第61回 こんな国に誰がした。

2009年10月23日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生


以前にこの館長エッセイで秋葉原の通り魔事件を取り上げた折、「日本は物凄いスピードで劣化して行っています」と書きました。去年の6月のことです。そして、およそ1年あまり経った一昨日の新聞で、本当にひどい事実を知らされました。日本の貧困率が15.7%で経済協力機構(OECD)の先進国中で下から4番目にランクされている、というニュースです。ここで言う貧困率とは「相対的貧困率」というもので、国民の所得の中央値の半分に満たない所得の人がどれくらいいるかを表すものです。日本の中央値は228万円ですから、114万円に満たない人が、15.7%、およそ7人に1人いるということなのです。ちなみに日本の下はアメリカ、トルコ、メキシコです。いったいどうなっているのでしょうか。生活保護世帯に満たない年収、月に10万円に満たない収入で生活しなければならないのです。「日本に貧困はない」とか「格差はどの時代にもあった」と平然と国会答弁していた「エライさん」たちは何を見てそう言っていたのでしょうか。こんな酷い国に誰がしたのか、私は激しい憤りを感じます。

私は文化芸術を語るとき憲法を良く持ち出します。文化政策研究家の多くの人が文化芸術と憲法を絡めて語る時には第二十五条の条文「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を援用しますが、私は第十三条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」が文化権の規定だと思っています。第二十五条は「国民の生存権」であり、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することを保障するための生活保護費などの根拠となっています。しかし、私が文化芸術を語るうえで重要視する第十三条は「国民の幸福追求権の保障=文化権」を言っていると理解しています。

上記の考えで今回の貧困率を吟味すれば、憲法第二十五条に守られていない人が15.7%もいるということではないでしょうか。おかしくはないだろうか。それでいて、「日本に貧困はない」とか「格差はどの時代にもある」と平然と国会答弁している与党の閣僚がいたのは、欺瞞以外の何物でもない。質(たち)が悪いだけならまだしも、愚暗のたわごとのたぐいです。日本という国を動かしている人物たちの認識がこの程度だから、日本は劣化するばかりなのです。政治とは、この「15.7%」をどうするか、という仕事だと私は思います。08年時点で、非正規雇用の割合は34.1%、実に3人に1人以上です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が守られていないのです。これを是正するのがまさしく政治家の仕事です。「働き方にもいろいろある」などとほざいて派遣法を改悪したことが、上記の数値に結びついているのです。

「いざなぎ景気超え」と言われた2002年2月から5年以上もの経済成長で名目GDPは21兆円も増えたことになっていますが、このあいだに勤労者の所得は4兆円も減っているのです。景気によって企業の内部留保は増えたが、働いている者の所得は削られ続けたのです。これを是正するのも政治家の仕事です。国民の利益よりも省益を重視した「官僚主導」が続いたからだとの指摘もありますが、それは政治家の言い訳にすぎないと思います。官僚がいなければ何もできない政治家がいただけの話です。私が子どもだった昭和20年代後半から30年代初めは確かに誰もが貧しかったのですが、今のような「貧しさ」はなかったと記憶しています。むしろ「豊かさ」の中で子ども時代を送っていたと感じています。だからこそ、こんな国に誰がした、と声を大にしてはっきりと言いたいのです。

私たち文化芸術に携わる人間にとっても、憲法第二十五条によって最低限の生活が保障された上での「文化権」なのですから決して無関心ではいられないし、最低限の生活が守られないことで将来的に起こるだろう社会不安に対処する文化芸術の社会的役割を負う人間としても、見逃してはいけない現実なのではないかと思います。

私が子どもだった頃の話をしましたが、今回の貧困率の発表で「子どもの貧困率」が14.2%であることも明らかになりました。貧困率の15.7%の差は、おそらく年金生活をしていらっしゃる高齢者家庭となるのでしょうが、およそ50人に7名の子どもが食事を満足にとれず、学校にも行けず、風邪をひいても、病気になっても病院には行けずに保健室に行くしかない、そして心の傷を抱えて今日の一日を過ごしているとしたら、とても黙ってはいられないことです。大人の責任です。少し前に、私は館長エッセイで『国の将来への不安 ? 若年失業者の増加に危機感を持つ』という文章を書いています。「私が一番危機感を持つのは、15歳から24歳までの若年失業者の多さです。8・7%と飛びぬけて高い数値なのです。前回からの増加も1・7%と25歳から34歳の区分と並んでの高率を示しています。これに<隠れ失業者>と<求職放棄失業者>を加えたら、おそらく15%を超える若者が未就労なのではないでしょうか」と酷い実態を書きました。「14.2%の子どもたち」を待っている現実がこれだとしたら、日本がいっそう酷い国になっていくことは明白です。未来を信じることができず、夢を持つことも許されないということは、人間としての権利を奪われていることを意味しますし、精神的な迫害を受けていのと同じことです。

一時期、「自己責任」という言葉を政権与党の政治家たちが盛んに発していました。アメリカはその「自己責任」の国です。格差社会の底辺にいることも「自己責任」なのです。その人々を救済するセーフティ・ネットを国は用意しません、「自己責任」ですから。オバマ大統領の導入しようとしている公的医療保険制度に対する反対運動をしているアメリカ人たちを見ると、私は吐き気をもよおします。アメリカの貧困率は日本のすぐ下にあります。子どもの頃にテレビ映画を見て憧れていたアメリカとはいったい何だったのだろう、と思います。日本も同じような国になって行っているようです。「こんな国に誰がしたのだ、責任者出て来い!!!」と言いたくもなります。