第146回 劇場経営の「いろは」を考える  組織を強くする管理職の心得。 

2013年3月23日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

「ホールを運営していく上で一番大切なことは?」という質問をよく受けます。とくに最近は、昭和40年代に建てられた市民会館の建て替えや合併特例債と震災によるその年限の延長によるホール計画や建設設置が急増して、劇場ホールをどのように運営すればかつての「失敗」を繰り返さないようにできるのか、という共通する意識が新しいホール計画や建設の関係者には少なからずあります。その意味では90年代の「ホール建設ラッシュ」の時よりはましだとは言えるのですが、それでも建設計画先行でソフトウェアやヒューマンウエアは後回しなのが現状です。その点では結果的には90年代と何ら変わらないのですが、ハードの設計が決まる頃には「どのような運営をすべきか」と考えはじめるだけでも少しは「まし」と言えるのかもしれません。

ただ、設計計画段階には劇場建築の専門家が委員会に組み込まれているのに対して、運営を考える段階は概ね市民だけの検討委員会か勉強会、あるいは行政職員が他の劇場ホールの運営を視察してカーボンコピーのような計画書と試算書を作成するにとどまっています。市民の委員会の関心は概ね「誰に館長を頼むか」というところにあるのが一般的な傾向です。むろん、それはそれで大切な人事なのですが、あわせて組織の全体像とその運営設計を真剣に考えなければ、かつての「過ち」を繰り返すことは必定です。現場をよく知っている劇場ホールの経営に長けた人間はそれほど多くはいませんが、なるべく早い時期からそのような専門家が運営計画に関わるべきだと思っています。

冒頭のような質問を受けた時に、私は「組織と人」が最重要、一番大事です、と答えます。実のところ劇場ホールの建築設計のプライオリティは、それよりも低くて、ちょっと間隔がひらいて2番目か3番目でしかないと私は考えています。まずは「組織風土」と「人物」です。ここで敢えて「人物」と書いたのは、そこには人間的な条件がある、ということです。「専門家」であることに超したことはないですが、「専門家」であってもまずもって「人物」が大切だと私は思っています。管理職であったなら、職員の「強み」を存分に活かして、「弱み」を意味のないものにするだけのマネジメント能力とガバナンス能力、職員に「やりがい」をもたせて生きいきと仕事をする環境づくりに長けていること、などアーツマネジメントの基本的な使命を果たせることが肝要です。職員の失敗を学習の機会と捉えて、人材育成を日々推し進めるだけの寛容さをもった人間力が必要です。平たく言えば、人間的で、明るいリーダーシップが必須と言えます。

実は、全国各地でホールのコンサルティングをしていますが、上記の点が最大の欠陥という劇場ホールが非常に多いのです。その理由のひとつに、一般論的に言えば、役所からの退職派遣、現職派遣の職員が大半の管理職を占めているケースがほとんどだからです。彼等には「失敗」が許されません。役所はそういう組織なのです。そういう組織で育った人間なのですから致し方ない、と私は思っています。「習い性」なのです。どうしても無難に在任期間を過ごそうとします。つまり、リスクを取らない組織運営をするのです。リスクを取らない、ということは経営感覚が欠如しているということです。そういう管理職のもとで働く、やる気のある一般職員は、「角を矯めて牛を殺す」状態に置かれてしまい、ついには無気力な、ルーティンな仕事だけを日々処理していくだけの「一般事務屋」になっていきます。私はそういう人間を沢山見て来ています。50代になってもそういう職員でいることは本人にとって不幸なことです。その人物が年功序列で管理職になったら、それは組織にとって最大の不幸です。つまり「行政の組織風土」と「劇場の組織風土」は「経営」という座標軸だけとってもまったく違っているのです。劇場の組織風土に行政の論理と倫理を持ち込んだ結果が、無気力で責任を取りたがらない職員を増やして、劇場ホールの機能不全、著しい衰弱を生むのです。

一般職員にも劇場ホールで強力な戦力になるための条件があります。採用試験の時に、公立ホールで働いたことのある職歴やアート系の大学を卒業しているという学歴で採用を決めることが多いようなのですが、これは一部の例外はあっても、おおよそは間違いをおかすことになります。そもそも、全国のホールで「職歴」となるほどの経営をしているところがどれだけあるのでしょうか。ほとんどが「買い公演」の一般事務をやっているだけです。またさらに、現場に即したアーツマネジメントやアーツマーケティングを教えている大学の教員が果たしてどれだけいるというのでしょうか。そう考えると、そもそも職員採用の前提が崩れてしまいます。安易に「職歴」と「学歴」で採用を決めるのは大変な危険を冒すことになります。仮に「正規職員」としての採用なら相当な負荷を組織は負うことになります。

組織のしっかり固まっていない東海地区の文化施設が職員採用の際に、文化芸術系大学でアーツマネジメントを学んだのなら、と新卒採用をしてしまい、企画面と運営面でボランティアが何も知らないのを良いことに彼らを引きずりまわした結果、彼らの離反を生み、終には指定管理者までも外される事例がつい最近ありました。芸術やアーツマネジメントの「知識」が少しはあるからと言っても、新卒は「専門家」ではないのです。「専門家」というのは現場を知っていることが絶対の条件なのです。また、非常に多くの現場的な人脈を持っていることが必要条件です。ましてや社会経験もない新卒を、芸術系の大学を卒業したからといって採用するのは、採用する方に落ち度があると言って良いでしょう。劇場ホールの職員に一番大切なのは「資産」としての人脈とコミュニケーション能力です。人間が好きでないと劇場ホールの仕事は勤まりません。劇場ホールの仕事の大半は、インターナルなマーケティングも含めて、ほとんどが人間と関わり合うものです。ボランティアの離反を生むなどとんでもない欠格者です。劇場ホールは「サービス業」ですから、他者と関わり合う仕事なのです。ホスピテリティをしっかり持っている人間であることが第一の、そして十分条件と言えます。

組織の指揮系統でいえば、上意下達型の組織はサービス業たる劇場ホールには不適です。アーチストやボランティア、市民、役所職員を含めて、顧客とのコンタクトポイント(CP)は一般職員が担います。したがって、管理職員はそのCPのクォリティを高度化するための環境を一般職員のために整える、いわばバックアップする要員としての気づかい、気配り、支援能力が求められます。CPで即座に求められる意思決定権も一部移譲しなければなりません。いちいち「上司の決裁を取りますので」と顧客を待たせるわけにはいかないのです。即座に意思決定のできる環境を整えるのが管理職員の主な仕事になります。管理職ははらはらして「手に汗にぎる」ことになりますが、劇場ホールとはそういう業態なのです。

そのためには経営方針を、分かりやすい言葉と日常の行動で常に指し示し、組織のミッションとたがうことなく即座に意思決定ができるように意識の共有をしっかりしておくことが肝要です。「館長ならこうするだろう」、「課長ならこう判断するだろう」、「係長ならこう対応するだろう」ということが容易に想像できて即座に意思決定のできる「ミッションの共有」をことあるごとに推し進めなければなりません。アーラでは月に2回の「館長ゼミ」で私の考え方を様々なテキストを使って、局長以下の管理職、一般職員に繰り返し伝えています。また、現場では具体的な行動で「緩やかな規範」を指し示しています。オフ・ザ・ジョブトレーニングとオン・ザ・ジョブトレーニングの繰り返しです。万が一何かミスがあった時には責任を引き受ける覚悟が管理職に必要です。ただ、相手の顧客が無理難題を言うクレーマーだった時には、私は職員をかばって顧客に強い対応をします。職員の対応は「ミッションを共有」しているからこそのものであり、それに対してのクレームであるなら、館長たる私がその対応を引き受けなければなりません。ヒエラルキー型の組織ではなく、比較的フラットな組織風土と体制が劇場ホールにはどうしても必要になります。

あわせて、上級管理職には、音楽業界、演劇業界、ダンス業界などのホール事業の当該分野、舞台技術関係のデザイン界、舞台技術業界との太い人脈が必要です。それがないと、どんなに上質な企画案も絵に描いた餅になってしまいます。そして、その人脈は将来的に劇場ホールを担っていく一般職員にそのつど委譲していかなければなりません。それは人材育成の仕事にとって非常に重要な上級管理職員のミッションです。彼等は現場での仕事を経る中で、上級管理職員が従来から持っていた人脈を、より太い、強固なものに育てていきます。現場の仕事を通して、信頼関係という「関係資本」の増幅と増大を生むからです。人材育成の重要な局面のひとつです。そのことを経過するなかで、彼等は劇場ホールの重要な「資産」として育っていくのです。あとは静かに見守れば、おのずと将来の管理職員候補として育っていきます。

したがって、この人脈は、あたうかぎり人材集積のある東京の各業界とのつながりである方が望ましいと思います。東京の専門家人脈は、蜘蛛の巣状に、しかも次々にアメーバー状に拡がっていきます。それは東京には膨大な人的集積があるからです。それはまぎれもなく劇場ホールの「資産」になります。「またしても、東京か」という声が聞こえてきそうですが、人材集積と技術集積は、疑いもなく東京に一極集中化しているのです。逆に、それを利用しない手はない、というのが私の考えです。地域にこもって内向すると、それだけ劇場ホールのグランドデザインのスケールの矮小化してしまいます。むしろ、「東京を利用する」、くらいの戦略的な思考が必要なのです。

地域の文化人脈に偏って、その人間の極めて私的な人脈で事業を「買わされている」という会館の事例はいくらでもあります。市民が主役なのではなく、その地域内だけで「文化人」と称されている、せいぜい音楽教室の「先生」程度の人間が「主役」になっているのです。スケールの小さな事業展開しかできないのは当然です。私はそれを一種の「公金横領」だとさえ思っています。公的資金を扱うことに、私たちはもっと神経を使うべきです。将来を担う人材育成のためにも、第一級の人脈を活用して、真の意味の劇場ホールの「資産」を形成すべきと私は考えます。

本来ならば、上記のような組織風土を生む人的な配置と、どのような分野の事業を、どのように行うのかの制度設計を進めながら、ハードの計画設計を同時進行させるべきと私は思っています。私が館長兼劇場総監督に就任したのはアーラがオープンして5年目のことでした。ですから、もうすでに劇場(ハード)が出来あがっているところに来て、組織風土と人的配置、それにどんな事業を軸にして、どのように実施するのかは、当然ですが就任後に後付けで考えたわけです。つまり、アーラの持っているポテンシャルを生かして、さらには可児のまちの特性を生かすためには、何を、どのようにやるべきなのかを考えた結果が、現在のアーラのかたちです。その現時点での結果には充分に満足しています。それでも、本来は、ハードとソフトとヒューマンの設計は、たがいに関わりを持ちながら、同時進行で進めるべきであるとの持論が揺らぐことはありません。いまの劇場ホール整備における「経営計画」は、譬えは悪いが「泥棒を捕らえて縄を綯う」式が常識のようになっています。一番大事なのは劇場の建築設計や建物それ自体ではなくて「組織と人」であることに、私たちはもう気付かなければなりません。いや、気付いているのです。気付いているから市民による「事業検討委員会」を設置したりもしているのです。ただ、その程度では健全な経営の劇場ホールは望むべくもないのです。