第78回 市民ミュージカル「君といた夏」が残してくれたもの

2018年4月23日

可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己

アーラに配属になって4年目に入りました。あと1年お世話になることになります。よろしくお願いいたします。今回の定期人事異動では、事業制作課長が市役所に戻り、市役所から後任が着任、中堅財団職員が国の関連機関に2年間の出向、その補充で即戦力のベテラン職員を新規採用しました。加えて、事務の効率化を図るために小規模の内部異動を行いました。 このように、我が財団も市役所の定期人事異動の時期に絡めながら、何らかの変化を加えつつ日々前に向かって進んで行こうと努力をしております。

こうした内部の変化は、外に対して決してマイナスに働いてはいけないと思いますし、かといって劇的に良くなることにも繋がらないとは思います。アーラはいつもと変わらず立ち寄りやすく、心地良い温かみを感じる場所でありたいと思います。そうした中で、ちょっとしたプラスαをじわりじわりと感じていただけて、「そういえばいつの間にか一層良くなったね」などと感じていただければ、非常に喜びを感じます。 いつもと変わらずといえば、今年も3月に大型市民参加公演が成功裏に終了し、参加者はもちろん、観客となった市民の皆さんとともに感動を共有しました。

大規模市民参加公演は、ミュージカル「君といた夏」、「オーケストラで踊ろう」、演劇「MY TOWN 可児」の3演目をローテーションで、毎年制作し、公演を行っているものです。今回の市民ミュージカル「君といた夏」は、平成23年、26年に続き、3度目の公演となりました。 時代設定は昭和49年夏、可児市(当時は可児町)を舞台に当時の小学校6年生の少年たちが繰り広げる夢ある冒険をミュージカルに仕立てたアーラのオリジナル作品です。

昭和49年といえば、政治の世界では、田中角栄氏の手法が「金権政治」などと揶揄され、クリーンなイメージの三木内閣が発足。生活面では、昭和48年に始まった中東戦争の影響で原油価格が高騰し、物価高と不況によりトイレットペーパーなどの日用品の買占め騒動に発展した、いわゆる“オイルショック”現象が広まりました。スポーツ界では、プロレスが全盛期を迎え、野球においては、中日ドラゴンズが読売ジャイアンツの10連覇を阻んでリーグ優勝を果たし、ミスタージャイアンツ、長嶋茂雄選手が引退した年でもあります。 また、終戦後もフィリピンのジャングルに隠れ、ゲリラ戦を続けていた“小野田少尉”がこの年に救出され、30年ぶりの日本への帰還を果たされました。テレビの中では、花の中3トリオをはじめ昭和アイドルの全盛、また、子どもたちの間では、来日した“ユリ・ゲラー”氏のスプーン曲げに関心が集まり、念力、透視、テレパシーなどの超能力ブームに火が点きました。さらにコカ・コーラ社の日本初のオリジナルCMソングも大流行し、「すかっとさわやか!コカ・コーラ~!」はキャッチフレーズとして定着しました。

これら当時の状況を脚本の中にちりばめることによって当時の世相を醸し出しつつ、5人の冒険が展開します。 現代、東京で暮らすマコトは、少年時代の親友ミノルが亡くなったとの知らせに、家族を連れて久しぶりに里帰りをします。ミノルが書いた小6時代の日記帳をきっかけに、マコトの心に忘れかけていた遠い少年時代の記憶が蘇ります。 マコト、ミノル、カンジ、ミツオの同級生4人は、それぞれに家庭の問題を抱えながらもいつも一緒に遊ぶ仲間でした。そこへこの春に名古屋から転校して来た成績優秀で女子にも人気があり気取った雰囲気を持つ、男子からは嫌われ者のヒロミが加わることになります。ヒロミの思いがけない持ち掛けに、5人は生涯忘れることのない冒険に向かうことになります。

8月下旬、3日間をかけて行われたオーディションを経て、市民83名のキャストが10月から公演までの、ほぼ毎週の土曜日、日曜日、40回を超える稽古に臨みました。また、これを支える市民サポーターの方は22名。合計105名の市民の方々が関わったことになります。 公演2日間の集客率は95.6%、公演の2日目には「満員札止め」という、うれしい結果が待っていました。 出演した人、サポーターとして裏方で支えた人、完成度の高いミュージカルを観て心から感動した人等、いろんな立場でこの公演に関わった市民にとって、まさに自分たちの大切な物であり、人であり、時間であり、場所であり、空間であったのではないでしょうか。

初回から演出を担当している黒田百合さんは、「この市民参加公演は、子どもたちが成長して戻ってくる『居場所』になっています。小さい子どもたちは昆虫から、小学生、キャンディーズ、少年から不良など成長段階を踏み、過程を経て、様々な役につきます。6年前にお兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらった子どもたちが、今は小さな子どもたちの面倒をみています。舞台を通してわくわく・どきどきすることを分かち合うと、大人も子どもも、みんなこの場所を、人を大事にしたくなるのだと思います。」と振り返っておられます。

方、衛館長は、「5人の少年たちは、『僕ら(・・)の、時代』を生きていた。ミノルの死で可児に帰ったマコトはきっと東京での暮らしの中で『僕ら(・・)の、時代』からいつしかはぐれてしまい『群集の中の孤独』の人になってしまったに違いないと思います。里山の秘密基地への彷徨は、彼の『僕ら(・・)』探しではないかと感じます。孤立しがちな現代に生きる私たちは、この『僕ら(・・)』感覚を取り戻す場所と時間をきっと必要としているに違いないことを『君といた夏』は語っているのです。」と評されました。

お二人が表現しておられる場所、時間がこのアーラで創り出されていることに、私などは大きな意義を感じるとともに、おこがましいとは思いつつ、自負というか、誇りのようなものを持ってしまいます。 ひいては、ミュージカルも含め、疑似体験を可能にする演劇の力をますます実感し、改めてこのアーラの運営に僅かでも関わっていられることに幸福感を抱かずにはおられません。