第158回 コーズ・リレイテッド・マーケティング(Cause Related Marketing)と社会的包摂機能の接点― 劇場音楽堂等を「新しい広場」にするために。

2014年3月10日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

1月中旬から2月末まで20回を数える基調講演、セミナー、シンポジウムで、沖縄・那覇市から北海道・名寄市まで全国を旅しました。したがって、アーラを留守にすることが多かったのですが、実に様々な新鮮な出会いとともに、劇場法前文と大臣指針に書き記されている「新しい広場」に対する関心が全国的に拡がっていることを実感しました。「新しい広場」は非常に耳易い言葉であり、目指すべき使命としても、漠然とですが劇場音楽堂等の理想的な在り方と受け止められているようです。そうでありながら、劇場法前文と大臣指針には、その具体的な説明や形容がなされておらず、その実現のために何を為すべきかがまったく分からない、というのが大方の感じ方のように思えました。暗中模索、五里霧中、いささか宙ぶらりんな状態に置かれている、というのが多くの皆さんの実感なのではないでしょうか。手掛かりさえない、という状態であるように私には感じました。

「新しい広場」を目指すためのキーワードは、「マーケティング」と「社会包摂機能」です。ともに舞台芸術の世界や劇場音楽堂の経営にとっては耳新しい概念です。「いや、マーケティングは誰でもが知っている」との反論はあると思いますが、「マーケティング」という概念ほど、日本では正しく認知されずに欧米に比べると周回遅れになっているマネジメント手法はないと言っても良いほどです。10人中9人までが「マーケティング=セリング」だと思い込んでいます。「実のところ、販売(セリング)とマーケティングは真逆である。同じ意味ではないことはもちろん、補い合う部分さえない。もちろん何らかの販売は必要である。だが、究極のマーケティングは販売を不要にすることである」というP・ドラッカーの『マネジメント』の吟味を待つまでもなく、「マーケティング=セリング」は戦後日本の経済界に端を発する大変な誤解なのです。戦後すぐに経団連が米国に派遣した視察団が、経済発展のためには「売る」ことを組織的に追及している米国経済界の取り組みを取り入れるべきとして「マーケティング」という語彙を日本の産業界に持ち込んだことが発端です。その結果、多くの大企業に「マーケティング部」という部署が出来ました。実のところは「販売促進部」です。マーケティングが「打ち出の小槌」のように持て囃されたのです。戦後の経済復興の「特効薬」のように受け止められたのです。「マーケティング=セリング」という誤解はそこから始まっています。

マーケティングとは、「売る」ことではなく、「売れる環境をつくる」ことであると、私たちは正しく理解しなければなりません。空席が出ないように「一枚でも多く売る」のではなく、空席が出ないような「環境をつくる」ことがマーケティングなのです。「一枚でも多く売る」のはセリングですが、「一枚だけ多く買いたい」と感じていただく顧客環境をつくるのがマーケティングです。セリングは一対不特定多数ですが、マーケティングとは一対一のコミュニケーション(価値の交換とそれによる相互進化)です。ともに「新しい価値」を獲得して、相互に進化を果たして、螺旋状に進化するのがマーケティングです。「関係づくりマーケティング」と言って良いものです。

私が小学校に上がる前後のことですが、遊んでいるとセスナ機が飛来して、黄色や桃色や水色や緑色の大量のチラシを投下するという宣伝方法がありました。青空を背景にいろいろな色のチラシが飛来するというのは夢のある美しい風景でしたが、いまとなるとあれはターゲットも明確でない、宣材のただの「バラマキ」でしかないと感じます。何十万枚も印刷して都内各所に置いたり、折り込みをしたりする現在の劇場の情宣方法と大差ないと思います。地域のホテルに宿泊すると深夜のテレビでクラシック・コンサートのスポット広告をやっているのに良く出くわしますが、あれも不特定多数にチラシの「バラマキ」をしているセスナ機からの「セリング」のためのチラシ配布と大差はありません。「マーケティング」とは似て非なるものです。

さて、「新しい広場」を具現化するための戦略の第一歩は、80年代に生まれた最も新しいマーケティングの手法であるコーズ・リレイテッド・マーケティング(Cause Related Marketing 以下CRM)の採用です。これは、営利・非営利を問わず、Cause(目的・使命・大義)にRelated(関係した)Marketingという意の、社会的信頼を構築して、売上や利用者等にそのブランド力を反映させる経営手法のことです。CRMの起源は、アメリカのサンフランシスコ地区の芸術支援をするコーズのためにアメリカン・エクスプレス・カードが、カード使用ごとに2セントを寄付したことに始まります。3ヶ月で約10万ドルの資金を集め、ついでその2年後の1983年に「自由の女神修繕」というコーズ(社会的意義)で大キャンペーンを行い、カード使用一回につき1セントを、カードの新規発行1件について1ドルを寄付して、総計170万ドルの資金提供を達成しました。あわせてアメリカン・エクスプレスは、期間中のカード利用額が30%も上昇するという成果を獲得することになります。このキャンペーンがCRMの嚆矢とされています。CRMは、日本では「社会貢献型マーケティング」と訳されています。

CRMは比較的に新しいマーケティングとブランディングの手法ですが、社会的責任経営(コーポレイト・ソーシャル・レスポンスビリティ=CSR)の一般化によって、その具体的手法として現在では多くの企業・組織で行われるようになっています。エイボンやワコールの女性関連企業が参加している乳がん撲滅のコーズによる「ピンクリボン」や、アフラックをはじめとする保険会社が参加している小児がんキャンペーンの「ゴールドリボン」、地域NPOの支援をコーズとするジャスコの毎月11日のイエローレシートキャンペーンなどが好事例です。企業メセナ活動も、90年の協議会創立当時は「見返りを求めない社会貢献活動」と定義されていたのですが、現在ではCSRやCRMの一環と位置づけることが一般的となっています。社会貢献によって高次ブランドとしての社会的合意を企業・組織が獲得する活動とされています。

そのように考えてくると、焙り絵のように浮かび上がってくるのが、2011年2月8日に閣議決定された「第三次基本方針」を嚆矢として、「大臣指針」までの文化に関する公文書の流れの中に現われてきた「文化芸術の社会包摂機能」という文言です。「大臣指針」には「教育機関、福祉施設、医療機関等の関係機関と連携・協力しつつ、年齢や障害の有無等にかかわらず利用者等の社会参加の機会を拡充する観点から様々な取組を進めること」とあります。

「社会的包摂(Social Inclusion)」の反意語は「社会的排除(Social Exclusion)」です。「社会的包摂」とは、成熟した現代社会が大きく変動し、様々な矛盾が社会を覆い始めている中で、貧困、差別、障害、移民等の様々な要因によって「社会的孤立」や「社会的排除」を受けている人々に対して、誰もが健康で文化的な生活を送ることができるように、人々を孤独や排除から救い、万人をコミュニティの構成員として包み込むことを目指す政策理念です。日本で言えば、憲法第十三条にある「幸福追求権」に近い概念です。社会的包摂は、90年代以降、北欧をその発祥地として、イギリスやフランスをはじめとしたEU各国で、公共政策を進める上での重要なキーワードとなっています。障害のある人、高齢者や子ども、失業や貧困などの問題を抱える人、セクシャル・マイノリティの人たちなど、社会から排除の対象とされやすい、社会から孤立しやすい人々に対して、社会的包摂という考え方で自らが地域社会の一員であると自覚する機会をつくり、社会的孤立に起因する社会問題を解決しようとするのが社会的包摂という考え方です。社会的包摂は、ノーマライゼーションの特徴の一つである「全ての人が共に生活できるように社会のあり方を変革する」という考え方が、教育分野、福祉分野から公共政策全般を包括する政策理念に発展したものと考えて良いでしょう。そのための拠点施設として劇場音楽堂等を位置づけるのが「新しい広場」を現出させるための第一歩です。

CRMを考えるうえで文化芸術分野は、非常に間口が広く、また社会的包摂によるプログラム、すなわちコミュニティ・プログラムを設計しやすい多様性と多面性と柔軟性を強く帯びています。障害さえ個性となるのが文化です。文化芸術の前では、いかなる環境にある人でも一人の個性として尊重されます。それは、文化芸術が人間の心に働き掛ける無形性のサービスだからです。あわせて文化芸術とCRMのマッチングにおける相性がきわめて良いことにも着目すべきです。したがって、劇場音楽堂等にとっては、みずからの社会的責任経営を果たすためにCRMを導入して、社会的に高次なブランド力を獲得し、「売れる環境」を形成することが重要なマーケティング活動の一つとなります。

アーラのブランディングが、商圏内で3ヶ年程度というかなり短期間に進んだのは、私の就任当初からのマーケティングに関する考え方を重視した経営方針(Marketing Oriented)と、とりわけてCRMの劇場経営への採用と、それを専ら所掌する顧客コミュニケーション室の設置が結果的に非常に大きいと思っています。顧客コミュニケーション室では、私が就任した翌年の2009年から「アーラまち元気プロジェクト」を所管しています。この「アーラまち元気プロジェクト」がCRMの具体化です。立ち上げ当初の2009年度には年間267回でしたが、5年後の2013年度にはほぼ2倍の年間500回を超えるコミュニティ・プログラムに拡張しています。これがアーラのCRMの大きな柱になっています。

劇場ホールで上演される、あるいは演奏される舞台の芸術的評価は千差万別で非常に多様であることこそが健全ですが、社会的評価にはほとんど個人差がないこともCRMがブランディングに大きな力を発揮する理由です。社会的正義の問題だからです。演劇や音楽は入場者の数だけ価値が生まれ、多様な物語が生まれるのが健全なのに対して、アウトリーチで、長期入院の子どもを癒し、障害者に生きる意欲を持ってもらい、高齢者に笑顔をもたらしても、失業者の励まし合う仲間づくりをしても、誰も反対しないだろうと思われ、国民市民の社会的合意の形成が容易に期待できるのです。これが英国のブレア政権下で英国芸術評議会の支援に社会包摂という政策理念が包括的に適用された大きな要因です。そして、この考えが、後の芸術評議会が展開する「鑑賞者開発プログラム」に連なって行くのです。

英国政府は芸術家に、学校や福祉施設や刑務所に行くことを奨励したのでした。小規模のコミュニティ・アーツ・センターから大規模な地域劇場、ホール、美術館まで、人種の違いや階級的格差、性差、世代格差、貧富の格差、マイノリティの経済的格差などを社会全体で包括して「誰もが健康で文化的な生活を送ることができるように、人々を孤独や排除から救い、万人を社会の構成員として包み込むことを目指す」ための政策手段として位置づけたのでした。英国が社会福祉政策の手段として劇場や美術館を活用しようとしたのには、「芸術的評価」とは違い、「社会的評価」にはほとんど個人差がないことが理由でした。劇場やホールを「芸術的評価」で格付けするのは、芸術作品の受け取り方は千差万別であり、あらゆる人たちに説得力を持たせるのはほとんど不可能なのに対して、「社会的評価」を軸にすれば非常に分かりやすく、目に見えやすく、多くの人が納得しやすいことがありました。

(アーラウェブ内 衛紀生『集客から創客へ― 回復の時代のアーツマネジメント』http://www.kpac.or.jp/kantyou/ronbun-all.html参照)

もともと、英国芸術評議会の設置は、戦争直後の労働党によるクレメント・アトリー政権が、社会福祉における「揺り籠から墓場まで」の政策理念とあわせて、公的資金による文化芸術支援を打ち出したことが嚆矢です。その条件として、「多くの人々が参加できるように文化芸術の幅(対象)を拡げること」と「社会の問題解決のための文化芸術の社会的役割を果たすこと」の二点が挙げられていました。ここには既に公的資金による文化支援が社会問題の解決に資するようにとの方向づけがなされていたのです。 

国民市民や顧客の嗜好は概して移ろいやすいものです。したがって、マーケッターは、顧客のライフスタイル形成に深く関わって、継続的に劇場・ホールに足を運ぶ強いモチベーションを顧客のうちに構築しなければなりません。そのためにはあらゆる手段を駆使して鑑賞者開発・来館者開発という創客の仕組みを設計し、顧客の経験価値を高度化する「演出」を駆使しなければなりません。また、CRMを計画的に展開させて劇場・ホールや芸術団体の社会的価値、すなわちブランド力の高次化を進めなければなりません。それが「新しい広場」を創出する戦略と戦術と言えます。

ここで注意しておかなければならないことがあります。91年に元北海道大学教授の森啓氏が『文化ホールがまちをつくる』という文化政策上歴史的な著書を上梓します。これを機にして90年代の文化行政は一気に「まちづくり」に傾斜します。氏の主導した「全国文化の見えるまちづくりフォーラム」が毎年全国各地において持ち回りで開催され、文化庁にも「文化のまちづくり事業」と称する補助制度が整います。その事業の趣旨を実施要項から拾うと、「『文化のまちづくり』は、文化的遺産、風土等を活かしながら、地域に根ざした特色ある芸術文化を創造するとともに、優れた芸術文化を身近に鑑賞できるようにすることを通じたまちづくりを支援し、もって、地域からの文化の発信基地を創造し、地域文化の振興に資することを目的とする」、とあります。

劇場法や大臣指針にある「新しい広場」とは明らかに位相が異なっています。上記の要項の文言は、イベントによる集客を企図した20世紀型の文化政策と言えます。文化芸術の概念がきわめて狭隘であり、古色蒼然たる文書に見えるのは私だけでしょうか。第三次基本方針以降、「社会包摂機能」を認知した現在の文化芸術の社会的価値や社会的役割とは径庭の感があります。また、本来の「まちづくり」とは一過性のイベントで多くの人を一箇所に集めることでは決してありません。沢山のイベントを開催して多くの人々を「瞬間最大風速」的に集めることが「まちづくり」ではないことは言うまでもないことです。イベントが多ければ文化的な都市になるのなら、間違いなく東京は世界に冠たる「文化都市」です。むろん、「新しい広場」も一過性のイベントからは出発しません。「新しい広場」は社会的信頼性(ブランド力)を基軸とした公共的な価値(大臣指針にある「公共財」)であり、その新しい価値をつくりだすためのプロセスにこそ「まちづくり」がある、という考え方です。20世紀型の「文化のまちづくり」と、21世紀型の「新しい広場」は明確に一線を画すべき、と私は考えます。

「新しい広場」とは、すべての人々が、いかなる環境にあろうと生きる意欲を持って生きるための社会のあり方を変革する拠点機関として劇場音楽堂等が、その社会的役割を果たすことです。差別や排除や孤立から最も遠いところにあるのが健全な文化的環境であり、劇場音楽堂等でなければなりません。いかなる環境にあっても憲法第十三条にある「個人として尊重」される「幸福追求権」が保障される場所でなければなりません。芸術ではなく、人間がど真ん中に据えられている場でなければなりません。その意味では、劇場音楽堂等は「社会機関」として存在することが求められるのです。そうであってこそ、すべての国民市民から強制的に徴収した税金で設置し、運営していることが正当に評価される、と私は思っています。

そのような「新しい広場」を求めている人間がどれだけいるか、あらためて考えてみてください。劇場音楽堂等はすべての国民市民のためにある、というグランドデザインを描くことが、いま私たちに求められているのです。「人間が一番難しいのは新しい考えを受け容れることではなくて古い考えを捨てることだ」、経済学者のケインズの言葉です。既成の経済に対する考えとの闘いに明け暮れた彼ならではの警句です。私たちは、まず文化芸術や劇場音楽堂等に対して自身が持っている古い考えを捨て去らなければなりません。そこから自身を解き放たなければなりません。それに縛られているかぎり、「新しい広場」は私たちの視野には決して立ち現われてはこないのです。そうでないかぎり、私たちは未来永劫、「共有地(コモンズ)としての劇場音楽堂等」を手に入れることは出来ないでしょう。私が常に言っている「芸術の殿堂から人間の家へ」のプロセスに踏み込むには、私たちの裡に幾重にも折り重なって頑迷にある「常識」を拭い去らなければならないのです。