第60回 時代が「変化」を求めている ― 劇場音楽堂等と文化芸術の再定義が始まっている。
2015年8月10日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
7月だけで大分県竹田市、福岡県宗像市の宗像ユリックス、北海道札幌市の札幌市芸術文化財団、愛媛県新居浜市の市議会行政視察団と4団体の視察と、山口県宇部市の市民大学と財団事業のアートマネジメント研修で、現在の文化政策の方向性と包摂型の劇場経営=可児モデルのマーケティング手法についての話をする機会があった。視察も講演依頼も、一昨年あたりからは施設のハード視察というところから、地域劇場の経営手法と社会包摂型事業の展開と具体的な手法の研修に大きく変わってきているように感じる。
氷見市からの10数名ほどの視察団のように、市長、行政職員、市民団体が一体となって建設予定の劇場を「可児モデル」で設置したいというものもあり、また北海道大学森傑教授と研究室、立教大学の石黒広昭教授のように、劇場建設と一体化した具体的経営手法の方向性を探るための視察や、「多文化共生プロジェクト」というプログラムを対象とする科学研究費助成事業のためのフィールドワークとしての事業視察等のように多岐にわたってはいるが、以前のようなハードウエアの視察はかなり少なくなった。
1988年設置で四半世紀以上経った宗像ユリックスや、1937年竣工の村野藤吾設計の国の重要文化財に登録されている渡辺翁記念会館を擁して2013年に設立された宇部市文化創造財団のように、包摂型の事業実施によって施設の存立根拠を大きく転換させようとしているところもあり、また高崎市や竹田市や氷見市のようにこれから建設する劇場をいかに市民生活に根差した施設にするかのモデルとしてアーラの経営を参考にしたいと訪れる方々もいらっしゃる。それぞれのモチベーションはあるが、共通しているのは、いわゆる「ハコモノからの脱却」を課題意識として強く持っていることである。そして、もう一つ共通しているのは、「変化」への強い意志を皆さんが持っていることである。宗像ユリックスのように共用を開始してから四半世紀を経ているような旧い施設に「変化」をもたらすには、ユリックスの猪俣司郎事業部ディレクターのような強い信念と揺るぎない確信と熱い情熱の持ち主が必要であるが、一昨年あたりからアーラの視察に訪れる皆さんには、一様にそのような目の輝きがあって頼もしく感じることしばしばである。
とりわけ興味を引かれたのは、札幌市芸術文化財団の視察であった。札幌市は旧厚生年金ホホールの機能を引き継ぐかたちで北1条西1丁目街区の市街地再開発事業の一環として2300席程度のホール建設計画を進めており、高層のオフィス棟と低層棟の市民交流複合施設で320億円程度の建設費用が見込まれているそうである。2018年の竣工を予定している市民交流複合施設は、ホールに図書館を併設する合築施設で、すでに設置管理条例も議会に提示されていると聞いている。この低層棟の予算は320億円と聞く。これに対して各方面から様々な要望が寄せられており、むろん反対意見もある。行政が先行して計画をまとめてしまい多様な意見集約がなされないままに動き始めてしまっているという、90年代の「ホール建設ラッシュ」の時代から幾度となく繰り返されてきた「騒動」が、ここでも持ち上がっているということである。「いつか見た風景」ではなく「いつも繰り返される騒動」である。
こういうことが繰り返される要因は、劇場ホールが一部の愛好者や可処分所得の多い特権的な層へのサービスを専らとする施設であるとの認識が一般的になっていることにある。しかも、札幌市の計画ではキャパシティが2300席であり「本ホールは、規模の大きな舞台芸術やライブ・エンターテインメント等の鑑賞を主とし、プロの興行者の利用を想定している」と(仮称)市民交流複合施設整備基本計画に書かれており、札幌在住のアーチストや芸術団体が利用するには2300のキャパシティは大き過ぎる。また、そのキャパシティに比例して舞台も大きく設定されており、当然のことながらそれに見合った装置や照明プランが必須となり舞台製作のコストは飛躍的に大きく膨らんでしまう。
おおよそ何処の計画にも自ら製作する「創造事業」が挙げられている。札幌市の計画も例外ではない。「オリジナル作品を制作し、劇場生まれの作品を外部に発信していく事業」と計画書にはある。しかし、これも札幌市にかぎったことではないが、数週間から1か月以上の稽古期間を占有できるスペースがなければ「オリジナル作品を制作し、劇場生まれの作品を外部に発信していく事業」は画に描いた餅、ともかくも書いておく程度の建前にすぎない。占有できるためには、一方で市民の一般利用があるわけだから利用できなくなる市民からのクレームが出ないように、複数の稽古スペースがなければならないし、2300席の劇場に見合った舞台の広さに対応したリハーサルスペースが必要となる。それだけのバックヤードがなければ「創造事業」は成立できない。ましてや「発信事業」をするとなると、そのノウハウを持ったツアーマネージャーが組織にいなければできない。
施設設計上、出来もしない「創造発信」をとりあえず書いておくという悪弊はもうやめるべきである。札幌市の各方面から様々な意見が出ているのは、この計画に「創造発信」を担保する文言の裏付けとなる、それに見合う施設計画がないことにある。もともと営利法人の民間プロモーターの利用を期待している施設なのだから、初めから札幌発の「創造発信」などと言わないことである。ただ、それで市民の合意が得られるかと言えば、そんな時代ではないこともまた事実である。それに計画は進んでしまって、設置管理条例案までも出てしまっているのである。だとするなら、今回整備される札幌市の施設に、包摂的なコミュニティ・プログラムを市内の隅々に発信する機能を持った機関を付属させて、この計画で不十分な社会的機能を補完するべきだと私は思う。これなら今からでも十分に間に合うし、そのことで市民の合意形成を促すことはできる。
2008年3月に「びわ湖ショック」とあとで言われるようになった出来事があった。オペラハウスとして日本初演の舞台を自主製作していた滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで、県の支出金が08年度から1割カットされることになり、そのうえ福祉医療費の穴埋めに半年間の休館する、という話が流れ、音楽愛好家やクラシック団体が全国的な規模で3万人の署名を集めた「事件」である。署名した人の67%が県外からだったと新聞報道された。「文化か、福祉か」という二項対立の論議があったように記憶するが、あまりにも不毛な考えであるように私には思えた。問題は、322億円で建設され、当時年間15億円で運営されている施設に対して第一義的には県民の合意形成ができていなかったことだと私には思えた。びわ湖ホールの当時の井上建夫館長が「当初の路線は、知名度を上げるために必要な戦略だった。今回の騒動をきっかけにして、地域との結びつきをさらに強めたい」と語ったと報道されたように、びわ湖ホールの経営にははっきりと地域立地の文化施設として欠落しているところがあったのだ。「片肺飛行」だったのである。同じ年に私は可児市文化創造センターalaで、市民のすべてを視野に入れた包摂的な事業である「アーラまち元気プロジェクト」をはじめている。2008年の「びわ湖ショック」がいま起きたらどのように波紋が広がるのかを考えてみてほしい。明らかに当時とは違った反響があるに違いないと私は思う。
その意味で、札幌市の今回のホール計画は、前世紀的なホールの在り方と「劇場法」以降の期待される機能との過渡期的な時代に、好むと好まざるにかかわらず位置しているものと言える。いわば、その設置計画が未来に向かうものとなるか否かを「試されている」のだと私は考えている。「文化か、福祉か」ではなく、「文化も、福祉も」であり、地域の文化施設には、すべての市民が「幸いの中で生きる社会と権利=幸福追求権」を担保する拠点施設であるとの未来志向の「意志」が求められるのである。私は札幌市に、前述した「芸術による社会支援センター」のような機関を設置することを勧めたい。何かがゆっくりと、しかし確かな「変化」を求めて動き始めている時代だと私は実感している。私たちは劇場音楽堂等と芸術文化を「再定義」しなければならない時期に差し掛かっているのではないか。