第137回 文化庁のヒヤリングに参加して。
2012年9月3日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
9月に入ったら、朝夕の空気がパキッと変わりました。我が家は三方を田圃に囲まれているので、開け放つと新鮮な可児の空気が稲の緑の匂いを運んで部屋の中を通り過ぎていきます。ようやく気持ちの良い朝を迎えることができるようになりました。それにしても、怒涛のようなこの夏のスケジュールでした。7月と8月で31日間35地域を汗だくで歩き、話すという今年の夏でした。「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」が6月27日に成立していたので、来年度に向けてのアーラコレクションの営業でも、招かれての講演・セミナーでも、話題の中心は法律の解説とこれからの展望予想といったものばかりでした。それだけに、自分は何を、どのように実現しようとして劇場で働いているのだろうか、をあらためて深く考えさせられた2ヶ月間でもありました。自分は何処に行こうとしているのか、何処まで行こうとしているのか、考えざるを得なかった2ヶ月間でした。この時期にジョン・ロールズとカントを読み返していたので、自分が劇場でやろうとしていることはカントやロールズの言う「道徳」に適ったことなのか、私が構想している劇場経営を通して実現しようと思っている地域社会は「正義」であるのかを自問する、ほとんど混線寸前の2012年の夏でした。年齢的にも、任用期間的にも、今年が折り返し地点だとひそかに思っているので、自分の仕事の来し方と行く末を俯瞰して考えるうえで良い機会だったと思っています。
8月初旬に沖縄市のキジムナーフェスティバルでセミナーをやって可児に戻ると、文化庁から「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」の「指針」の作成のためにヒヤリングをしたい旨のメールが来ていることを知らされました。「ヘーッ、何でウチみたいな人口10万のまちの劇場に」というのが最初の感想でした。二信目のメールに書かれていたヒヤリング対象の団体名、劇場名を見て、さらにその感を強くしましたが、全国におそらく2000以上はあると思われる小さなまちの劇場ホールを代表して法律に対する要望を聞かせろということなのだろうと勝手に思って、それなら言いたいことを洗いざらい話させてもらおうと考えました。持ち時間は45分。他の団体よりは15分は長いのですが、すべてを話すためには要点を整理しておこうと、講演などでも通常はやらない作業をやっておくことにしました。
総計28問からなるヒヤリング票を仕上げて文化庁に送付し、ヒヤリング当日の23日に、桜井事務局長と遠藤事業制作課長と文化庁の前で待ち合わせをしました。この日もジリジリと暑い日でした。ヒヤリング会場になっている文化庁の特別会議室に入ると、サントリーホールさんのヒヤリングが行われていました。10余名のギャラリーに交じって彼らのヒヤリングを聞きながらも、どの点を強調して話せば施行された法律を「指針」で適正に補完することが出来るのかを考えていました。
サントリーホールさんのヒヤリングが終わり、聞き手がガラリと変わりました。高井文部科学副大臣、河村文化庁次長、大木文化部長、船橋芸術文化課長、それにオブザーバーのようなかたちで旧知の門岡文化活動振興室長という並びでした。質問者と対面するかたちで私たちが並びヒヤリングが始まりました。まず15分程度で可児市文化創造センターalaの概要を私がお話ししました。創造型制作事業年間6本とその他の鑑賞型事業40余本、「アーラまち元気プロジェクト」という名称のワークショップ、アウトリーチなどをまとめたコミュニティプログラム年間354回やっており、可児市というコミュニティの健全化に寄与していると話し、あわせて創造型制作事業は「ala Collectionシリーズ」のように東京公演と全国公演をするほどの質の高いものを製作してシティプロモーションにも寄与していると話を切り出しました。
あとは対応者からいろいろと質問が出されて私がお答えしましたが、法律については「前文」は格調が高く、良くできていてすべての国民市民をこの法律の最終受益者としている内容なのに対して、条文になると「温度」が急に低くなる旨をいろいろな角度から話ししました。たとえば、法の「目的」を「実演芸術の振興」としているのは、たとえ「もって心豊かな国民生活及び活力のある地域社会の実現並びに国際社会の調和ある発展に寄与することを目的とする」と言葉の穂を継いでも、「前文」と「条文」のあいだに整合性はない、と訴えました。「実演芸術の振興」による受益者は舞台芸術の愛好家であり、アーチストでしかないからです。非常に狭く受益者を限定している、と思います。「前文」に見えていた最終受益者としての国民市民の姿がそこではほとんど消えていることを強調しました。
第二条の「定義」では、「この法律において『劇場、音楽堂等』とは、文化芸術に関する活動を行うための施設及びその施設の運営に係る人的体制により構成されるもの」とファシリティ(施設)という従来からの認識からテイクオフしてインスティテュート(機関)であることを規定しており、それは評価できるのですが、後段の「その有する創意と知見をもって実演芸術の公演を企画し、又は行うこと等により、これを一般公衆に鑑賞させることを目的とするもの」とやはり「実演芸術の振興」というところから軸足が動いていないのです。「一般公衆に鑑賞させることを目的とするもの」という定義は、非常に狭く劇場音楽堂等の機能を定義していると私には読めます。これではこの法律が、劇場音楽堂の社会的機能を従来からの認識から転換させるモメンタムには断じてならないと思っています。
私がこの法律に期待するのは、従来は「贅沢品」とか「個人的な嗜好物」と考えられていた文化芸術を、健全な社会生活を営むために、いかなる境遇にある人にでも必要な公共財であると、一気にブレークスルーする「突破力」です。そうでなければすべての国民市民を受益者とする法律ではなくなってしまいます。全国2200の公立劇場ホールが決して「ハコモノ」ではないと裏付ける、包摂性の高い社会を実現するための拠点施設と規定する文言です。「一般公衆に鑑賞させることを目的とするもの」では、従来一般的であった鑑賞施設という認識を踏襲しているに過ぎません。一歩も踏み出していないのです。何とかこの「一線」を越えなければ、国民市民が健やかに生活のできる包摂性の高い社会の実現と、文化芸術や劇場音楽堂等で働く人間にとっての新しい世界は拓かれない。包摂性の高い「全員参加」の社会を実現する拠点施設とはならない、と私は思っています。その社会的合意形成の出発点となるべく、この法律は機能しなければならないと思います。劇場音楽堂等を、包摂性の高い社会を実現するための拠点施設と位置づけなければ、私たち国民の多くは身動きの取れない生きにくい社会で窒息状態のまま晒されてしまうという危機感を私は持っています。
したがって、ヒヤリングでは、地域の劇場音楽堂等は都市部のそれよりも文化芸術の社会的包摂機能をフルに活用して健全な地域社会を形成することに寄与することが求められているのだ、という従来からの主張を多く述べさせてもらいました。「第三次基本方針」をさらに展開することを法律に求めたい気持ちを述べさせてもらいました。さらに、芸術的評価の高い事業も行い、しかもその二つのミッションは等価であり、並列的に持つことが求められる、とも発言しました。少なくとも、圧倒的多くの施設がコミュニティ・アーツセンターとしての社会的機能を地域で果たすことで、2200も造ってしまったことの帳尻を合わすことができると具申しました。また、この法律が対象とするのは「非営利」の劇場音楽堂等であり、その点をはっきりさせないと民間の営利を目的とする劇場音楽堂等とのあいだで法律に齟齬をきたすとも発言させてもらいました。
第十二条の「国は、国民がその居住する地域にかかわらず等しく、実演芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるよう、前項の規定に基づき地方公共団体が講ずる施策、民間事業者が行う劇場、音楽堂等の事業及び実演芸術団体等が劇場、音楽堂等において行う実演芸術に関する活動への支援その他の必要な施策を講ずるものとする」を根拠とする補助制度や、従来はオペラのみを対象とするように設計されていた「優れた劇場音楽堂からの創造発信事業」の「共同制作事業」の再設計が、ともに検討課題となっている感触も得ることができました。あとは第十六条に規定された「文部科学大臣は、劇場、音楽堂等を設置し、又は運営する者が行う劇場、音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針」に私の考えがどれだけ反映されるのか、可児に初雪がちらつく頃の「指針」の発表を息を詰めながら見守りたいと思います。