第102回 人間の愚かしさと、そして生きることの難しさ― 「枯葉剤の傷跡を見つめて」から感じたこと。
2011年3月7日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
「人間は何て愚かしいことをしたのだろう」。私は食べかけの食事と飲みさしの焼酎のお湯割りをそのままにして、NHKETV特集の『枯葉剤の傷跡を見つめて―アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ』を息をのんで見入っていました。ベトナム戦争終結から38年。見終わってしばらくは、冷えた食事に手は伸びず、焼酎に口をつける気になれませんでした。
『枯葉剤の傷跡を見つめて』は、自身もベトナムで枯葉剤を浴びた御主人をガンで亡くした映像作家坂田雅子さんが、ベトナム帰還兵の子どもたち、つまりアメリカの枯葉剤被害二世の人びとを追い、カメラを回し続けたドキュメンタリーです。胸から性器までが裂けて、内臓が薄い膜に覆われて体外にはみ出して生まれた女の子は、何回もの手術を経て、日常生活を送れるようになりましたが、排泄機能は戻らず、生殖機能はなく、学校では友達一人できず、麻薬に走って母親を責めさいなみ、38の歳で大腸がんで亡くなります。無毛症で子宮が先天的になく、膣が短いために性の悩みを10代から持ち続けている女性も出演していました。その誰もが、涙を流さず、淡々とあまりに残酷な被害の様子を語っていることに、私は事の深刻さを如実に物語っていると思いました。
枯葉剤の主成分であるダイオキシンには、強い催奇性があり、手足の変形や欠損や頭部の奇形ばかりか、身体のありとあらゆるところにその影響が強く出るそうです。私たちは、以前日本で治療を受けたベトナムの結合性双生児のベトちゃんとドクちゃんが枯葉剤の催奇性によるものだと知っていました。さらにベトナムには多くの枯葉剤の被害者がおり、生命に関わる催奇を持った胎児は堕胎されホルマリン漬けで保存されていることも知っていました。けれども、ベトナム帰還兵の子どもたちが、アメリカではその被害は認知されずに孤立していることを私は迂闊にも初めて知ったのでした。その一人、右足の膝から下と指の数本が欠損しているヘザー・バウザーさんのベトナムへの旅とアメリカで孤立を深めている帰還兵の子どもたちを訪ねる旅をカメラは追います。彼女はツーズ―病院の、枯葉剤による障害を持った人々が生活をしている施設を訪ね、父親が枯葉剤を浴びた基地の後を訪ねます。彼女の指の欠損と同じ形状の欠損のある施設の少年と出会い、その指を並べてシャッターを切るへザーさんの映像を見ていて、「人間は何と愚かなことをしたのだろう」と胸が詰まりました。
そして、自分の運命を受け容れるということが、こんなにも哀しく、しかし人間をこんなにも強くするのかと心を打ちました。私たちは、「自分を受け容れる」ということを通常は意識的はしていません。しかし、身体やこころに障害を持っていたり、子どもの頃に手ひどく心の傷を負った人々は、そういう自分を受け入れようとし、ある者は受け容れ、折り合いをつけて強く生きることが出来ますが、受け容れがたい人々は、受け入れられない自分を責め苛まなければなりません。受け容れて強く生きているから今回見た映像にも出演しているのでしょうが、一方で枯葉剤の影響にいまも苦しんでいる人は決して少なくないと思いました。
私たちは日常的に他人を受け容れて生活をしています。しかし、『枯葉剤の傷跡を見つめて ― アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ』を見ながら、私たちは、まるごと、ありのままの他人を受け容れているのだろうか、と少し疑問に思いました。少なくとも、私はそうしているだろうか、と自問しました。あのツーズ―病院の人びとを、私はありのままに、まるごと受け入れられるだろうか、と思いました。膣のない女性を恋人として愛し続けられるだろうか、とも考えました。17年ぶりに、あらためて自分に、いのちに格差をつけない自分でいまあるのかを問いました。
17年前、私は奈良公園の中にある猿沢池の畔を歩いていました。阪神淡路大震災の際に演劇的な手法で子どもたちの心のケアと仮設住宅(当時はまだ避難所)のコミュニティづくりをするための「神戸シアターワークス」の立ち上るオルグ活動をしている時でした。そのために月に二回は神戸に足を運んでいましたが、ある時、奈良で障害者の絵画展「エイブルアート展」が催されることを知り、神戸に行くついでに奈良に立ち寄ったのでした。季節は憶えていません。ただ、猿沢池畔の道はとっぷりと暮れて、かすかに池畔の街灯のあかりが池の存在を知らせているという季節でした。それは第一回目の「エイブルアート展」でした。池畔の闇に慣れた目に飛び込んできたのは、鮮烈な色彩と異形とも言うべき造形でした。「自分が忘れているもの」を目の前に突き付けられた感覚に襲われました。「障害は個性だ」と激烈に感じました。「障害者は助ける存在ではなく、一人の人間として尊重し、敬意をはらうべき存在だ」と、絵の前で身じろぐこともできずに思いました。「いままで自分はいのちに格差をつけて生きてきたのではないか」としばらくは動けなくなりました。
本当に他人をありのままにまるごと受け入れることは難しいことです。『枯葉剤の傷跡を見つめて』を見ながら、たとえばこんなことを考えていました。運動会の徒競走の時に、歩行の困難な子どもと健常の子どもを分けて走らせるべきだろうか、と。いまの教育では、おそらく分離してスタートラインに立たせることになるでしょう。私はこれを違うと思いました。ならば歩行困難の子どもを健常の子が助けながらゴールテープを切る方が良いのだろうか。これも違うのではないかと考えました。一緒に走らせて、先にゴールした子どもがテープを切ってから歩行困難を抱えて走ってきたクラスメイトを待ち受けて、受け容れ、その頑張りを「頑張ったね」、「凄いな」、「ナイスランニング」と賞賛するのが、一番正しい「いのちの格差」のない徒競走の在り方ではないかと、そのとき私は思いました。ありのままに相手を受け容れるということは、そういうことなのではないかと思いました。ただ、それには歩行困難な障害を、障害を持った子ども自身が受け容れていることが前提ではないか、とも考えました。障害の有無、性差、世代の違い、国籍の違い、セクシャルマイノリティがコミュニティの一員であることを自覚できる社会包摂は、いのちの格差のない社会のことですが、それは本当に困難なことです。
ただ、私は、文化芸術だけがすべてを個性として認め合い、それを豊かさとして表現やコミュニケーションに結実させる、「いのちの格差」をなくすことのできる「宇宙」であると思っています。アーラはそういう劇場でありたい、あろうとしたい、と思っています。大型市民参加型『わが町可児』には50人弱の子どもたちが出演しています。それぞれに多様な個性を持った子どもたちですが、なかには注意欠陥気味や多動性や衝動性優勢の子どももいます。一人の子は、皆で稽古をするにはいささか多動気味ですが、絵を描くことに驚くべき才能があり、一時スタッフのあいだには「どうするか」という論議もあったようですが、「ともかく見守ろう、大切な才能を私たちが潰してはいけない」と制しました。
また、『枯葉剤の傷跡を見つめて』を見る一時間ほど前、そのうちの一人が問題行動を起こしました。他の子がやる気がなくしたようですが、でも私は本人が「やりたい」と言うなら受け入れようと思っています。職員にその旨の指示をしました。他の子どもには、私が、それこそ「徒競走」の例でも出して説明するつもりです。その出来事の直後に『枯葉剤の傷跡を見つめて』と向き合うことになったのでした。それだけにインパクトが大きかったのだと思います。「まるごと受け容れること」―難しいけれど、私はその困難さに向きあって生き続けようと思いますし、私がいつまでも追い求めたい「未来する劇場」の理念と言えます。