第111回 真の「公共劇場」に向かって走る。
2011年6月15日
可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督 衛 紀生
ときどき、フッとおかしな感覚にとらわれることがあります。なぜ自分がこの可児市に今いるのだろう、という一種の浮遊感です。縁も所縁もない可児市に突然来ることになって、もう4年が経ちます。非常勤で宮城大学と可児市と東京を移動する1週間を繰り返していた1年目は「可児にいる」という感じはなかったのですが、常勤になってからの3年間は、時折、不思議な感じに囚われます。
深い緑と鳥の鳴き交わす環境に包まれている幸せはあるのですが、東京の喧騒の中で仕事をしていた自分が、いま、その中にいることが不思議でならなくなるのです。最近は別の感覚も生まれてきました。マンションに帰って、ビールを飲みながら引き戸を大きく開けはなっていると、蛙の鳴き声が物凄いのです。なにせ周囲はすべて田圃ですから。煩いというよりも、逆説的な静寂さえ感じるくらいです。心地よいのです。ずっと以前からここに住んでいたような錯覚に陥ります。「なぜ、ここに」という感じは、おそらく可児市文化創造センターalaが私の裡で理想とする地域劇場の像と重なり合ったときに、「どうして可児市に来たのか」の意味が分かるのではないかと思います。「運命に導かれた」としか言いようのない意味が分かるのではないかと思っています。ただ、これは「終わりのない仕事」ではないかという予感もしています。
何処に向かって私は走っているのか。いつもそう自問している3年間でした。むろん本当の意味での「公共劇場」が成立する「その時」に向かっているのには違いはありません。それは、必ずしもアーラを利用しない市民であっても、アーラはこの町に必要である、と認めてもらえる存在になることです。そういう価値を創造することです。大学教授や研究者は、簡単に「公共劇場」という語彙を使いますが、私は日本には、いまだ「公共劇場」は存在していないと思っています。「公立劇場」と「公共劇場」を混同してしまっては、真の意味での「公共劇場」の像は結びません。日本では「公立劇場」と「公共劇場」は同一視、ないしは曖昧な概念規定で混同して使われています。「公立劇場」は建てられた経緯の問題であり、言葉としては自己完結していますが、「公共劇場」は、市民・住民の意識を経由して認知される価値概念です。つまり、他者としての市民・住民による価値認知が「公共劇場」を成立させると私は思っています。したがって、「公共劇場」を成立させるには、地域社会との不断のコミュニケーション(=ソーシャル・マーケティング)が必須となります。自認概念ではなく、他者によって価値づけられる他認概念だけに、「終わりのない仕事」という予感が私にはするのです。「変革(イノベーション)の連続性」が激しく求められる仕事ではないかと思っています。
可児市文化創造センターalaは、現在の段階でも、ある程度のブランディングに成功はしていると思っています。文化庁の「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」での補助額は、全国で16番目になります。市町村では、新潟市、松本市に次いで3番目になりました。地域創造大賞(総務大臣賞)も昨年度頂きました。ブランディングは進捗していると思うのですが、ただ、正直言うと、達成感がないのです。まだまだ「やらなければいけないこと」が山積しているせいもあるのでしようが、胸を張って「日本を代表する地域劇場のひとつ」とは言えない未到感に、気が遠くなることがあります。「いったい、何処まで行けばよいのだろう」と、ほとんど焦燥感に近い感覚に苛まれることがあります。同じエグゼクティブが10年やってしまうと、組織は絶対に硬直化する、という信念が私にはあります。新しい経営感覚が組織に吹きこまれないからです。だとすると、私には「あと何年あるのか」と考えます。むろん、突っ走れるだけの体力と能力と年齢の問題もあります。「私の遺書にする」と決めてアーラの経営に入ったのですから、私にとっては、かなり深刻な問題です。「優雅に泳ぐ 水鳥さえも 水面の下で 足掻いてる」です。
「いのちの格差」のない地域社会をつくるための政策手段としての、そして「社会機関としてのアーラ」が私の考える「公共劇場」の在り方であり、価値概念であり、理想とする地域劇場の在り方です。そのためにも、「劇場法」(仮称)、私の言う「芸術拠点による社会包摂推進法」は、是非とも成立させたい法律です。それと連動させるかたちで、可児市に「創造のまちづくり文化振興条例」のようなものを作っていただけるようにお願いをしています。可児市文化創造センターalaには、現在の劇場経営を裏付ける根拠は、「振興計画」も「振興条例」も何ひとつありません。何もないということは、宙づりで劇場経営をしている状態と言えます。職員に私の経営に関するDNAは残すことは出来ますが、私がリタイアしたあとのバックボーンとなる「計画」か「条例」が欲しいのは偽らざる気持ちです。私が居なくなったら瓦解してしまうようでは困るのです。「条例」ができたら髭を剃ると市役所幹部と約束をしています。何なら頭を丸めても良いくらいです。何しろ、アーラは、私にとって「遺書」なのですから。
健全な地域社会には、素晴らしい経営をしている劇場が必ずある、というのは私の夢なのでしょうか。理想なのでしょうか。地域創造大賞(総務大臣賞)の受賞理由が「劇場監督制によりまちづくりの拠点として市民生活の質を向上」であり、「地域課題と向き合い体系的に位置づけたアウトリーチや市民参加事業、準フランチャイズ契約を結んだ職業芸術団体による鑑賞事業などを実施。劇場監督制により地域劇場のマネージメントに取り組み、まちづくりの拠点として市民生活の質の向上に貢献した」とあったのはとても嬉しい評価でした。就任当初から3ヶ年間の経営方針が、狙った通りの評価として還ってきたという感じです。この延長線上に、私の考える「真の公共劇場」がある、という確かな手ごたえはあります。あとは時間との勝負でしょうか。ロバート・フロストの『雪の宵の森にたたずんで』という題の詩ではないですが、「私には約束の仕事がある。眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ」です。64歳、あと半年でもう一つ齢を重ねます。「真の公共劇場」、「日本を代表する地域劇場」を現前化させるには、あまり時間はありません。
使命を持った日々の苛烈をきわめる仕事があるから、このアーラを包む環境が救いとなっているのかもしれません。仕事がなかったら、この環境では何も考えずに、きっと老いのペースに加速度がついてしまうのかもしれません。深い緑を渡る風と、鳥の鳴き交わす環境は、緊張感のある仕事があってこその幸せなのかも知れません。すると今度は、アーラをリタイアした途端に一気に老いが進行するのが心配になりますが。何処まで行っても、時間との戦いです。