第四章 戦略的アーツマーケティングと顧客志向経営の実践-alaを事例として(1)

2009年1月7日

社会調査の専門家が、人々の態度と行動を変革するうえでマスコミュニケーションの効果には限界がある、と結論づけても、驚くに当たらない。

[フィリップ・コトラー]

シアター・マーケティングはすでに確立している、というのは誤解でしかない。確立しているのは、ブロードウェイやウエストエンドにおける興行街のマーケティングであり、地域劇場のマーケティングは、今後、マスマーケティングとは一線を画したリレーションシップ・マーケティングにシフトしなければならない。

[ケイト・サンダーソン(WYP)]

優秀なサービスとは何かを定義するのは顧客である。そして、彼らの定義に重点を置くのは、マネージメントの責務である。

フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン [『Standing Room Only』]

芸術音楽をマーケティングする際に我々は、聴衆を消費者と取り違えてはならない。彼らは我々の製品の共同製作者なのだ!すばらしい観客がいなかったら、我々の製品は粗末なものになってしまうだろう。

[音楽家であり教師であるジョン・スタインメッツ]

 アーツマーケティングを展開しようとするとき、まず着手しなければならないのはみずからの団体や施設を微細に知ることであり、その手段としてSWOT分析することである。SWOT分析とは前述したように、内部環境と外部環境を「強み(strength)」、「弱み(weakness)」、「機会(opportunity)」、「脅威(treat)」に分析して、みずからの置かれているポジションを客観化したのちに、そのポジショニングに沿った事業設計と経営戦略を編み出す方法である。

 この分析結果から経営戦略(strategic management)を導き出して、それとの整合性を吟味しながらマーケティング計画を組み立てなければならない。

SWOT分析の概要を一覧すると次のようになる。

1.強み(Strength)内部環境(自社経営資源)の強み。
2.弱み(Weakness)内部環境(自社経営資源)の弱み。
3.機会(Opportunity)外部環境(競合、顧客、マクロ環境)からの機会。
4.脅威(Threat)外部環境(競合、顧客、マクロ環境)からの脅威。

私が可児市文化創造センターに館長兼劇場総監督として着任した折にSWOTをして、その後のミッションの設定や短期的及び中長期的経営戦略を計画する下地となった分析を例示しておこうと思う。これらは飽くまでも可児市文化創造センターにおけるSWOTであり、地域性、外部環境、内部環境によって大きく変化するものであり、例示であることを承知して、みずからの劇場・ホールや団体の分析をしてほしい。

■Strength

・開放的で居心地のよい空間
・高水準の劇場機構と環境  
・ミッション・ステーツメントの存在
・市民の多様な利用ニーズに応えられる諸室の多さ 
・WEBチケットによる商圏の拡大
・選択度と自由度の高いチケットシステム
・ 従来の公共文化施設にはない経営感覚⇒ex.顧客コミュニケーション室の設置
・技術スタッフの充実
・行政からの優秀な人材の継続的な派遣
・コストフリーの設備の充実
・alaクルーズ(ボランティア組織)の存在と連携  
・地域拠点契約・地域提携契約による事業間の関連性の実現と創造事業の重点化 
・レストランとの緊密な連携と料理のクォリティの高さ
・駐車場の広さ(470余台)

■Weakness

・外部からの刺激のなさ(内部で自己完結してしまう職場環境=地域文化施設に共通する課題)
・マーケティング意識とコスト意識の欠如(それでもやれていた温い経営環境)
・ブランディング意識の低さ(外部からの評価への訴求度が低い)
・チームとしての結束力の低さ(コミュニケーション不足) 
・マネジメント能力の欠如
・各種委託費のコスト圧力
・職員にキャリアアップ意欲が希薄 
・トップダウン型の意思決定  
・顧客との接点担当部署の外部委託化( 経営意識共有の脆弱性)

■Opportunity

・舞台芸術の魅力発見事業等の地域文化振興補助制度の進捗
・市民の強い要望で設置された経緯
・他館と比較して潤沢な予算
・ランドマーク性の高さ(= 夜間照明等の効果) 
・新公益法人法にともなう寄付金税制の改正
・他館と比較してステークホルダーに理解者が多い
・地域にリタイア期の富裕層が多く存在する   
・公民館活動を通して文化に親しむ市民が多数存在する
・近隣に競合他館がない
・多数の外国人が居住している(= 新しい体験と出会う機会)

■Threat

・文化は贅沢、一部の愛好家のみに利するという根深い考え方
  ⇒予算の削減圧力、民間業者を指定してコストを削減しようとする圧力の存在
・指定管理者制度と新公益法人法の動向
・名古屋に関心が向いている地域性
・地方財政の陥っている困難性
・各種経済指標の悪化によるマインドの冷え込み
・地域に芸術愛好者の絶対数が少ない
・資金源の偏在性(指定管理受託収入への高依存性)
・アクセスの利便性の低さ(= 公共交通機関の脆弱性)
・アーチスト・イン・レジデンス向け滞在施設のアメニティの限界性
・地元企業との関係性の低さ
・地元パブリシティメディアの脆弱性

「己を知る」から始まる経営戦略の立案。

充分に分かっているつもりでも、みずからの組織と置かれている状況のことは案外と承知していないものだ。突き放して自分の組織や活動を見てみる機会は、日常業務のなかでそうは多くはないだろう。SWOT分析をしてみると、見えなくなっていることが意外に多いことに気付く。可児市文化創造センターでは私は新参者なので、着任してまず組織や活動や職員の動き方や意識の隅々を冷静に観察することから始めた。良いところは目に付くし戦略化しやすいのだが、悪いところは相当に冷静に、さらには冷徹な観察眼で事象を対象化しないといけない。いちいち落胆したり、絶望的な気分になったりしていては解決の糸口を見失ってしまう。

 私は、過去四年間の事業分析、財務資料分析、赴任する前年に実施された「政策評価のための基礎調査」の分析をしたのちにSWOT分析を一人でやったのだが、本来は経営上層部、中間管理層、内勤職員(事務職)、外勤職員(営業職)、技術職員(舞台管理職)らが一堂に会して談論風発的にブレーンストーミングをする方が望ましいだろう。

最初に外部環境に関する「機会」と「脅威」を洗い出していく。政治や経済の情勢、法律・条例の改定なども充分に考慮する必要がある。指定管理者として、外部のあらゆる環境変化に無関心ではいられない。次いで内部環境に移る方がよいだろう。外部環境のほうが見えにくいし、組織や活動との関連性に気付きにくいからだ。いずれの場合にも、思ったことを羅列していくくらいの気分である。遠慮したり、躊躇したりするのは言うまでもなく禁物だ。相互批判もしてはいけない。組織や活動や人材を冷徹な眼差しで客観視して、何もかもを洗い出すことが肝要である。

 洗い出しを終えたら、上記の図のようにそれぞれの結果に対して、「強みで取り込むことの出来る事業機会とは何か」、「強みで脅威を回避できないか」、「弱みで事業機会を取りこぼさない為に何が必要か」、「脅威と弱みが合わさって最悪の事態を招かないためには何をなすべきか」、を検討していくことになる。ここでもひとつひとつ丹念に潰していくくらいの気持ちでよいだろう。全体の整合性はここでは意識することはない。

 そうして行くうちに、SWOT分析の結果がそれぞれに繋がっていて、関連している問題や課題であることが見えてくるだろう。ここまで来たら、既述した舞台芸術の産業特性、商品特性で吟味しながら、顧客志向の経営手法を組み立てるためのスクリーニングと戦略との整合性を吟味することになる。

まずはミッション・ステーツメント(使命)と戦略目標、それを実現するための戦術を具体的に設定する。これはのちにプロジェクト評価をする際に測定可能なものにするためである。それは抽象的でどのようにも理解できる目標ではなく、当該団体や劇場・ホールの関係者すべてが具体的なかたちで共有できるものでなければならない。最後に、それをいつまでに達成するのかを明示しなければならない。この計画を策定するときに、どのような視点からみずからの事業を俯瞰するかが求められてくる。つまり自らの事業をどのように定義するか(連載(第8回 「舞台芸術の事業定義をする/私たちは何を提供しているのか」参照)、である。むろん、「強み」をさらに強化してり、「弱み」を「強み」に劇的に変換する戦略もこの時点で検討されるべきである。

 オレゴン・シェイクスピア・フェスティバルの経営監督ポール・ニコルソンの次の言葉は、舞台芸術にとって決定的ともいえる「弱み」に対して、逃げることなく果敢に立ち向かって「強み」に変えて新しいビジネス・モデルを作ったことを物語っている。

私が強調したいのは、過去67年間余、私達はオレゴン・シェークスピア・フェスティバルを人々が毎年来たいと熱望する所にする為、一生懸命努力を重ねて来たと言う事です。私達は地理的に大きな都市部から遠隔地に在るという弱点を強みに変えました。

徹底した顧客志向から「次の一手」が見えてくる。

 可児市文化創造センター(ala)の館長兼劇場総監督に就任してすぐに感じたのは、すべてのお客さまがチケットを劇場のインフォメーション・デスクに買い求めに来ていることと、それに何の疑問を感じていない事務所の空気の不思議さだった。地域の公共ホールは多くの場合、市内の本屋やCD店、スーパーなどにチケット販売窓口を委託しているものだが、alaにはそれがない。お客さまは皆さん車で劇場までいらしてチケットを求めている。これはお客さまに過大な負荷をかけているということである。

 すべてをお客さまの立場にたって組み立てなおす、というのが最初の一年間の仕事であった。むろん、職員の意識をも含めてである。

 従来の生産者主権(製品志向)のマーケッターは、戦略計画を立案する際に、1961年にアメリカのマーケティング学者ジェローム・マッカーシーによって提唱されたいわゆる4Pに立脚して考えてきた。すなわち、製品(Product)、価格(Price)、販売チャネル(Place)、プロモーション(Promotion)である。しかし、前章末に指摘したように顧客は自身が何を求めているか確信を持てずに浮遊しているのである。また、舞台芸術という対面型のサービスの場合、顧客が受け取る利得は彼自身のうちに発生する「経験」であり、舞台作品・演奏(Product)それ自体に顧客価値が存在しているわけではない。

一般的に、4Pでマーケティング・ミックスを考える時代が終わった理由として、経済構造が変わり、物の量と種類が増え、メーカー主導の販売活動が終わりをつげ、顧客が自身の価値判断で製品やサービス選ぶ時代になったことがあげられている。特にインターネットの登場は購買行動において、顧客が選ぶというアクションに拍車をかけた、と言われているが、実は舞台芸術は共同生産性を前提としているProductあり、本来的に4Pでの思考とは乖離し、矛盾していると言える。

産業として成立するための商品=「出来事」は顧客の中でしか起きない。それも一様に、ではない。観客の数だけ「物語」が生まれ(共創)、その「物語」が消費される(共感)。舞台芸術や劇場・ホールのマーケティングは構造的に4Pには不適なのである。にもかかわらず、従来は4Pの作品志向、一方向性のマス・マーケティング的なプロモーション志向などが、芸術団体や劇場・ホールの主導的な経営戦略やマーケティング戦略においては当然と考えられていたと言える。21世紀の顧客は、企業や団体からゲットされるのではなく、自分の手でサービスや商品をゲットするプロシューマーとしての顧客なのである。ましてや舞台芸術の顧客価値のあり様を考え合わせると、4P志向がいかに舞台芸術に不適正かを理解できるだろう。

セオドア・レビットは、「産業とは製品を製造するプロセスではなく、顧客に満足をもたらすプロセスである、という考え方を理解することは、すべてのビジネスマンにとってとても重要なことである」と述べている。したがって、顧客がどのような価値を受け取りたいのかという受取価値をベースにすえて戦略と戦術を策定する必要がある。顧客の獲得する利得構造からも、舞台芸術や劇場・ホールのマーケティングは徹底した顧客価値志向で考えられるべきではないか。今後は、4Cのマーケティング戦略にシフトしなければならないのではないか。顧客価値(Customer value)、顧客コスト(Customer costs)、利便性(Convenience)、コミュニケーション(Communication)の4Cである。

製品(Product=作品)価値志向から、顧客が受け取る、あるいは受け取りたい受取価値(Customer value)志向へ、価格(Price=チケット料金のみの負担コスト)から顧客コスト(Customer costs=経済的のみならず、時間消費、他の余暇の過ごし方を検索して検討する労力、アクセスにかかるストレスなど顧客が支払うすべての負担)へ、販売チャネル(Place=売るための最適流通経路)から利便性(Convenience=欲しい時にすぐに入手でき、負担が少ない)へ、プロモーション(Promotion=一方向性の情報展開)からコミュニケーション(Communication=双方向性のメディアによる意思疎通と価値の交換)へと転換すべきなのである。舞台芸術の特性から見ても4Cにシフトすることが急務と考えられる。

上記の考えに従って、アーラのインフォメーション・デスクに来なければチケットが購入できない、というお客さまの負荷を回避するために、インターネット・チケッティングの導入を決めたのは言うまでもない。

いささか長くなるが『Standing Room Only』の以下の一文を引用しておきたい。

マーケティングのプランニングが常に団体から始まっており、団体が何を提供したいか、から始まっていた点である。しかし、消費者は以前より洗練され、洞察力を得てきた。そうなると消費者は以前よりも注意深く製品を選ぶようになり、特注製品により敏感に反応するようになる。つまり、市場が買わせようとしているものを何でも買う、という気持ちは減少したのだ。マーケターは、いつどのような取引を行うかを最終的に決めるのは消費者であってマーケターではない、と気付き始めた。マーケティングの方程式を逆向きにしなければいけないと認識したのだ。これまでのマーケターは、団体が提供するものに合わせて消費者を変えようとしてきた。しかし、顧客がどの製品を選んで買うかによって団体の成功が決まるのだから、真の主権を握っているのは顧客の方なのだ。結果として、マーケティングのプランニングは、団体側ではなく顧客側から考え始めなければならない。

当然のことではあるが、観客や聴衆は舞台芸術のために存在するのではない。観客や聴衆の生活課題の解決のために舞台芸術や劇場・ホールがあることを忘れてはいけない。

【次回】第四章 戦略的アーツマーケティングと顧客志向経営の実践-alaを事例として(2)