第69回 西川信廣という人間について。
2009年12月13日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
『岸田國士小品選』の演出で可児に滞在している文学座の西川信廣氏は、私にとって、長年の畏友です。演劇評論家という立場から彼の仕事を高く評価しているばかりか、芸術団体の経営者としても彼のセンスには驚かされることがあります。また、人間としても、相手が子どもであろうと地域の演劇人であろうと、同じ目線で相手を受け入れる寛容と謙虚さを持った人物です。演出家としてだけではなく、日本劇団協議会の会長職や演出家協会の理事など多数の役職にも就いており、日本の演劇界をリードする人物の一人であるのは間違いのないところです。地域劇場・地域演劇のよき理解者でもあります。アーラのアドバイザリー・スタッフとして、文化功労者で、『岸田國士小品選』の舞台美術を担当してくださっている朝倉摂氏とともに、アーラ運営の動きを見守ってくれているのは心強いかぎりです。
その西川氏についてごく最近書いたものを公演パンフレットから転載して、彼の人となりを紹介したいと思います。現在可児で仕事をしている「西川信廣」という人間の一端に触れていただければ、との思いからのことです。演出依頼のもっとも多い日本を代表する演出家が可児で仕事をしてくれていることに、私はささやかな誇りをもっています。
西川信廣 ――その人間へのまっすぐな眼差し。
(文学座『殿様と私』パンフレットより転載)
西川信廣と協働した『おーい幾多郎』の全国公演が十六都市を巡演して終わった。金沢市民芸術村でのドラマリーディング、金沢在住の演劇人による初演、文学座有志による研究公演、市民芸術村ドラマ工房での金沢ユニットと文学座ユニットとの競演、長岡の演劇人と文学座の俳優による「長岡版」の上演、そして今回の全国巡演で、西川が地域で立ち上げた『お~い幾多郎』の観客はおよそ9000人に及ぶ。松田正隆氏のドラマ・ドクターによる戯曲ワークショップから丸八年にわたるプロジェクトだった。来年九月末からの吉祥寺シアターでの東京公演で10000人を超えることになる。私はひそかに彼の代表作になると思っている。
西川との出会いは北京だ。北京での小劇場演戯祭視察の折にホテルで同室になったのが言葉を交わした最初の機会だった。頭の回転の速い、楽しい男、というのが記憶している印象である。ある朝目覚めると大雪だった。階下の道路から湯気がもうもうと立ち昇っていた。労働者のためのワンタンや揚げパンの屋台からのものだった。インターナショナル・ホテルの食事に辟易としていた私たちは少数民族の少女たちが盛ってくれるワンタンと揚げパンに喰らい付いた。私も西川も30代の頃である。
何が縁になるか分からない。それから西川と協働した地域での仕事は枚挙に暇がない。地元のマンスリーマンションに長期滞在して舞台の立ち上げをしたのに限っても、仙台を皮切りに、金沢で五回、高松、長岡でそれぞれ一回と自炊の協同生活を体験している。数多くの演劇人と地域での協働を体験しているが、間違いなく彼との仕事が多い。
そうさせているのは、西川信廣という演劇人の「地域演劇」や「地域劇場」への理解と造詣が深いからである。文化庁の在外研修で英国の代表的な地域劇場であるブリストル・オールドヴィックで一年間研修したあと、ブリティッシュ・カウンシルの支援を得て英国各地の地域劇場をインタビューして回った彼の体験がそうさせていることは言うまでもない。エディケーショナル・プログラムやコミュニティ・プログラム、地域と劇場の関係のあり方への理解は日本の演劇人の中で桁はずれている。だが、私にはそれだけではないように思えてならない。そのような体験だけでは、「年に一度は必ず地域に出る」とまでは彼に言わせないだろう。私は、彼の人間に対するまっすぐな眼差しが、地域における演劇や劇場の役割を方向付けているように感じる。
演劇や劇場を一般社会の営みから外れたものにしているのは、演劇や劇場を特別なものと神聖視している演劇人自身である。演劇の観客になることを人々に躊躇させている障壁は演劇人自身が作っていると私は思っている。彼にはそれがない。それがないから地域での彼の作り上げる稽古場は楽しい。共生と共創の空気が満ちみちている。
私は可児市文化創造センターのウェブ上の館長エッセイで、この劇場を「芸術の殿堂」ではなく「人々の様々な思い出が詰まっている人間の家」にしたい、と書いた。西川信廣ならこのニュアンスは了解してもらえると思う。彼はそういう種類の演劇人なのである。
彼はまた、劇団文学座の経営の一端を担う人間でもある。私の専門であり、大学や大学院で教えてもいるアーツ・マネジメントやアーツ・マーケティングにおいても彼の直感的なセンスには驚かされることが度々だ。日本にワン・トゥ・ワン・マーケティングを紹介した井関利明氏(千葉商科大学教授・当時慶應義塾大学)との座談会をセットしたことがある。そのときも、その研究の権威である井関先生のマーケティングに対する見解を彼は瞬時に咀嚼して芸術経営の視点から彼自身の意見を返すのである。また、地域に長期滞在するときには芸術経営やマーケティングの話になることがある。そこでも西川は彼の持論をしっかりと持って話に付き合ってくれる。だから私にとってとても楽しい時間になる。彼から学ぶことも少なくない。私のように机にかじりついてマネジメントやマーケティングを学んだわけではないだろうから、直感的な経営センスがあるのだろう。
アーツ・マネジメントやアーツ・マーケティングは、どのような外部環境と条件下で人間がどのような行動をとるかを科学する行動心理学や行動経済学が発想の基盤となる。と考えると、彼の経営的な直感もやはり「人間」を基点としていると思わざるを得ない。ここでも、人間に対するまっすぐな眼差し、である。
彼との協働はこれからも続くだろうと思う。私が提案している劇団と地域の公共ホールとの、定期公演のほかにワークショップやアウトリーチを含めた包括的な「地域拠点契約」が、劇団文学座とのあいだですでに長岡リリックホールと私のいる可児市文化創造センターで動き始めている。他にも私の提案を検討している公共ホールがいくつかある。立場上、私との創造現場での協働は少なくなると思うが、互いに経営者として、また互いの地域劇場のあり方への共鳴者としてのこれからも協働は続くはずだ。
最後に、彼は若い頃に葬儀屋を生業としていたことがある。私の葬儀委員長は西川信廣にやってもらうと勝手に決めている。いろいろと「演出」を施してもらうつもりである。
さらに、どうしても言っておきたいことがある。仕事のしすぎには注意してほしい。あと最低でも十年は地域演劇のための協働をしたいので。お互いさま、という西川の声が聞こえないわけではないのだが。
演出家・西川信廣のこと。
(文学座『定年ゴジラ』パンフレットより転載)
まだ『定年ゴジラ』の稽古に入る前、私の劇場での次回作の美術打ち合わせで朝倉摂さんのお宅に伺った帰りのことだ。帰りに立ち寄ったバーでの取り留めのない話が続いたあと、『定年ゴジラ』の話になった。全編ビートルズの曲を使うことや、役々の形象と彼らが織りなすシーンのディテールを話す西川は、本当に楽しそうだった。同席した可児のスタッフと私は、彼の話に引き込まれてうきうきした気分になっていた。聞くほうも楽しいが、一番楽しんでいるのは西川自身である。
西川が自作を楽しそうに話すときは、それが間違いなく良い舞台になる。地域で彼と多くの仕事をしている経験則から、私にはそれがわかっている。なけなしの貯金をはたいて、補助金を取り巻くって全国十六ヶ所の巡演をプロデュースした『おーい幾多郎』のときも、『殿様と私』の稽古前のときも、彼の自作の話は、安酒を極上の「大吟醸」にしてくれる。無味乾燥な乾き物がちょっとしたワンプレートとなる。西川は、心底、芝居が好きなのである。
制作者だろうが、スタッフだろうが、評論家であろうが、勿論俳優だろうが、「芝居が好き」がこの世界で生きている大前提、というのが、西川と私のあいだで共有している認識である。そんなことは当然だろう、と思われるかもしれないが、芝居が好きとは思えない人間が少なからずいるのがこの世界なのだ。私にもそれが不思議でならない。芝居が好きだから、リスクを顧みず、形振り構わず、全身全霊を目の前の芝居に注ぎ込める。ものづくりを楽しめる稽古場と、屈託のない稽古場の人間関係さえつくれば、舞台は絶対に良くなる。私の仕事でいえば、きちんと論理的にマーケティングをしていれば、その「楽しさ」の集積である舞台を心から受け止めてくださるお客さまは創れる。楽しい稽古場から、何としてでも観ていただきたいというモチベーションは生まれるのである。地方に営業に出ると、「演劇の客は少ない」という声を多く聞く。客はいないのである。客は創るものである。そして、「創客」の意欲は楽しい稽古場からしか立ち上がらない。
西川信廣は、舞台の演出家であると同時に、稽古場の空気を見事に演出する、類まれな才能の持ち主だ。できることなら、彼の設える稽古場をお客さまに見ていただきたい、その雰囲気に浸っていただきたい、と思うくらいだ。本番の前に、稽古場の「メイキング」も入場料を取って見ていただくというのはどうだろう。芝居をしゃぶり尽くす極上のエンターテイメントになる。演劇を千倍楽しめて、演劇芸術の理解者を増やすことにつながらないだろうか、などと夢想する。彼の稽古場なら間違いなく「創客」に成功する。
自作の話や稽古場だけではない。西川のワークショップも実に面白い。目の前で参加者の表情や台詞回しがみるみる変化していく。西川の言葉が瞬時に参加者を捉えて離さなくなる。今年、私の劇場で市民対象のワークショップをやってもらったが、失礼な言い方になるが、「腕を上げた」という感想を持った。実に「うまい」のである。地域でのワークショップは大抵の場合、初対面の市民と対峙することになる。これは誰にとっても、いきなりの難題となる。しかし、西川はこともなげにひょいとそのハードルを越えてしまう。他者との関係づくりの「達人」である。それができれば、ワークショップの九割方は成功したに等しい。彼の楽しい稽古場づくりの手腕も、その辺りにあると考えている。
稽古場での西川は、若手のみならず、ベテランやスターの懐にも、何の遠慮をすることなくすっと入ってしまう。いわば俳優との「平場」を事もなげに作ってしまう。「平場」で話し合うことで、芝居づくり、役づくりの方向を、稽古場のすべての人間と共有していく。その手並みは驚嘆するほど鮮やかだ。そういう演出手法だから、俳優たちもスタッフも自律的な表現に行き着くことになる。したがって、彼の演出する舞台からは「西川信廣」が透けて見えることはない。彼は稽古のプロセスで演出の種子を綿毛とともに稽古場に翔ばし続けると同時に、それが稽古場一杯に満たされるのにあわせて、「西川信廣」が舞台からすっと消えていくのである。完全に自身の影を舞台から消して、本番となるわけだ。それによって、俳優の形象と個性と存在が、はっきりした輪郭として舞台に描かれることになる。
西川信廣の稽古場での俳優とのスタンスの取り方には、英国での留学経験が少なからず影響しているように、私には思える。彼の国の演出家は、灰皿を投げたり、怒鳴って俳優を威嚇したりはしない。俳優を職業人として扱い、敬意を持って向かい合う真摯さを持っている。西川信廣は、そういうタイプの演出家である。