第77回 「世界劇場会議国際フォーラム2018」で出来たこと、出来なかったこと。
2018年2月19日
可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生
NPO法人世界劇場会議名古屋が主催して愛知芸術文化センターで21年間開催してきた「世界劇場会議国際フォーラム」が財政的な事情で、会場を可児市文化創造センターalaに移して、公益財団法人可児市文化芸術振興財団主催、協力NPO法人世界劇場会議名古屋というかたちになって4回目の国際会議が2月8日、9日の2日間にわたって開催された。2012年に「日本に公共劇場はあるか?」というテーマを掲げて以来、一貫して問い続けてきた「劇場は社会に何が出来るのか、社会は劇場に何を求めているのか」の、いわば一つの到達点が今回のフォーラムであった。そして今年からは埼玉県さいたま市での開催が加わって、関東、東北、北陸からの参加希望者にも利便性のある国際会議となり、同地方からの多くの参加者とともに「劇場の公共性と、そのいま」の認識と「これからのデザイン」を共有することが出来た記念碑的なセッションだったと自己評価している。
英国からは、芸術組織コンサルティング会社インディゴ社業務執行役員のセーラ・ジー、リヴァプール・エブリマン&プレイハウスのマーケティング&コミュニケーション部長サーラ・オーグル、ウエストヨークシャー・プレイハウスの資金調達部シニアマネージャーのヴィヴィアン・ヒューズ、マンチャスターを本拠とするハレ管弦楽団資金調達部長カス・ラッセルが参加して、日本側のゲストスピーカー及び先進事例報告者として、文化庁文化部長の藤原章夫、文学座演出家で日本劇団協議会会長の西川信廣、体奏家でダンスアーチストであり、アーラのコミュニティ・アーツワーカーをしている新井英夫、NPO法人日本演劇情動療法協会理事長の前田有作、岐阜県教育委員会教育主管の堀貴雄、そして社会的インパクト投資の実証研究の幸地正樹という、現場に精通しながらも、実現すべき劇場の理想像を確固として持っている論客が出揃った。当然ながら中身の濃い、インパクトの激烈なセッションであった。
基調講演は私の『鑑賞者開発と資金調達の好循環―受益と負担の圧倒的アンバランスを克服する』とセーラ・ジーの『社会課題を解決するプログラムと資金調達の相関性』の二本立てで、鑑賞者開発と資金調達環境がともにレッドオーシャン状態であることから可能性の豊かなブルーオーシャン化するための理論と実際の成果をプレゼンテーションする内容になった。セーラは昨年のパネル参加に続いて、今年は基調講演者としての二年連続の登壇をお願いした。というのは、一昨年、彼女が拠点としているバーミンガムを訪れての交渉の折に、私が鑑賞者開発と資金調達はリンクしており、その好循環をもたらすのは社会包摂型プログラムによる社会的価値ブランドの確立と、それへの共感をマネジメントするスキルではないか、との提案をして、彼女が全面的に賛意を示してくれたことに因り、しかもパネルとしてのドラフト内容が素晴らしいものであったことで、彼女とアーツマネジメントの現在課題を共有出来たことも、彼女を二年連続で招待する要因となった。二年続けたから「呼ばない」という理由はまったくないと判断した。
セーラ・ジーは、1980年から18年間にわたって首席指揮者・音楽監督のサイモン・ラトルに率いられて全欧州のみならず世界的なオーケストラに成長したバーミンガム市交響楽団でマーケティングと資金調達の最高責任者としてラトルと同時代に在籍して、オーケストラのブランディング形成と高度化に力を発揮した実績を持っており、キャリアの出発はアーチストなのだがリカレント教育によって英国を代表するマーケッター&ファンドレイザーとしての素晴らしいキャリアを積み上げた第一人者である。バーミンガム大学と協働で「チケット購入者と寄付者との相関性」についての共同研究という学績もある。彼女が業務執行役員を務めるインディゴ社の共同経営者が、私が旧知のケイト・サンダーソンだったことは偶然であり、セーラとはじめてバーミンガムのホテルロビーで会ったあとで知った。ケイト・サンダーソンは、現在アーラと国際共同製作を進めているウエストヨークシャー・プレイハウスのマーケティング&コミュニケーション部長を務めていて、何回か日本でのセミナーで来日もしている。札幌でセッションした折には、倉本聡氏を訪ねて、富良野塾にマギー・サクソンたちと伺ったこともある。ケイトとは「マーケティングとは双方向のコミュニケーションである」という認識で一致して、そのあとマーケティング部が「マーケティング&コミュニケーション部」に名称変更したという経緯がある。非常に優れたマーケッターで、現在はマンチェスター大学院での研究者としての顔も合わせ持っている。
来年の世界劇場会議国際フォーラム2019には、このインディゴ社の2人を招聘して、私が司会進行をしてマーケティング&コミュニケーション&資金調達の突っ込んだ対談をしようか、というプランがある。さいたま市セッションの少しの時間を見つけて来年度企画を協議した時に私たちの進むべき道として上がった。うまく行けば、日本で初のアーツマーケティングと資金調達を包摂型コミュニティプログラムで連結する伝説的なセッションになると確信している。「文化芸術推進基本計画(第1期)」に則し、連動するセミナーとなるに違いない。
セーラに続くサーラ・オーグル、ヴィヴィアン・ヒューズ、カス・ラッセルの劇場経営の実際に則したプレゼン、西川信廣、堀貴雄による県立東濃高校での、中途退学者と遅刻・問題行動を激減させたワークショップの報告と、幸地正樹によるそのアウトカムの驚くべき数値など、参加者にとっては、私がウエストヨークシャー・プレイハウスを最初に訪ねた1998年の時の「目から鱗」状態だったと想像するくらい密度の濃いセッションだった。おそらく「もう一歩」が踏み込めなかった中小館の背中を押せたと自負するのだが、東京を中心とする文化庁の特別支援施設及び大規模館の参加者からは、相変わらず「可児だから出来る」との意見があったと仄聞する。「またしても」、である。散々、「可児は特別」、「アーラは特別」と言われて来た。
これは、自分たちは劇場という「常識」の繭に閉じこもっていれば安心が担保されるばかりか、何と言われようと自分たちは「変化しない」という前例踏襲宣言に等しい発言である。その発言の前で置き去りにされるのは市民である。劇場関係者の自己保身のために「置き去りにされる市民」のことを彼らはどのように思っているのだろうか。職員数も予算も補助金もアーラより大きくて、なのに「できない」というのは市民の負託にこたえる気持ちがないということだと断じえない。旧来からの劇場経営の「常識」に閉じこもっていることで、市民の負託にこたえる「新しい価値」を生み出すことは出来るのだろうか。
「経営」とはリスクをとって「変化」することという、当然の理の通用しない者は、国民市民から強制的に徴収した税金で仕事をする資格はない、とさえ私は思っている。国民市民からの付託に応えられなければ、公立の劇場で仕事をする資格はないのは自明であろう。