第148回 ala Style Management― 新しい劇場経営の手法が認められた「特別支援劇場音楽堂」の採択。
2013年5月24日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
可児市文化創造センターalaが、ようやく「特別支援劇場音楽堂」に採択されました。就任してからの5年間の模索と創造の繰り返しの成果として心から喜んでいると同時に、責任の重さもあわせて感じています。この栄誉は、義母の世話をみることで辞職して可児を離れた職員、被災地の両親のことが気懸りで福島に戻った職員、寿退社で可児を離れた職員、市役所から現職派遣されていた多くの職員たちと、皆で「マイナスからの再建」をしてきたことに対して受けたものと思っています。これからの5年間が、若い職員の陣容で何ができるのか、何処まで地域劇場のモデルとして先に行けるのかが試される時間となります。
県立宮城大学・大学院研究科の教員をしていた頃から、いやそれ以前の地域に積極的に出るようになった40代のころから、地域の公立劇場ホールが東京の事業運営を踏襲して「集客施設の興行的経営」をしているのにひどく違和感がありました。人気のある作家の作品、人気のある俳優・タレントをキャスティングして、チラシをばらまき、テレビまで使って、しかも媒体料の廉価な深夜帯に広報宣伝をして、集客型のマネジメントとマーケティングをする民間型の手法を踏襲しているだけの経営のあり方に、税金を投入しているという根拠の一端も感じることができませんでした。「公立」には「公立」の経営手法があり、やがて「公共劇場」として社会的認知を得る道程を視野に入れた戦略を持つべきだと思っていました。パルコ劇場やシアターコクーンという「民間劇場」の集客方法を真似ているだけ、しかも芸術的使命で集団を組成している劇団やオーケストラといささかも変わらない方法を踏襲しているだけで、その「公共的使命」は果たせるのか、という疑問はいつも付きまとっていました。
「劇場ホールとは何か」、と質問すれば、大抵の人は舞台芸術を鑑賞する場所、上演する側からすれば、その結果、経済的利益を出す場所、すなわち営利組織と答えます。経済学者も必ずそう答えるでしょう。しかし、この答えは的を得ていないばかりか、見当はずれも甚だしいと私は考えます。一般の企業がそうであるように、劇場も、利潤を内部に生むことを最終ミッションとしているのではなく、成果は組織の外部に現われる、すなわち社会への貢献にあるのです。様々な社会的効用をもたらしてこそ、企業・組織は、社会から存続することを国民市民から許される、存在することが許されているのです。劇場ホールもまったく同様です。ましてや公立の劇場は、国民市民から、いわば強制的に徴収した税金で設置し、運営されているのですから、社会や地域社会に成果をもたらすことを第一のミッションと考えなければならないことは当然です。
私が就任して以来の5年間の仕事は、この「可児市民から、地域社会から、存在が許される、あっても良い、あることが望ましい施設としての社会的認知を得るための劇場経営」でした。何処でもやっていない、英国地域劇場型の「新しい価値」としての劇場を創出するための日々でした。6年前、可児市文化創造センターalaに最初に足を踏み入れた時、この劇場のポテンシャルには驚きがありました。それは「この劇場が東京にあったら大騒ぎになる」というハードとしてのポテンシャルの高さです。しかし、就任の4か月前に事務局長と総務課長から紙袋一杯渡されたそれまでの財務諸表、事業報告を読んで、そのポテンシャルがまったく引き出せていない、引き出す手立てを仕組んでいない、と判断しました。平均点以下の、まったく平凡な公立ホールでした。
組織的にも、正直言ってガタガタの状態でした。私が就任する数ヶ月前に当時の館長を糾弾する集会が午前2時までやられたり、怪文書が流れたりもした、と1年後に常勤になるときに聞かされ、その怪文書のコピーも実際に読みました。最初からそのような事実を知っていたら到底館長職を引き受けもしなかっただろうし、仮に引き受けたとしても急激な意識改革の切っ先が鈍っただろうと想像します。前述した「マイナスからの再建」とは、そのようなことを指しているのです。最初に事務所に足を踏み入れた時の絶望感にも似た感想とは、山の高さと谷の深さを同時に見ていることだったのだと、1年後になって気付いたのでした。
しかし、後述しますが、従来から何処の劇場ホールもがやっている経営の仕組みを大きく変え、月2回の「館長ゼミ」の実施などで職員の意識改革を加速度的に進めて、就任二年目に「総務大臣賞」を頂き、三年目からは、文化庁の劇場音楽堂からの創造発信事業という補助事業で「地域の中核劇場音楽堂」、というステータスでの五年の継続事業の採択をいただきました。その三年目となる今年度からは、「国の特別支援劇場音楽堂」の五年間の採択を改めて受けることになりました。
この「特別支援劇場音楽堂」」の採択は、人口10万1000人の小さなまちにとっては「大事件」でした。これは、就任直後から「芸術の殿堂から人間の家へ」、市民たちの「人間の家」を創り上げよう、さらには「社会機関としてのアーラ」として社会的効用が地域に生まれるような仕組みを採用して、地域社会の健全化を目指ざす経営方針でやってきたことの成果だと思っています。「利潤の最大化」ではなく、その「適正化」と、「社会的効用の最大化」を目指して、劇場経営の方針を貫いてきた成果だと思っています。健全な地域社会の形成や、地域の人々の健全な人間関係づくり、「絆」の回復へ投資する、「投資装置としての劇場」という社会的使命を前面に押し出して、劇場経営の仕組みを創り上げてきた成果であると考えています。健全な社会でなければ健全な劇場経営は成立しない、健全な地域社会でなければ、健全な地域劇場は成立しない、という信念のもとに劇場経営をしてきた結果だと思っています。
私は就任してすぐにアーラの経営手法を、従来、東京の劇場ホールばかりか、地域のホールでも行われている「集客施設としての興行型経営」から、「社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)としての劇場経営」に転換させました。いわば社会に貢献することでブランディングの高度化を図り、地域社会からの社会的信用(ブランド効果)を、売り上げと来館者数に反映させるという経営手法です。従来からの劇場経営のマネジメント手法は、時代の変化に対応していないと、大学の教員をしていた頃から思っていました。時代遅れと確信していました。90年代以前の、娯楽施設的な興行型集客施設の、しかも興行師としては、まったくもって不十分な経営手法は完全に賞味期限切れです。賞味期限であるばかりか、公的資金を投入している施設としては不適であるばかりか、昨今の社会状況の劣化を概観すれば、単なる娯楽施設であることは許されないと考えます。
大都市圏の劇場ホールは、たとえば200人のお客様が離反しても、代わりの200人の観客が生まれる大きな市場環境にあります。また、観客の経年集積がなくても損益分岐点さえ出せれば、以降の事業の継続性は担保できます。したがって、興行師的な集客型施設でも、大都市圏では何とか成立しています。しかし、地域の劇場ホールは、100人の顧客を失ってしまえば、市場が狭いゆえに、その補充は出来ない環境にあります。経済学的に言えば「絶対損出」です。ですから「集客型経営」ではなく、今後の地域劇場ホールにとっては「創客型経営」の採用が生命線となります。
「創客」とは新しい価値を提供し続けて、「持続継続的な顧客」を創りつづけ、観客として進化していただく経営の手法です。私が90年代半ばから言い始め、終始一貫して主張している経営手法です。釣りでいえば、集客経営が「Catch and Release」であるのに対して創客経営は「Catch and Not Release」です。私は職員によくこう言っています、「私たちは興行師ではない、啓蒙家でもない」と。私たちは地域社会に社会的効用をもたらすことを使命とする社会機関の構成員である言っています。その成果が、年間43万8000人の来館者数に現われています。私が就任して以来、毎年1万8000人強ずつ来館者を増やしている計算になります。経済波及効果も、ニッセイ基礎研究所の調査によれば、指定管理料ベースで誘発係数2.57です。今年度の予算ですと16億4400万円余りの経済波及効果を生むことになります。
私たちの生きている今日の社会は、いま成熟期に入っています。金融工学の開発によって、成熟期というよりはむしろ爛熟期を迎えており、私たちの力では制御しがたい地点に立っています。それが喫水点を越えて破綻したのが、リーマンショックを頂点とした経済的・社会的混乱であり、金額の多寡で物の価値をはかる、そればかりか人間の価値さえも経済性ではかる風潮の蔓延です。その価値観がコミュニティを崩壊させて、「絆」を希薄にさせている原因でもあると考えています。経済格差のみならず、教育格差、福祉格差、医療格差、つまり命にさえも格差がある社会になっています。「絆」の希薄化は確実に進行しています。もとより劇場には、そのような社会制度を根本から変えるポテンシャルはありません。
しかし、その諸制度から生じる「歪み」を矯正して、社会の健全性を維持し、担保する潜在力は劇場及び文化芸術にはあります。一昨年2月の「第三次基本方針」、昨年6月に成立した「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」、そして今年3月末に告示された「大臣指針」に、文化芸術の効用として「社会包摂」という文言が使われています。このように「社会包摂」という文言が、文化の公的な文書に頻繁に使われるようになった背景には、社会の激しい変容への「処方箋」として、いわばリスクヘッジとして、文化芸術に期待する政策理念への傾斜があるのではないかと私は思っています。
コンシャス・キャピタリズム(理性ある資本主義)を担保する劇場と文化芸術の機能を充分に発揮することが、劇場ホール・文化芸術は、いま社会から強く求められているのだと思っています。現在、集客型娯楽施設の興行経営に公的資金を投入する根拠が大きく揺らいでいる、と言って良いでしょう。公立の劇場ホールは、いま、従来からのハコモノから脱する経営手法にシフトしなければならないところに来ています。一部の愛好者の欲求に、また金があり時間もある、一部の特権的な個人の欲求に応える施設から、「普通の人々」の、本当に「普通の人々」の、そして地域社会の社会的ニーズに基づいた劇場経営を進めなければならないところに来ています。外部環境の変化を察知して、劇場みずからが「変化」することを求められているのです。
可児市文化創造センターalaでは、「アーラまち元気プロジェクト」という社会包摂性のある事業を昨年度年間423回実施しています。「アーラまち元気プロジェクト」とは、学校及びフリースクールなどの教育機関、官民立を問わない高齢者福祉施設、障害者福祉施設、多文化施設、さらには公民館等へのアウトリーチ及びワークショップを実施する事業です。今年度からは、「カラダをほぐす、ココロを動かす」という、高齢者の社会的孤立を防止するためのプログラムを始めました。可児市も例外なく、近い将来、超高齢者社会を迎えます。孤独死、孤立死という不幸な事態を招かないために、一朝何かあったときにはすぐに連絡のできる、すぐに助けを求められる、仲間づくりと体力維持のための高齢者プログラムで、毎週木曜日にアーラ内で行っています。また、子どもへのネグレクトや虐待は、核家族化からくる、若いお母さんの社会的孤立から生じていると考え、悩みを共有して、共に解決していく仲間づくりの一環として、「お母さんと乳幼児のダンスワークショップ」も毎週木曜日に劇場内で行っています。さらに、不登校の子どもたちのフリースクールで、児童・生徒に自己肯定感を持ってもらうためのワークショップを毎週水曜日、市役所別館にある不登校の子どもたちの施設スマイリングルームで行っています。「まち元気プロジェクト」は、今年度、年間約500回を超え、およそ8千人がアクセスする事業になると考えられます。
「社会包摂」という文言が行政府の公的文書に登場したのは、2000年12月、当時の厚生省社会・擁護局による、「社会的な擁護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書に、新たな福祉課題に対応するための方法を導く理念として位置付けられたのが、はじめてだと認識しておりますが、直近の3年間は文化法制や文化に関する公式文書に「社会包摂」という言葉が頻繁に登場することになります。文化法制や文化に関する公的文書に「社会包摂機能」がはじめて使われたという意味で、この2010年代は将来エポックメイキングとして記憶されることでしょう。私どもの「アーラまち元気プロジェクト」は、その文化芸術の「社会包摂能」を充分に引き出して地域社会の健全化と、「生きる意欲」の醸成、「絆」の回復に寄与するものと、私共は位置づけています。
繰り返しますが、「社会起業家的経営」とは、上記のような事業を地域に積極的に供給することで市民からの信頼を得て、それを売り上げと来館者数に反映させる経営手法です。コーズ・リレイテツド・マーケティング(社会貢献型マーケティング)と呼ばれる経営方法の一種です。近年では日本の企業でも取り入れられていますが、その嚆矢はアメリカン・エクスプレス・カードの80年代初頭の「自由の女神修復キャンペーン」です。
私は、可児市と同様に、人口10万人以下の地域の中小都市にある、すべての公立の劇場ホールは、法律に位置づけられた、この「社会包摂機能」を大いに発揮するべきと思っています。従来からの招聘型の事業を一本減らせば通年で実施できます。文科省と文化庁には、そのための補助制度があります。存分にその制度を活用すれば良いと思っています。ホール運営の時代遅れの「常識」にしばられた劇場経営から逸脱すべきです。まず、自分たちの「常識」を疑うことから始めるべきです。激しく「変化」する時代環境に対応するには、みずから「変化」して、その先頭に立たなければ、「変化」に取り残されるばかりか、時代に翻弄されるだけです。全国2200の公立ホールの大半が現在その状態に陥っているばかりか、時代の変化に対応できていないのです。「ハコモノ」という批判の対象となる状態から脱するべきなので
す。
マズローの「欲求の五段階説」というのがあることはご存知かと思います。アメリカの心理学者アブラハム・マズローが人間の欲求を「生理的欲求」、「安全の欲求」から最高位の「自己実現の欲求」まで5段階に階層化し、理論化したものです。このマズローが晩年の60年代に、「自己実現」のうえにさらに上位の6段階目の欲求というものがあることを理論的に証明したことが明らかにされています。「共同体発展欲求」、「コミュニティ発展欲求」がそれです。他者を助ける利他的な行動が、強い生きがいを生み、自己の確かな存在価値を強く認識することになる、というものです。
この利他的な行動が、「生きがい」や「仕事のやりがい」となることは多くの研究者によって明らかにされています。「生きがい」とは「必要とされている実感」であり、「役に立っているという実感」です。それに沿った経営方針にガラリと変えることで、職員の仕事のしがいや生きがいを生みます。この利他的な「コミュニティ発展欲求」に基づいた経営は、組織運営に劇的な好影響をもたらします。私どもの職員の仕事に向かう姿勢がその良い例です。「社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)としての劇場経営は、組織外部への成果に力点をおく経営手法ですが、それが同時に組織の活性化も生むという好循環をもたらすのです。ハーバート大学の心理学者ダニエル・ギルバート博士によれば、「幸福」の要因に関する科学的な文献のすべてを一言で要約するなら、それは「社会性」、つまり利他的行為であるとしています。
さて、アーラの劇場経営のもうひとつの柱は、芸術性の高い舞台芸術の創造発信です。私共は年間60前後の自主文化事業を行っており、そのうち15事業前後が自主プロデュースです。つまり劇場内で企画し、マネジメントして完パケの舞台を製作発信しています。基本的には「芸術家のいるまちづくり事業」として、アーチストの皆さんに、1週間から1ヶ月半ほどの期間可児に滞在してもらう「アーチスト・イン・レジデンス」という手法を取っています。私共とアーチストと市民サポーターの、三者の協働作業として作品創造をしています。うち2本は東京及び他地域への全国巡回公演をしています。
そのひとつ、10年以上前に上演されて好評だったにもかかわらず、何らかの事情で再演されていない作品をリメイクするアーラコレクション・シリーズは、可児の8ステージでおよそ1700人の動員、東京では、昨年の『高き彼物』の7公演はソールドアウトしました。その第4回公演、平幹二朗さん主演の『エレジー』では、芸術祭優秀賞と讀賣演劇大賞優秀賞をダブル受賞しました。来年度から3年間、平さんが可児に滞在して、3本の舞台を創りつづける「ヒラミキ3連発」というタイトルのビックプロジェクトを計画しています。
また、先ごろ、北部イングランドのリーズ市にある英国最大の地域劇場ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)と私共との提携が内定しまして、「ヒラミキ3連発」のうちの一本を、国際共同制作として取り組むことを計画しています。今年2月に英国芸術評議会の演劇ディレクターのバーバラ・マシューズ女史、元英国地域劇場協議会会長で英国地域劇場のマネジメントの権威であるマギー・サクソン女史、WYPの最高経営責任者シーナ・リグレイ女史、地域芸術評議会の副理事長リー・コナーズ女史の4名の英国劇場関係者がアーラを視察に訪れて、この提携の話が内定しました。2年前から東京を介在させない、グローカルな提携をWYPに申し出ていたのですが、多くの市民が集まっている劇場の光景と活発に動いているプロジェクトを目の当たりにして、WYPの最高経営責任者のシーナ・リグレイ女史が決断したものです。
また、私共は新日本フィルハーモニー交響楽団と劇団文学座という日本のトップクラスの芸術団体と地域拠点契約というフランチャイズ契約を結んでいます。定期演奏会、定期公演のほかに、前述しました「まち元気プロジェクト」で、一級のアーチストがまちのなかに、市民のなかに入って行きます。
最後に貸館事業について触れます。大都市圏、特に東京の劇場関係者、また実演芸術家の統括団体である芸団協は、「貸館」を地方自治法244条「公の施設」を根拠として、利用を拒否できないから仕方なくやっているものとして、ひどく程度の低いものと決めつけています。「貸館」はやるべきではない、劇場ホールは、アーチストが占有する施設であるのが理想というのが、その考え方です。しかし、私はそうは思いません。「カラオケに貸す」ことを、低俗、低級なこととでも言いたいのでしょうが、私は断じてそうは考えません。市民がカラオケで自己実現しているなら、憲法第十三条の「幸福追求権」を行使しているですから、すこぶる結構なことと思っています。東京とは異なって、地域ではカラオケも大切な自己実現の機会なのです。
以上が私たちアーラの事業の三本の柱のあらましです。なかでも、地域社会の健全化に寄与する「アーラまち元気プロジェクト」は、このようなコミュニティプログラムを、全国で二番目に実施回数のある世田谷パブリックシアターの、およそ5倍前後の実施回数となっています。その意味では、文化芸術の「社会包摂機能」を最も活用しているのが、アーラの「劇場としての特徴」と言えます。そして、「新しい地域劇場のかたち」として評価されて「特別支援劇場音楽堂」に指定されたのだと思っています。
私は2週間に一度、全職員対象に行う「館長ゼミ」で、国の「特別支援施設」になったのを機に、従来からの「芸術の殿堂から人間の家へ」、「社会機関としてのアーラ」という、組織内で皆が共有しているミッションをバージョンアップさせた提案をしました。それは以下の三つの目標です。
1.日本中から尊敬される劇場に。
2.地域社会から、日本一必要とされる劇場に。
3.市民が胸を張って誇れる劇場に。
私はWYPとの国際共同制作が実現するまで、あと数年は可児にとどまるつもりでいます。それまでに、この三つの目標を職員がミッションとして共有し、市民のために、地域社会のために仕事に励んでくれればと思っています。そして私は、第二、第三のアーラをつくりだす仕事を生涯の最後の務めにしようと考えています。それは、アーラは決して特殊で、特別な事例ではなく、誰にでも、何処ででも、仮に予算がなければダウンサイジングするだけで、必ず実現できる劇場・ホールの「かたち」であることを証し立てたいからです。 アーラが採用している「可児方式」の劇場経営を普遍化したいと思っています。何とか第二、第三のアーラをつくりだすことで社会を下支えしたいと思っています。