は考え続けています。前回に書いたCSVによる劇場経営と芸術団体経営は、多様な機関との共創(Co-creation)のプロセスによる「価値共有」によってのみ成立するものですが、その共創の成果への認知こそが、文化芸術にとっての既存の狭隘な資金調達先をブレークスルーして、多様なファイナンシャル・リソースにたどりつく唯一の道だ、と私は考え続けています。「人間の安全保障」を担保するのが、社会的価値を絶えず供給し続けむる劇場音楽堂等と芸術団体の社会的役割であると、私は信じています。
日本という国はダメージコントロールの時代に入っていると、私は思っています。あとから来る世代に僅かであっても膝だめの苦境を跳ね返す力、社会的レジリエンスを遺すのが、いまを生きる人間の使命ではないでしょうか。「此処ではない何処か」に、新しい社会を構築しなければならないと夢想しています。そして、社会を変えたければ、まずは自分自身が変わらなければならないと信じて疑いません。「相手に変わってほしかったら、まず自分が変わる」は、アーラの経営の中で職員に言い続けてきた言葉のひとつです。そして、「人間にとって一番難しいのは、新しい考えを受け容れることではなく、古い考えを捨てることだ」というジョン・メイナード・ケインズの言葉もゼミで繰り返し職員に語った言葉です。これは世評に翻弄されていたケインズが、いわば「じんなら魚」のような立場で呟いたものではないかと思っています。