第88回 公共ホールが陥りやすい負のスパイラル。

2010年6月24日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

6月初旬から約20日間、来年度のアーラコレクション・シリーズ『エレジー』(作清水邦夫 演出西川信廣 主演平幹二朗)の地方営業に行ってきました。この年齢になって、1日三館に営業をかけたり、常軌を逸したような長距離の移動はいささか堪えます。郡山から盛岡までで二館を回った後、盛岡から松本へ移動するというようなスケジュールは、日常茶飯事。東北から九州までをくまなく回ってきました。ただ、成立が視野に入っている「劇場法」や文化庁の「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」への反応は様々で、公共地域劇場・ホールの「いま」を知るうえでも参考になる営業の旅でした。

何処の地域でも一様にあったのは、「劇場法」に織り込まれると予想される「芸術監督」への戸惑いでした。音楽や演劇という単一目的の公共ホールなら考えようもあるのでしょうが、地域の劇場・ホールの大半は、クラシック、ポップス、演劇、演芸など、多種多様な事業によって、地域住民に多様性と選択の自由を保障しています。事業の多様性によって、公共性を担保しているわけです。したがって、地域の公共劇場・ホールの芸術面での責任者には、幅広い見識と柔軟性が求められます。「そんなマルチな人間、誰が、いるの?」というのが彼らの正直ところなのでしょう。

あわせて当該地域のことを何も知らないアーチストが落下傘のように降ってきても、地域の特性に見合ったプログラミングとマネジメントをどれだけ出来るのか、という疑問は当然のことながら払拭できないようでした。文化庁の今年度から始まった補助事業「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」においても「芸術監督」の配置が要件になっているわけで、どのように対処すればよいのかを考えあぐねているようでした。

話は換わりますが、ベス・チャトーという大英勲章を受勲したガ―ディナーが英国・エセックス州にいます。エセックス州は砂利交じりの土壌で、イギリスでも一番雨が少なく、気候は乾燥していて、冬は零下、夏は30度以上にもなる過酷な土地で、そんな環境下で彼女は1年中ダイナミックな美しさを保つ「奇跡の庭」を作り出してきました。ベスはエセックスの荒れ地と過酷な気候に合った植物だけを選ぶのに、「エセックスに聞く」という方法をとっています。自分が植えたい植物ではなく、エセックスの荒れ地と気候に適した植物を「エセックスに聞く」のです。ともかく一度植え付けをして、枯れてももう一度だけ植えつけて、根付かなかったら諦める、という手法で「エセックスに聞く」のです。正反対に、クリストファー・ロイドのような伝統的な英国ガーデンを打ち破って「自分の好きな植物を、好きなように植えたり、型にはめて葉の形を変形させたりする」アーチスティックなガーディナーもいます。

地域での仕事は、ベス・チャトーのガーディニングの姿勢ととても良く似ています。芸術面も、経営面も、マーケティング面も、すべてが地域に耳をそばだて、目を凝らすことから始まります。反対にアーチストはクリストファー・ロイドのように、自分の芸術信条を強く持っています。その折り合いをつけられる人間の存在こそが、地域劇場の戸惑いを解消させる唯一の手だてなのではないでしょうか。地域劇場・ホールの「芸術監督」としての資質なのではないでしょうか。

それと営業に行った先で、過去8年間の演劇・クラシック・演芸の事業を時系列で見せてもらいました。平均客席稼働率が60%を割り込んでいて、事業責任者は相当に苦慮しているようでした。しかし、私はそのラインアップを見ながら、これでは「創客」という仕組みに持ち込めないなと思いました。事業に連続性がないのです。一つひとつの事業が「点」でしかなく、「線」になっていないのです。別の言い方をすれば、有名タレントの出演する演劇や著名な音楽家のコンサートをしても、「瞬間最大風速」としての観客動員でしかないのです。演劇でも音楽でも、年度をまたいで連続性とかテーマがなければ、いくら大勢の観客を集めても「瞬間最大風速」でしかないのは言うまでもないことです。そのお客さまが回を追うごとに、年を重ねるごとに、蓄積し、集積して、劇場・ホールの「ファン」になる仕組みが欠落しているのです。「蓄積し、集積した固定客」が新しいお客さまを連れてくる、という仕組みが端からないのです。一人で劇場に来るお客様は、最新データでも24%前後です。私たちは、固定客(ファン)の後ろに多くのお客さまが隠れていることを前提としてマーケティングを展開し、サービスを設計すべきなのです。ちなみに、連続性や継続性がどのような成果を上げるかの一例を示します。アーラと地域拠点契約を締結している新日本フィルハーモニー交響楽団の年二回の演奏会と、劇団文学座の年一回の二回公演は、今年度で三年目を迎えますが、平均客席稼働率は92.4%と、全体より7.6%も高いのです。

有名タレントや著名な演奏家をプログラミングすること自体は否定しませんが、事業に連続性やテーマの継続性があり、さらにはそれぞれの舞台成果が優れていることが「創客」の大前提です。そのうえで有名タレントがキャスティングされていれば「より、まし=better」と考えるべきなのではないでしょうか。有名タレントの出演している演目に来る客は、「たんにタレントを<見物>に来る」のであって、その場かぎりの顧客であると知るべきです。最初に「有名タレントありき、著名人ありき」で考えると、蓄積と集積の「創客システム」を端から放棄することになります。そして、「瞬間最大風速」のみに頼った「負のスパイラル」に入りこんでしまいます。私たちのミッションは、演劇が好きになる、音楽が好きになる、その劇場のプログラムなら間違いはないと顧客が思い、舞台芸術につきものの「認識の困難性」を克服できるブランド力がある、そういう固定客をつくることです。私たちは興行師ではありません。ましてや「呼び屋」でもないのです。私たちは、市民の心豊かな生活と、人々のきずなを文化芸術でつくりだすという公共的な使命を果たすことを職務とする存在なのです。

いったん「負のスパイラル」に入りこんでしまうと、そこから抜け出すのは至難なことです。概して、地域の公共劇場・ホールの陥りやすいのがその「罠」なのです。有名タレントで多くの人が集まる、と考えるのはいわばマネジメント上の錯覚です。誰もが知っているタレントだから沢山の人が集まるだろう、と考えるのはあまりに無邪気に過ぎます。地域に有名タレントの名前で広く投網を投げ込んでも、人間はその程度のことでは動きません。テレビのスイッチを入れれば茶の間でそのタレントを見ることができるのですから。これは行動経済学の知見です。なのに、わざわざ行き帰りの時間という「コスト」を支払ってまで劇場・ホールに人間は出掛けるでしょうか。そのような「投網」はとりこぼしの多い、目の粗い網なのです。大切なのは、大きな投網をかけることではなく、コアで硬質な顧客を「創客」することです。ライブ・パフォーマンスたる舞台芸術に魅入られたコアな顧客を創出することです。

全国を歩いてみると、今後の文化政策の中で淘汰される劇場・ホールと、より大きく成果を上げるだろう劇場・ホールが、くっきりと浮かび上がってきました。組織がどんよりとくぐもっていて瀕死と思える劇場、経営責任者のリーダーシップが的外れなホール、それらも「負のスパイラル」に入ると思います。「負のスパイラル」に決して陥らないこと、地域に耳を傾けること、目を凝らして地域を見つめること、大切なのはそういう真摯な姿勢ではないでしょうか。