第118回 喝采は浴びないが、大事な宝 ― 創造的なヒューマンリソース・マネジメント。
2011年10月22日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
先日亡くなったスティーブ・ジョブスの率いたアップル社は市場調査をしないそうです。市場調査をして、多くの人々が「欲しい」と思っている機能を搭載したコンピュータを創り出すことに価値を見出していなかったのがジョブスだったのだと思います。彼は、人々がその必要性すら感じていなかった画期的な製品を相次いで市場に提供しました。ジョブスの「宇宙に衝撃を与える」という言葉は、誰も想像しなかった、必要とも思っていなかった機能を搭載した製品、思いもよらないデザインのコンピュータを市場に出すという意味なのです。1万曲を搭載できる携帯音楽プレーヤーiPodと10億曲以上がダウンロードされたiTunes Store、「スマホ」の呼び名で急速に市場を拡大しているタッチスクリーンパネルを利用した携帯電話の先駆であるiPhone、誰もが想像できなかったコンピュータの「かたち」であるタブレット型携帯端末iPadと、ジョブスは人々の時代を切り裂いて「欲望を創造」する仕事を次々に発表しました。市場調査をしない、という企業精神からそれらの「創造物」が生まれたと言っても良いでしょう。
それらのアップル製品の利用者が、それがなかった時のことを思い出せないと感じるほどの「創造物」を世に送り出したジョブスは、おそらく生き生きと仕事をしていたのだろうな、と考えました。「やりがい」を感じながら仕事に取り組んでいたのだろうな、と思いました。そして、「やりがい」や「生きがい」を感じるような仕事環境というのはどのようにすれば可能になるのかを、いま私は考えています。
「人の<強み>を十分に発揮させて、これも誰もが持っている<弱み>を意味のないものにする。口で言うには簡単だが、行うは難し、である。人間はみな個々に好き勝手なことを考えて走り出す。組織のミッションとは乖離してゆく傾向がある」と、『連載館長VS局長 「公共劇場」へ舵を切る』(http://www.kpac.or.jp/column/index.html)に書いたのはジョブスが亡くなってすぐに、アーラのような劇場の職員の職場環境がいまのままでは駄目なのではないか、もっと創造的にしなければ市民へ質の高いサービスは出来ないのではないかと考えたからです。「究極の公共劇場」、「可児から日本を変える」と考え続けている私にとって、職員の仕事の環境に無関心では到底いられません。事務所にコンテンポラリーアーチストの清水啓一さんの「セフィロトの木」という大きな作品を私費で設置したのも、創造的な職場環境と仕事場の空気を事務所然としたものから脱したいと思ったからでした。今年、4人の職員が退職しました。3人は遠隔地への寿退社ではありますが、民間よりも産休育休の制度の整備されている職場でありながら退職する選択をすることはアーラにとって大事な資産である人材が流出することであり、やはり大きな経営課題だと思っています。今年の職員面談でもいろいろ考えさせられることがありました。
そんなことに思いを巡らせながらジョブスのことをぼんやりと考えているときに手に取ったのが、ダニエル・ピンクの『モチベーション 3.0(原題Drive=推進力=やる気)』です。この著作のまえの同じ著者の『ハイコンセプト/「新しい事」を考え出す人の時代(原題A Whole New Mind=完璧なる新思考法)』を読んでいたせいで、何か組織づくりのヒント、職員のモチベーションを改善更新するヒントが得られるのではないかと考えたからです。『ハイコンセプト/「新しい事」を考え出す人の時代』でダニエル・ピンクは、計算や分析などのルーチンな仕事をこなせる能力をつかさどる左脳の時代から、私たちの仕事は、創造的で共感能力の求められる右脳の時代に移行しなければならない、という衝撃的で、非常に興味深い提言をしていました。そういう考えの持ち主が、「仕事のモチベーション」をどのように描いてくれるのか、私に立ちはだかっている問題からいって少なからぬ関心がありました。
彼に言わせると、「生存」のための《モチベーション1.0》、「アメとムチ」で働かされる《モチベーション2.0》に対して、新しい時代には「やる気」や「やりがい」や「生きがい」で自律的に、創造的に働く《モチベーション3.0》を駆動させなければ、変化に富んだ社会で、社会を変化させる仕事は出来ない、と強調しています。右脳を使えということです。可児市文化創造センターalaの事業定義とミッションは「変化」ですから、私はこの考えに飛びつきました。右脳は、他者の心を思い遣ったり、気を配ったりするための想像力をつかさどる部位でもあります。「アメとムチ」の成果主義は日本では完全に失敗しています。成果主義の「本場」と思っていたアメリカでダニエル・ピンクが「アメとムチ=モチベーション2.0」を疑問視し、その無力性を提示しているのは興味深い出来事です。
このあたりは、ドラッカーも思索のヒントとしているエルトン・メイヨーのウエスタン・エレクトリック社ホーソン工場での産業心理学の有名な実験にも言えることで、「従業員を意思決定に参画させるなどの社会的欲求を充足させる方が、賃金による動機付けよりもはるかに生産性を上げる」(『連載館長VS局長 「公共劇場」へ舵を切る』)という点と通底しています。「平たく言えば《やりがい》であり、《必要とされたい》という社会的欲求の充足と言える。ドラッカーも、このホーソン実験を俯瞰しながら《利潤動機》というものは存在さえしない、と看破している」(同前)のです。ドラッカーは「利潤動機」では人間は動かないと考えており、ダニエル・ピンクも「アメとムチ」では動かない、「これをやればいくら払う」というモチベーションでは人間は「強み」を生かした創造的な仕事はしない、と断言しています。サービス業としての劇場の仕事は、言うまでもなく「アメとムチ」では良質なサービスは供給できません。むろん、可児市文化創造センターalaに「大きなアメ」など望むべくもないのですが。
そこで私は、職員のアーラの仕事への《モチベーション3.0》が駆動する職場の仕組みを造ろうと思っています。平たく言えば「アーラをどんな風にしたいのか」、「可児市民に何をすれば喜んでもらえるのか」というアーラへの、そして自分の仕事への「夢」を、日常のルーチン業務を離れて職員同士が語り合う時間を設けようと思っています。「いのちの格差」のない社会を目指すための拠点機能をアーラが果たすために、いま何をすべきかをフリーに話し合う時間を設けようというのです。劇場の仕事は傍で見るのとは違って業務の90%はルーチンなものであり、これが大事な「夢」を日常的に摩耗させます。彼らの「夢」も大切な経営資源です。「夢」の摩耗は、職員を大切な経営資源と思っている私にとって資源の枯渇に向かうことでもあります。ダニエル・ピンク的視点から見れば、劇場の仕事は製造業よりは創造的であっても、ルーチンである日常業務は左脳を使う仕事で占められています。ですから、業務時間内に右脳をフルに働かせる「夢タイム・KAIZEN」(仮称)を導入しようと考えています。
私たちに何ができるかの「夢」を話し合うことは、アーラが市民にとってより必要な施設に向かう「推進力」になります。業務時間内に週に1時間は、自由に相手を選んで、ビスケットとコーヒーでリラックスしながら自由に「アーラで実現したい夢」を語り合う「右脳時間」にしたいと考えています。11月から始める予定です。グーグル社の「20%ルール」(勤務時間の20%は通常業務以外のことに使える)のようなものです。市民へのサービスをより質的に高度化するイノベーションのための時間です。アーラのサービスが不断にイノベーションを繰り返していくための種蒔きです。「やる気」のある職員と職場から顧客や市民に存分に満足してもらえる良質なサービスが生まれるのは当然の帰結と言えます。いままで何故こんなことに気付かなかったのかと思っています。
市民の心を思い遣り、より良質なサービスを提供できるようになれば、より喜ばれるのは当然のことです。自分が手ずからやった仕事が顧客や市民の喜びになっていることを実感できれば、当然「やる気」をさらに奮い立たされます。顧客や市民の喜びがみずからの「報酬」になるのです。金銭的な報酬ではなく、自律的に生きるための「報酬」です。顧客や市民と心を通わせることでみずからの精神が創造的になるのです。まさに《モチベーション3.0》です。それは、劇場ならではの働き方であり、理想的な職場環境なのではないでしょうか。私たちの仕事は、アーラがなかった時のことを市民が思いだせなくなるほどのサービスを創造することでなければなりません。可児市にアーラがないことを想像できないほどのサービスでなければなりません。アーラの職員は決して喝采を浴びることはありません。それでも、多くの笑顔と感謝の気持ちで心を充たす存在にならなければなりません。
最後に、ダニエル・ピンクは別のところでこんなことを語っています。高齢者社会になることを憂うことはない、社会に貢献することを喜びとする人間が多くなることであり、社会を変化させる仕事をする人が増えるということなのだから。そうなれば良いな、と思いながら、格差が拡大している日本の社会を思うといささか忸怩たる思いは残ります。